最終話





そして過去は、今と繋がる。その役目を果たして

それは、終わり。一人の医者と、一人の復讐鬼との小さな出会いの、終わり



中庭に、来ていた

ドーム越しに見える夜の星明りと、そしてほとんど照明の落ちた病院の灯す微かな光、そして草の匂い。そこには、それだけしかなかった

「よっこらせ」

そんな中に、その二人はいた。一人は白衣に白髪の男、そしてもう一人は、入院服に身を包む、まるで眠るように目を閉じている、一人の男

軽い掛け声と共に、シラキは中庭にあったベンチにアキトを座らせる。力が全く入っていないその体を倒れないように気をつけてベンチへと預けると、自身も軽く息を付きながらその横にドカッと乱暴に腰掛ける

「ったく、重いつうの、オメエ」

足を軽く叩き、懐から取り出したタバコに火をつけながら、シラキはアキトに愚痴を零す

そして煙を吐き出しながら、空を見上げる

夜は、とても静かだった。遠くで虫が鳴く声と、ここから見える病院の廊下にところどころ設置されている、非常口を示す緑色の光だけが、そこにはある

アキトは、相変わらず力無くベンチに身を預けたままだ。両手両足を投げ出し、うなだれたように座るその姿は、まるで疲れきった旅人が、静かにその身を休めているようにも見える

それを横目で見ると、シラキは一瞬だけその目を悲しそうに歪めて

「まあ、安心しろよ」

どこか明るい調子で、言葉を紡いだ

「オメエに貰った遺言は、ちゃんとあの二人に届けてやる。約束だかんな」

小さく笑い。アキトの方へと顔を向ける

「それにほれ。アレだ。テンカワユリカだっけか? アイツを守るっつう約束も、ちゃんと守ってやるよ。まあオメエの件に対する事後処理やらなんやらで、ちっと後回しにはなりそうだけどな」

しかしアキトは、動かない。俯けた顔にはなにも映らず、その体は、一ミリたりとも挙動を見せない

だがそれでも、シラキは続ける。まるで、なにかを誤魔化すように

まるで、別れを、惜しむように

「まあそれにしても、これで俺もようやくオメエの主治医から解放されるってわけだ。徹夜徹夜で風呂にも入れねえで、あの桃色娘やオメエにバカにされる毎日も終わりだなあ」

そして、空を見上げる。虫の鳴く声だけが響く中、ドームの向こうの星空は、いつもより少しだけ、強く輝いているように感じた

「ようやくだな。せいせいすらあ・・・・ま、もし死後の世界って奴があるんなら、そこでまた会っちまうかもなあ。もっとも俺もオメエも、逝くのは地獄だろうけどよ。あーやだやだ」

わざとらしく、首を振る。わざとらしい溜息を付き、シラキは咥えていたタバコを口から離し、薄い煙を吐き出した

そして、沈黙が降りる

まるでなにかを包むような、優しい沈黙。遠くがなにやら騒がしいが、きっとコイツのことなんだろうなとシラキは漠然と感じ取る

アキトは、項垂れたまま。シラキは、空を向いたまま、しばしそうして時間が過ぎた

そして

「・・・・チッ」

シラキが呆れたように声を漏らし、その表情を、少しだけ歪める

ゆっくりとその顔が、上から下へと、さがる

そして、シラキもその顔を、下へと向けた。決して長くは無い髪が表情を隠す

「ったく」

小さな、誰にも聞こえない声でシラキは呟く

その声は、少しだけ、震えていた

「返事くらい・・・しろっつうの・・・・」





それがシラキとアキトとの、最後の『会話』だった








機動戦艦ナデシコ

 Imperfect Copy 』






『 未来、来訪 〜前編〜 』

 

 







「・・・シラキ」

コトシロを包囲する、連合艦隊の旗艦。そこでフクベが、通信相手の向こうに映る男と、そしてその行動を見て、呆然と呟いた

シラキの様子は、ウインドウ越しに見ても満身創痍だった。左腕からはおびただしい量の出血が見て取れ、顔面は薄暗い部屋の中で、彼自身の髪の色と比べても遜色が無いほど青白い

そもそも左腕を引き千切るという凶行だけでも、常人ならば痛みに気絶しても全くおかしくないのだ。それを行って、尚且つ立ち上がり、そして叫ぶ。そんな非常識な行動をすればどうなるかなど、医者であるはずのシラキ自身が良く分かっているはずだ

