最終話





旅をしていた

生まれたときから、ずっと続いていく旅。続いている旅

戦いの連続。そんな旅だった。ずっとずっと、戦い続けていたから

物心ついて間もなく、自分を拾って育ててくれていた老人と別れ、明日をも知れない戦いの中に飛び込んだ

焼けるような痛み、凍てつくような恐怖、同じ人間を相手にするおぞましさ

初めて人を撃ち殺した日。自分は人目もはばからず胃の中身を吐き出し、眠れなくなった

だが、すぐに慣れた。自分を襲う人間はただの敵になり、罪悪感も消えてなくなった

今にして思えば、自分は狂っていたのだと思う。世の中には、何百何千、何万の人間を殺しても、罪の意識を持ち続けるような、お人好しもいるのに

自分は、三日で慣れたのだから

それは誰のせいでもない。生まれ育った環境のせいでも、他人のせいでもない。自分の持って生まれた、異常性だったのだろう

そしてそんな中、人を殺し続けていた日々の中、それは不意に起きた

戦う相手が、人から虫へと変わったのだ

当時の自分には、なにがなんだかわからなかった。ただ、地上を覆う黄色い装甲の色と、空を覆う赤い装甲の色に、圧倒されるだけ

蹂躙は一瞬だった。虫達にとってみれば、それは無造作に踏みおろした足が、雑草を踏み潰した程度の感想しか浮かべなかっただろう。それほど呆気なく、簡単に、自分の全ては消えた

いつも皮肉しか言わないのに、何故かいつも自分の世話をしてくれていたケイン。銃火器を持つと性格が一変するロイ。いつもタバコばかり曇らせていた、自分たちのリーダーである大男、クラサワ

挙げていけばキリがない。自分の仲間であり、そして、家族だった人間達

そして、おそらく自分をもっとも目に掛けてくれていた、二人の恩人

シラキ=ジャック、そしてサワネナオヤ

その全てが、押し潰され、蹴散らされ、そして撃ち殺された

惨殺

それ以外に形容しようがないほど残酷に、その虫達は、自分から全てを奪った

戦いたかった

それが、取り残された自分の正直な感想だった

死んでも、構わなかった。だって自分にとって、こここそが、ここだけが全てだったから

なのに、自分は生き残った

叫ぶ自分を無理矢理、もっとも安全な地下壕に押し込め、彼らは戦った

どんなに嫌だと叫んでも、どんなに戦わせてくれと頼んでも

彼らはいつもの能天気で、豪快な笑顔を浮かべて、ダメだと言った

いつも自分に、雑用ばかりを押し付けるくせに、汚い上に匂う洗濯を押し付け、テーブルマナーなどとは程遠い食べ方をして、汚しまくった食器洗いを押し付け、散らかりまくった部屋の掃除を押し付け

どうでも良い、面倒なだけの雑用ばかりは、いつも嫌というほど押し付けるくせに

死だけは、押し付けてくれなかった

代わりに自分に押し付けられたのは、生と、そして目の前のどうしようもない惨状だけだった

屍の中で、呆然とするだけの時間。おそらく近くにあった、自分達が食料や弾薬の補給地としていた町も、襲われただろう

助けが来る可能性は、無かった。そして自分の周りには、なにもない

ただ広がる砂の海と、そして照り付けてくる太陽だけ

でも

それでも

自分は、彼らの後を追うことが出来なかった。それどころか自分は、おそらく人として、最低の行為まで行った

自分は



彼らを喰って、生き延びた



自分の恩人達を、仲間たちを、家族達を

ただ生き延びるためだけに、自分は喰った

ボロボロの肉を引き裂き、飛び散った血を保存し、自分の排泄物を濾過し食し、むさぼるように生き延びた

これは死体だと、言い訳をして

もうこれは、彼らではないと、ただの肉の塊だと、言い訳をして

助けが来たのは、四ヶ月後だった

肌は焼け、体は皮と骨だけになり、目は落ち窪み、頬はこけ

人間というよりも、もはやミイラに近いような状態で

生きているのが、奇跡だと言われた

そして

そのときには、もう自分の髪は真っ白だったのだという

今にして思えば、そのとき自分の生死観は確定してしまったのだと思う

泣きながら死体を貪っている、そのときに

ただただ発狂しないために、自分に言い聞かせ続けた呪いのような言葉

死人は、死人

そう思っていた。死ねば終わり。死に意味などなく、復讐も死人のための行為も一切合財、意味などないのだと

でも

――「俺は・・・俺は、彼のために!」

何故だろう

あの男が、死人を言い訳に戦っていると思ったとき、妙に腹が立ったのは

死人は死人だ。盾にしようが、言い訳にしようが構わない。そいつの勝手だ。好きにすれば良い

そんなもの、自分には関係ない

そう、思っていた

はずなのに

自分のために死人を喰った。そんな自分に、怒る資格などないはずなのに

何故自分は、これほどまでに腹が立っているのだろう

何故怒っているのだろう

わからない

一体、何故なんだろう









機動戦艦ナデシコ

 Imperfect Copy 』






『 未来、来訪 〜中編〜 』

 

 






