エピローグ























それは、一人の男の、物語























機動戦艦ナデシコ

 Imperfect Copy 』






『 旅の終わり 』

 

 




あれから、一ヶ月が過ぎた

テンカワアキトのクローンであり、そして彼の代理人を自称した一人の男と、そして一人の少女の迷いから生まれた。一つの事件が終結を見せてから



「・・・」

連合宇宙軍第一留置所

それは、もっとも連合政府が施行した法律、条約。その他諸々の中でももっとも重い罪を犯したと思われる罪人候補達が押し込められる場所

その面会室に、二人の男が座っていた

一人は、面会者側の椅子に座る老人。一ヶ月前の騒動のとき、家族の一人を亡くした男

そして、強化ガラスを隔てて椅子に座る男は、その一ヶ月前の騒動を起こした張本人。テンカワアキトのクローンである男だった

「久しぶり、じゃの」

ヒゲ爺の挨拶にも、アキトは申し訳なさそうに俯けた顔を上げない

まるでなにかを拒むように、或いは恐れるように、その二十代の男性としては平均的な体を小さくするだけだ

「あの子らの治療は、大分目処が立ってきた」

だがそんなアキトの様子をまるで無視し、ヒゲ爺は穏やかとも言えるような口調で、ゆっくりと語る

「あやつが残してくれたデータと、イネス博士の協力のお陰じゃよ」

「っ」

『あやつ』という単語に、アキトの体が目に見えて震えた

それは、もういない男の名前を指す、なによりの代名詞

シラキナオヤ

幼い頃から戦場を生き、そしてひょんなことから闇医者としての道を歩き出し

そして、一ヶ月前に、死んだ男の名前だった

崩壊したコトシロから、彼の死体が発見されることはついに無かった

それは、無理からぬことである。ターミナルコロニーという、戦艦など豆粒程にすら感じる大質量の崩壊。それに巻き込まれたのだ。死体などあがるはずがない

骸の無い葬式は、二週間前にすでに執り行われている

喪主は今、アキトの前に座る老人。戸籍上唯一の親類関係であるヒゲ爺が執り行った

医者とはいえ、所詮は世間の日陰を生きる闇医者だ。患者など行きずりの関係だけである。行われた葬式に訪れたのは、ヒゲ爺とユメとロウを除けば、ルリとラピスを始めとしたナデシコ関係者。そしてオリジナルのアキトを通じて間接的な接点がある、ネルガル関係者だけである

