第十話





そして終わりはやって来た

誰もが心に思い、しかし誰もが目を逸らしてきた、別れが





甲高いサイレンの音を鳴らしながら、その救急車は疾走していた

信号も法定速度も完全無視で、ただけたたましいサイレンを上げながら、その救急車は第七総合病院を目指す

その車内には、三人の人間が座っていた。医者と患者と、関係者。その三人だけ、通常ならば医者一人というのは考えられないが、その患者の特別な事情により、他の医療関係者が同乗することはなかった

「アキト・・・・」

ラピスが心細げに呟きながら、搬送台の上に置かれたアキトの手を握り締める。もはや五感はほぼ完全に機能を停止し、ラピスとのリンクすら意味を成さなくなって久しい。なのにこの少女は、未だに自ら定めた存在意義を貫き通すため、アキトから離れなかった

その二人の背後に立つシラキは、どこか物憂げな表情で、まるで眠るように横たわるアキトを見つめている

異常が検知されたのは、今から僅か五分前。五感が機能しないため外見上の変化などまるで無いが、それでもテンカワアキトの心臓の様子をひたすら表示し続けていたモニターが、全てを終わらせる警告を発したのだ

「アキト・・・・アキト・・・」

まるで壊れた人形のように、ただただ名前を繰り返すラピス。その頭に手を乗せるが、そんなものなど眼中に無いとでも言うように、なんの反応も返って来ない

それはそうだろう。一年に届くか届かないかの入院生活で、ラピスも多少はシラキに心を開いたが、少女の心の中の比重など、シラキとアキトを比べることすらおこがましいほどの差がある

これから起こることを予感しているのか、ラピスの手は目に見えて震えていた。それでも決して話すまいと必死な様子に、シラキは無駄だとわかりながらも、小さく呟いた

「・・・死なせや、しねえよ」

そのとき、軽い重力が体に掛かり、救急車の速度が僅かに落ちた。カーテンの閉められた窓から外を覗き見ると、目の前に目的地である第七総合病院が見える

元いた病院からここに大急ぎでやって来たのは、施設的な面での考慮でも、なんでも無い。言葉では違うことを言っても、シラキにもわかっていたのだ。これが、最後になると

彼がここにわざわざ彼を搬送したのは、たった一つの理由

地球が見える。ただそれだけ

緊急患者の搬送先には、すでに医療スタッフが集まっていた。その中には、仕事場から大急ぎで駆けつけたのだろう、紅いスーツを身に纏ったエリナの姿もある

搬送台に積まれたアキトを、彼らが手際よく運んでいく。それを見送るエリナが、アキトに寄り添うように身を寄せていたラピスの体を、抱きしめた

「あっ・・・!」

エリナの存在すら、そのときのラピスは認識しなかった。ただ抱きしめられたことによって、必然的にアキトとの距離が開く。その事実にのみ泣きそうな顔をして、ラピスがエリナの腕の中でもがく

「離して!」

「・・・ラピスちゃん」

だがエリナは、離さなかった。暴れるラピスに爪を立てられても、腕を噛まれても、足で蹴られても、エリナはただ、ラピスを抱きしめ続けた

「離せ・・・離せえ! アキトが・・・アキトが! アキトが行っちゃう!」

「・・・・っ」

告げられた言葉に、エリナは腕に力を込めた。伏せられた顔は髪に隠されて、表情すら伺わせない

「嫌・・・・嫌あああ!!」

ラピスの伸ばした手の先で、患者を搬送する扉が、閉まった



「・・・よかったんですか?」

ラピスの叫びを聞いたのだろう、搬送台を運んでいる医療スタッフの内の一人が、黙ってその横を歩くシラキにおずおずと声を掛けた

現在シラキと共に居る彼らは、この病院の人間ではない。ネルガルお抱えの医療団体の人間だ。故にシラキのことも、アキトの事情も知っている

だからシラキはアキトの搬送台を先頭に立って引っ張りながら、隠すことなく告げた

「死にもしねえ癇癪起こしてるガキなんざ今は放っとけ、こっちの方が先だ」

「しかし・・・どうせなら」

勢い良く振り返ると、その先の言葉を言おうとした男の胸倉を掴んだ

「どうせなら・・・なんだ? どうせコイツは死ぬから、せめてあの子供にも死に目に立ち合わせてやれってか? ふざけんなよ」

「い、いや、その・・・」

シラキに図星を突かれた男が、視線を彷徨わせながら弁明の言葉を探った。そのとき

甲高い警告音が、病院の廊下を満たした

「っ!」

その場にいた全員が、顔を向ける。音の発信源は、アキトの心臓に取り付けられたモニターからだった。心電図の値が、ゼロを示している。心臓が、脈を打つのをやめたんだ

「・・・ちっ」

舌打ちと共に、シラキはアキトの着ている入院服へと手を伸ばす。開いた胸はまるで死体のように青白く、餓死寸前のように痩せていた

「AED!!」

シラキの叫びに、弾かれたようにスタッフ達が動き出す。搬送台に取り付けられていた自動体外式除細動器と呼ばれる、いわば電気ショックを行う機器を取り出し、シラキに渡す。それを即座にアキトの開いた胸へと押し付けて、シラキはスイッチを押した