「大丈夫ですか!?」

倒れ伏したシラキを抱え起こし、ルリは懸命に呼びかけていた

何故意識を失ったのか、そんなものは明白だ。それは今も血を吐き出し続けている、彼の左腕が証明している

「シラキさん!」

怪我人を不用意に揺さぶれば、それこそが致命傷になってしまう。僅かしか医療に関する知識が無いルリだが、さすがにそれくらいはわかる

だが、それ以上はわからない。自分は一体どうすれば良いのか

血を止める方法も、どうすれば良いのかも、ルリにはわからない

いつものルリならば、こんな状況でも冷静でいられただろう。だが、今は状況があまりに違いすぎた

ルリらしからぬ、ひどく混乱した様子で、しかしなにをすれば良いのかわからず、ただ名前を呼び続けることしか出来ない

「シラキさん? 大丈夫ですか!? シラキさん!」

「妖精君」

そのルリの叫びの合間を縫うように、小さな声が聞こえた。慌てて顔を向けると、そこには一人の男がいる

ヤマサキだ

彼は今までの薄笑いを僅かだけ薄くし、ルリへと口を開く

「この手錠を、はずしてくれないかい?」

「え・・・」

「彼は今、ちょっと危険な状態だ。早く応急処置しないと、間に合わなくなるかもしれない」

その言葉に、ルリは少しだけ息を呑み、そしてアキトの方を見る

だがその当の本人は、尻餅をついた体勢のまま、呆然と虚空へと視線を向けているだけだ

シラキの言葉は、余程応えたのかもしれない

そんな様子を眉根を下げて見つめ、ルリはそれを振り切るように、ヤマサキへと近づいた

後ろ手に縛られている手錠の鍵を解除し、警戒するように距離を取る

科学者である彼だが、人体実験も手がけていた男だ。少なくともルリよりは、シラキの怪我へマトモな対処をしてくれるだろう

だがその一方で、やはり抵抗も感じる。それはヤマサキ自身へのルリの憎しみに近い感情と、不信感

こんな状況でもまだ、この男は手錠を解除した瞬間、自分達を殺そうとするかもしれない、という疑念だ

身の毛もよだつような、吐き気がするような人体実験を繰り返してきた男。そんな男に、まともなモラルなど期待出来ない。おまけに今、この状況での最大の障害であるアキトがあの様子だ。いつ手のひらを返して、自分達に攻撃を仕掛けてくるかわからない

だが、そんなルリの様子などまるで無視し、ヤマサキは手錠に拘束されていた手首を確かめるように振ると、そのまま迷いの無い歩調でシラキの傍らにしゃがみこんだ

「ふむ」

「どう・・・ですか?」

その様子に少しばかり驚いたルリが、少し距離を離した場所から問いかける

ヤマサキは軽く首を振ると、自分の白衣の裾をビリビリと破き始めた

破いた白衣でシラキの左腕にある傷口を縛り上げ、それを骨折した人間がするように、新しく首に巻いた白衣の切れ端に通す

そして懐から、二本の無針注射を取り出し、シラキの首筋に打ち込んだ

「造血剤と栄養剤みたいなものさ」

背後にいるルリへと説明するように口を開くと、ヤマサキはシラキに肩を貸して立ち上がらせる

「ぐっ・・・」

そのときの衝撃が傷に響いたのか、シラキが苦しげにあえぎながら、目を薄っすらと開いた

血の気の失せた蒼白な顔で、濁ったような瞳で、辺りを微かに見回す

「お・・・れは?」

「気を失ってたんだよ。一瞬だったけどね」

声に初めて、体の感触が戻ってくる気配がした。痛みがまだ尾を引き頭の中をがなり散らしているが、痛みを感じている間はまだ大丈夫だ。どうやら自分は、持ち直したらしい

茫洋とそう考えたシラキは、自分に肩を貸している人間に恨みがましい視線をぶつける

「ったく・・・最悪な奴に、借り、作っちまったな」

「そんな軽口が利けるってことは、もう大丈夫みたいだねえ」

ニヤリと笑うヤマサキと、それを憎々しげに睨み付けるシラキ

その様子を見て、ルリが安心したように胸を撫で下ろした

「大丈夫・・・ですか?」

負い目故か、申し訳なさそうに声を掛けてくるルリに、シラキが顔を苦痛に歪めた

「全身がいてえ」

その言葉に、ルリは顔を俯けた

責任感の強いルリは、シラキの怪我を自分のせいだと思っているのだ

否、それは正確にはルリのせいではない。彼はルリの意思など関係なくこの場に来て、そして自分で勝手に左手を引き千切ったのだ。ルリが責任を感じる要素など、ひとつもない

だがルリの中では、それだけでケリは付けられない。そもそも彼がここに来ることになったのは、間違いなく自分のせいなのだから

自分がアキトに、付いて来たから。だからこそ彼はここまで大規模に、行動を起こせた

自分がキッチリと過去に決着を付けていれば、アキトを説得することすら出来たかもしれない。もはやそれは考えるだけ虚しい机上論だが、それでもルリの中に、どうしても後悔がシコリのように残る

「・・・それより、アイツは?」

押し黙ったルリから視線を外し、シラキが顔面を抑えながら問い掛ける。まだ鳴り続ける頭痛は治まらないらしい

「あっちあっち」

シラキの問いに、ヤマサキが顔を向けることで答える

視線を向ければ、そこにはアキトがいる。相変わらず呆然とした表情のまま、尻餅をついて動かない

「どうやら君の言葉が、よっぽど応えたみたいだねえ」

「バーカ。んなわけあるかよ」

言って、シラキはヤマサキからその身を離した

「・・・っと」

思わずふらつく体をたたらを踏んで押さえつけ、シラキはまだフラフラとする視界の中

それを、見つけた

シラキの顔が一瞬、驚きで固まる。だがそれをすぐに薄ら笑いで打ち消すと、ゆっくりと歩き出した

アキトの、目の前へ

「・・・よお」

眼前に立ちはだかり、そして声を掛ける。そのとき初めて、アキトの瞳に焦点が戻った

ハッとしたように、目の前に立つシラキを見つめる

驚きの表情で固まるアキトに、ニヤリと笑った

「・・・まだ、納得出来て、ねえよなあ」

「え?」

その声に疑問を発したのは、アキトでもシラキでも無く、ルリだった

だがシラキは、相変わらず笑ったまま、睨み付けるようなアキトを見つめる

「だろ?」

「・・・」

アキトは、答えない。しかしその目には、どこか子供が喧嘩相手を見つめるような、そんな拙い敵意が混じっている

だがそれでも、敵意は、敵意だ

「そりゃあまあ・・・納得出来ねえよな」

「俺は・・・」

「言わなくても、わかるっつうの・・・お前にとっては、俺みたいないきなり出てきた胡散臭い野郎になに言われても、どうにもならねえんだろ?」

それが、シラキの見解であった。そしてそれは同時に、アキトの内心でもある

確かに先程の言葉は、アキトには少々応えたかもしれない。自分と同じ弱者の懇願。それを無視することは、淘汰される苦しみや悲しみを知っているアキトにとって、不可能なことだろう