なのにシラキは、引く気配すらない。相変わらず火が付くような険しい表情でアキトを睨み付けたまま、動こうとしない

「フ、フクさん!」

そこで不意に、背後から声を掛けられた

「なんじゃ! 悪いが後にしてくれ!」

苛立った様子で振り向くと、そこには自分の副官である男が立っていた。だが彼は、フクベにしては珍しい他人を怒鳴るという行動にも驚いていないのか、それともそれどころではないのか、焦りきった様子で用件を告げてくる

「え、えっと・・・来客です」

「来客・・・? こんなときに誰じゃ」

「そ、それが・・・」

フクベ以上に信じられないという表情のまま、副官は後ろへと振り返る。釣られてフクベもそちらへと視線を移し

「・・・・君は」

絶句した





「・・・俺が・・・彼のせいにしている・・・・だと?」

「・・・・違うのかよ」

告げられた言葉の内容が余程衝撃的だったのか、アキトは目を見開いたまま、目の前の男へと漏れ出すように尋ねた

その男、シラキは、ようやく痛みが回ってきたのかその顔に脂汗を浮かべながら、それでも気丈にアキトと対峙する

「・・・違う・・・・」

分かりきった事実を、それでも必死に否定しようと、アキトは口を開く

ただの、一言。この目の前の男から告げられたのは、たった一言だった

死人に、責任を押し付けるな

たったそれだけ、ただそれだけの言葉。だがそれをどんなに否定しようとしても、自分の心の奥底の部分が、間違えようのない肯定を返していた

壊れかけた人形の、最後に残ったマトモな部分が、やたらと目に付くように

汚れの中の清純。まるでそんな馬鹿げた連想を起こすほど、自らの中から燻り始めるその不可思議な感情は、許容出来るものではなかった

「違う!」

そして、だからこそ否定する。認めてはいけない。なけなしに残った自分の全てで、ただそれだけを思って

「違う・・・・違う違う違う違う!!!」

羅列される単語、吐き出される叫び。だがその全てが虚しい抵抗だと、誰よりも自覚していたのは

紛れも無い、アキト本人だった

「俺は・・・俺が!! 彼のために!」

本当にそうか? 心のどこかから、そう語りかけられる

本当にお前は、彼のために、彼のためだけに、戦ったのか?