ボンッと、空気が抜けるような音と共に、アキトの体が一瞬宙を浮く。首を捻って心電図を確認するが、依然としてゼロのままだ

「クソが!」

悪態を吐きながらシラキは心臓マッサージを開始する。その圧力に押されて、搬送台がギシギシと音が立てる

本来ならばその作業を行いながら患者を搬送し、目的地である集中治療室に運び込むはずだった。だが、心臓マッサージを行いながらシラキが視線を巡らすと、誰も、なにもしていない

ただ居た堪れないような様子で、ある者は目を伏せ、ある者はシラキと視線が合うと、もうこれ以上は意味が無いとでも言いたげに、静かに首を振る

それでもシラキは、怒りともやるせなさともつかない感情を胸の内に渦巻かせながら、それでも、抵抗を止めなかった

「どいつもこいつも・・・勝手に諦めやがって!」

取り出したAEDで、再び電気ショック。だが、反応は無い。モニターの表示するピーという甲高い音が、耳障りに廊下に響くだけだ

「クソ・・・クソ!」

無駄だと、わかっている。でもそれでも、シラキは再び心臓マッサージを開始した

そして、そのとき

「っ!?」

僅かな抵抗を覚えて、思わずシラキは手を止める。それは横にあるモニターが甲高い音を発するのをやめたことでも、心電図が再び、弱いながらも活動を再開したからでも、なかった

持ち直した。という事実にざわめくスタッフ達。だがその中で、シラキだけが時間に取り残されたように、ただ呆然とアキトを見下ろしている

いや、正確には、自分の肘辺りの裾。そこを

アキトが、握っていた

五感など、無いはずなのに。視覚も聴覚も触覚も嗅覚も、味覚すら、もはや無いはずなのに

アキトは、シラキの白衣を、握っていた

それは、ただの偶然。奇跡などとは程遠い。もしかしたら、単なるシラキの錯覚ですら、あったのかもしれない

だがその光景の中で、アキトは薄っすらと、目を覚ました。本当に、糸一本分にも満たないかもしれないほど、薄っすらと

そして

「―――」

なにかを、呟いた

声など出ないから、当然シラキには聞こえない。だがそれでも、それは、シラキへと伝わったようだった

ざわめいたままのスタッフ達。その中でシラキは、もう目も閉じ、腕もダラリと落としたアキトの顔を見て、思い出していた

まだアキトが、怪しいながらも自力で喋ることが出来たときのこと

――― 「死ぬのはいつでも出来るわけだ」

病院の中庭で、まだあのガキ達が、ラピスと一緒に元気良く走り回っていたときのこと

――― 「・・・そうだな」

「そうか・・・・」

そんな、それほど過去のことではないのに、やけに昔に感じるようなやり取りを思い出しながら

――― 「だったら、もうちっと付き合えや」

――― 「・・・ああ」

シラキはポツリと、呟いた

「もう・・・付き合っちゃくれねえんだな」

そしてシラキは、周りのスタッフ達を驚かせるような行動を取った

なにを思ったのか、いきなりアキトに取り付けられていたあらゆる医療機器との接続を素手で無理矢理引き剥がし、力も感覚も無いためグッタリとしているアキトの体に肩を貸す

そのままゆっくりと、病院の廊下を歩き出した

「なっ・・・! シラキさん、なにを!」

「主治医として、判断する」

「え・・・?」

唖然とする一同の前で立ち止まると、首だけを向けた

「・・・解散だ」

それだけ告げ、前を向く。余りに非常識な行動に思わずさらに声を掛けようとしたスタッフ達の言葉を遮るように、シラキはアキトに肩を貸して、フラフラと歩きながら告げる

「一応、集中治療室は使ったってことにしといてくれ。まあ、他に急患が来たら譲ってやれ。後、表にいるラピスと秘書の奴等に伝えてくれ」

フラフラと廊下を歩きながら、シラキは決して振り向かない

行くところなど、決まっていた。無駄だとわかっている。この男にはもう、なにも見えない、聞こえない

でもそれでも、あの場所に行けばなにかが、説明出来ないなにかが、この男に伝わってくれるのではないかという、そんな女々しく、みっともないことを考えながら

シラキは、歩き続ける。アキトの体を、引き摺りながら

「中庭で・・・・地球見てるってよ」










機動戦艦ナデシコ

 Imperfect Copy 』






『 記憶、来訪 』

 

 







自分には、記憶が無い。元々子供である自分にとって、それはある意味当たり前なのかもしれない。だがその欠落は、明らかに異質だった

まだ手足も伸びきっていないような子供である自分だが、それでも外見から判断して年齢は十歳程度だろう。なのに自分には、一年以上前の記憶が一切無い

自分の家族であり、そして命の恩人である老人は、そんな自分達を見て言った

「焦ることはないさ。ゆっくり思い出していけば良い・・・お前達には、時間はたっぷりあるんじゃからな」

紛うことない。純粋な優しさから出てきた言葉。だがそんな言葉を聞いても、当時の自分達は、どこか安心出来なかった

『時間はある』

その単語に、何故か物凄い違和感を感じた。まるで気休め、まるで虚言

ああ

今ならわかる。自分達に、そんな時間は無い

タイムリミットが目前に迫った影響か。それともただの偶然か

全て、思い出したから

自分達のこと。そして自分が最後に気絶する瞬間に見た、あの黒い男の人。その全てを

全部、思い出したから





『なに!?』

愕然としたリョーコの声を聞きながら、アキトの心はどこか冷めていた。全てがスローモーションに見える

交わせるタイミングの、攻撃ではなかった。例えブラックサレナのバケモノのような機動力を持ってしても、自分の持つボソンジャンプを行うにも、全ては間に合わない刹那のタイミング