だがかといって、そんな初対面の他人の言葉で復讐をやめることなど、到底出来ることではない

今のアキトは、宙ぶらりなのだ

シラキの言葉も、無視はしたくない。だがかといって、復讐をやめることなど出来るはずもない

だがその事実にこそ、シラキは心の中でより一層確信を強めた

彼は、テンカワアキトでは、ないのだと

テンカワアキトは、全てをわかっていた。それでも彼は、誰かのため、自分のために、無関係な他人を殺すことを選んだ。どれだけその罪に脅えようと、後悔しようと

その道を往くことを、彼は自分で決めたのだ

だが目の前のこの男には、それが出来ない

当たり前だと思う反面。それを残念だとホンの少しだけ思うことは、シラキ自身の無念なのだろうか

逡巡するように視線を迷わせるアキトに、シラキはニヤリと笑った

「だから、まあ・・・俺の役目は、ここまでだ」

その言葉に不審そうな目を向けるアキト

だがシラキはそれに構わず、笑ったまま背後を振り向く

そこにあるのは、巨大なウインドウ。それに向かって

「こっから先は、オメエの役目だ」

ニヤリと笑いかけた

そして、そのとき

シラキの背後にある、先程までフクベを映し出していた巨大なウインドウから

『アキト・・・・』

ラピスの声が、聞こえてきた





「よろしいのですかな? 下手するとあの子も、敵に回るかもしれませんがのお」

「いやいや、大丈夫だと思いますよ」

コトシロを包囲する大艦隊。その旗艦のブリッジで、フクベが能天気に隣にいる人間に話し掛けた

その人物は、およそこの場には相応しくない人間だった。肩程もある、男にしては長めの髪。軽薄そうな表情と顔

アカツキナガレ

「ふむ。証拠は?」

試すようなフクベの言葉にも、アカツキは笑ったままだ

ただその視線だけは、前方五メートル程の位置にたたずむ。一人の少女の背中へと注がれている

「証拠、ねえ・・・まあ、簡単に言うなら、そうですねえ」

その顔に微笑みを乗せて、アカツキは目の前の少女を見つめた

その微笑にどこか、父親のような暖かさと、そして親友を見送ったような寂しさを同居させて

アカツキナガレは、笑って告げた

「あの子の中で、彼はちゃんと・・・死ねてますから」





「ラ・・・ピス」

『・・・・』

呆然とするアキトと、ラピスのウインドウが、ただ向かい合っていた。シラキは限界が訪れたのか、近くにあった部屋の壁にもたれかかり、荒い息をつきながら二人を見つめている

そして、残された二人の間には、沈黙しか流れていなかった

アキトはなにを言って良いのかわからず、ラピスはどこか懐かしむように、アキトを見つめている

それはアキトにとって、最後の命綱だった、のかもしれない

シラキによって、ズタズタにされた計画。そして復讐の炎。どこか冷えてしまったその感情を再び燃え上がらせる、最後の燃料

それが今のアキトにとっての、ラピスだった

確かに、シラキの言葉はアキトの行動に水を差し、そして影を忍ばせた。だがかといって、アキトの中の復讐が終わったわけでも、消えたわけでもない

『彼』を八つ裂きにした連中、火星の後継者。その彼らに対する憎しみは、依然としてアキトの中にある

実質アキトにとっての選択は、最初から一つしか無かったのだ

クローンとして、この世に生を受けた自分。ならばきっと、自分のやることなど一つしかないのだ

自分の生まれた意味。たった一つの、存在価値

それ以外にアキトには、自分の存在を示せるものがなかった

だから、問うた

「なあ・・・・ラピス」

ラピスは復讐を望むはずだと、アキトはそう信じていた

先程の医者のような、復讐を終えた後の彼しか知らない人間ではない。ラピスは、最初から最後まで、文字通り全てを知っている人間なのだ。彼がどれほどの憎しみを抱えて戦ったのか、彼がどれほどの悲しさを飲み込んで生きたのか。彼がどれほど、無念の内に死んだのか