アキトは、出席出来なかった。犯罪者としてこの留置所につなぎとめられていたから、それは当然である

だが、それは言い訳だった。おそらく自由の身であったとしても、アキトは彼の葬式に、出ることは出来なかっただろう

アキトにとって、シラキという存在は、全く持って不可解なものだった

いきなり現れて、後先考えず左腕を引きちぎって、言いたいことだけ言って

そして、死んだ男

アキトの記憶の中にあるのは、これだけだ。感情移入など出来るはずがない

だが、罪悪感だけは、あった

あのとき、ブリッジにいた。小さな二人の子供。シラキの死を必死に止めようとして、出来なくて、崩壊したコトシロの前で声が枯れる程泣き叫んだ、二人の子供

自分は彼らから、そして目の前の老人から、家族を奪った

もはや、笑い話にもなりはしない。火星の後継者への復讐を誓い、そして邁進し、ルリに無理矢理協力させ、かつてのナデシコクルー達と戦い、ターミナルコロニーを乗っ取って

そこまでして結局自分がやったことは、火星の後継者へ復讐するどころか、一人の男を彼らから取り上げただけ

復讐を果たすどころか、ようやく二人の死から歩き出そうとしたルリの心を掻き乱し、新たな悲しみを振りまいただけ

自分への情けなさと、そして怒りに震えるアキトを前にして

ヒゲ爺は、その目をゆっくりと細めながら、続きを紡いだ

「そして・・・・」

「え」

続きがあることに驚いたアキトが、今まで俯けていた顔を思わず上げる

その視界に飛び込んできたのは

ヒゲ爺の、微笑みともいえるような表情だった

「それを届けてくれた・・・お前さんのお陰じゃよ」

「っ」

意外すぎる言葉に、思わずアキトが言葉に詰まる

そんな彼の前で、ヒゲ爺はゆっくりと、頭を下げた

「・・・ありがとう」

「やめてください!!」

反射的に、アキトは机を蹴倒して立ち上がっていた。後ろに控えていた守衛が取り押さえようとしたが、ヒゲ爺がそれを視線で制する

「俺に・・・俺に礼を言われる資格なんて無い!!」

怒りというより、それは悲しみ。だが悲しみというには余りに自虐的な激情を持って、アキトは怒鳴る

「アイツを、アイツを殺したのは俺なんです!! どうして礼なんて言うんです! まだ・・・まだ!」

叫ぶ内に心が冷めたのか、アキトが崩れ落ちるように、その手を床へと叩き付けた

「まだ・・・・罵ってくれた方が良い! 文句を言ってくれる方が良い! 人殺しと、叫ばれた方が良い・・・・!!」

床に、丸まるように体を落とす。自責の念と、なによりも自分への不甲斐無さと、ヒゲ爺の言葉に

だがヒゲ爺は、ゆっくりと目を閉じながら、続けた

「この、一ヶ月な」

まるで寝物語を語る老人のように、ヒゲ爺はゆっくりと、一言一言を噛んで含めるように、言葉を紡ぐ

「色々、考えておった」

「・・・・え」

突然のヒゲ爺の言葉に、アキトが疑問の声をあげる

しかし目の前の老人はアキトから視線を逸らし、その目線を己の手元へと落とし込んで、続けた

「あ奴が一体、なにを考え、なにを信じて逝ったのか、の」

「・・・」

「憐憫か、後悔か、満足か、不満か・・・」

掛ける言葉を持たないアキトの前で、独白は続く

「わしにはわからん。あの捻くれた馬鹿者がなにを考えて死んだのか、なにを思って死んだのか。幾ら考えても・・・わからんかった」

そこで、ヒゲ爺は落とした視線を上げた

ガラス越しに、アキトの目を正面から見つめる。それは息子を亡くした父の怒れる瞳でもなければ、母の悲しみでも無い

まるで全てを納得したかのような、暖かい、クジラのような、そんな瞳だった

「ただ・・・」

ゆっくりと息を吸い、ヒゲ爺は言葉を吐き出した

「お前さんの中に、わし達の中に、アイツは生きとる」

動けないアキトの目の前で、ヒゲ爺はその真剣な表情を、徐々に変えていく

温かな、笑みへと

「だから・・・これを」

そう言って差し出されたのは、一枚の書類

それを見て、アキトの目が大きく見開かれた

信じられないモノを見るような目で、その書類へと視線を落とし、そのまま呆然とヒゲ爺を見つめる

ヒゲ爺が差し出した書類。それはなんの変哲も無い、ただの手続きを示すそれだった

「お前さんに、もらって欲しい」

差し出されたそれが、差し入れ用の小窓から滑り降り、まるでそれが当然のようにアキトの手の中へと収まる

「で、でも・・・俺」

「いつまでもタイプ甲では、便利も悪かろう。それに・・・お前さんに、もらって欲しい。最後の最後、あ奴が命を捨てて助けた、お前さんに」

笑みを称えたまま、ヒゲ爺はアキトを見つめた

初めての体験と、感じたことの無い不可思議な感情に揺れるアキトに、笑い掛けて

「背負って、欲しい」

アキトは、答えることが出来なかった。ただ手の中にある一枚の紙切れを、震えながら見つめ続けるだけだ

だがその瞳に、不意に涙が溢れて来た

「あ奴の名前も、貰い物だったんじゃ。だから・・・」

その涙は、一体どこから生まれたものだったのだろうか

自分をテンカワアキトではなく、初めて自分そのものとして接してくれた、この目の前の老人のためなのだろうか

己に課してきたテンカワアキトのクローンという自分の宿命から、その義務から、ホンの僅かでも違う可能性を示してもらえたことへの、嬉しさだったのだろうか

自分は、なにかになれるということを、たった一枚の紙で示されたことの、悔しさなのだろうか

それとも

「もらってやって・・・くれんか?」

微笑む老人の目の前、もはやテンカワアキトでもタイプ甲でもない、一人の青年の手の中には

なんのことは無い。市役所に行けば簡単に手に入れることが出来るような、簡素な書類が一枚あるだけだった

『氏名変更手続き』

ただ、そう記されたただの書類は

確かに、一人の男を、救った







真昼の陽光が降り注ぐ墓地

その一つの墓の前に、二人の男が佇んでいた

一人は、白衣に身を包んだ見るからに科学者や研究者の類の男

そしてもう一人は、その男の背後に二、三歩下がった形で佇む、赤いベストに金縁眼鏡を掛けた。一見何者なのか判断しかねる風貌の男だった

午後の光が辺りを優しく照らす中、その男達がその墓前の前に立ってから、すでに十分程が経過していた

その間、二人共口を開かない。まるで各々、なにか考えをまとめているような、そんな沈黙を持って

だが、それが

「意外といえば、意外ですよ」

白衣の男の背後に佇む、眼鏡の男の一言によって破られた

「んー? なにがかな?」

