アフター







命に優劣は無い。そんなことを言ったのは誰だったか

命は等しく平等だ。そんなことを言ったのは誰だったか

それは、造られた命にも当てはまるのだろうか

本来存在するはずの無い。そんなイレギュラーで、不自然な命にも、当てはまるのだろうか

その価値に、意味はあるのだろうか

正解はわからない。本来生み出される、生まれることすらないはずだった命だ

ならばそんな命は、自然へと還るのが、本来あるべき姿なのかもしれない

誰にも知られず、誰にも影響すら与えず、どこかの寂れた路地裏で、ひっそりと朽ち果てていくのが、相応しいのかもしれない

答えは知らない。正答は存在せず、不正解もまた存在しない

それは、誰にも決める権利の無い問い掛けだから

不自然でも、有り得なくとも、誰かの命を否定する権利は、等しく誰にも無いはずだから

ならば

正解も不正解も存在しないのなら、せめて私は祈りたい

本来干渉する権利も義務も存在しない、無責任で部外者な私にも、それくらいは許されると思うから、許されて欲しいと、そう思うから

だから



願わくば―――どうか、彼らに幸せな結末を







振動に身を揺られるまま、シラキは壁を背にして座り込んでいた

ターミナルコロニーコトシロ、作動された自壊装置がその目的を完遂するまで、後二十分かそこいらといったところだろうか

そんな中、シラキの心は穏やかだった。後悔もある、心残りも数え切れない。しかし、なにか不思議な達成感とも、満足感ともつかない気持ちを持ったまま、ただ訪れるだろう死を待っていた