ラピスは、その全てを知っているはずだ

だから彼女なら、自分の背中を押してくれる。そう思えた

一言、たった一言で良い。自分の行動を肯定してほしい。そうすれば自分は、あの医者の言葉も、そしてこれから起こるなにもかもを、無視出来る気がした

ただただ復讐に身を焦がし、そして消えていく

その生き方を、貫き通せる気がした

「俺は・・・・どうしたら良い?」

問いかける形ではあったが、もはや答えはわかりきっていた

復讐をしてほしい。ラピスに一言、そう言って欲しい。そうすれば、後は全て自分一人の仕事だ

火星の後継者を、殺して殺して焼き尽くす。そうすることが、出来る。自分なら

『・・・・良かった』

だが

「え・・・」

『貴方は・・・アキトじゃない』

返って来たのは、ラピスの笑顔と、そして

『・・・良かった』

一筋流れる、涙だけだった

『アキトはちゃんと・・・・死ねたんだね』



世界が、罅割れた



誇張でもなんでもなく、そのとき確かに、アキトの世界は崩れ去った

「ラ・・・・ピス?」

掠れたような声で、アキトが問いかけて来る。だがそれに、ラピスは頭を振った

『貴方は、知らないと思う』

その顔には、どこか暖かさと、そして、哀れみがあった

『でもね・・・・』

呆然とするアキトに、ラピスは告げた

『アキトの復讐は・・・終わったの』

ハッキリとした、拒絶の意思を

『アキトはちゃんと・・・・死ねたんだよ?』

頭が、グルグル渦を巻く

意味が、わからない。なにを言っているのだ。目の前の彼女は、一体なにを言っているのだ

終わった。そんなはずがない。だって自分の中では、今もこんなに復讐の炎は燃えている

消すことなど出来ない。轟音と共に立ち上る、獄炎が

「な・・・なに、言ってるんだ?」

立ち上がり、ショックで動かない足を引きずるように、アキトは歩み寄る

「冗談・・・・だろ? ラピス・・・ハハ、悪い冗談だ。やめてくれよ、俺は真剣なんだ」

引き攣った笑いを浮かべ、もはや焦点すら合っていないような瞳で、アキトはただラピスが写るウインドウに歩み寄る

その姿は、まるで亡者のようだった。みっともなく現世にしがみ付く、己の死を認めようとしない死者

アキトの姿に、ラピスが少しだけ悲しそうに目を伏せる。だが、それだけだった。それ以上の言葉はなく、ただそこには決別と拒絶の意思しかない

だからこそ、アキトは、確信した。してしまった

「・・・・嘘・・・・だろ?」

先程のラピスの言葉は、本心なのだ、と

「ハ・・・・ハハハハ・・・・」

もう、本当に

ラピスと彼の復讐は、終わってしまっているのだ、と

「ハハ・・・ハハハハ」

壊れた笑い声を上げながら、アキトはただ、哄笑をあげる

それが一体誰に対してのものなのか、わかりもしないままに

「ハハハハハハハ!!!」

笑う。ただ笑う。世界の全てを嘲笑う

だが、その笑いは

「・・・・アキト、さん」

ルリの声で、中断されることとなった

ピタリと笑いを止め、アキトは笑顔のままルリへと向き直る

だがもはやその笑顔は、本物の彼とは似ても似つかないようなものへと、変貌していた

居た堪れない様子でそれを見つめるルリの心に、絶望が差す

何故だか、ハッキリとわかったから。確信が持てたから

もう、アキトは

壊れてしまったのだ、と

「ルリ・・・ちゃん」

笑顔を驚愕の表情に変化させ、しかしどこかに狂気を内包したアキトが、ポツリと漏らした

この通信が行われる前、アキトはルリに言った。出て来てはいけないと、それはルリがこのアキトの行動に協力していることを軍に知られれば、ルリ自身の立場が限り無く危うくなってしまうからだ