まるで苛むようなその言葉。だが、アキトはそれに必死に抗った

なぜなら自分は、彼の『代理人』だから、彼の無念を晴らす、復讐者だから

だってそうでなければ、彼の死はなんだったのだ。壊されて、全て壊されて、笑って奪われて、なにもかも、なにもかもを破壊されて、そして死んだ、彼は

一体、なんだったというのだ

「うわああああああ!!」

絶叫した。それは恐怖からか、それともただの意地故か

自己問答のループに陥ったアキト。自分は『そう』なのか、『そう』でないのか

わからない。わからないわからないわからない

だから、アキトの体は、反射的にもっとも安易な答えを生み出した

それは、思考の破棄。自分のそのジレンマを生み出す、目の前の障害を破壊しようという、もっとも安易で、原始的な行動

アキトは、シラキを殴り飛ばした

錯乱していたがゆえに、加減もなにも無い。ただ全力の一撃だった。そしてだからこそ、シラキにそれを回避する術など無い

肉を打つ不快な音。そして、なにかが折れたような、耳に残る低い残響音

それが聞こえた次の瞬間、一拍程置き、シラキの体は地面へと叩き付けられるように崩れ落ちた

抵抗も、なにもない。シラキは全く無抵抗に、受け身も取れずに床へとその身を激突させた

「・・・・あ」

戸惑ったような、アキトの声が漏れた。それはまるで、先程の行動が自分の意思ではないことを、誰かに訴えかけるような、そんな、消え入りそうな声だった

「シラキさん!」

我に返ったルリが、思わず名前を叫ぶ。幾らシラキが苦手であったとしても、こんな状況を放っておけるほど、淡白でも薄情でもなかった

駆け寄り、うつ伏せに倒れこんだシラキの体に手を掛ける。だが、その瞬間

「・・・・ぬりいよ・・・」

こもるような、声が響いた

シラキだった

「っ」

まるで脅えるように、アキトがその身を竦ませる

そんなものにまるで構わず、呆然とするルリの目の前で、シラキはゆっくりと体を起こそうとした

だが、たったそれだけの、起き上がるという行為すら、今のシラキにとっては容易ではなかった

左手が無いため、右手だけを支点に力を込める。が、先程打ち抜いた左腕から噴出した血溜まりに手を取られ、シラキは右手を滑らし、血の水溜りに頭から突っ込んだ

「あ・・・」

そこで初めて、ルリは認識した。シラキの左腕から噴出した血の量が、もはや尋常ではないほどの領域に達していることに

作られた血溜まりが、シラキを中心に半径一メートルもの輪を形成している

明らかに危険だ。これ以上血を流せば、血圧低下のショック症状も起こしかねない

「動かないで下さい!」

「黙ってろ!」

しかしそんなルリの手すら払いのけ、シラキはなんとか体を引き起こした

その目に、ルリはもはや映っていない。その先にいるのは、たった一人の人間だ

アキト

「・・・ぬりいよ」

シラキに怒鳴られ、思わず手を引いたルリを背後に、シラキはただ睨み付ける

その足が、アキトに向けて踏み出される。もはや力が入らないのか、震える足は真っ直ぐに歩くことすらままならない

蛇行を描くような、まるで赤ん坊のような拙い歩き方。しかしそれでも、シラキは歩みを止めない

フラフラ、フラフラと体を揺らしながら、それでも歯を喰いしばり、シラキは歩みを止めなかった

それに気圧されたように、アキトが思わず後ずさる

「・・・来るな」

一体自分は、なににここまで気圧されているのか。なににこんなに脅えているのか。アキトにはわからない

ただの、ただの男だ。髪が白いだけの、少し銃火器の扱いを心得ているだけの、どこにでも転がっているような、ただの男のはずだ

なのに

何故こんなに、恐ろしい

左腕すら無くし、もはや歩くことすらままならない。自分が本気になれば一瞬で殺せるようなこの男の、一体なにが恐ろしいのか

アキトには、まるでわからない。考えても考えても、目の前の男が脅威となる理由など欠片も無いのに、それでも震えは止まらない

そして

「・・・よお」

「っ」

思考が回っている間に、接近を許していた。ほとんど自分と変わらない身長で、自分の眼前に、彼はいる。先程自分が殴ったため、その右頬は赤黒く腫れ上がっていた。おそらく折れている