最後まで生に縋って足掻こうとか、そういう感情はシラキには無かった。助かる可能性なんてもう一欠けらすら存在していないし、なにより身体が重い

もっとも、つい先程左腕を引き千切り、血を大量に失って倒れたことを考えると、意識があるだけでも感謝するべきなのだろうけれど

とはいえ、身体が動かないことに変わりは無い。タイプ甲相手に振舞った虚勢で、体力はもう底の底まで尽き果てている

投げ出した右腕の掌に、埃のような砂塵がパラパラと落ちて来た。視線を上に向けると、剥き出しにされたパイプが目に入る

このままコトシロの崩壊に呑み込まれて死ぬか、負荷に耐え切れなくなった頭上のパイプが落ち来て死ぬか、どちらが早いだろうか

――― ま、大差無いわな

軽く肩を竦めて、シラキはそれだけ思う。どうせ死ぬし、死因に拘るほど格好の良い生き方をしてきたわけでもない。どちらでも変わらないだろう

そんなことを考えていると、不意に

コツ、という、微かな物音が聞こえた

崩壊の前兆である振動や物音が響き渡っているのに、何故そんな微かな物音に自分が気付けたのか、それは今でもわからない

ただ、目の前にあったのは

「……よお」

「うん」

いつの間に、そこに現れたのだろう

蒼い、長い綺麗な髪をした女が、そこにいた

「こんなところで、人に会うとはなあ……観光にしちゃ、物騒じゃねえか?」

「はは、私も、こんなところに観光に来るほど酔狂じゃないよ」

目の前の女は、そういって透き通るように笑った

誰だろう。この目の前の女に、自分は会ったことがある気がする

だが、記憶の引き出しを探ってみても、該当する顔は浮かんでは来なかった

少なくとも、自分が二度目にヒゲ爺に救われた後に会ったのではないのだろう。そしてそうなれば、シラキにはお手上げだ

砂漠で過ごした過酷な一時期は、シラキからそれ以前の映像を奪い取っていたから

記憶としては、確かに覚えている。金髪でヘラヘラした青年のことも、大柄で無愛想だった男のことも、仲間達のことも、名前も、なにもかも覚えている

しかし、そこからすっぽりと、映像だけは抜け落ちていた

性格も、声も、挙動すら覚えている。しかし、顔だけは思い出せない

無理矢理に過去の記憶を再生しても、そこには出来の悪いコラージュのような、顔だけが真っ黒に塗りつぶされた人々しか現れてくれない

今考えてみれば、ここで見せられた悪夢の中で出会った彼らの顔を、覚えておくべきだったのかもしれない

だが、意味の無いことか、と心中で一人呟くと、目の前の女に視線を移す

「前に会ったこと……あったっけか」

その言葉を聞いたとき、女の顔に少しだけ悲しそうな色が過ぎったのが、妙に印象的だった

「貴方は、どう思う?」

「さあ、どうだかねえ……」

もはや身体に力が入らないため、呟く言葉にすら覇気が無い

「で、観光じゃないんなら……こんなところに、なんの用だ?」

「うん」

質問に、女は笑った

それは外見とは、少しばかり不釣合いな、しかし妙に似合っているような、彼女に相応しいと思ってしまうような、そんな笑顔

まるでこれから悪戯を始める子供が浮かべるような、幼い、無邪気な笑顔だった

「ちょっと、悪いことしようかな。って思ってね」





そこから先のことは、まるで覚えていない

ただ、再び目覚めたとき、自分はベッドの上にいた

覚えているのは、そんな自分を酷く心配そうに見下ろしている、見知らぬ人々の顔

意識を取り戻した自分を確認すると、彼ら彼女らはとても喜び、次に再び自分に、心配そうな視線と言葉を投げてきた

曰く、自分はある朝、その村の入り口に倒れていたらしい

曰く、自分は三日三晩掛けてぶっ通しで眠り続けていたらしい

夜中、一人になった部屋で、シラキはただ窓から見える空を見つめていた

そして、ようやく実感が沸いて来る

それは喜びでも無ければ、かといって絶望でも、悲しみでも無い

ただ、心に浮かんだのは





ああ、また、死に損なっちまったんだな。という





そんな、ひどくのんびりとした、能天気な想いだけだった











機動戦艦ナデシコ

 Imperfect Copy 』


アフター



『 旅の始まり 』

 

 






切り立った崖の下に、海が見える。そんな草原の中に、腰を降ろした影が二つあった

一人は、潮風に流れる銀髪をなびくままにしている少女―――星野ルリ

そしてもう一人は、今はもう無い左腕、白衣のそこを風になびかせている男―――シラキナオヤ

並んで腰掛ける二人の間の距離は、人一人分程のスペースが空いている。そんななんとも曖昧な距離を保ったまま、二人は目の前にある海を眺めていた

「生きてたんですね」

不意に呟かれたルリの言葉に、シラキは足を投げ出した態勢のまま、ゆっくりと上半身を地面に横たえた

「……ま、なんとかな」

お互い、相手を一瞥すらしない。二人はただ、目の前にある光景を見ているのかも曖昧に、言葉を紡ぐ

「オメエこそ、良くここがわかったな」

「探しましたから。それなりに頑張って」

軍に休職届けを出してから、ルリが初めに行ったのはそれだった

キッカケは、なんだったのだろうか。ユメとロウへの罪悪感かもしれないし、アキトの復讐心に引き摺られた自分の起こした行動に巻き込まれたシラキに対する、加害者意識だったのかもしれない

或いは、シラキに生きていて欲しいと、そう思ったからなのかもしれない

とにかくルリは、己の持つ電算能力をフルに発揮し、個人で出来る範疇の中で最大限に情報を収集した

状況から考えると、死人を探すような行為だし、ルリの中にもそんな意識がどこかにあった

最悪の場合、死体だけでも、せめてその一欠けらだけでも、見つけてあげたい

それがケジメだと考えた。確かにシラキは、他ならぬ自分の意思でアキトの元へとやって来て、そして死んだ

シラキの死は、他でも無い。彼の行動の果てにあった結果だった。しかしかといって、ルリに非が無いわけでは決して無い

どれだけの理由があったからといって、そもそも犯罪と言われる行為を起こしたのはルリ達の方なのだ

目の前で自分の友人が、ナイフを持った暴漢に襲われていた。それを助けに入った人間が死んだ場合、その非はどう考えても助けに入ったその人間ではなく、ナイフで友人に襲い掛かっていた暴漢の方にある

それと同じことだと、少なくともルリはそう認識している。ましてや彼が左腕を失くしたのは、紛れも無く自分の行動の結果だ

だから、探した。それこそ寝食を削って、懸命に、必死になっていたと言っても語弊は無いかもしれない

それが自己満足だと自覚していても、ルリには他に贖罪の方法が見つからなかった

軍の任務としてでも、誰かに強制されたからでもない

生まれて初めて、自分という『個人』が起こした結果として、死なせてしまった男に対する罪の償い方が

ルリには、他に思いつかなかった

そして、そんなある日。ルリの手元にある情報が飛び込んできた

それはおそらく、軍関係者達すら見落としてしまっていた。そんな些細で、とても小さな一つの違和感

一ヶ月前、コトシロが崩壊した日。そして、同じ、全く同じ日、同じ時間、地球のある地点で、微弱なボース粒子の増大反応があったという、そんな事実

通常なら、確かに見逃す。見過ごす。そもそもその反応はボソンジャンプ反応としては余りに微弱すぎた。それこそ計器の誤作動と思われても仕方が無い程、その反応は小さ過ぎた。そもそも計測されたその場所にはチューリップなどの媒介物は無い。ならば単独で生体ジャンプが可能なA級ジャンパーがもはやイネスしかいなくなっている以上、ボース粒子の増大反応など発生するはずが無いのだ。イネスはそのとき、地球から遥か遠くにある、戦艦内部にいたのだから