だが、頭は冴え渡っていた。それはきっと、自分のオリジナルである彼が幾度となく晒された命の危機を乗り越えるために、血反吐を吐いて会得した感覚だろう

振り下ろされたナイフ。だがそれを、アキトはブラックサレナの外部装甲をパージすることで弾いたのだ

圧力に押されて排出された装甲が、ナイフに深々と貫かれる。それをどこか遠くに見つめながら、アキトは剥き出しになったブラックサレナの本体。かつての自分のパーソナルカラーであった、ピンク色のエステバリスを操る

予想外の行動だったのか、リョーコの動きが一瞬止まる。それを見逃さず、右腕を振りかぶった

その刹那、アサルトピットの中を、警告が満たした

自分の乗るエステバリスに関する警告ではない。それは、コトシロの中にあるセンサーが、大規模な爆発を観測した結果による警告音だった

攻撃を中止し、慌てて回線を開く。そこに、一枚のウインドウが浮かんだ

「っ!」

それを見た瞬間、アキトは大きく目を見開いた。ウインドウは、コトシロの中で二人の男と向き会う、ルリの姿を映し出していた

すでに幾度か攻防を繰り返したのか、その服は灰で煤汚れ、白磁の肌に埃が降り積もっている

アキトの中で、全ての優先順位が切り替わった

「ルリちゃん!」

叫び、アキトは懐にあるCCに意識を集中させた。エステバリスで跳んだ場合、どうしても格納庫へと跳ばざるを得ない。無理矢理間に割り込んだ場合、ルリにも危険が及ぶ場合があるからだ。だがそんな遠回りをしていては、間に合わない危険がある

だからアキトは迷う事無く、自らが三年近く命を預けていた愛機を、捨てた

蒼い光がアサルトピットの中を満たし、そしてリョーコが体勢を整えて反撃に備えようとしたときには、すでにアキトの姿はエステバリスの中から消え失せていた





それは、狂気の詰まった戦いだった

ヤマサキの操るバッタの内の一体が、シラキに襲い掛かる。狭い屋内ではミサイルが使えないため、下部に取り付けられているマシンガンによる散撃。だがそれを、シラキは懐に飛び込むことで無理矢理にかわした

その動きを追おうと、マシンガンの火線が動く。だがそれより早く、シラキは接近したバッタの数ある内の一つである足へと拳銃を突きつけ、隙間に銃弾を数発叩き込んだ

幾らバッタとはいえ、あくまで対人を想定しての無人兵器である。装甲の隙間に直接撃ち込まれた衝撃に耐えられず、バッタは僅かにその体を上へと傾かせた

逸れたマシンガンの弾丸が、耳障りな音を立てて通路を斜めに切り裂いた。弾痕が無数に穿たれ、流れ弾があらゆる場所に散乱する

だがシラキは、バッタが傾いたのとは逆側へと素早く移動し、その身をマシンガンをデタラメに乱射するバッタの装甲へとぶつかるように寄せる

直後、拳銃を突きつけるときにバッタの下部に滑り込まれた手榴弾が、鼓膜が吹き飛びそうな爆音と炎をあげて破裂した

爆風に思わず顔面を庇ったヤマサキとルリ。だがそれを縫うように、シラキは走る。その足からは、先程の衝撃で傷ついたのか、ズボンごと斜めに深々と切り裂かれた傷から血が流れている

だがそんな物など完全に無視し、シラキは進む。爆風に背中を押されるような形でヤマサキとの距離を一気に詰めると、すれ違いざまにもっとも当てやすい胴体へと狙いを定め、引き金を引く

「くっ!」

その気配を察したヤマサキが、勘任せに体を投げ出す。受け身もなにも考えていない飛び出しのため、地面に擦るように体を滑らせる

それを見つめ、シラキは空いている左手と両足で地面を引き摺り、強引に方向転換。摩擦熱で痛みを主張する左手を捻じ伏せて、倒れ伏したヤマサキの右手を踏み抜く

身を起こす前に右手を封じられたヤマサキが一瞬痛みに眉を潜めるが、即座に左手に握っていた拳銃で応戦

「があ―――!」

余りに至近距離であったため、左腕の肘辺りに着弾する。その痛みに思わず身を仰け反らせたシラキだったが

「あああああああ!!」

激痛を捻じ伏せるように吼え、体を仰け反らせたまま右手に握っていた拳銃を下に向けて乱射する

弾丸を搾り出す銃声が緩慢なく八発連続で通路に響く

そして、上へと向けた顔で、視線だけを強引に下へ向けたシラキの視界に、咄嗟に横に転がっていたバッタの装甲を盾に全ての銃弾を防いだヤマサキが、その隙間からこちらへ拳銃を向けているのを見た

だが、ヤマサキがその引き金を引くより早く

「おらああ!」

シラキが逃げも引きもせずに繰り出した右足が、ヤマサキの持つ装甲を踏み抜いた

胸の前で構えていたため、それはダイレクトにヤマサキの腹部へと衝撃を持ってくる。装甲の破片が持つ重量とシラキの蹴りの力が合わさって、尋常ではない圧力がヤマサキを襲う