なのに、そんな痛みなどまるで関係無いように。殺意すら込められているような、目をして

「・・・・くっ」

冷や汗が背中を伝うのを自覚し、距離を取ろうと後ろへと一歩下がろうとした

だが

「・・・逃げんな」

それより早く、襟首を捕まれた。万力のような力が自分の後退を非情に引き止める

「は、離せ!!」

振り払おうと、目の前の男を再び殴る

しかし、離さない。自分の襟首を掴む右手。それに込められた尋常ではない力と、そしてその意思で、シラキは手を離さない

「離――!!」

そして、三度殴り掛かるために握ろうとした拳。その瞬間、不意にシラキが右手の力を緩めた

勢い余って、アキトは思わずたたらを踏む。意味がわからない

さっきからコイツは、一体なにがしたいのだ

混乱するアキト。それをただ見ていることしか出来ないルリと、そして相変わらずの薄笑いを浮かべたままのヤマサキ

そのアキトの眼前に、唐突に、黒い鉄の塊が放られた

反射的にそれを握り、そしてその正体を認識したとき、アキトは息を呑んだ

拳銃だった

自分の目の前にいるシラキが、放ったのだ。だが、相変わらず意味がわからない。この男は、なんなのだ

一体、この男は

「撃てよ」

「え・・・」

気付けば、自分の握る拳銃の銃身を握ったシラキが

その銃口を、シラキの額に押し当てていた

「なっ!!」

余りに常軌を逸した行動に、アキトが再び混乱の渦に叩き落される

意味がわからない。全くもって、意味がわからない

さっきから、この男はなんなのだ。全く関係無いくせに、自分の記憶にいないくせに、関係無いのに、何故こうも自分の邪魔をする

何故こうも、自分を混乱させるのだ

「・・・なん・・・・なんなんだよ!」

もはや、アキトは錯乱寸前だった

「なんなんだよお前! さっきからなんなんだ! 関係無いくせに! 何故俺の邪魔をする!」

喚くように、駄々をこねる子供のように、アキトは叫ぶ

それはまるで、懇願するように

もう、これ以上俺に関わるなと、陳情するように

だが、シラキは完全に無視した。その懇願も、願いも

そして、アキトの混乱すらも

「なんで・・・だあ?」

血が、滴り落ちる。左肘から先が無くなった白衣は、もはや血を吸い上げてドロドロだ

「さっきも、言った、ろうが」

残った右手で相変わらず銃身を握りながら、シラキはアキトへと言葉を紡ぐ。その口調は、すでに息切れと蒼白になった顔面からわかるように、もはや言葉すら途切れ途切れだ

だが、一語一語を必死に拾い上げながら、それでも、シラキの顔に絶望も弱気も過ぎらない

「お前が・・・・死人に責任擦り付けてる、からだよ」

「違う! 俺は、俺は―――!」

「だったら!!」

アキトの言葉を飲み込むような怒声と共に、シラキは銃身を握り右手に力をこめる

そして、まるでアキトを試すような、挑発するような目付きで、告げた

「撃てよ」

「い、意味がわからないと言ってるだろうが!」

「わからないか? 邪魔、してんだぞ、俺は・・・・オメエの、復讐って奴の」

「っ」

「だったら撃てよ・・・撃ってみろよオラ!! 邪魔者をぶっ殺して、オメエの復讐してみろよ! アア!?」

激昂した。それに合わせて、シラキの左肘から血がボタボタと垂れ落ちる

その剣幕に思わず押されたアキトが、息を呑む

「撃てねえのか! 邪魔なんだろ!? 俺が! だったら殺せよ! 殺して復讐してみろよ!」

もはやアキトは、完全に呑まれていた。先程からのシラキがおこなう意味のわからない行動、そして、自分の命を差し出すような行為。常軌を逸した行動

もはやなにもかもが、アキトにとって魔物のようなおぞましさだった。目の前の男の、全てが不快で、不愉快で

だから、アキトは

「だったら・・・」

引き金を

「だったら、殺してやるよ!!」

「だがな!!」

引こうとした、刹那のタイミング。そこにシラキが割り込んできた

そして、言った

アキトにとって、絶対の意味を持つ、言葉を

アキトにとって、最悪の意味を持つ、呪詛を

「俺は、オメエを恨んで逝くぜ」

「!」

「俺が死ぬのは、もう死んじまったアイツのせいじゃねえ。俺は、お前に、殺されるんだからな」

それはこの、タイプ甲であるアキトにとって、最大の呪詛だった

オリジナルのテンカワアキトのために、復讐を行おうと、それこそが彼のためだと、そう信じている彼にとって

「俺は・・・・『お前』を怨んで死んでやるよ」

最悪の、言葉だった

その瞬間、アキトの引き金に掛かった指が、無くなったように動かなくなった

シラキの言葉は、アキトのメッキを、容易く剥がす

オリジナルの復讐のためだろうが、関係無いと、シラキは言っている

彼を殺す、自分を、『タイプ甲』を怨むと、そう言っている

それは当たり前の言葉だった。殺す人間が、殺される人間に抱く感情、それは大抵の場合、ほとんどが憎しみだ

こんな風に顔を突き合わせて相手を殺すのなら、それは尚のこと当たり前だ

だが、それは、『彼』にとって初めての、体験だった

記憶はあるのに、知識もあるのに、そしてそれを、当たり前だと思えていたのに