「貴方に、お墓参りなどを行う感傷があったこと、ですかね」

刺々しいといえば刺々しい言葉だった。だがそれを呟く当の本人の顔に浮かぶ人の良さそうな笑顔から、悪意は感じられない。純粋な疑問といった質問だった

問い掛けられた男はその言葉に小さく苦笑し、そして目の前の墓へと視線を落とす

「正直さ。今でも信じられないんだよねえ」

「彼が死んだことが、ですか?」

「違う違う」

眼鏡の男の問い掛けに、白衣の男は背中を向けたまま片手を振る

が、そのヒラヒラと動かしていた手を不意に止め

「あー・・・・でも」

誠意の欠片も無い笑顔を浮かべたまま、男はポツリと零した

「最終的には、そうなっちゃうのかな・・・・」

白衣を風にはためかせ、男はその顔に浮かべた薄ら笑いを少しだけ削ぎ落とした

「なんていうか、ね。彼と僕って、結構似てるって思わなかった?」

振り返ることなく投げかけられた問いに、見えないことをわかっているが、眼鏡を掛けた男がゆっくりと頷いた

「そう・・・ですな。わからなくはありません。確かに貴方がたは、似ていたかもしれませんな」

「だよねえ」

ヘラヘラとした笑いを墓石に投げかけた後、白衣の男はゆっくりと空を仰いだ

雲一つ無い晴天に、眩しそうに目を細めて

「正直、さ・・・あのとき、僕も残ろうとしてたんだよね」

『あのとき』というのがいつのことなのか、眼鏡を掛けた男は敢えて問わず、ただ黙って白衣の男の話に耳を傾ける

「でも、いざ残ろうーって思ったとき、彼がいないことに気づいてさ。まあなんというか、直感でわかったんだよ。彼も残ってるんだなって」

「・・・・」

「そしたらなんか、ああ、良いかって思っちゃって、そのまま妖精君を連れて脱出しちゃったんだけど・・・」

仰いだ空を、飛行機が飛んでいく。その背後に生まれる飛行機雲を眺めながら、白衣の男は呟いた

「もしあのとき僕が、彼がいないことに気付かなかったら・・・・本当は僕、どうしたかなって、ね」

「まあ、残らなかったと思いますよ? 貴方は」

「あらら、どうしてそう思うのかな?」

苦笑しながら振り向く白衣の男。その薄ら笑いに、眼鏡の男が相変わらずの人の良い笑顔で告げた

「貴方、人でなしですから」

その言葉に驚いたような表情を貼り付ける白衣の男

だがそれをすぐに苦笑に変え、元の人を食ったような笑みを取り戻す

「人でなし、ねえ。そんなこと言われたのは初めてだよ」

「おや、そうでしたか」

「悪魔ーとか、人殺しーとかは腐る程言われてきたけど、人でなしってのは無かったねえ」

笑いながら、男は再び墓へと振り返った

「ちなみに、君は彼のことをどう評するのかな?」

「お人好し、ですな。私の知ってるあるお方と同じくらいには、ね」

「ハハ」

返って来た答えに肩を震わせて、男は笑う

だがその響きには、どこか寂しそうな音律が、混じっていた

「お人好しと、人でなしか・・・そりゃ確かに、全然違うね」

「全くです」

悪びれた様子もなく、眼鏡の男は穏やかに微笑んだ

「やーれやれ」

なにか肩の荷が下りたように、白衣の男は風にその身を任せながら、ゆっくりと両手を空へとかざした

ゆっくりと、その伸ばした五指を開閉する

まるで、もう手に入らないなにかに、無駄と分かりながら手を伸ばすように

その顔に、もはや軽薄な笑みは浮かんでいない。ただそこにあるのは、まるでなにか大事なモノを忘れてしまった、しかしそれがなんなのかすら思い出せない

そんな、酷く哀れで、滑稽な顔

「彼は、もうちょっと僕と似てると思ったんだけどねえ・・・」

それはある意味、孤高の存在の言葉、だったのかもしれない

性質の善悪はあれど、決して並の人間には到達出来ないような、狂人のそれと呼ばれる領域へと足を掛けてしまった存在が漏らす

やっと肩を並べられると思った存在が消えてしまった、孤独な存在の、独白だったのかもしれない

「似てた・・・とは思いますよ。少なくとも表面上はね」

「表面上・・・ね」

「ただ」

噛み締めるように、眼鏡の男は呟いた。その声色には少しだけ、誰かを気遣うような響きが混ざっている

「最後の最後・・・・あの方は、貴方とは違った」

風が吹き抜ける。視線を青空へと向けたまま、白衣の男は目を閉じる

今日も、良い天気だ。と

「ただ、それだけのことですよ」

それだけ言葉をかわすと、後にはもう、何も残らなかった

白衣の男も、眼鏡の男も、なにを語るわけでもなく、黙したまま身を翻す

後に残ったのは、昼の暖かな日差しに揺れる。無人の墓地だけだった







「・・・色々、あったなあ」

佐世保基地。第七ドッグ

そこに停泊する、青と白の塗装を施した一隻の戦艦、ナデシコBのブリッジで、サブロウタがポツリと呟いた

ブリッジには、ハーリーとリョーコとサブロウタの三人以外、誰もいない。一ヶ月前の騒動のとき、タイプ甲でありテンカワアキトの暴走に加担したことが露見したルリが艦長を務めていた戦艦であることが影響し、軍上層部から無期限の謹慎を言い渡されているためである

もっとも本来なら、幾ら無期限とはいえ謹慎程度のペナルティで済む問題ではない。軍法会議に掛けられ、最悪銃殺刑の可能性すらあったのだ

そうなっていないのは一重に連合宇宙軍総司令のミスマルコウイチロウ、参謀ムネタケの尽力と、実行犯がホシノルリのかつての家族であったテンカワアキトのクローンであったということへの同情的な要素

そしてなにより、ホシノルリという軍内部でも文句無く最上位の民間知名度を誇る人物のスキャンダルということもあり、この一件を公にしたくなかったという連合軍上層部の思惑が絡まった上での、綱渡り的な要素が重なった奇跡のような結果だった

「そうですねえ・・・」

腰掛けた椅子にダランともたれ掛かり、誰とも無しに呟いたサブロウタにハーリーも追従する

ハーリーはハーリーで、サブロウタとは別にだらしなく椅子に座っていた。その理由は単純明快

「ルリの奴が停職くらって、一ヶ月か」

リョーコの呟きが、その全てを物語っていた

あの一件以来、おそよ二週間に及ぶ軍からの取調べを終えたルリは、軍本部に無期限の停職処分を受けている。もちろんペナルティーとして言い渡された処分であったが、ルリ本人も時を同じくして、軍に休職届けを提出していた

その真意は、正直誰も知らない。サブロウタ達はあの一件以来色々と上から抑圧され結局ルリとの面会すら許されなかったし、ルリ自身もまた、自分の気持ちに整理がつくまで自分達には会いたくないだろうというサブロウタの判断もあったためである