しかしルリは、そこに違う意味を見出した。いる

一人、いるのだ。イネス以外に生体ジャンプが可能な人間が、たった一人だけ

いないのではないか。自分の勘違いではないか、読み間違いではないか

当然なその考えを、ルリは行動することで揉み消した

イネスにある事を相談しに行き、主婦の井戸端会議のような噂話をその桁外れの情報処理能力で収集した

確信を持って行動を起こす前、他の皆に心配を掛けないように、ハーリーに一通のメールを送った

そして

「つい最近、この辺りに、身元不明の人間が現れたそうです」

ルリの呟きに、シラキは僅かに彼女の横顔を見る

しかし少女はただ、目の前の海を見つめるだけだ

「その人は助けられたその村で、医師免許も許可も取らずに臨時の診療所を開きました」

シラキはルリから視線を外し、同じように海を見る

「当然法に触れる行為ですが、その人の医者としての腕は、それなりでした。少なくとも見咎められるような酷い失敗は行いませんでしたし、なによりこの村の方々の細かいことは気にしないという気性で、通報等の類に値する行動は取られませんでした」

ルリが視線を巡らせる。僅かに遠い距離に、小さな診療所が見える

「そして……」

それを見つめながら、呟いた

「その人には、左腕が無いそうです」

言い終わって、ルリは沈黙した。シラキも言葉を発さない

しばしの間、二人は無言だった。温かい日差しと風に身を委ね、そして

ルリは初めて、シラキへと、真っ直ぐに視線を向けた

「ユリカさんに……助けられたんですね?」

静かな言葉

「……多分、な」

それに答えるように、シラキは寝転んだまま、ゆっくりと瞼を閉じた

今にして、思い返してみれば、という話である。あのとき、面と向かって会話をしている間は気付かなかったし、今だって確信と言えるようなものはなにも無い

過去の記憶は相変わらずぼやけたまま、ただ、残った事実だけを考えれば、答えはおのずと一つに絞られる

あのとき不意に、あの女が全く前触れもなくコトシロに現れたこと。どう考えても絶体絶命の状況なのに、妙に落ち着いていた、マイペースだったこと

彼女に対して感じた、微かな違和感と、懐かしさのような、憧憬のような感情

そしてなにより自分が今、こうして生きているという事実。そんな芸当が出来る人間を、シラキはA級ジャンパーしか知らない

それらを考えてみれば、答えは一つだろう

「あれは……ユリカの野郎だったんだろう」

『ある事実』を知らないシラキには、わからない。どうして彼女が自分を助けたのか

言葉を交わしたことなど、それこそただ一度きり、彼女が起こしたクーデターを装ったあの事件の折、ナデシコの艦内で言葉を交わしただけだ

本当に、それだけ。ましてや自分はあのとき彼女を説得出来なかったし、そもそもするつもりも無かった

そして、それで終わりだ。他にはなにも無い。彼女と、自分を繋げる役割は

――― いや……

そこでふと、全く取りとめも無く、シラキの頭にある考えが浮かんで消えた

それはシラキが、コトシロでユリカに助けられたとき、口にした言葉

『前に会ったこと……あったっけか』

何故、そんな言葉が口から漏れたのか

何故、そんなことを思ったのか

そして、あの憧憬にも似た感情は、果たして、一度しか会ったことの無い『テンカワユリカ』という存在に対して、感じたものだったのか

いや、と、シラキはその考えを否定する。会ったのはたった一度、一度だけだ。そんな薄い繋がりの人間に、あんな感情は抱かない

ならば、あのとき自分は、ユリカの中に誰を見たのか



『お医者さんに、ならない?』



過ぎるのは、かつて出会った一人の女性

思い出すのは、自分に今の生き方を教えてくれた、師ともいえる一人の女性

今でもわからない。感謝しているのかそうでないのか、医者という生き方を教えてくれた彼女に、自分はどんな感情を持っているのか、それは本人である、シラキにすらわからない