元よりアキトの目的は、復讐だけだった。それが終われば、再びルリが軍に戻れるようにする、そのための配慮を、アキトはずっとしてくれていた

だが今、アキトの中にそんな考えはない。連合軍との通信が未だ繋がったままである今。おそらく数秒前の彼ならば、ルリが出てきた事に対して叱咤しただろう

「・・・・アキトさん」

もはや、終わってしまったのだ。ルリは、悟ってしまった

なにが終わったのか。そんなことはわからない。しかしそれはもはや決定的な欠落となり、自分達の目の前に横たわっている

これ以上前に進めないことを、如実に示しながら

唇を噛み締めながら、ルリはゆっくりとアキトに抱きついた

突然のルリの行為に、アキトは身を強張らせる。まるでなにかに脅えるように、叱られる子供のように

「もう、やめましょう」

『ルリ・・・』

アキトの目が、見開かれた

ルリは、アキトの胸に顔をうずめたまま。震える声でただ告げる

これ以上、見ていたくなかった。追い詰められ、壊れていくアキトを

復讐という夢に生きた子供が、現実を知らしめされ、絶望していく様を

もう、見ていられなかった

「終わりに、しましょう」

アキトの体から、力が抜ける。それは脱力ではなく、もはや弛緩と呼べるほど、力無い、気力無い脱力だった

震えるままに、ルリは呟く。本当なら一番始めに、伝えていなければならなかった言葉を

自分が言わなければ、ならないはずだった言葉を

「貴方の復讐は・・・・始まっても・・・いなかったんです」

「・・・ちがう」

「終わってたんです・・・もう、ずっと、ずっと前に」

ヤマサキに肩を貸され、起き上がったシラキは二人を見つめた

一体どちらが寄りかかられ、一体どちらが支えているのか。それすら定かではない、そんな二人を

「貴方の、復讐は」

「・・・ちがう」

否定の言葉を、それでも必死につむぐアキトに、ルリは言った

「最初から・・・終わってたんです」

「ちがう!!」

ルリの言葉は、アキトの心を貫いた。それはもしかしたら、シラキの懇願や、ラピスの拒絶よりも、彼の心を引き裂いたかもしれない

唯一最初から、このアキトの復讐に付き従ったルリ

ラピスに拒絶され、そしてシラキに水を差された復讐が

最後に、ルリからすらも、否定された

激情のままに、アキトはルリを突き飛ばした

華奢なルリの体は、咄嗟のことに抵抗も受身すらままならず、そのまま床へと倒れこむ

「あ・・・・」

だがその行動に、一番驚いたのは、アキトの方だった

「アキト・・・・さん」

突き飛ばされた体勢のまま、しかしルリは真っ直ぐにアキトを見つめた

「もう、終わりにしましょう」

その言葉に、今度こそ

アキトの世界は、壊れた

それは、混乱からの逃避でもあり、現実からの逃避でもあり、そして、逃れられない自分という存在からの、逃避だったのかもしれない

アキトは無言で背を向け、そしてゆっくりとウインドウの下にあるコンソールへと手を伸ばした

「アキトさん・・・」

「・・・もう」

背中を向けたまま、アキトはゆっくりと手を伸ばす

その先にあるのは

『っ! いかん!』

ラピスの横から割り込んだフクベが、切迫した声を張り上げる

「ちっ!」

「おやおや」

その声に我に返ったように、シラキとヤマサキが動き出す

シラキは、アキトの元へ、ヤマサキはルリの元へと

「っ」

それより僅かに遅れ、アキトの意図を悟ったルリが息を呑み、静止の言葉を投げようとした。だが

アキトは、伸ばした手の先にあるスイッチを、カチリと押し込んだ

「もう・・・・わからないよ」

泣きそうな声で、アキトが呟いた。その瞬間

鼓膜を突き破るような轟音と、立っていられない程の激震が、コトシロを覆った

「うおっ!?」

突然の振動にバランスを崩しかけるシラキ。ルリは、駆け寄ってきたヤマサキに支えられ、なんとか堪え切る

そしてアキトは、そんな振動の中にあってもまだ、微動だにしないまま、シラキ達に背中を向けていた

『自壊装置作動しました。ターミナルコロニーコトシロ。完全崩壊まで後三十分です』

機械的なAIの声と同時に、コトシロの震動は激しくなっていく

『いかん! 船を寄せて救助を送り込め!』

『む、無茶っすよフクさん! 自壊装置が発動したコトシロに近づくなんて!』

ウインドウの中、フクベとその副官のやり取りを聞きながら、アキトは背中を向けたまま、ポツリと呟いた

「・・・ルリちゃん」

その言葉に、ルリは支えられていたヤマサキから離れ、一歩を踏み出しそうになる

だが

「格納庫に・・・ユーチャリスがある。それで、脱出するんだ」

「ア・・・キト・・・・さん」

「念のため、自壊完了まで三十分に指定した。これだけあれば、余裕を持って脱出出来る」

ルリとヤマサキの前で、アキトはゆっくりと振り返る。その顔には笑顔と、そしてどうしようもない涙が、溢れていた

「今更・・・だけど」

「アキトさん!!」

「こんなことに・・・付き合せちゃって、ごめんね」

優しく微笑み、アキトは別れを告げた

そしてアキトの笑顔が、駆け寄ろうとしたルリの足を、思わず止める

なによりも、その笑顔が告げていたのだ。アキトの気持ち、その全てを

もう、なにもわからない。と、そのアキトの顔が、どんなものよりも雄弁に、物語っていた

「アキト・・・さん」

動けないルリの前で、アキトは告げた

「さようなら」

そしてまるで、その言葉を待っていたかのように

ルリとアキトの間に、崩れた天井が落下した

「っ」

「っと。危ない危ない」

降り注いできた瓦礫の雨からルリを庇いながら、ヤマサキは懐からCCを取り出した

眩い光に導かれるように、三体のバッタが具現化する

「さて、脱出しようか? 妖精君」

「! そんな!!」

抗議しようとするルリを無理矢理バッタに乗せ、自分もその傍らに捕まり、すでに崩壊が始まった廊下を走らせた

「は、離してください! 離して!」

「ダメダメ。戻ったって死ぬだけだよ?」

バッタの拘束から必死に逃れようと、ルリは涙声でもがく

だが、所詮は小さな子供の抵抗でしかないそれで、バッタの拘束を逃れられるはずもない

「・・・」

振り返ったヤマサキが、崩れ始めた廊下を見つめる。もはやその向こうは震動とそれによる停電で暗く翳っており、まるで見通すことは出来ない

だがそれに向かって、ヤマサキは呟いた

「本当ならそれは・・・僕の役目、義務、だったんだけどねえ」

その、いつも浮かべている薄笑いに、まるで死に場所を奪われたような感情を乗せ、少しだけ悲しそうに、ヤマサキは告げた

「今回は・・・君に任せると」

そして、ルリは足掻いていた。もはやその目には、今にも溢れそうな涙が浮かんでいる

「ア・・・キト、さん」

ドンドンと遠くなるその場所に向けて、ルリは必死に手を伸ばした

「アキトさん!!」





「ど、どどどどうするんですか!」

フクベの乗る旗艦のブリッジで、副官が慌てふためいている。そしてその横で、フクベは唇を噛み締めていた

「近づけんのか!?」

「不可能です! コロニークラスの質量の崩壊では、この艦のディストーションフィールドでももちません!」

「コトシロ崩壊による衝撃波予測出ました! この位置の留まっていると、我々にも被害が出る可能性が!」

「くっ・・・!」

返って来たオペレーター達からの報告に、フクベは拳を握り締めた

元々自壊装置とは、一年程前の火星の後継者事件の際に考案されたものだった。ボソンジャンプ情報の宝庫。いわば機密の塊であるターミナルコロニーが、悪意あるテロリスト等の手に落ちないようにする。いわば自爆装置の一種である

唯一違いがあるとすれば、ターミナルコロニークラスの大質量が吹き飛ぶような爆発を行うと、その衝撃波が他の主要施設、もしくは地球圏に損害を引き起こす可能性が高まってしまう

そのため、自爆とは違う。比較的緩やかな自壊という方法を、連合軍は採用した

だが、いかに穏やかとはいえ、物が物だ。自爆することに比べれば衝撃はかなり分散されるが、それでも周辺に展開する艦隊に損害を与えることなど、余りにも当たり前に予想出来る