幸いというべきか、火星の後継者や、ミスマルユリカの起こした事件を鎮圧した功績を買われ、サブロウタ達自身にも、そしてルリ自身にも、致命的な処分は下されなかった。

とはいえ、こうしてナデシコBそのものが動けない今三人とも特になにをするとも無く、ただ毎日このブリッジを訪れては、帰っていくだけの毎日だ

だがその三人の胸に、不安は無かった。ルリがこのまま帰ってこないのではないのかとか、謹慎処分はいつ解けるのだろうかという事実を、然程気にしてはいないからだ

ルリのことを、この三人共が、確かに理解しているからだった

確かに付き合いの長さから言えば、テンカワアキトやユリカには及ばない。しかし、この三人は確かに、ルリと決して短くない時間を、薄くは無い時間を共有してきたのだから

ルリは必ず、帰って来る。それは三人の中で共通している、一つの見解であった

帰ってくる場所が、ルリには軍しかないからというわけではない。考えたくは無いが、確かにルリがこのまま軍をやめる可能性もある

だが、それでも、大丈夫だと思う

このまま自分達に黙って消えるほど、ルリは弱くない。今回の一件は確かにルリ自身の甘さと、過去から逃げられなかった未練から起こってしまった事件であったかもしれない

しかし、ルリはその責任から逃げ出すような娘では、絶対に無い

今は彼女にとって、休息が必要なだけなのだ。どれだけ優秀でも、どれだけ大人でも、どれだけ冷静でも

ルリはまだ、十七歳の女の子なのだ。よろつきもするし、倒れかけたりもする

しかし、必ずルリは帰ってくる。それはもしかしたら軍を辞めるという別れのときなのかもしれないが、それさえも含め、ルリはキチンとケジメをつけに、自分達の前に現れるだろう

言いたいことも、聞きたいこともたくさんある。しかしそれは、そのときまで、ルリが自分達の前にキチンと立てるようになるまで、待つべきだろう

ノンビリとした雰囲気のまま、三人の間をゆっくりとした時間が流れる

「そういえば艦長、これからどうするんだ?」

サブロウタが、ハーリーへと視線を向ける

実はつい一週間程前、ハーリー宛にルリからメールが来ていたのだ。多分、自分は大丈夫だというような内容だろうと思ったサブロウタもリョーコも内容までは聞かなかったが、暇潰しになるかなという軽い意味で問いかけた

その言葉に、ハーリーは小首を傾げて見せた

「それが・・・」

軽い困惑のような表情を浮かべ、ハーリーが言いよどむ。それはメールの内容が告げにくいものだったという意味での困惑ではなく、その文面の意味を良くわかっていないというような含みを持たせたものだった

「んだよ。なんかあったのか?」

サブロウタの気だるげな問い掛けに、ハーリーは捻っていた首を向ける

「いえ、文面は普通だったんです。自分は大丈夫とか、迷惑を掛けて申し訳ないっていう内容でした・・・・でも」

「?」

いまいちハッキリとしないハーリーに、不思議そうに眉を寄せるサブロウタとリョーコ

「最後の文に、書いてあったんですよ」

「なにがだ?」

「なんか・・・・お墓参りに行くって」

そのハーリーの言葉に、ますます意味がわからないというようにサブロウタもリョーコも首を傾げる

「別にそりゃ、あのシラキって医者の墓参りに行くってだけだろ?」

「いえ、僕もそう思ったんですよ。でも、メールが届いたのが一週間前なんですよ。でも、シラキさんの親族の方に聞いてみたら」

良くわからないというように首をかしげ、ハーリーはポツリと呟いた

「来てないっていうんですよ・・・・艦長」







砂漠の昼下がり。呆れるような日差しは、色濃い影を作る

そんな影が作る一つの建物の中の一室に、一人の子供が膝を抱えて座り込んでいた

窓から差し込む強い日の光が余計に影を強調し、それはもう日陰というよりも闇のようである

そんな影の中で少年は、塞ぎ込んだように黙ったまま、身動き一つしない

黒く癖の強いツンツン頭の少年―――ロウは、電源もついていないテレビの横に座り込んだまま動かない

「・・・・御飯」

不意にその少年の前に、ドアを開けて部屋に入ってきた、一人の少女が歩み寄る。肩に掛かる程度の長さに切り揃えた黒い髪を僅かに揺らしながら歩く少女は、ユメだ

心配そうに眉根を寄せて、盆の上にあるお粥をロウの前にコトリと置いた

「いらねえ」

その盆から視線を逸らし、少年は蚊の無くような声で言葉を落とした

「でも・・・・」

根が臆病なユメにとって、ただそれだけの否定だけで、もう言葉を告げることが出来ない

だが、少しだけ手を震わせて、ロウへと告げる

「食べないと・・・・体に悪いから」

ただそれだけでも食い下がることが出来たのは、相手がロウというかけがえの無い存在であったからに他ならない

しかしロウは、そんな言葉にも反応しない。相変わらず視線を逸らしたまま、ただ膝を抱えるだけだ

「……ロウ」

「いらねえ……」

力無く呟き、目の前に差し出された御粥を手で押すように払いのける

椀が震え、中身である白い粥が少しだけ縁から外へと零れ落ちた

「……」

取り付く間も無いロウの様子に、ユメも思わず押し黙る

シラキがいなくなってからの一ヶ月、ほぼ毎日繰り返された光景だった

あれから、ロウとユメの目の前でコトシロが崩壊したあの日から、ロウはマトモに食事を採っていない

一ヶ月寝食を共にした一人の男

ロウにとってシラキは、少し年の離れた兄のような存在だった

ユメとロウは、もう随分と前に、砂漠で行き倒れていたところをヒゲ爺に拾われた

もう随分と昔に感じる。ヒゲ爺に助けられたあの日、なんとか一命を取りとめ、息を吹き返したとき、その頃のロウとユメの周りには敵しかいなかった

それはおそらく、無理も無いことだっただろう。記憶という自己の存在そのものを喪失してしまっていた二人の子供にとって、世界は理解不能な、巨大な穴倉にしか見えなかった

どこまで続くのか見当も付かない暗い洞穴。唯一信じられるモノは、自分と同じ境遇である一人の少女と、命の恩人である老人だけ

ヒゲ爺に保護された直後、町の住人から二人に向けられる視線は、好奇と興味と、そして憐憫と哀れみの視線ばかりであった

砂漠で行き倒れていた、記憶喪失の子供。さらにその瞳は、IFS強化体質者であることを証明するような金色

そんな子供の存在に好奇心を刺激された町の人々を責めるのは、酷であろう

二人は、良くも悪くも特異であった。例え本人達が望まないことであっても、否が応にも注目を集めてしまうほどに

記憶という自己が縋り付ける最大にして唯一の支柱さえ無くしてしまっていた子供にとって、その視線と自分達が周囲から異形として見られているという事実がどれほど辛いことであったのか、容易に想像は付く