ただ、確信だけは、そこにあった

ああ、と、そう思いながら、シラキは目を開く

そういえば昔、ヒゲ爺に教えられたことがあった。自分の前に一人、助手のような、料理が呆れる程下手糞な弟子が一人、いたことを

――― アンタ、だったのか……

不思議と、感慨は浮かばなかった。それに起因する感情も、なにも浮かばない

ただ、そうだったのか。という、微かに引っ掛かっていた違和感がスルリと落ちていったような、そんな小さな満足感だけ

「で、お前は俺が生きてるってことを知って、どうするんだ?」

そんな感情を胸に仕舞いながら、ルリへと意識を移した

ルリは真っ直ぐにシラキを見つめながら、答える

その答えは、シラキにとって少し意外だった

「貴方は、どうして欲しいですか?」

言葉とは裏腹に、ルリの表情に問い掛けの色は無い

多分彼女は、自分がどうしたいのか、どうするつもりなのか、きっとわかっているのだろう

「できりゃあ、黙っといてもらえると助かる」

苦笑しながらの言葉に、ルリもホンの僅かだけ、口元を緩めた

「はい、わかりました」

ルリは聞かなかった。何故シラキが、自分の生存をロウやユメ、ヒゲ爺に知らせないのか

そしてまた、シラキも答えなかった。問われれば答えただろうが、別段自分から口にするような、カッコイイ理由でも無い

シラキが、己の生存を秘めた理由。それは、酷く単純なことだった

「多分、ユリカさんが私達の前に現れない理由と、同じようなものなんでしょうね」

空を見上げるルリの言葉に、シラキはどこか寂しさのような感情を捉えた

コイツの言う通りなのだろうと、シラキは思う

言葉にしづらい、再会を拒む理由。多分これから先、おそらく死ぬまで、自分はそれを正確に表現する言葉を見つけることは出来ないだろう

ただ、なんとなく、思ったのだ

この村で助けられ、そして助かったことを自覚して、自分の生存を伝えようかと、電話を前にしたとき

まあ、良いか。と

あいつらなら、大丈夫だろう。と

そんなことを、ふと、思った

理屈としてはまるで筋が通らない。支離滅裂もいいところだ。残された人間の気持ちとか、そういうものをまるで無視した、身勝手な考え

第三者から見れば、なんと無責任なことだと激怒すらされるかもしれない。しかし、そう思ってしまったのだから、仕方が無い

彼らと自分を繋いでいた糸が、プッツリと途切れた。多分もう、自分がいなくても大丈夫だ

ならば今更、死んだはずの人間が出て行くような無粋、しなくともいいだろう

おそらく、ユリカも同じ考えなんだろうと、シラキも思う。そしてそれは、アキトが最後まで、ユリカやルリ達の元へ帰らなかった理由とも、同じような気がする

根拠もなにもない。多分、自分の一方的な一体感

そんなことを考えているとき、ふとシラキは、ルリの視線を感じた

目を向けてみると、ルリはチラチラとシラキの、正確には、シラキの左腕を見ている

視線に気付いたのか、ルリは少し罰が悪そうに視線を伏せる

「あの……」

「?」

妙に畏まった口調に、シラキは首を傾げる

「その、左腕……」

それで、シラキはルリがなにを言いたいのか、察した

「ああ、別に不便は感じてねえよ」

「いえ、そうじゃなくて」

違ったらしい

「その左腕、治す気、ありますか?」

喪失した腕や足の再生は、如何に医療が発達しようとも困難を極める

当たり前だ。腕にしろ足にしろ、それは肉体に置いて非常に重要な役割を担っている。少なくとも自然治癒でどうなるものでは絶対に無い。人間の肉体は、そもそもそんな大規模な喪失を想定して作られていないのだ

だが、代替手段なら存在する。義手だ

それも、精度としては恐ろしく高い。IFS技術の医療応用として開発されたその技術は、少なくとも神経からの命令には、生身の腕や足と比べても全く遜色無い反応を返す

ルリの言う、治す気、とは、そういうことなのだろう

「……まあ、治るってんなら治してえもんだけどな」

「そうですか」

しかし実際問題、今のシラキには義手を手に入れられない事情があった

別にIFS用のナノマシンを身体に打ち込むことに抵抗があるわけでは無い

単純に、高いのだ。この村で診療所を始めてから、義手に掛かる費用を計算したこともある

あのときは、目ん玉が飛び出るかと思った

そんな情け無い記憶を反芻していると

「治す気があるんなら、アテがありますよ」

「なに?」

ルリの言葉に、思わず身を起こす

「……マジ?」

「マジです」

言って、ルリはスカートのポケットから一枚の紙キレを取り出した

「イネスさんが今、新型の義手のモニターを探しているそうです」

紙を渡しながら、ルリはそんな言い訳を告げた

実際のところ、嘘である。確かにイネスはボソンジャンプという専門分野以外でも並々ならぬ知識量を誇り、研究機関ならばほとんどありとあらゆる場所に顔が利く

しかし、彼女は義手などの技術には明らかに意欲を示していなかった。少なくとも、余り興味は無かったはずだ

この紙切れは、ルリがここに来る前、イネスのところに寄って頼んだもの

仮にシラキが生きていたとしても、左腕は確実に失くしたままだろうと予想しての行動だったが、大当たりだった

ルリにとっては、シラキが左腕を失くしたのは自分のせいと同義なのだ。少なくともルリの起こした行動の結果として、彼はそんな選択を取らなければならないような状況にまで陥った