骨がギシギシと軋みを上げ、胃の中の物が押し潰されたように出口を求めて這い上がってくる

しかしヤマサキは、咄嗟の判断で足を横へとスライドさせた。それによって、シラキの全く無防備だった左足に直撃。バランスを失ったシラキが思わず身を崩す

その間にヤマサキは装甲を放り捨て、身を起こしながら拳銃をシラキの顔面へ

シラキは咄嗟に振り上げた右足でその場に踏みとどまり、片膝をついた状態の左足をそのままに拳銃をヤマサキの顔面へ

全く同時に、二人はお互いの顔へ銃口を向ける。だがもはや二人は、そんなところで止まらない

両者共、一瞬の迷いも無く弾丸を発射。咄嗟に逸らした顔の横を、掠めるように弾丸が通過していく

お互いに放った銃弾が外れたことを確認して、両者は裂けるような笑みを浮かべて

さらなる攻防を、繰り出した



その二人の戦いを、ルリは呆然と、ただ立ち尽くして見つめている

浮かぶ感想は賞賛でも感嘆でも、今あの二人に攻撃を仕掛ければ、いとも容易く葬れるという、計算でもなかった

ただ、胸に浮かぶのは

――― 狂ってる

ただそれだけの、シンプルな感想

目の前の二人は、まるで命を削りながら戦っているように見えた。自分の体を、相手をただ殺すためだけの道具にしか見ていない。体を庇うのも、敵の攻撃をかわすのも、自分の命のためじゃない

先に死んだら、相手を殺せなくなる。たったそれだけの理由のように、ルリには見えた

そしてルリは、動けない。二人の、自分の命すら道具にした殺し合いに、ルリはなにも出来ずただ立ち尽くした

だがその背後で、不意に光が生まれた

「え?」

反射的に振り返る。その視界の先にいたのは、一人の男だった

「アキト・・・さん」

「良かった・・・ルリちゃん。無事だったんだね」

心底安心したような笑みを浮かべて、アキトはルリの頭を撫でる

そして

「後は、任せて」

それは、黒い風だった

呆然とするルリの前、そこで殺し合いをしていた二人の間に、アキトは割り込んだ

まず、目にも止まらない速度でシラキの顔面を横から殴りつけた。遠目から見てもそれは、顎の下を正確に捉えた、理想的な一撃だった

「・・・・あ?」

自分がなにをされたのか一瞬理解できず、シラキがマヌケな声を漏らす。だがその次の瞬間、アキトはシラキをすでに居ないもののように、ヤマサキの懐へと滑るように飛び込んでいた

「ちっ」

背後に飛び退きながら、ヤマサキの右手のIFSが光を帯びる。それに連動して、待機していた三体のバッタがアイカメラを紅く輝かせながらアキトへと飛び掛った

隙間も無い、鉄の塊の体当たり。懐に飛び込むため前傾姿勢になっているアキトの体勢からでは、どう考えてもかわせない

だがその瞬間、アキトの姿が蒼い光に包まれた

「しまっ―――」

ボソンジャンプ。アキトがそれを実行したとヤマサキが判断するより前に

その背後に出現したアキトが、ヤマサキの後頭部を鷲づかみにし、瓦礫の山へと叩きつけていた

呆然と、ルリはその一部始終をただ見つめていた

一瞬だった。アキトが乱入してから、僅か五秒程度の出来事だった

不意を付いたことも、確かに大きい。だがそれ以上に、圧倒的だ

それはある意味、当たり前のことだった。ルリは知らなかったが、アキトは火星の後継者と戦っていたとき、ツキオミゲンイチロウに生身で戦う術を骨身に叩き込まれていたのだ

それでも、所詮格闘術は格闘術。銃を持つ人間を相手にした場合、途端にその優位性は揺らぐ

だがアキトには、もう一つの武器があった。復讐のために研ぎ澄ませた、もう一つの刃

ボソンジャンプ

その二つを併せ持った力、おまけに不意を討ったのだ。目の前の光景は当然の成り行きだった

「・・・アキト、さん」

近づきながら、おずおずと無言で佇むアキトに声を掛ける

「ルリちゃん、行こうか」

「え?」

「外の奴等に指定した時間は、もう過ぎてる。俺の要求に対する、答えを、聞かなきゃ」

ブルブルと拳を震わせながら、そう語る

「まあ・・・もっとも」

そう、笑う

「もう・・・どうでも良いんだけどね」

倒れ伏したヤマサキを見つめて、アキトは暗く笑う

煮詰めた怒りと憎しみ、そして殺意。その全ての込めた笑顔で

アキトはただ、笑う





「っ!」

ガバッと、ユメとロウは同時に身をベッドから起こした

その突然の変化に、その部屋にいた三者が驚いたように二人を見つめる。イネスは純粋な驚き、イネスとヒゲ爺は、起き上がれるはずなどない二人の目覚めに、呆然として

突如として意識を覚醒した二人は、並んだベッドにあるお互いの存在を確かめるように、互いに見つめあった。その息は、荒い。まるで悪夢から覚めた直後のように、或いは、未だにその中にいるかのように