なんとか周囲と溶け込ませようとしたヒゲ爺の努力も虚しく、二人はますます世界に対する不信感と恐怖と、そして蔑みを深めていく

不信と恐怖は周囲の目から、蔑みはそれらから自分達を守る盾として

そして不幸にも、ユメもロウも、周囲を蔑むだけの能力を有してしまっていた

同年代の年頃の少年少女より、明らかに二人の知能は発達していた。それすら誰かの人形細工の結果だとわかってはいても、優れているという事実は容易に慢心を増大させる。ましてや広い世界を知ろうとせず、二人だけの世界に閉じこもっていたユメとロウの場合、それは尚更顕著だった

世界に溶け込めない二人の子供は、そうして世界との隔絶を深めていった

しかしそれは、実のところそこまで深刻な問題ではない。ユメもロウもそこまで特別な存在ではないし、それは子供なら誰でも通る、自分は特別な存在だと信じ込むある種の自己陶酔の一環に過ぎない。そういってしまえばそれで終わりな、ただそれだけのことだ

普通の子供は、そこから段々と視野や知識を広め、その妄想からいずれは脱却を果たす

しかし二人の場合、少しばかり事情が違った

何故なら二人だけの世界に閉じこもるユメとロウの世界が、広がることなど無いのだから

生きていく為には、いずれそんな狭い世界からは抜け出さなければならない。しかし二人にとって、生きるという行為はそれほど重要な項目ではなかった

彼らには、生きる目的というものが決定的に欠如していた。過去も無ければ、未来も見えない。ましてや当時世界の全てを見下したつもりになっていた二人の目には、生に執着するような行為は滑稽にしか映らなかった

いずれ死ぬのに、いつか死ぬのに、何故生きるのだろう

誰もが一度は考えるような、それこそ不毛な思考を、しかし二人はまるで疑いもせずに信じ込む。身の程知らずだったのだ

ほとんどの人間が、結果的に開き直ったり振り切って素通りする問題で、二人は止まってしまった。その世界の狭さ故に、思考の幼さを自覚出来ない故に

それは恐らく、酷く滑稽に見える光景だっただろう。自分達が特別だと信じ込んでいる人間の中身が、結局のところ誰もが通り抜けるループを脱却出来ずにいるだけの話なのだから

誰か大人が一人でも傍にいてくれれば、二人共そうはならなかったかもしれない。しかしヒゲ爺は当時からすでに二人の身体的欠陥に気付いており、それらを解消する手段を求めて奔走していたため、それに気付けなかった

止める者の無い不毛な二人の子供は、そうして誰にも気付いてもらえないまま、狭い世界に閉じこもり続けていた

自分達は特別だと勘違いをしたまま、他者を下らない俗物と見下ろしたまま

しかし

そんな二人の子供が作り上げた砂の城は、ある日何の前触れも無く訪れた一人の男の手によって、いともあっさりと瓦解することになる

「お? マジでガキが二人もいるじゃねえか。あの爺あの年でどっかで作ってきたのか? お盛んだねえ」

シラキナオヤという、男の手によって

「目が金色? ププ、だからなんだっつうの、今日びカラコン入れれば誰でも赤でも青でも白でも変色するわバーカ」

ユメとロウの作り出した虚像の自信もなにもかも、シラキは遠慮も容赦の欠片も無く、意識することすらなく簡単にぶち壊した

「あ? どうせいつか死ぬから、生きてても無意味? だったら今すぐ死ねよ。生きる気がねえ奴が生きてても酸素と飯の無駄遣いだつうの」

説教ですらない。議論の余地すら無い。シラキという人間は、当時のユメとロウにとって、まさに理解を超えた存在だった

自分達を更正させてくれとヒゲ爺から頼まれてやって来た大人達を幾人も撃退してきた二人の理屈など、シラキにとっては紙切れ以下の値打ちしか無かったのだ

元々シラキには、理屈なんてものは存在していないからだ。ただなんとなくで物事を定め、ただなんとなく受け入れる。その自分のなんとなくに該当しない事柄は、容赦無く振り飛ばす

そんな男に、理屈で勝てるはずがない。そもそも勝負になろうはずがない。立っている場所が根本から違うのだから

だがそれを、ロウは今では感謝している。おそらくシラキに出会わなければ、自分とユメはそのまま二人だけの世界に閉じこもり、下手をすれば世を見下した気になって、自ら命を絶っていたかもしれない