実際には、シラキが左腕を切り落としたのはあくまで自分の意思であったし、あのまま黙っていても命の保障はされていたわけだが、責任感の強いルリにはどうしてもそう割り切ることは出来ない

それに、彼があのときあんな行動を取らなければ、取ってくれなければ

そこから先を考える勇気は、まだ、ルリには無い

「ただ、一度失くした左腕の感覚をまた取り戻すためには、約半年のリハビリを受けてもらわなければなりませんが」

如何に精巧に作られた義手とはいえ、所詮は人工物だ。神経まで通っているわけではない

IFS技術で考えた通りの動きはしてくれるものの、触覚などの感覚は未だに再現出来ていないため、どうしても慣れが必要になる

そう考えると、ルリの言う半年には、最短でもという注釈を付けるべきだろう

「半年、ね……なげえなあ」

その呟きに、どこか気乗りしないような、心残りのような感情を見つけて、ルリは小首を傾げた

「なにか問題でもあるんですか?」

「まあなあ……一応、俺はここでは医者やってるからな。今診てる患者もどきが数人いるんだよ」

そいつらを放ってってのはなあ。と、シラキは小さく呟いた。途中の患者を放置して自分の治療を行いたがらないのは、医者として、彼なりの最低限のプライドなのだろう

だが、その心配をルリは斬って捨てた

「リハビリといっても別に、施設に入れとかそういう話じゃありませんよ?」

「そうなのか?」

「骨折した人のリハビリ等と違って、痛みもなにもありませんから、要するに完全に慣れるためだけの訓練です。その気になれば日常生活の中で少しずつ慣らしていけば良いだけでしょう? この村の人達なら、別に気にしないんじゃないですか?」