「思い・・・出した」

額に手を当て、ロウはただそれだけ呟く。その呟きに答えるように、ユメも小さく頷きながら、ロウの空いた手を握り締める

「・・・うん」

触れた手に、ロウがユメへと視線をやる。そしてなにか感じるところがあったのか、お互いに大きく頷いた

「・・・ロウ?」

そんな二人の様子に、ヒゲ爺が不信そうに声を掛ける。どこかその声には、不吉な予感を無理矢理押さえ込んでいるような感触があった

「ヒゲ爺!」

だがロウは、そんなヒゲ爺に勢い良く声を掛けた

すぐ横にはエリナもイネスがいる。人見知りが激しい二人は、普段ならばそれだけで萎縮してしまっただろうが、今はそれどころではない

自分達が気を失う直前に、見た男。もう、時間がないのだ

「・・・・俺達を、アイツの所へ連れてってくれ」





「・・・ん?」

目覚めたそこは、薄暗い部屋だった

意識が覚醒したばかりでまだ重い頭を無視し、自分の状態を確認する。左腕と顎の辺りがズキズキと痛むが、それ以外特にこれといった外傷はない

視線を巡らせる。どうやら自分は、どこかの部屋にいるらしい。一辺十メートルかそこいら程度の、割と大きな部屋。そこで座っている自分は、鉄の柱に両手を後ろ手に拘束されているようだ

試しに動かしてみると、ジャラッという軽い金属音が聞こえて来た。首を回して確認すると、細い鉄の柱に回された自分の両手が、手錠によって拘束されている

「・・・」

それを見て、シラキは拘束されている右手に力を込める。するとその腕を滑るように、着ている灰色のコートの裾から、拳銃が右手の中へと滑り落ちた

試しにその銃口を、鍵穴に当たる部分に接近させる。両手首を締める金属の輪の間に短いとはいえ鎖が付いているため、ある程度両手首の自由は利いた

銃声と共に、金属同士が衝突する耳障りな音が辺りに響いた。だが、それだけだ。銃弾が直撃したはずの手錠の部分が軽くヘコんだことと、飛んでいった兆弾が部屋のどこかの壁に当たったような音が聞こえただけ

「・・・ちっ。やっぱ無理か」

「そりゃそうだよー」

舌打ちするシラキの耳に、やたらと能天気な声が届いてきた。睨み殺すような視線でそちらに顔を向けると、そこには自分と同じように拘束されているヤマサキの姿がある

「んだよオメエいたのか」

「んー残念ながら、捕まっちゃったねえ」

ケラケラと笑うヤマサキ

「呑気な野郎だなオイ。あの偽者野郎的にはオメエがダントツで殺したい奴ナンバーワンだろうが」

「そうだねえ。まあ呑気って点では、君もあんまり慌ててるようにも緊張してるようにも見えないけど?」

「別にどうでも良いしなあ、こんな状況。第一俺はアイツになにかしたわけじゃねえし、泣いて謝れば許してくれるんじゃねえ?」

「うわープライドないね君」

「死ぬよかマシだ」

そんな緊張感の無いやり取りをしていると、その会話を遮るように、空気の抜けるような音が割り込んできた

薄暗かった部屋に、廊下からの光が入り込んでくる。そこに二人が顔を向ける、そこには

「・・・」

佇む、二人の人影。アキトとルリが、立っていた

「やあやあタイプ甲。いやーまんまとやられちゃったよ。これから僕の死刑を軽ーく実行かい?」

傍から見ただけで殺意をその身に滾らせているアキトに、ヤマサキはなんの遠慮も無くそう話し掛ける

ヤマサキは奥の手を持っているわけでも、切り札があるわけでも、そしてここから脱出する術を持っているわけでも無い。本当に、もはや打つ手は無い。むごたらしく殺されることを、誰よりも確信している

だがそれでも、ヤマサキの声には、欠片の恐怖も恐れも無かった。その余裕は、死を望んですらいるようにすら見えた

その態度に思わずルリが身を硬くし、アキトへと気遣わしげに視線を寄越す。だが当のアキトはどこか平然としたまま歩みを進めると、ヤマサキの前に立ち

「っぐ!」

両手を後ろ手に拘束されているため全く無防備なその腹に、手加減の欠片も無い蹴りをぶち込んだ

思わずヤマサキが声を漏らす。余りの衝撃に体が鉄柱へと押し付けられ、軽く浮く

だがアキトは、そんなものではまるで満足していないように、何度も何度も蹴りを繰り出す。執拗に、何度も何度も肉を打つ不快な音が部屋に響き渡り、そのたびにヤマサキの口から涎やうめきが零れ落ちる

「・・・心配するな」

ようやく満足したのか、アキトが攻撃をやめ、呟く

その顔は、ゾッとするような無表情だった

「軽くなんか、殺してやらない。お前にはこの世で考えられるあらゆる痛みと苦しみを与えてやる。何度も何度も何度も何度も、死んだって殺してやらない。蘇生させて何度も何度も何度も何度も、殺してやるよ」

「はは・・・そりゃ、豪勢なことだね」

痛みに顔を歪めながらも、口元に笑みを貼り付けたままヤマサキは笑う。それにもう一度蹴りをくれて、アキトはようやく、その視線をヤマサキからシラキへと移した

「・・・よお」

憮然とした表情で、シラキが声を掛ける。だがアキトはそんなシラキを、まるで知らないものを見るような目で見つめ、そして心底不思議そうに尋ねた

「お前は、何者だ?」

「・・・・え?」

その質問に疑問の声を上げたのは、シラキではなくルリだった

「何故、こんな場所に来ている? なにが目的だ? お前もコイツと同じ、火星の後継者の残党か?」

繰り出されるのは、そんな的外れな質問

――― どういう、こと?