そういう意味では良くも悪くも、シラキという人間はロウとユメにとって命の恩人であった

だが、その男は死んだ

自分達の目の前で、自分達のすぐ傍で、しかし決して手の届かない場所で

自分達の命を救う為に、死んだ

「っ」

経過は順調だった。シラキが手に入れてくれた自分達の実験結果は、確かに自分達を救った、らしい

未だ予断を許さない状況ではあったが、寿命の問題はほぼクリアされた。そうヒゲ爺は言っていた

嬉しく、無かった

生きていて、なんになるのだろう。自分に、そんな価値はあるのだろうか

なにも知らない子供。なにもわからない赤ん坊

本来なら、生まれるはずですらなかった命

そんな自分は、生きている。シラキを犠牲にして

そんな価値が、自分にあるのだろうか。いや、無い。少なくとも自分にはそうとしか思えない

声を掛けて欲しい。なんでもいい。死ねという言葉でも受け入れるし、生きていて良いとも言って欲しい

なんでも良い。なんでも良いから、誰かに、そう言って欲しい。なにかを言って欲しい

断罪の言葉でも、許容の言葉でも、もはやなんでも良い。なんでも良いから、なにか

なにか、言って欲しい

そのとき、頬を微かに、風が過ぎった

鬱々とした視線を向けると、手持ち無沙汰であっただろうユメが、窓を開け放っていた

「……覚え、てる?」

外を見つめながら、ユメはロウへと声を掛けた

「……なにが?」

正直、答えるのすら億劫だった。だが、何故だか無視する気にはなれず、そんな投げやりな返答を寄越す

「……私達が……風邪、ひいたとき」

言われて、ロウの脳裏を一つの光景が過ぎった。それはシラキがここを訪れてから、まだ一週間も経っていなかったときだ

ヒゲ爺に代わる、自分達の親代わり、それが現れたことで無意識に気でも緩んだのか、自分とユメは、揃って風邪をひいた

知恵熱、になるのだろうか。少なくとも風邪なんてひいた記憶は、それが最初だ。自分達がまだ記憶も持てないような頃の赤ん坊時代はわからないが、少なくとも物心付いてからは初めて

風邪としては極々有り触れた症状であるはずの倦怠感や高熱。それによって思うように動かない体

山場を過ぎればなんということも無い、しかし当時の自分達にとってそんな体験は初めてで、だから

とても、怖かった

身体が弱まれば、それに連動して気持ちも弱気になる。もしかしたら自分は、このまま衰弱して死んでしまうのではないか

そんな、在りもしない幻想に捕らわれた

そして、怖かった

つい最近までは、それこそが自分の望んでいたことなのに、無意味に生にしがみ付くなんて、見っとも無くてカッコ悪いと、思っていたのに

怖かった。想像が、妄想が、自分がこのまま眠るように息を引きとるという想像が、怖かった

あれをしていればよかった、これをしていればよかった。そんな後悔のようなものばかりが頭に浮かんでくる

シラキに影響されたのかもしれない。少なくとも説き伏せられたわけではない、彼は自分達に対して説得なんて欠片も試みなかったし、むしろ生きる気が無いのならさっさと死ねとすら言い放ったのだ

「よお。起きたか?」

ベッドで眠る自分に声を掛けてきたのは、シラキだった。視線を巡らせれば、隣のベッドではユメがスヤスヤと眠っている。どうやら自分よりも症状は軽いらしい、うなされてもいなければ、寝汗も掻いていない。こうしてみれば本当に、ただ穏やかに眠っているように見える

「……俺」

「熱出して倒れたんだよ。四十度近く出てたからな、まあ無理もねえっちゃ無理もねえ」

シラキが、持っていた桶を自分のベッドの横に置いた。チャプリという透き通るような音を立てて、桶の中にあったのだろう。濡れた布巾を軽く絞った

「さて」

そこで、シラキの手が止まる。まだ微かに水を滴らせている布巾を手に持ったまま、意地の悪い笑みを浮かべてこちらの顔を覗き込んでくる

なにが言いたいのか、手に取るようにわかった

底意地の悪い笑みを浮かべる目の前のこの医者は、自分に問うているのだ

このまま、自分がお前の風邪を治して良いのか? と

死ぬのを、お前は望んでたんだろ? このガキ、と

ならば、絶好の機会じゃないか、と。そう、問いかけているのだ

今になって考えてみれば、それこそロウの考えすぎであり、弱気の現れだった。余程のことが無い限り、風邪で人は死なないし、自分のひいた風邪はそこまで性質の悪いものではなかった

おそらく、放っておけば三日程度で完治しただろう。そんな、どこの誰でも掛かるような、極々ありふれた風邪だ

だが当時の自分には、そう思えなかった。そもそもそういう知識など欠片も無いのだから、判断の付けようも無い

もっと言ってしまえば、自分の掛かっている病気が、風邪だということすらわからなかった。ただあるのは、生まれて初めて経験する倦怠感と、頭の中身を混ぜ繰られているような鈍い痛み、吐き気

