『本日は晴天なり』




ふと見上げたサセボの空には、大きな真ん丸のお月様が光っていた。
サセボ基地に拘留されて約1ヶ月。
4月になったばかりで、日が暮れるとまだ幾分寒さを感じる。
夕食の後、プロスさんに頼まれた書類整理を片付けて、私は自室に戻る途中だった。
夕闇を彩る冷んやりとした白い月光は、まるでナデシコ長屋を優しく包んでくれているみたいだ。
思わず立ち止まって見入ってしまった輝きに、私はほぉっと息を吐いた。

どれくらいそうしていたのだろう。
首筋を撫でる冷たい風にハッと我に返り、月の明かりを背にして自室に急ぐ。
自分自身の影を追いかけるように歩を進めていくと、
聞き覚えのあるアコースティック・ギターの音が夜風に乗って耳に届いた。
あぁ、またか――そんな思いが頭をよぎる。
チクリと胸を刺す小さな痛みを覚えながら、その音色を辿るように進んだ。


プレハブ部屋の扉を開くと、先程の音がはっきりと聞こえるようになる。
畳敷きの部屋の真ん中で、この部屋の住人ではないカイトさんがあたり前のようにギターを奏でていた。


「あ、おかえり、ルリちゃん。お疲れさん」
「ただいま戻りました」

こんな挨拶を交わすのももう何度目だろう。
カイトさんは手を止めて、部屋の隅によけていたちゃぶ台を引きずり出してきた。
彼が居たせいだろう、部屋の中はとても暖かい。
ジャージのズボンに白Tシャツ姿の彼は、首だけをこちらに向けて、「お茶いる?」と尋ねてきた。
私はこくりと頷いて、脱いだ上着を押し入れのハンガーにかけた。

ちゃぶ台を挟んで彼と向かい合う位置に座ると、
それに合わせたように、白い湯気の立つ湯飲みが目の前に置かれる。
私はお礼を言ってから、舌を火傷しないように慎重に湯飲みを傾ける。
そして、いつものように彼に尋ねた。


「今日もですか?」
「うん。また逃げてきちゃった」

カイトさんは苦笑いを浮かべてそう答えると、再びギターを肩にかけて奏で始めた。
ナデシコクルー全員が暮らしているこの長屋は、ほぼ全ての部屋が2人部屋だ。
実際、この部屋はユリカさんと私の部屋だし、カイトさんは本当はアキトさんと同室である。
その彼がここに居るのは、ユリカさんが彼らの部屋に押しかけているからだ。

ついこの間、晴れて両想いになったアキトさんとユリカさんは、現在らぶらぶモードの真っ最中。
アキトさんが料理修行から戻ってくる夕方から夜中にかけて、彼女は暇があれば彼の元へ顔を出していた。
長屋の部屋はどこの間取りもほぼ同じ。
この四畳の部屋の中、大人3人で過ごすだけでも狭苦しいのに、
その内2人がピンク色の空気を醸し出していては、
あぶれたカイトさんは居心地悪い事この上なかったそうで、早々に部屋を逃げ出した。
そして、春になりかけの寒空は非常に身体にこたえると、
確実に空きのあるこの部屋に逃げ込んでくるようになったのだ。


カイトさんの指がゆっくりと音を紡いでいく。
この短期間にずいぶん上達したように思う。
そう伝えると、暇だからずっと弾いてるしね、と彼は照れたように笑った。
彼が弾くギターはウリバタケさんから貰ったそうだ。
ナデシコから長屋に荷物を引き上げた時、どうしてもウリバタケさんの自室に入りきらなかったらしい。
『俺の青春の思い出だ、大事にしてくれ』と涙ながらに譲り渡された時、
カイトさんはコードの一つも知らないド素人だったのに、今ではゆっくりとなら曲を奏でられるまでになっていた。
彼の練習をぼんやり眺めたり、ギターのコード譜や運指方法をオモイカネと調べたりして、
この時間を過ごすのが私の日常にもなりつつあった。



気がつくと、時計の針が22時を指している。
私の胸にまた暗い痛みがチクリと刺さった。
あの部屋で彼らはまだ2人きりなのだ。
そんな考えが頭をよぎると、胸の痛みがより強くなる。


「今日も遅いみたいだね」

手元から目を離すことなく、カイトさんは独り言のようにそう言った。
その声には答えずに、私は静かに立ち上がって彼の背後にまわる。
今日もここで聴いても良いかと尋ねると、彼は快く頷いてくれた。
背中合わせで両膝を抱える。
重くならない程度に背中を預けると、くっついた箇所がほんのり温かい。
そのぬくもりに軽く息を吐く。
それを合図に、止まっていた演奏が再開された。
目を瞑ってギターの音に耳を傾けながら、
『人恋しい』――というのはこういう感じなのかもしれないと私は考えていた。
自分以外の温かさを感じるとホッとする時がある。
その時だけ、胸につかえた痛みが薄れる気がするのだ。
黙って背中を貸してくれるカイトさんに、心の中でそっと感謝した。


一曲が終わってしばし音が途切れた後、聴いた覚えのあるメロディーが流れてきた。
本来よりスローテンポに流れるその曲の正体に気がついて、私は背後を振り返った。
首だけこちらを向いたカイトさんは、悪戯が見つかった子供のように笑っていた。
「オモイカネに教わったんだ。ルリちゃんの持ち歌なんだろ?」
との言葉に私は恥ずかしさで顔が赤くなる。

『あなたの一番になりたい』
艦長コンテストで私が歌った曲。
それほど前の出来事ではないはずなのに、妙に懐かしく感じる。
カイトさんは、コードの流れを確かめるように、
最後まで一度通して弾くと、少しテンポを上げて滑らかに曲を繰り返し始めた。

しっかり記憶に残っている歌詞が、私の頭の中を勝手に流れ出す。
いつも以上に染みこんでくる音に、薄れかけた痛みが戻ってくるようだった。

申し訳ないけど止めてもらおうか――そんな事を考えていたところに、背後から呟きが聞こえてきた。




<続く>





















―あとがき―

途中までの掲載ですみません。
サンプルなのでどうかご容赦くださいませm(_ _)m

傷心なルリルリをカイトくんが慰める話…になるのかな、やっぱり。ぽりぽり。
初恋なんざ切ないものです。なむなむ(-人-)
カイトくんが珍しいことしてますが…
ボケっとただ座らせておくのも変だったので苦肉の策です。気にしないでください(汗)

今回、ルリの思春期っぽい可愛さを目指して書いてみました。
『ルリルリも女の子だなぁ』…と思っていただけたら幸いです。
それではまた時をあらためて・・・。



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