ルリはそのアキトの態度を見て、胸中に疑問を渦巻かせる

このアキトは、シラキを知らない。そんなことがあるのだろうか

考えられるのは、彼の記憶が火星の後継者に人体実験を受けていたときまでの、アキトの記憶の場合だ。しかしそれは有り得ない。もしそうならば、彼はブラックサレナのことも、ユーチャリスのことも、知らないはずだ

だが、彼はそれらを当然のことのように知っていた。目覚めた後から仕入れたわけではない、彼は間違い無く、実感と経験としてそれらのことを知っていた

なのに、シラキの記憶だけが、無い

そこで初めて、ルリの脳裏に疑問が生じた。ならば目の前の彼は、一体いつまでの、彼なのだろうか

だがそんなルリを置き去りに、シラキは皮肉気に笑ったまま、アキトを真っ直ぐに見つめている

「俺は、オメエのオリジナルの主治医だった男だよ」

「・・・なに?」

告げられた言葉の意外さに、思わずアキトはルリへと視線を寄越した

反射的にルリは頷くと、取り合えず疑問を棚上げにして答える

「・・・本当です」

「・・・そう、だったのか」

心底意外そう呟いて、シラキへと顔を向ける

「・・・・そうか、彼が、世話になったのか」

「まっ、世話らしい世話なんかあんまりしてねえけどな」

両手が動かないため、器用に肩だけを竦めて答える

そしてその目を鋭くして、目の前のアキトへと尋ねた

「オメエとしても、気になるんじゃねえのか? 俺をしらねえってことは、当然入院中のアイツのこともしらねえってことだろ? 良ければ話してやるぜ。俺の命助けてくれるんならな」

その言葉に、ルリが僅かに視線を落とした。それは、ルリも知りたいことだったからだ

なんだかんだで、結局このシラキという男とは、そういうことを話す機会はほとんど無かった。それにこの男への苦手意識から、自分から積極的に関わり合いになりたいとも、思えなかった

だから今まで聞けなかった。ルリはそのとき、場違いだと自覚してはいるが、この機会を少しだけ幸運に思う

だが

「・・・・必要無い」

アキトは軽く首を振ると、さっさとシラキへと背を向けた

「・・・なんだと?」

「お前のような人間に、彼のことを聞くまでも無い。彼のことは、俺が一番良く知ってる・・・・だが、彼の命を永らえさせたくれたせめてもの礼だ。ここに来た目的は聞かないし、命も助けてやる・・・それで良いだろう?」

そのときシラキは、自分の胸にどこかどうしようもないほどの怒りが渦巻くのを感じた

自分でも理由がわからない。出自不明の怒り。目の前の存在に、何故かはわからないが、死ぬほど腹が立った

「・・・ああ、俺も話す気なくなったわ。もうなにされても話さねえ」

「それと」

軽く首だけで振り返ったアキトが、シラキへと嘲笑うような笑みを浮かべた

「その手錠は特別製だ。そんな銃じゃ間違っても壊れない、無駄なことは辞めておけ。どうせすぐに解放してやる」

シラキの手錠と拳銃は、彼自身の背中側にある。現在のアキトの立っている位置からでは、見えるはずがない。なのにアキトは、まるで拳銃の口径すら見抜いているような言動で、シラキへと警告を発したのだ

「けっ、バケモノが」

「言われ慣れてる」

せめてもの抵抗の言葉も軽く受け流し、アキトはそのまま、シラキもヤマサキも無視して部屋の中央に歩み出た

「ルリちゃん」

「・・・はい」

促されたルリが、どこか沈痛な面持ちで部屋の隅へと待機する。その顔はどこか暗く、なにかを振り切れず、もがいているように見える

そんなルリの表情を見て、シラキは小さく溜息をついた

――― 覚悟が出来てねえんだったら、こんなところに来るんじゃねえっつうの

正確には覚悟が出来ていないからこそここにいるのだが、そんなルリの事情などシラキが知る由も無い

ルリが部屋の隅に移動したことを確認して、アキトがコミニュケを操作する

すると、薄暗い部屋の中に、巨大な光源が出現した。その眩しさに一瞬目を細めたシラキだったが、それが巨大なウインドウだということは、すぐに理解した

『少々遅かったな、約束の時間はもう過ぎとるぞ』

「多少のトラブルがあった。そんなことくらい、お前達も承知の上だろう」

そのウインドウに映し出されたフクベを見て、彼と面識のあるシラキは少し意外そうな顔をしたが、すぐに視線を後ろ手にある手錠へと戻した。どうにかしてこれを外せないかと思案するが、考えるまでも無く無理なので、おとなしく二人の会話を聞くことにした