未知の病は、不治の病にすら容易く錯覚出来た

そしてシラキは、そんな自分の心理すら読んだ上で、質問したのだ

「どうして欲しい? ん? ケケケケ」

本当に、憎たらしい男だった。今の自分だったら、頭痛もなにもかも押し退けて殴り掛かっていただろう

しかし当時の自分に、選択肢なんて無かった

悔しさも、怒りすら沸かなかった。それどころではなく、ロウはただ目の前の男に、涙すら浮かべた目で

「……ごめんなさい」

謝った

後はもう、シラキの思う壺だった。半泣きで謝った自分を指を指して大笑いして、薬を飲ませてそれでおしまい

今思い返してみれば、泣いている子供を指さして笑うなんて、人としてどうかと思う

「一個、良いこと教えてやるよ」

熱も大分引いて、シラキが作ったお粥を食べているとき、不意にあの男がそんなことを口にした

不思議そうに目を向ける自分に、シラキは椅子にダルそうに腰掛けたまま、リンゴを丸かじりしながら告げた

「無くなるってことは、無くても生きていけるってことなんだよ」

脈絡も無く、唐突に告げられた言葉。当時の自分には一体なんのことか全く検討も付かず、ただ首を傾げるだけだった

だけど、そんな自分に苦笑して、わからねえんならそれが一番良い。と告げたあの顔だけは、妙に覚えている

それは今にして思えば、あの男なりの、自分に対する励ましだったのかもしれない

あの言葉は、自分達の記憶のことだったのだと思う。もっともそれが具代的にどういう意味だったのかは、未だによくわからない

そしてそれこそが、あのとき言った。わからないのならそれが一番良い。ということなのだろう

無くなる―――今考えてみれば、シラキはもしかしたら、わかっていたのかもしれない。自分がいつか、こういう風になることを

考えすぎだと思う。あの男がそんな先見性に満ちた行動なんて取るはずが無いし、そもそもそこまで深い意味で言った言葉なんかではないのかもしれない

だが、なんとなくその言葉は、今の状況を見越して、自分のためにシラキが残した言葉のような、そんな気がしてしょうがない

九割九分、有り得ないことだとは思う。そもそも言葉の意味だって、まだ良くわかっていない

しかし

「……」

ロウは、目の前に置かれているお粥に、ゆっくりと手を伸ばした

それを見てユメが、その無表情の中に、微かに明るい色を溢す

もう何日振りになるかもわからない食事を、ゆっくりと噛み締めながら、ロウはなんとなく思った

会いに行こう。と

いつまでも、過去に縋り付いてもしょうがない。シラキのことを思い起こしていると、何故だか酷く、そう思えた

自分から見て、あの男ほど後悔とか悔恨などという感情から無縁な人間はいなかった。だから

そんな彼に救われた自分達が、いつまでもそんなことに縛られているのは、とても格好の悪いことのように、思えたから

だから、ロウは思う。会いに行こうと

別段、なにか言いたいことがあるわけでも、言って欲しいことがあるわけでもない

でも、なんとなく、そうしなければならない気がした

シラキが救ってくれた命。自分とユメ

そして、シラキが救った、もう一人の男に

会いに行こう。と







緑の匂いが、優しく辺りを包んでいた

そんな風を感じながら、ルリはそこにいる

ここは、地球にある村だ。都市でもなく、町でも無い。文明の発展からどこか意図的に置き去りにされているような、そんな地球の片隅に謙虚に位置し、今ではあらゆる場所で忘れ去られたような、過去の穏やかな空気を宿している村

日本ではないここは、一年中過ごしやすい陽気とも寒気とも無縁な気候の中にある

白いスカートに茶色の上着を羽織った私服姿のルリは、その村の中を一枚の地図代わりのメモを手に持って歩いている

こうして見回す限り、その村にはコンクリートの類すら皆無だった。道は畦道のように地面を晒しているだけだし、周囲の家々も木造の物がほとんどだ

どこか民族衣装のような印象を受ける服を身に纏った子供達が元気に道を駆け回り、畑仕事に出るのだろう男達が、自分のことを少し不思議そうに一瞥しながら通り過ぎていく

そんな中を、ルリはメモを手に持ち歩いていく。目的地は、すぐに見つかった

村から少し外れた場所、森を抜けた先にある、海を一望出来る崖の上。人の手が入っていないのに、まるで整えられたような草木に囲まれて

その『診療所』は、静かに佇んでいた

まるで御伽噺の中にあるように、その診療所はただ穏やかにそこにある。庭―――塀が無いのでそう呼んで良いのかどうかはわからないが―――に吊るされた洗濯物が静かに潮風に揺られていた