元々、左腕が無いというとんでもない医者に治療を依頼するような人々だ。今更その左腕を義手にしたところで、驚いたりしないだろう

「それもそうか」

この一ヶ月近くの彼らの大らかさを思い出したのか、シラキは小さく笑いながらそう呟いた

「しっかし、義手ねえ。慣れるまでがすげえ大変だろうなあ」

その点はルリも同感だった。如何に他のリハビリに比べて楽なものとはいえ、一度失ってしまった感覚を再び取り戻すのは苦しいだろう

増してやこの一ヶ月間、シラキなりに右腕だけの生活に慣れてしまっている一面もある。おそらく、意識しなければ左腕を使おうとすらしないだろう

しかし、そういうわけにもいかない。確かに人間の脳とは頑固なもので、腕や足を失ってもそれを認めようとせず、痛みすら感じさせる動作を行う場合もあるという

それに一ヶ月掛けてようやく慣れ始めたところに、再び失くした箇所を取り付けるのだ。さらにその腕には触覚という、もっとも重要な感覚が無い

順応するまでには、おそらく相当な苦労が予想出来る

だから、助けが必要だろう

少なくとも、シラキが義手という感覚に慣れるまでの間、それを補助する人間は必要なはずだ

だから、ルリは呟いた

「軍に……」

「ん?」

「軍に……先日、休職願いを出してきました」

顔を逸らす。照れくさいのか、その頬は少しだけ赤い

「だから、その……」

なにが言いたいのかわかっていないシラキが、不思議そうにルリの横顔を見つめていた

その視線にさらに気恥ずかしさを感じながらも、ルリは気持ちを固める

元々、そのために来たのだ。彼が四肢の一つを喪失したのには、自分にも責がある。だから

「暇……なんです。その、具体的に言えば……その」

だから、来ました。そう呟いた

恥ずかしさの余り、俯けた顔は赤い

生まれて初めて喧嘩した友達に謝る子供は、こんな気分なのかもしれない。そんなことを考えながら

「は……」

ルリは、断崖絶壁から飛び降りるような気分で告げた

「半年……くらい」

拒まれたらどうしよう。断られたらどうしよう。そんな有り得ない考えが頭を過ぎる

多分シラキにとってみれば、左腕を失くしたのはルリのせいでもなんでもない。おそらくそんなこと、彼は考えたことすらないだろう

自分がやったのだから、自分のせいだ。過程も結果も関係無い。自分が選んだのだから、その結果の責任は全て自分ひとりが背負うべきだ

シラキは、ほぼ確実にそう考えている。だからこうやって自分が申し出ても、彼は断らないだろう

むしろ、助手が出来たとあの意地の悪い笑顔を浮かべて、嬉々として自分をこき使おうとする。まあ、それは別に構わない。平時なら切腹してでも断るが、今は状況が違う

彼を手伝うのは、自分の義務だ

覚悟を決めて、顔を上げる。シラキは鳩が豆鉄砲を食らったような顔で、唖然として自分の顔を見つめていた

拒絶されたらどうしよう。お前のせいだと糾弾されたらどうしよう

ありえないとはわかっていても、どうしてもそう考えてしまう。しかしそれを、それこそ有り得ないと必死に否定して、ルリは固唾を呑んでシラキの言葉を待った

「お前……」

「っ」

逃げ出しそうになる自分を、ギリギリで押し止めた

そして、ルリは熱に浮かされたように、僅かに赤くなった顔で、シラキをジッと見つめ

シラキが、呟いた

「……自慢か? この野郎」

「………………ハ?」

思わずフリーズするルリ

だが、シラキはそんなルリの様子を完全に無視し、まるで宣戦布告をされた軍事国家の独裁者のような顔で捲くし立てた

「なんだお前この野郎。こっちは今から半年間不便極まりないリハビリ生活に突入するのを知ってあれか、自慢か。アンタは今から地獄のような日々だけど私は今から半年間まったりゆったり遊ぶぜガハハハというわけか。上等だこの野郎表に出ゲボハァ!!」

ぶん殴った。それはもう理想的な右ストレートで

錐揉みしながら吹き飛んでいくシラキを見つめながら、ルリは心底後悔した。なんだ、なんだったのださっきまでの自分の覚悟は、上等と言いたいのはこちらだこの野郎、と

悔しさと羞恥からの反動で涙すら浮かぶ。そうだ、そうだった。この男はこういう男だった。わかっていたつもりだったが、ここまで来て見誤った

自分への痛みとか敵意とか、そういったものに対して鈍い鈍いとは思っていたが、まさか善意にまで鈍いとは思わなかった。人が死ぬほど恥ずかしい思いをしてまでリハビリを手伝ってやると用意周到極まる言い訳まで用意して、万が一億が一断られたときの言葉まで考えて断腸の覚悟を決めて言った台詞にそれか。確かに今まで女の子らしい一面なんて見せたことも無いし、接するときは確かに少々無愛想だったかもしれないが、よりにもよって自慢と取ったか、どう取ればあれがそう見えるんだ前後の文脈とこちらの表情を見れば一目瞭然だろうちょっと脳味噌見せてみろこん畜生。お前それでもあれか、医者か。患者と面と向かって接する医者か? 医者といえば患者の不安を語らずとも察して先回りして優しく諭してあげるのも仕事だろう、医者を舐めるなこの若白髪が上等だ表へ出ろ

この間、僅か0.5秒。ルリの思考速度はある意味で限界を突破した

カエルが潰されたような声を立てながら、シラキが束の間の空中遊泳から帰還した。そして、痛みも忘れたかのように上半身を跳ね起こし

「テ、テメエ不意打―――」

「―――バカ!!!!」

ついさっきまで脳内を目まぐるしく駆け回っていたシラキへの罵倒は、ルリのそのたった一喝に集約された

本当は、それこそ二時間でも三時間でも掛けて罵倒し倒してやりたかった。それほどルリは、ルリなりの誠意と覚悟と恥ずかしさを込めて、先程の台詞を口にしたのだ。だが、生まれて初めて激怒したルリの頭と舌は思考もなにもかもを放棄しており、たった一言を口にするだけが精一杯だった

すなわち、バカと

地平線、水平線の果てにまで届きそうな大声で、ルリは今まで生きてきた中で、おそらく自己ベストを大幅に更新するような大音量で怒鳴った

結論として、これはシラキが悪い。それはもう、全面的に

「……? ……?」

一方怒鳴られたシラキは、相変わらず意味がわかっていなかった

いきなり殴り飛ばされた理不尽さよりも、数秒とはいえ空中を散歩しなければならないほど派手に吹っ飛ばされたことよりも

微かに目を潤ませて、恥ずかしさの境地ここに極まれりといった表情で怒鳴るルリの、その今までのイメージとのギャップに、この男にしては酷く珍しく驚いて、声も出せていなかった