「司令! 指示を!」

振り返って来たオペレーターからの言葉に、フクベは帽子へと手をやった

「最後に、もう一度確認する」

普段の飄々とした彼からは、想像も出来ない重苦しい声

「本当に・・・コトシロ内部に残っている人間達を救出するのは・・・不可能、なんじゃな?」

その言葉に、オペレーターは悔しそうに唇を噛み締めた

だが数瞬の沈黙の後、ゆっくりと首を横に振った

「不可能、です。仮に救出がスムーズに行われたとしても、三十分以内に最終崩壊で起こる衝撃波からの安全圏には、到達出来ません」

「・・・・わかった」

それだけ答え、フクベは目の前のウインドウへと目を向けた

先程までコトシロ内部のシラキ達を映していたウインドウには、もはや砂嵐しか流れていない

音声部分は辛うじて生きているのか、瓦礫が崩れる轟音と、なにかが捻じ曲がるような耳障りな金属音が、間断なく響いてくるだけだ

「・・・・みんな・・・」

フクベの横で、ラピスが不安気に呟いた

と、そのとき

「! 司令! これを!!」

副官が、コトシロを外部から映し出しているウインドウを展開し、その一部を指差す

そこには

「ユー・・・チャリス?」

ラピスが、驚いて声を漏らす

『いやー。間に合った間に合った』

ラピスが呟くのとほぼ同時に、フクベ達の前にヤマサキが映されているウインドウが浮かんだ。その横には、ユーチャリスのオペレーター席に項垂れたように座っているルリの姿もある