そして、ルリの見つめる先で、その診療所のドアがゆっくりと開かれた

「先生、悪かったねえ。予約もなしに診てもらっちゃって」

恰幅の良いおばさんが、小さな少女の手を取りながら現れる。どこかで転びでもしたのか、少女の右膝には白い包帯が、頬には絆創膏が張られている

「別に良いってえの。そもそも予約がいるほど繁盛してねえしな」

「ハハハ、そりゃそうだ。でもありがとうね……ほら、先生にお礼いいな」

「先生、ありがとー」

「おう、もう森でターザンゴッコなんてやんなよ」

「アンタそんな危ない遊びしてたのかい!?」

「ふぇええ! 先生! ママには秘密にしてって言ったのに!」

「わははは、忘れたなあ」

「意地悪!」

母親にこっ酷く叱られながらも、少女はその先生と呼ばれた男にまたね。と手を振った。男はまたねじゃねえだろもう怪我すんな。とおざなりに返す

並んで歩く母子が、ルリの方へと歩いてくる。と、少女がルリの姿を見つめると

「わぁ、綺麗! ママ見て! あのおねえちゃん!」

キラキラという形容が相応しいような、幼い子供らしい純粋な笑顔で、ルリのことを母親に示すように指で示した

「バカ! 人様を指さすんじゃないよ!……ごめんねえ、お嬢ちゃん」

無作法といえば無作法な少女に代わり申し訳無さそうに謝る母親に、ルリは少しだけ微笑む

「いえ」

そう答えるルリの笑顔に、母親が一瞬見惚れたように呆とした視線を返す。もっともルリにはその意味がわからないので、不思議そうに小首を傾げるだけだったが

「……どうかしましたか?」

「え? ああ、なんでもないよ」

ハッとなって我に返った母親が、苦笑を浮かべる

「にしてもお嬢ちゃん。綺麗だねえ。女優さんかなにかかい?」

ルリの容姿に好奇心でもくすぐられたのか、母親が尋ねてくる

「いいえ」

電子の妖精として軍のマスコット的な扱いをされていたルリだが、この村にはそういう情報が伝わっていないらしい

ルリにはそれが、何故かとてもありがたいことのように思えた

「あら、違ったのかい。わたしゃてっきり―――」

「すいません。私、少し用がありますから」

世間話へと移行しようとしていた母親の機先を制するルリの言葉に、あら、と申し訳無さそうに母親は再び苦笑した

「こりゃ悪かったね。この年になるとついつい話し込んじゃう癖がついちゃってねえ」

「いいえ」

それでは、と軽く頭を下げて、ルリは足を診療所へと向けて

「あ……」

ルリはまるでなにかを思い出したかのように、足を止めて振り向いた

「どうしたんだい?」

「少し、お尋ねしてよろしいですか?」

「?」

軽く首を傾げる母親に、ルリは尋ねる

「あの診療所が始まったの、いつ頃だったかわかりますか?」

「なんだ、そんなことかい」

母親は記憶を辿るように視線を宙に彷徨わせて、ええとね、と前置きをした

「あの建物自体は結構前からあったんだけど……あの先生が来たのが、確か三週間かそれくらい前からだったねえ」

「そうですか。ありがとうございます」

「良いよ良いよ」

一礼するルリに豪快に手を振る母親

それに微笑むと、ルリはふと視線を感じた

見れば、母親の手を握っている少女が、興味深そうにルリのことを見つめている

おそらくルリの銀髪や金色の瞳が珍しいのだろう。しかし、その視線の中に怯え等の感情は無い。純粋な、子供ならではの好奇心だけだ

この母親にしても、ルリの容姿に対して不思議そうな顔こそしたものの、別段驚きも問い質しもしてこなかった。多分この村は、そういう村なのだろう

良い村だな。と、そう思った

相変わらずルリのことを見つめてくる少女に、視線を合わせるように屈む

「?」

なんだろう、と聞こえてきそうな表情で小首を傾げる少女に話し掛ける

「先生は、良い人ですか?」

「先生……?」

不意に問われた単語の意味が咄嗟にわからず、少女は少しばかり逡巡する。しかしその視線をルリの背後にある診療所に向けると、少女は得心が言ったように頷いた

「うん! ちょっと怖くて意地悪だけど、優しいよ!」

「そうですか」

その少女の言葉にルリは口元の笑みを深めると、ゆっくりと立ち上がる

「すみません。お時間を取らせてしまって」

「良いって良いって」

それでは、と、ルリは親子と別れた。ブンブンとルリが見えなくなるまで手を振ってくる少女に手を振り返すと、ゆっくりと踵を返す

その診療所は、見た限りルリの今までの病院等のイメージとは、随分と掛け離れたものだった

子供に対する配慮なのか、どことなく全体的に丸い印象がある。外観も一見して、診療所というよりもログハウスという方が近い

母親の言っていた通り昔からここにあるらしい診療所は、ところどころに年季を感じさせる罅割れなどが見えるが、最近になって補修でもされたのか、それほど目立つような老朽化は見て取れない

『診療時間 起きてる間。寝てたら起こせ 休診日 客が来ない日』

適当にも限度があるような看板を通り過ぎ、ルリは診療所の扉の前に立つ。というか、患者を客なんて呼ぶのは医者としてどうかと思う

扉を軽くノックする

「おー。ちょい待て」

医者とは、ある種接客業の一種と言える。そういう意味でその言葉は色々と問題があったが、ルリは取り敢えず無視する

三十秒程の間を開け、扉がガチャリと開かれた

「おー。病気か? 怪我か―――」

「……お久し振りです」

現れた男は、ルリの記憶の中にある彼と、寸分違わぬ姿でそこにいた

いつものやる気の無さそうな顔に、外見の若さとは明らかに不釣合いな白髪に白衣

強いて違いを上げると、すれば、彼の左手に、あるはずの無い空白があるというだけ

左腕を包む白衣が、所在無さそうに風に揺れている。それを見たルリの表情が、少しだけ申し訳無さそうに影を増す

ルリの目の前に現れた男は、間違いなく

シラキだった

「シラキさ―――」

バタン、と閉められる扉

一応、感動の再会に分類される出会いだったのだが、台無しである

扉のノブに手を掛けるが、中から押さえつけられているのか回らない

「違うヨ。ワタシシラキなんて名前じゃないヨ」

「アホなこと言ってないでさっさとこの扉を開けやがってください」

「ワタシお嬢ちゃんみたいな子知らないネ。お引取りくださいヨ」

頑として扉を開けようとしないので、ルリは懐から拳銃を取り出した

わざと大きな音を立てて、拳銃をノブに突きつける。音だけでもシラキならわかるだろう

「五秒待ちます」

「だああああ! わーったよ糞野郎!」

さすがに扉を壊されては堪らないのか、シラキがヤケクソ気味に扉を開け放つ

どうにも、シラキと相対すると行動が過激になる傾向があるルリだった

「ったく」

扉の縁に寄りかかりながら、シラキが懐から取り出したタバコを咥えて火を付ける

この一ヶ月で右手だけの生活にも多少慣れたのか、その動作にぎこちない部分は特に見当たらない

紫煙を吐き出しながら、シラキは恨めしそうにルリを見つめた

「……で、なんの用だ? 銀髪娘」

そんな彼の前で、ルリは少しだけ居住まいを正すように姿勢を正す

そして、ゆっくりと頭を下げた

「……お久し振りです……シラキさん」














ごめんなさい。エピローグなのに終わってません



というわけで、白鴉です

本当ならこの一話で終わる予定だったのですが、文量的にこれ以上増やすとちょっとアレになりそうだったので、取り敢えずここで区切ります。ごめんなさい

とはいえ、物語の主要人物達に対する話は今回でほぼ終わりです

次回は、取り敢えずなんでお前生きてるの状態なシラキとルリの、今回の騒動の総括めいた会話だけになる予定です

まだ色々と判明していない部分も、次回で明かされます……多分、きっと、おそらく……

次回予告は無しで、まあまだ途中ですし





それではアフターで











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