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コンコン。窓を叩く音に背後を振り返る。
ベランダの入り口からカイトさんがこちらを覗き込んでいた。

「ルリちゃん、ちょっと良い?」

もう終わったんだろうか?
エプロン姿の彼はどこか楽しそうな様子だ。
不思議に思いながらも、私はコクンと頷いて中に戻った。

彼に促されるまま台所に足を踏み入れると、焼き菓子の甘い香りに包まれる。
香りの元は、テーブルの大皿に山と積まれたクッキーだった。
バタークッキーもあれば、レーズンやナッツを混ぜたもの、ココア色のものまである。
……こんなにたくさん。朝から作っていたのはこれだったのか。
さらに驚いた事に、テーブルにはクッキー以外の皿も置かれていた。
1枚は真っ白いマシュマロが盛りつけられていたし、
もう一枚は色とりどりの包み紙にくるまれたキャンディが積み上げられていた。
どちらもさすがに手作りじゃないみたいだけど、その量はクッキーと大差がない。

あまりの存在感に怯んでカイトさんを見上げると、彼はにこにこと椅子に座るように促してきた。
戸惑いに立ちつくしていると、彼はさっさとエプロンを外して自分の席に腰掛けてしまう。
仕方なく私も畳んだショールをテーブルの上に置くと、自分の椅子の背を引いた。

「……カイトさん、このお菓子の山はいったい?」

腰を降ろしながら、正面に座る彼に問いかける。
肘をつき指を組んだ両手の上に顎を乗せてこちらを見ていた彼は、にっこりと微笑んだ。

「今日、何日か覚えてる?」
「14日……ですけど」
「そ。ホワイト・デーだよね♪」

すごく楽しそうにウィンクまでしてくる彼の様子に、私の額に汗が流れた。
視線だけでテーブル中を見渡す。クッキー、マシュマロ、キャンディ。まさか……。

「もしかして……これ、全部……」
「うん♪ 先月のお返し♪」

ぴしっと固まった私を見て、彼はくすくすと笑いだした。
わかっててやってるんだ。むっとした私は少々きつく彼を睨んだ。

「ごめん、ごめん。全部食べろなんて言わないから安心してよ」

私の視線をさらりとかわして、カイトさんは「好きなだけ食べて良いよ」と続けた。
いつもならこんな風に睨めば慌てるはずなのに……。
普段と違う彼の様子に内心戸惑ったが、お礼を言って焼きたてのクッキーに手を伸ばした。

「そういえばさ。ホワイト・デーって渡した品物に意味があるんだって?」
「意味?」

美味しそうな焼き菓子を摘もうとしながら、カイトさんが急に振った話題に私は顔を上げた。
私の視線ににっこりと笑って彼は口を開いた。

「クッキーは本命へのお返しなんだって」

ピタリと手が止まった。ゴクリと唾を飲み込む。
「それ以外は義理返しらしいよ。誰が決めたんだろうね」と話し続ける彼に
私は返事を返せたが、心の中では皿の上にかざした手の行き場に困っていた。

「あ。ルリちゃん、何か飲む?」

私の状態を知ってか知らずか、席を立ち飲み物を勧めてくるカイトさん。
紅茶を頼み、私はすかさず手を引っ込めた。助かった……。
こっそり胸をなで下ろしていると、すぐにティーカップが差し出された。
ありがとうと受け取りそっと口を付ける。アッサムの良い香りが鼻腔をくすぐった。
ホッと一息つけたが、再び椅子に座った彼を前にしては食べない訳にもいかない。
とりあえずクッキーを避けて手を伸ばそうとすると、「さっきの話だけど」と彼がまた口を開いた。

「マシュマロが本命って説も、キャンディが本命って説もあるんだってさ♪」
「…………」

どれを返せば良いか迷っちゃうよね――などと
私のジト目を無視して楽しげに話す彼の目を見て私は確信した。絶対ワザとやってる。

「……カイトさん」
「ん?」
「そんな話をされると食べにくいです」
「そ〜かなぁ?」
「はい」

私が醸し出す剣呑な気配の前でも、彼は白々しくすっとぼけた。
どういうつもりなのだろう。私は怒りより前に困惑の気持ちにとらわれた。

「別に僕はこんなものに特別な意味をこめたりしてないよ。だから、どれ食べたって同じ。気にしないで食べなよ」
「…………」
「ルリちゃんだって、そうだろ?」
「え?」
「3年分の義理チョコくれただけでしょ?」

思わず息を飲んだ。からみつくような彼の視線から無理矢理目をそらす。
確かにそれはそうなのだけれど……。言葉は声にならずに喉の奥で消えていった。

「……参っちゃうね、そんな顔されると」

数秒かそれとも数分だったのか。
体感的にはひどく長く感じた沈黙を破って、カイトさんはカタンと立ち上がった。
流しに向かう彼の背中に、私は止めていた息と共に心情を吐き出した。

「……今日のカイトさんは意地悪です」
「うん。当たり。今、めちゃくちゃ意地悪したい気分なんだよね」
「え?」

予想外の返答に私は目を見開いて彼を見つめた。
冷蔵庫の扉を開けてごそごそと中を漁っていた彼は、横目でちらりと視線を寄越した。

「だって、ルリちゃんさ、
 僕がこの一ヶ月どれだけ悶々と悩んでたかなんて想像してもいないだろ?」

「少しくらい仕返ししたいよなぁ」と彼は言って、
冷蔵庫から手のひらサイズの包みを取り出した。
それが何か気づいた私は思わず立ち上がる。

「それ……」
「そ。ルリちゃんがくれたヤツ。何粒かはもらったけど、まだ全部食べてないんだ」

見覚えのある包みは、やはり私が渡したバレンタイン・チョコだった。
それを左手に抱えたカイトさんはテーブルを回って、ゆっくりと私の前に立った。
彼の口元には笑みが浮かんでいるのに目は笑っていない。
妙な迫力に怖じ気づいた私は一歩身を引いた。それを見た彼がフッと笑いをこぼす。

「去年のあの騒ぎで、僕がなんて言ったか知ってる?」
「……『本命以外からは受け取らない』?」
「うん。あれ、まだ撤回してないんだ」
「…………」

目の前にチョコの包みが差し出された。あんなに苦労したリボンも綺麗に結び直されている。
透明のフィルムにくるまれたトリュフ・チョコの山は、確かに少し減ってはいるようだった。

「だから、そういう意味じゃ無いならこれは返すよ」

――背筋が震えた。
自分の身体からすぅっと血の気が引いていくのが分かった。

「これは返す」

カイトさんは私の左手を取って無理矢理包みを持たせた。
温かい彼の手のひらの中で、自分の指先だけがやけに冷え切っている。
カサカサと鳴り続けるフィルムの音が、私の身体が震えていることを示していた。

「そ…う……ですか……」

何とか絞り出した声はひどく震えて掠れていた。
顔を上げることも動くこともできず、私は手の中の包みを見つめる。
どうしよう。どうしよう。どうしよう。
真っ白になった頭の中で、同じ言葉だけが繰り返し響く。
行き場を無くした包みを抱えて私は呆然と立ちつくしていた。






<-4-へ続く>





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