「ルリ!」

「無事じゃったのか!?」

思わず身を乗り出すフクベとラピスに答えるように、ヤマサキが手をヒラヒラと手を振る。ルリは相変わらず、なにかに耐えるように沈黙するだけだ

『格納庫にあったユーチャリスでね、脱出出来たんだよね』

「そ、そうか・・・・」

その言葉に、フクベが思わず胸を撫で下ろした

が、その次の瞬間、フクベを小さな違和感が襲う

それは

「・・・待て」

ウインドウを再び見つめ、その違和感の正体を確かめる。出来れば、思い過ごしであってくれと願いながら

だが、何度となく確認しても、その人物の姿を見ることは、叶わなかった

その横にいたラピスも、気づいたらしい。驚いたような表情で、小さく、口を開いた

「シラキ、は・・・・?」





瓦礫が、雨霰と吹きすさんでいた

震動はもはや真っ直ぐ立つことも不可能な大きさになり、死へのカウントダウンは確実に近づいていた

そんな中、アキトは倒れていた。なにもかもを諦めたような無気力な目を天井に向け、仰向けに大の字で寝転んでいる

崩壊が始まってから、そろそろ十五分といったところだ。ルリは無事に脱出出来ただろうかと考え、あの子なら大丈夫だろうと苦笑する

もう、動く気にも、ならなかった

自分は一体、どこで間違ったのだろう。いや、そもそも間違っていたのかすらわからない

復讐を求めた。彼のためだと、それが自分の本心だと、疑いもせず

自分はただ、それだけのために生まれたのだと思い、そして行動した

だが

―――「アイツをもう・・・・引っ張り出さねえでくれ・・・・」

―――「アキトの復讐は・・・・終わったの」

―――「最初から・・・終わってたんです」

自分の知らない彼を、自分も知っている彼を知る人間達は、皆ことごとく、自分を否定した

わからない

何故、そんなことが出来るのだろう。彼の記憶を持っている自分は、彼の無念を知っている

憎しみを、怒りと、悲しさを、悔しさを、全部知っている

もし彼らの言っていることが本当ならば、あれだけの怨嗟の感情を、彼は全て晴らしたのだろうか

それともあの彼らの言葉は、所詮他人だからこそ、言えた言葉なのだろうか

わからない

もう、なにもわからない

そのとき、見上げていた天井から、自分の頭程の瓦礫が落ちて来るのが見えた

動かなければ、おそらく自分の頭部を直撃するだろう。そうなればあれだけの大きな塊だ。自分は助かるまい

ボンヤリとそう考えながら、しかしアキトの体は、一ミリたりとも動かなかった

これで、良いかと思いながら

所詮は紛い物の命だ。いつ失われてもなんの影響も無い

だから、これで良いだろう。良いのだろう

そう思い、アキトは降って来る瓦礫を、身じろぎ一つせずただ見つめていた

だが

「ウルア!!」

突如として視界に飛び込んできた足が、その瓦礫を横から蹴り飛ばした

幾ら足とはいえ、巨大な瓦礫を完全に吹き飛ばすことは出来ない。微かに軌道が逸らされただけの瓦礫は、しかし辛うじてアキトから外れた

「お前・・・」

その瓦礫を蹴り飛ばした人間を見て、アキトは目を見開いた

だがその当の本人は、まるで何事も無かったかのように、意地の悪い笑みを浮かべてアキトを見下ろすだけだ

「よう」

街中で知り合いに出会ったかのような、軽い挨拶。そしてそのままシラキは、アキトを上から覗き込んだ

寝転がっているアキトの枕元に当たる位置に佇むシラキの顔は、アキトから見れば逆さまに見える

「お互い、逃げそびれちまったみてえだな? あ?」

「・・・そう、だな」

シラキに対する先程までの恨みも、なにもかも、不思議と今は無かった

それはある種、悟ってしまったからなのかもしれない。もう助かることが無い状況に陥ることで、アキトは初めて、素直になれたのかもしれない

「怪我は・・・良いのか?」

「薬がやっと効いて来たっぽくてな。死ぬほどイテエが我慢出来る。左腕もいだのに命に別状がないってのは、いやあ、現代医学さまさまだな」

「フン。お前も医者だろうが・・・」

苦笑する。不思議と穏やかだった。素直になれた

アキトは、覗き込んでくるシラキから視線を外し、天井を見る。否、それは天井ではなく、どこか遠くにあるなにかを見ているように見えた

「・・・・なあ」

「あ?」

これが最後。どうせこの男も、自分も死ぬ

「俺は結局・・・・なんだったんだ?」

だからこそ、こんな質問が出来たのかもしれない。心が軽い

今までの数々の所業を思い出し、アキトは思ったことをそのまま口にする

「テンカワアキトにもなれず・・・彼の代理人にもなれず・・・」

ああ、無駄だな。自分は今、無駄なことをしている。そう思いながら、しかし口から零れる言葉はとまらなかった

「俺は・・・・結局、なんだったんだろう、な?」

それは、答えのわかりきった問い掛けだった。この、今自分の前にいる意地の悪い男に問い掛けても、答えなどわかりきっている

「知るかよ。自分で考えろバーカ」

予想通りの答えに、もはや苦笑するしかない。この男程、わかり易い男も珍しい

だが、シラキは

「まあ、でも」

アキトの予想とは、少しだけ違う言葉を呟いた

「今から、少なくとも二人のクソガキと俺にとっちゃ・・・命の恩人になるわけだがなあ」

「なに?」

問い掛けが終わるより早く、自分の顔の横に、一枚のデータディスクが落とされた

思わず受け取り、マジマジと見つめる。これが一体、なんなんだろうか

「それと、追加だ」

ディスクを握るアキトの体の上に、再びあるものがポトリと投げ出された

それは、蒼く鈍い輝きを放つ。小さな宝石

「これは・・・」

「ケケケ。あの糞科学者と別れる前に一個ギッといて助かったぜ。備えあれば憂いなしってか?」

「C・・・C・・・?」

それは、チューリップクリスタルだった

「さてと、ほんじゃちっと跳んでもらおうか。ほれ、キリキリジャンプしろ」

「なっ! ふざけるな! 俺は!!」

シラキの言葉に、思わず身を起こそうとしたところに

「がっ!!」

シラキの踵が勢い良く。アキトののど元にめりこんだ

「バーカ。テメエのセンチメンタルなんて知るかよ。ほれ急げ、後十分くらいでココ崩れんだから」

「ふ・・・ふざけるな!!」

喉を押さえながら、アキトが身を起こす

だがそれを見ても、シラキはニヤニヤと笑ったままだ

「俺は! 俺はここで死ぬ! これ以上生き恥を晒せるか!」

「わははは。なに言ってんだ? 今時生き恥とか真顔で言うなんてダサ過ぎんぞ?」

「ふざけるな!!」

崩れ落ちる瓦礫の轟音にすら負けないような声で、アキトは怒鳴った

「今更・・・今更どの面下げて生きろというんだ! 偽物の記憶しか無い、偽物の名前しかない! ただのクローンのこの俺に! どうやって生きていけというつもりだ!」

「知らねえよ。バイトでもしろ」

「違う!!」

シラキの飄々とした態度に、アキトは顔を真っ赤にして怒鳴った

その様子を見て、シラキは溜息をつく。そしてめんどくさそうに、アキトが握り締めているディスクへと指を向けた

「それな・・・俺がココに来た。そもそもの目的なんだよ。ったく、こんな揺れてる中で見つけるのにゃ、滅茶苦茶苦労したぜ」

「・・・なに?」

やれやれというように後ろ頭を掻きながら、シラキは言葉を続けた

「オメエは知らねえかもしれねえが。俺のとこに二人。火星の後継者で実験台にされたガキが転がり込んでるんだよ」

「なん・・・・だと?」

「詳しい説明は時間がねえから省くが、とにかくそれを届ければ、そいつ等の命は助かる。オメエが拒めば、そいつ等は後一年もたねえらしい」

告げられた言葉に、アキトは思わず握り締めているディスクへと視線を降ろした

このときのアキトは知らないし、シラキも説明しなかったが、それは彼自身にとっても、ただ一つだけ残された延命策だった

テンカワアキトと、テンカワユリカ。その二人の遺伝子を元に作られた、欠陥を抱えた子供と、そしてテンカワアキトのクローン