「いや……なんつうか……」

ジンジンと痛みを象徴してくる右頬を抑えながら、首を傾げる

「ワンモアプリーズ?」

この期に及んで疑問符すら浮かべているこの男に、ルリはもう諦めにすら似た感想を抱いていた

――― 落ち着け、落ち着いてください。星野ルリ

必死に己に言い聞かせる。もうこうなってしまったら、しょうがない

目の前のこの男の鈍感さは果てしなく頭に来るが、そこはもうしょうがない。諦めるしかない。そういう育ち方をしてしまったのだ、とでも思う他無い

大事なのは、これからだ

図らずも、一応罪悪感を持っている相手を感情に任せて殴り飛ばしてしまった。ここに関しては自分にも非はある。納得はいかないけど

「だ……だから……」

顔が熱い。なんでだ、何故に自分がこうまで恥ずかしい思いをしなければならないのか

平時のルリならば、おそらく平坦に、いつも通り淡々と今までの会話をこなし、素直にリハビリを手伝います。といえたことだろう

しかし、彼女の感情は良くも悪くも沸騰していた。それはシラキに対してのモノだけではなく、今まで、ここ一ヶ月、もっと言えばユリカが消えたときからずっとわだかまっていた、それらの蓄積によるものだ

確かにルリは、傍から見れば無表情に見える。それも完全無欠に、人間らしい感情など皆無なのではないかと思われるほど、その仮面は鉄壁を誇っている

しかしそれは、この少女に感情という物が無いというわけではない。彼女とて人並に怒りもすれば悲しみもするし、喜びもする

単純に、それらを表に出す表現方法を知らないだけなのだ。普通の人間なら息をするように出来ることが、彼女には出来ない

それはある種、彼女の抱える欠陥かもしれないし、IFS強化体質者という通常とは逸脱した生まれと育ち方による弊害なのかもしれない

だが、それがここ数ヶ月の一連の、彼女にとって劇的ともいえる状況の変化と、そしてそれらの激情を持て余し、内側に溜め込んでいたことへの反動として

シラキの先程の言動が引き金となり、一気に溢れた

そう、彼女はようやく気付いたのだ。他の人達よりも十年以上も遅れて、だが、気付いた。気付けた。自分の感情を表に出す方法に

単に、自分に、素直になれば良いだけだということに

ようやく、しかし確かに、気付いたのだ

「わ、私が……」

「?」

小首を傾げるシラキの前には、俯いた一人の少女がいる

生まれて初めて自覚した自分の感情というものに戸惑いながら、それでもなんとか言葉にしようと悪戦苦闘する、一人の少女が

相変わらず尻餅をついているシラキの前、ルリは縋るようにスカートの裾を何度も握ったり開いたりしながらも、キッと顔を上げた

十人が見れば九人が睨み付けていると確信するような顔で、しかし十人の中の一人は、それが子供の照れ隠しに似た顔だと確信出来るような顔で

「私が……!」

まるで、子供が生まれて初めて出会った存在に、友達になろうと告げるような、そんな顔で

ルリは、半ばヤケクソのような大音量で、大きく告げた





「私が、貴方の腕になります!!」





聞く人が聞けば果てしない誤解を生みそうなルリの叫びは、抜けるような青空に染み込むように響いていった







おはよう。この記憶は、いつか生まれてくる君達に



それはまだ、なにも終わっていないとき。一人の愛する女を取り戻すための復讐すら、まだ始まったばかりのとき

とある研究施設。討ち捨てられたようなそこは、もはや廃墟というよりも残骸に近かった

そんな薄暗い一室の中、淡い緑の光に満ちたその部屋に、男が一人いた

目を覆うバイザーに、黒い外套。そんな奇怪と言えば奇怪な服装をしているその男の前には、三つのカプセルがある

見つけたのは偶然だった。気付いたのも偶然だった

三つのカプセルの中には、青年とも言える男と、まだ年端もいかないような少年と少女が一人ずつ納まっている

三人は皆一様に、眠っているようにその目を閉ざしている。いや、それは眠っているのではない

彼らはまだ、生まれてすらいないのだ

「……因果、なのかな。これは」

それらを見つめる男の口元には、苦笑とも自嘲とも付かない笑みを浮かぶ

「確かに君達は、造られた命だ」

見上げるようにして、三つのカプセルを順に眺めていく

「でも、こうしてここにいる以上、君達は生きている……いや、まだ生きてはいないかもしれないけど、少なくとも君達は……ここにいる」

ならば

だったら

そうであるのなら

「……だから……生きてくれ」

そうあって欲しい

「君達がアイツらになにをされたのか、それは俺にはわからない……調べて貰いたいところだけど、俺と同じA級ジャンパーだとバレたら、多分君達の人生は多かれ少なかれ、決まってしまう」