怨まれることなど、当たり前なのに、わかっていたのに

それでもそれは、『タイプ甲』にとって、初めて直接ぶつけられる。怨嗟の感情だった

カタカタと、指が震える。後僅か、ホンの僅か押し込むだけで拳銃を発砲出来る。なのに

「っ」

動かない

「―――!」

動いてくれない

人差し指が、無くなったように、動かない

「な、なんで!」

「・・・」

そのアキトの様子を、居た堪れないような表情で、ルリは見つめていた

そしてルリの視界の中、シラキが崩れ落ちるように、その身を床へと投げ出した

「あ」

「やめときなよ」

思わず駆け寄ろうとするが、そのルリの動きを遮るように、ヤマサキの声が響く

振り返った先には、相変わらず鉄の柱にその身を拘束されているヤマサキが、僅か、少しだけ微笑んでいるような顔で告げた

「君の入る余地は、多分無いよ」

「・・・」

「止められないよ。君じゃ、タイプ甲は」

「そんなこと!」

「無理無理。君らじゃ、彼をどうしても、本物だと思って接してしまうもの。だって、君らの知ってるテンカワアキトは、彼と同じだったんだから」

ヤマサキが言おうとしていることを察したルリが、思わず俯いて、拳を握った

ヤマサキの言葉。それは、どうしようもない、真実だから

「彼の知らない彼を知ってる。シラキ君じゃないと、今回ばかりは無理だよ」

そう

そう、なのだ

それは、最初から、わかっていたことなのだ

言葉と共に、ルリの身に無力感が圧し掛かった。わかっている、わかってはいたのだ

それは別に、ルリ自身が無力を感じる必要すらない。それは単に、運のようなものだ

死ぬ前の彼、テンカワアキトに会うことが出来なかった。それはルリ自身に過失があるわけではない。ただの巡り合わせ。運なのだ

あの火星での決戦のあと、ルリとて全力でアキトの痕跡を辿った。だが、彼の存在はまるで幽霊のように、どれだけ調べ上げても、その痕跡すらとうとう掴むことは出来なかった

ルリに無理だったのだ。おそらく地球上の誰が調べたとしても、アキトの居場所を調べ上げることは出来なかっただろう

ならばそれは、もはや誰が悪い悪くないの次元を超えている。運命とでも言うような、どうしようもない現実だった

だから、ルリが責任を感じる必要も、己を責める理由すらない

だが

「・・・・私・・・だって」

両手を、血が出るほど握り締めた

頭に過ぎるのは、一組の男女

自分の、母と父とも、呼べる存在

今はもう、いない。『二人共』

「私だって・・・わかってます!」

堰を切ったように、言葉が溢れてきた。目の前の光景への無力感から、血を流すシラキの姿と、そしてそれに脅えるアキトの二人の姿から

そしてなにより、自分への不甲斐無さから

一時は、誰かのせいに出来た。彼の復讐を、仕方が無いものとして、納得することが出来た

だが、今は違う。少なくとも一も二も無く頷けるほど、その行動を肯定は出来なくなっている

それは、何故か

決まっている

「・・・ハッ」

吐き出すような笑みと共に、崩れ落ちそうな体をアキトの襟首を掴むことで、なんとかシラキは支えきった

その間、アキトは動けない。動かない自分の体と、そして引き金を引けない指先を、信じられないように呆然と見つめるだけだ

そしてその目の前で、シラキは動く。震える腕と、震える体、霞んでいく視界、遠くなる感覚

そんな中、それでもシラキは、動き続ける

「・・・んだよ・・・」

引き攣るように口元を歪めて、アキトの顔を息が掛かりそうなほどの近距離で、正面から覗き込む

そこで初めて、アキトはシラキへと焦点を合わせた。だがその目には明らかな脅えと、そして恐怖が刻まれている

この目の前の訳のわからない、得体の知れない男への、嫌悪感すら通り越した恐怖に

「殺せ、ねえのか」

その声音には、失望と同時に、どこか落胆したような響きも混ざっていた

吐き捨てるように、シラキは唾を吐いた。床に落とされたそれは、もはや唾なのか血の塊なのかすら判断出来ない

「ち、違う・・・」

「なにが、違うってんだ?」

「そ・・・れは・・・」

まるで言い訳するような、アキトの言葉。本来ならそんな必要など無いのに

目の前の男に、本当なら弁明する必要など無い。邪魔なら殺せば良い。怨まれようが、呪われようが、それでも構うものかと言って、殺せば良かったのだ

「やっぱ・・・オメエは、アイツじゃ、ねえよ」

だがその選択肢は、もはやアキトの脳裏には無かった。舌戦ともいえないような、拙い言葉の交換。何故だかそれに、自分の全存在が掛かっているような気すらして

「アイツは・・・アイツはなあ!!」

血と言葉を吐き出しながら、シラキは掴んだ襟首に力を入れた

「あ・・・」

力を込めたといっても、所詮は弱々しい、半死人のそれである。いつものアキトならば軽く力を入れるだけで耐えられた

だがそれに、抵抗出来なかった。呆けたアキトの隙間を突く様に、シラキは残った力を振り絞るように、アキトを床へと叩きつけた

尻餅をつくような体勢で床へと座り込んだアキトの前に、シラキが佇む