「では、答えを聞こう。こちらの条件、飲むのか飲まないのか」

『結論から言えば、飲めんな』

即答だった。その余りの呆気なさに一瞬アキトが驚いたような顔をするが、すぐにそれを元の冷静な表情へと引き戻した

「それはつまり・・・全面対決だと、そういうことだな?」

クク、と、押し殺したような笑みを零しながら、アキトが嘲るようにフクベに尋ねる

まともに戦えば勝つのは自分達だと、そう宣言するように

だがそんなアキトをどこか寂しそうな目で見つめると、フクベはその視線を僅かに下げた

『もう・・・やめんか? テンカワ君』

「・・・なに?」

『君の気持ちは、良く分かる。いや、君に言わせれば彼の気持ちか。確かに火星の後継者は、許されざる罪を犯した。だがそれはもう、終わったんじゃ。彼らの罪は、法律に乗っ取ってキチンと清算される・・・・それを待つことは、出来んのか?』

「なん・・・だと?」

『月並みなことを言えば・・・それで本当に、なにかが戻ってくるのかね? 君はそれで、本当に満足なのか?』

「・・・・黙れ」

『テンカワ君・・・最後に、もう一度だけ聞く』

「黙れ」

『もう・・・終わりにせんか?』

「黙れ!!」

その瞬間、アキトの怒りは頂点に達した

汚された、気分だったのだ。自分の気持ちも彼の気持ちも、なにもかも、全てを、この目の前の老人に

「俺の気持ちが・・・わかるだと?」

許せなかった

「わかるだと!? ふざけるな! 貴様等にわかるか!? 生きたまま頭蓋骨を開かれたことがあるのか!? 延々と繰り返し人が解体されていく映像を! 寝ることすら許されず、自分の体が限界になるまで見せられたことがあるのか!?」

自分の気持ちなど、誰も知らないくせに、わかるわけがないくせに、軽はずみに理解者ぶった面をする人間が、許せなかった

「自分の視力が秒感覚で落ちて行く感覚を、耳が聞こえなくなったときの喪失感を知っているのか!? なにを食べてもなにも感じないことを、いきなり自覚したときの気持ちは!? 自分の大切な人間が、目の前で仮死状態にされたことがあるのか!? 言ってみろ! 言ってみろよ!!」

その圧倒的な剣幕に、僅かにフクベが気圧されるように言葉を詰まらせた

「それなのに・・・わかるだと!? 安い同情なんかするな! わかれば俺の行動を止めるものか! 奴等がどれだけのことをしたのか、どれだけのことを俺にしたのか! 知っていれば止めるものか! 奴等は殺す! 殺されて当然だ! それだけのことをした! 何度言わせるつもりだ!!」

叫びつかれたのか、アキトは顔を俯けたまま、荒い息を付いている

誰も、なにも言えなかった。ルリは唇を噛み締めて視線を落とし、ヤマサキはどこまでも無関心な、どうでも良いような表情でフクベとアキトを見つめている

フクベも、なにも言わない。いや、言えなかった。確かに自分は、先程彼が言った体験など、したことはない。なにより、今目の前の彼は破裂寸前の風船だ。ここで自分がなにを言ったとしても、聞き入れはしないだろう、むしろ再び感情を煽ってしまう結果になりかねない