その三人に施されたナノマシンやその他の投薬の情報が、全てそのディスクの中には揃えられていた

それらを全て把握し、そしてそれらを遡る形で治療を行えば、もしかしたら、助かるかもしれない

無論、可能性は高く無い。だがこのままなにもしなければ、ほぼ確実に、その三人には死が訪れる

シラキが崩壊するコトシロに残ったのは、そのデータを手に入れるためだった

「どうだ?」

思わず黙り込むアキトの前で、シラキは試すような、意地の悪い笑みを浮かべて尋ねた

「それを届けねえと、その二人のガキは死ぬ。そして今この状況でそれを届けられるのは、オメエしかいねえ」

だから助けろ、と、シラキは言った

自分ではどうにもならないから、助力しろ。と

その言葉に、思わずアキトは歯を噛み締める

それは、思わぬ形で、そしておよそ最悪の人間からもたらされた。生きる意味だった

クローンである自分に、本来有り得ないはずの命を授かった自分に、誰かを救う力がある

そしてそれは、今、自分にしか出来ない

「さあ・・・」

逡巡するアキトに、シラキは問い掛けた

ニヤニヤと、意地悪く笑いながら

「どうする?」





「安全圏に、到着しました・・・」

副官からの力ない報告に、フクベは小さく頷いた

その後ろにはラピスとアカツキ、そして接岸したユーチャリスから移ってきた、ルリとヤマサキがいる

「本当に・・・」

無力故の沈黙に、ルリの声が響いた

「シラキさんも・・・・あそこに残ってるん、ですか?」

ユメとロウのことを知らないルリにとって、それは正に意味不明の行動だった

崩壊するコトシロに、残る。脱出することは、簡単だったはずだ。逃げ出した自分達に、便乗すれば良い

頭の、あの性悪な闇医者の顔が浮かぶ。ルリの中では、彼はいつでも、どんなときも、自分のためだけに行動する人間だったはずだ

そんな人間が、自分の命も捨ててあそこに残る。意味がわからない

まさか

「アキトさんの・・・ために?」

「いやあ、違うと思うよ」

ルリの呟きに、ヤマサキが答える

彼はある意味、もっともシラキと精神的に近い人間だった。だからこそ、彼にはわかった

「そういう青臭いの、多分彼、嫌いだろうしねえ」

その言葉に、ルリはますます疑問を深めたように眉を寄せる

一体どういう意味かと問い掛けようとした。そのとき

ルリ達の背後を、蒼い光が満たした

「え?」

「これは・・・」

思わず疑問を発するルリ達の背後、それは光を裂いて現れた

「ふう。どうやら、間に合ったようね」

「イネスさん!?」

「ええ、久しぶり」

ルリ達の驚きに、イネスが軽く手をあげて答える

何故ここに、思わずそう尋ねようとしたラピスの横を、小さな影が二つ通り過ぎた

「シラ兄!!」

「シラキ・・・・」

「え・・・」

その三人に見覚えがあったラピスが、驚きに目を見開く

イネスと一緒に現れたのは、ヒゲ爺と、そしてユメとロウだった

「ふう。試作品だったけど、なんとか実用は出来るみたいね」

言いながら、イネスは懐から取り出した個人用ディストーションフィールド発生装置を確かめるように握った

「ありゃ、それは僕が使ってた?」

「そうよ会長。貴方が使ってたのをもう少しいじってみたの。それより・・・」

「状況は、どうなっとる?」

イネスとアカツキの会話を遮るように、ヒゲ爺がフクベへと問い掛けた

「そ、そうだよ! シラ兄は!? それに、あの男の人は!」

「・・・どこ?」

ユメとロウに詰め寄られ、フクベは握っていた拳をさらに硬くしながら、歯痒そうに唇を噛み締めた

それだけで、三人は事態をおぼろげながら把握した。慌てたように目の前にある二つのウインドウ。崩壊していくコトシロを映し出しているものと、内部を映すはずだった。もはや砂嵐しか流れていないウインドウを見つめた

「う・・・そ・・・・だろ?」

呆然としたロウの声に答えるように

辛うじて生き残っていたそのウインドウの音声が、小さく息を吹き返した

『・・・わかった』

それは、アキトの声だった





いよいよ倒壊が激しくなったコトシロの中

シラキと向かい合ったアキトが、観念したように言葉を紡いだ

「お前の言いなりになるのは、正直癪だが・・・それでその子達が助かるのなら・・・協力しよう」

「ふふん。やっと納得しやがったか」

それが、アキトの結論だった

元より、それしか選択肢は無かったのだ。死ぬ人間を前にして、アキトにそれを見捨てることなど、始めから出来るわけがないのだ

おそらく目の前のこの男は、自分のそんな感情すら見抜いていた。だから、崩壊するここに残ったのだ

「さて、そんじゃあさっさと行くか」

そう言い、シラキはアキトの肩に手を掛けた

「ああ」

「それと、もうどう足掻いてもジャンプキャンセル出来ないくらい土壇場になったら、なんか合図言えよ。ジャンプ、とかよ」

「は?」

「いやなに、俺もボソンジャンプするの初めてだからよ。いきなりやられるとビビるんだよ」

「・・・・わかった」

どこか晴れ晴れとした笑顔を互いに浮かべながら、アキトはゆっくりと目を閉じた

目的地は、フクベが乗っている艦のブリッジで良いだろう。あそこならおそらく、このデータディスクもきちんと受け取ってくれる

目的地のイメージも、先程の通信で光景は覚えた。ならば跳べる

蒼い光が、二人を包み始めた

それを見て、どこかシラキの顔に、悲しそうな、懐かしそうな笑みが灯る

だが、イメージ集中のために目を閉じているアキトに、当然それは見えない

いよいよ激しくなる倒壊。その中で、まるでそこだけ切り取られたかのように、アキトとシラキは光に包まれていく

そして、全ての準備は整い。アキトは呟いた

「ジャンプ」

そのとき



肩に置かれていたシラキの手が、ゆっくりと離れた



「え・・・・」

思わず目を開く。その先には

背中を向けたシラキが、ゆっくりと歩きながら、遠ざかっていくのが見えた

そしてそのとき、アキトは初めて、思い出した

この状況と、そしてシラキの余りに自信のある姿に忘れていた。ある事実を

そう、ボソンジャンプは

生身の人間に、行うことは出来ないのだ

チューリップを解したボソンジャンプを行えるのが、B級ジャンパー。大してA級ジャンパーは、チューリップを解せず、生身での単独ボソンジャンプを行える

だがそれには、条件がいる

A級ジャンパーでもB級ジャンパーでもない人間がボソンジャンプを行うには、ディストーションフィールドでその身を守らなければならない。でなければその人間は、同時にボソンジャンプした人間、あるいは物質と融合し、死亡する

そんな、ボソンジャンプを行う人間ならば、いや、ヒサゴプランが提唱されてから幾分か経った今、少し頭の良い小学生ですら知っていることを

アキトはそのとき、忘れていた

そして

「お前・・・・まさか」

シラキは、そのことを

「最初から・・・・」

知っていたのだ

呆然とするアキトの目の前で、背中を向けたシラキは

まるで子供を送り出す、母親のように

まるで別れに手を振る、父親のように

あるいは、去っていく誰かのように

シラキはその右手を、ゆっくりと上げた

そして、そのまま



アキトの視界は、暗転した














あとがき



CCと書くと、最近はまってるロボットアニメのヒロインの顔しか思い出せない昨今です



というわけで、白鴉です

最終話中編です。はい、ごめんなさい。頑張って後編にしようと思ったんですが、文量がちょっとアレ過ぎるので、とりあえずここで一区切り

まあとはいっても、後編も一緒なので許してください。いや、そういう問題じゃないんですけども

まあとりあえず、後編でお会いしましょう







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