息は切れ、左腕からは未だに止まることなく血が流れ続けている

そんな、片腕を失い血を流している、ある種異様な姿には、不気味な威圧感があった

だから、アキトは動けなかった。ただ呆然と、目の前に立ちはだかるシラキの顔を、見つめることしか出来ない

そして、そんな目の前で

「アイツは・・・・殺した」

「え・・・」

もはやシラキの目は、焦点を結んでいないようにすら見えた。体もただ立っているだけなのに、左右に落ち着き無くふらついている

軽く触れただけで、そのまま倒れてしまいそうなほどだ

なのに、言葉に込められた力だけは、まるで勢いを無くさずに紡がれる

「何人も、アイツは、殺した・・・関係無い奴も、知らない奴も、男も、女も殺した」

「あ・・・」

「言い訳もした。自殺しようとも、した。泣き言も言った」

喋る間に、もはや立つことすら出来なくなった。震える膝をこらえようともせず、シラキは徐々にその身を崩していく

なのに、それなのに

言葉だけは、止まらない

「遺族にゃ、最後・・・まで、一人も謝れなかった。自分が、殺した人間の名前も、ほとんど、覚え・・・られなかった」

もはや、シラキは意識すらあるかどうか怪しかった。まるでうわ言のように、尻餅をつくアキトの目の前に膝立ちになり、ただ喋り続ける

「でも・・・な」

その右手が、フラフラと持ち上がる。親を求める幼児の手のように、それは弱々しい力で、しかしアキトの襟首へと辿り付いた

「でもなあ!!」

そして、叫んだ

「アイツは! 生きた!!」

火がついたように、右手に力をこもる。アキトの首を締め上げるような勢いで活力が戻り、シラキの顔に怒りが戻っていった

「苦しんで! 苦しんで苦しんで苦しんで! 殺した奴の夢見て! 悪夢に叫んで爪を齧りきって! 言い訳して! 死のうとして! 泣きながら言い訳して!」

記憶が、蘇る。もう久しく思い出しもしなかった、記憶が

「アイツはな、生きたんだよ! 最後まで苦しんで! 謝って! 生きて! そして死んだんだよ!!」

騒々しかった病室。ラピスラズリ、テンカワアキト。死んでしまった子供達

なにもかも、覚えている。もはや無くなった、返って来ることのない、思い出

そのことに、なにか言うことはない。過去は過去だ。過ぎてしまったこと、起こってしまった事実

ならば、それはもう返られない。どれだけ惜しくても、惜しんでも、考えるだけ無駄だ

だが

「・・・だから・・・」

だが、せめて

「だからよお・・・」

最後の力を根こそぎ使い切ったように、シラキの言葉が急速に萎んでいく

あれだけ怒りに燃えていた顔も、万力のような力が込められていた右手も、まるで糸が切れた人形のように、力を失っていく

気圧され、動けないアキトの眼前で、シラキはその身を正座のように崩した

顔は正面を向けず、垂れ下がるようにうなだれる

右手ももはや、襟首に引っ掛かるようにアキトの首元に掛かっているだけだ

「もう・・・アイツを・・・引っ張りださねえでくれ・・・」

「っ」

寝言のように

アキトからはもはや顔も見えないシラキが、ポツリと呟く

「なあ・・・」

それは先程までの言葉のどれより、力が無かった

「・・・頼む」

なのに、それは今までのどんな言葉よりも、アキトの心を絞った

「アイツは・・・やっと終わったんだ。ちゃんと生きて、ちゃんと・・・・死んだんだ」

それは、懇願だった。弱者が強者にすがり付いて叫ぶ、それは懇願だった

「だからもう・・・」

かつてのアキトも、同じように叫んだ。懇願

助けてくれと、誰かここから出してくれと、そう叫んだそれに

「・・・アイツを」

それは、とても

とても、良く似ていた

「寝かせて・・・やってくれ・・・」

「あ・・・」

「・・・たの・・・む・・・」

視界が、霞んでいく

指先が冷たくなっていく

力が、入らない。困った、まだこの男には、言いたいことは山程ある

説教したいことも、オリジナルがどうやって生きたのかも、自分の目の前で正座させて、三日三晩不眠不休で言って聞かせてやりたい

なのに

まだ、言いたいことは山程ある

山程ある、はず、なのに

「ア・・・イツ・・・を」

そして、その言葉を最後に

シラキの体は、崩れ落ちるように床へと転がった

「シラキさん!」

呆然としたままのアキトの耳に、ルリの叫び声だけが、どこか遠く響いた








あとがき





寒いです。太陽もうちょっと頑張ってくださいよ





こんにちは、白鴉です

というわけで、最終話。前編でした

いやもう本当ごめんなさい。予定では一話に余裕で収まる予定だったんですが、なんだか思った以上に膨らんでしまったので、今回はここで一回区切ります

多分中編は無いと思いますが、どうなんでしょうか。頑張って収めるつもりですが、もし中編があっても生温い気持ちで見守ってくださると嬉しいです



次回予告は無しで、まあまだ最終話ですし・・・





それでは次回で







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