だから、なにも出来ない。男はそう続けた

でも

「もし君達に、俺の記憶があるのだとしても……どうか、どうかそれに縛られないで欲しい」

その言葉は、もしかしたら願いだったのかもしれない

生まれという、どうしようも無く決定された因果。それに翻弄され、惑わされ、そして全てをそれ故に無くしてしまった男の

自らの夢を、彼らに投影していたのかもしれない

「シリーズ名『夢』……それに、君はLowナンバー、か」

少女と少年が納まっているカプセル、それぞれに掘り込まれている文字を読み取り、男は目を閉じる

それは、彼らを研究していた科学者達が付けた、少女と少年の呼称

文字通り、彼らの『夢』を実現するために生み出されたのだろうその少女と、Low、無とも呼べる烙印を押されたその少年

そして

「俺と、同じ顔……か」

目を開き、もう一つのカプセルで眠る青年を見つめる

どれほどの時間、そこにいたのだろうか。それは一時間程度の、出会いと呼ぶには余りにも短い時間だったかもしれない

或いは、もっと長かったかもしれないし、短かったかもしれない

男は彼らからゆっくりと離れながら、ポツリと呟いた

「そろそろ、行かなきゃいけないんだ……これ以上ここにいたら、外で待ってるあの子が心配するかもしれないから」

まだ出会って間もない、自分の相棒であり、自分が助けた少女のことを思い出して、ふっと表情を緩めた

そして、どこか名残惜しそうに、眠る三人を見つめる

男は、わかっていた。自分と同じ顔の青年を見たとき、この三人がどういった存在なのか

証拠も確信も無かった。ただ、なんとなくそうなのだろう。という、妙な説得力だけが胸に届いて

「……ここは、このままにしておくよ」

ゆっくりと背中を向けて、男は歩き出す

「どうか、君達は、君達の好きなように生きてくれ……俺の分まで」

入り口に差し掛かり、足を止める

「身勝手だけど……」

そして、そのバイザーに隠された顔を、微かに歪める

隠されているが故に、その表情は酷く曖昧だった

笑っているのか、それとも泣いているのか

礼を告げているのか、それとも、謝っているのか

それすらぼやけたような顔で、男は振り返る

未だ目覚めの兆しを見せない、眠る三人の『子供達』へ

「それが俺の……『父親』からの、たった一つのお願いだ」





出会いを別れの始まりと呼称するならば、これはおそらく出会いですらなかった

男はそれ以後、ここを訪れることは無かったし、出来なかった

眠る彼らも、この僅かで一方的な言葉を知るはずも無い

それは、それほどまでに刹那の、一瞬の会合

だから、男は知らない

自分の発した言葉の数々が、その言葉が、どれだけ彼らの胸に、記憶に残ったのかを

それは本来なら、有り得るはずの無いこと

未だ眠ったままの彼らにそんなことが起こるなど、本来なら、有り得ないこと

だが、彼の言葉は、確かに残った

眠ったままのはずの、少年と少女の胸に、確かに残った

青年には届かなかったけれど、それはきっと、それこそが本来、当たり前なこと

全てを望むのは贅沢だろう

全てを求めるのは傲慢だろう

だからもう十分に、それはきっと

奇跡、だったのだろう





『親』と『子』の、一瞬にも満たない触れ合いは



そのとき確かに、残ったのだから














死人への想いを簡単に整理出来れば、きっと争いなんてなくなるんでしょうなあ。いえ、かなりあてずっぽうですが



というわけで、白鴉です

これを持ちまして、Imperfect Copyは完結です

前回の話をユリカ編とするのなら、今回はルリ、シラキ編と言う感じになるのでしょうか

元々前回の話で、アキトに対するユリカやラピスは自分なりに描けたつもりなのですが、その煽りを喰らってルリの描写は結構おざなりになってしまったので、その自分なりの補填の意味も込めたのが、今回の話です

それとまあ、やっぱり前回あんまりにも主人公というには語弊がある傍観者だったシラキを、ちょっとは目立たせようかなあ、という意図もありまして

でも実は、前回と今回共通で安定した出番を誇っていたのは、実はヤマサキだったりして……あれ?

まあ、それは置いておいて、最後の最後にようやく歩み寄ったルリとシラキでした

一応主人公とヒロインの位置なのに、まともな会話がこれだけというのも正直どうかと思いますが、まああの二人らしいということで……ダメでしょうか?

さて、そんな彼らに対するフォロー、というほどのものではありませんが、この後に座談会なるエピローグにもアフターにもならない話があります

内容的には、ルリとシラキの二人が本編をローテンションに振り返る。というような感じでしょうか

かなりはっちゃけてます。ヒロインと主人公とはなんぞやと真面目に苦悩する二人とか、出番が少ないとシラキに八つ当たりするルリとか、色々と

アレといえばかなりアレな内容ではありますが、どうかお暇なら読んでやってください。喜びます。私がですが







それでは座談会で











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