「・・・・交渉は・・・・決裂だ」

息が整ったのか、ポツリと呟く。その声には、どこか疲れたような疲労感と、やるせなさが込められているように見えた

そしてアキトが、ウインドウを閉じようとした、そのとき

「ハハ」

漏れ出すような、笑い声が響いた

「ハハ・・・ハハハハ・・・」

その余りに場違いな声に、思わずルリもヤマサキもフクベも、そしてアキトも、その声の主へと呆然とした視線を送る

だが、それでもその声の主は、笑い声を止めない

心底可笑しそうに、堪えようとしてるのか肩をブルブルと震わせ、笑う

笑う

「ハハハハハハハ!!」

爆発したように、シラキが顔を上げる。その顔には、皮肉もなにもない、あるのは笑顔だけ。シラキはなんの裏も意図も無く、ただ純粋に笑っていた

その余りの哄笑に、誰も動けなかった。或いは本当に、シラキは狂ってしまったのかと、そう思うほどに

だがそんな視線に晒されても、シラキは笑い続ける

最高の、気分だった

つい先程感じた、目の前のテンカワアキトモドキへの怒り。それが一体なんなのか、先程の奴自身の言葉で、全て理解した

なるほどと、思う。要するに、そういうことだったのだ。この男は、テンカワアキトのデッドコピーだ。それ以外の何者でもない。代理人でも、執行者でも、なんでもない

ただの、子供だ

そう思うと、途端にバカらしくなった。要は子供が稚拙な思考回路で理論武装して、ダダをこねているだけなのだ

ああ、殴りたい。あのバカ面に一発と言わず、二発でも三発でも、拳をぶち込んでやりたい

しかしそのためには、この手錠が邪魔だ

だが、今の自分の頭はとても冴え渡っているようだ。拳銃では、この手錠は破れない。そう、この手錠は

ならば、話は簡単だ

呆然とする一同の耳に、ガンッと耳障りな音が響いた。それは、拳銃の発砲音

誰が発砲したのかなど、考えるまでも無かった。薄暗い部屋で、シラキの背後が刹那光る

だが、一発では終わらなかった。シラキはまるで構うことなく、一瞬の間すらなくひたすらに拳銃を発砲した

どこか鬼気迫る音が、間断無く響き渡る。それはもう一発一発の銃声ではなく、シラキの笑い声と相乗され、それ全てで一つの音のようにすら感じる

しばらくそのシラキの奇行をただ唖然として見つめていたアキトだが、ハッと我に返ると、取り繕うような冷静な表情を顔に貼り付け、シラキへと体を向ける

「・・・・狂ったのか? 無駄だと言ったろうその手錠は」

「うるせえよ」

俯いたシラキは小さな、しかしなにかを圧倒するような呟きを口から漏らした

ああ、なるほど

確信が、シラキの胸を満たす。全てがわかる。バカらしい、バカらしいことだ

「・・・別によ・・・構わねえんだよ」

うめくように呟き、膝を起こす

本来ならその動作を阻害するはずの、シラキの体の後ろで交錯し、そしてその動きを拘束しているはずの手錠は、何故かなんの存在意義すら示さなかった

「オメエがよ・・・本気でアキトの野郎の代理人気取って、アイツのために復讐するんだったら・・・別に良いんだよ。そこの銀髪娘巻き込もうが、どれだけ他人巻き込もうが、何人殺そうが、好きにすりゃ良い」

起こした膝に、力を込める。痛みが焼けるように脳の奥を貫通していくが、そんなものなど関係無い。どうでも良い

「なん・・・・だと・・・・?」

呆然とした、アキトの声が響く。だが、その声は聞こえない。そんな声は聞こえない。シラキには聞こえない

「でもな・・・・オメエは、違うよ」

確かめるように、呟く

「どういう・・・・意味だ!」

叫ぶアキトの声すら、今のシラキには聞こえない。まるでお構いなしに膝を立てる。もはや完全に立ち上がった状態だったが、両腕は相変わらず背後の鉄柱に巻き付いたままだ

「オメエ・・・今言ったじゃねえか。俺の気持ちがわかるか、俺がなにをされたのか・・・ってな」

「・・・っ」

「別によ・・・良いんだよ。どうでも。オメエがアキトの記憶持ってて、それが許せなくて、自分の意思で自分のために、復讐するんだってんならな」

「なっ・・・」

告げられたシラキの言葉は、聞き逃せるような内容ではなかった。要するにシラキは、こう言っているのだ

自分は、彼の代理としてではなく、自分の意思で、自分のために、復讐をしていると

そんなもの、アキトには聞き逃せるわけがなかった。それは、侮辱だ。自分に対する、許せない

「ちが―――!!」

怒りに頭を染めたアキトがそう叫ぼうとした、その瞬間

ブチブチ、という、なにかの繊維が断ち切れたような、音が聞こえた

それは、ただの音だ。しかしそれは生理的嫌悪感と、そして微かなデジャブと共にアキトの頭に飛び込んできた

「でも、オメエは違う。違うわ。他になにやっても良い。オメエの自由だ。好きにしろ」

そしてアキトは、信じられないモノを見た

彼の視線は、否、その場にいる全ての人間の視線が、一点に集約されていた。それは、シラキの手

左手だ

「お・・・・まえ・・・」

悪い夢でも見ているようなその言葉。信じられないモノを目の当たりにしたアキトの言葉は、もはや支点も焦点も無く、ただ空虚な空間に吸い込まれるように消えていく

もはや完全に立ち上がったシラキ。その、本来ならありえない、許されない動き

そう、ありえない。ありえないはずなのだ

シラキの両手を拘束している手錠がある限り、そんな挙動は物理的に不可能なのだ

開錠の技術も、手錠を砕く手段も、シラキにはない。なのに何故そんなことが出来るのか

だがアキトには、その理由がわかっていた。わからないはずがない。目の前に転がる、その光景を見れば

ボトリ、と、血生臭い音と臭いを立てて、それは落ちた

コロコロと転がることすらしない。出来ないそれを見て、アキトは息を呑む

「お前・・・」

ただ呟くことしか出来ないアキトの眼前に、それはまるで助けを求める死体のそれのように、ただ、そこにある

「自分の・・・腕を」

シラキの、左腕。まるでそこが、出来の悪い騙し絵のようにアキトの目に飛び込んできた

依然として、シラキは顔を俯けたままだ。影になった顔からは、表情はうかがえない

そして、そのシラキの左腕

その左腕の

肘から先が、無くなっていた

呆然とする、一同。先程ボトリと落ちた左腕を見て、そしてシラキを見る

理屈は、わかった。手錠の拘束から抜けるには、確かにこれしか方法が無かったかもしれない。手錠を壊せない以上、腕を壊すしか、無い

だが、それを思いつきはすれ、実行に移す人間が、果たしてこの世に何人いるだろうか。ましてや刃物での切断ですらない。拳銃の隙間無い発砲で無理矢理左腕をズタズタにして、引き剥がすのだ

狂っているとしか、言いようがない。だがシラキはそんなアキト達の考えなど知ったことかと言うように、呟く

「でもよ・・・」

本当のところ、わからない。テンカワアキトがなにを望んで死んでいったのか。本当は、なにを望んでいたのか

復讐なのかそうでないのかすら、わからない。もしかすると、本当に復讐を望み、誰かを憎んで怨みながら逝ったのかもしれない

だが、そんなことはシラキの知ったことではない。死人は死人だ。そいつがなにを思って死んでいったのか、なにを望んで死んだのかなど、今となってはどうでも良いし、どうにもならない。考えるだけ無駄だ

だけどシラキには、一つだけ、言えることがあった

――― 「助けないと」

何度も聞いた、咆哮。まるで命を削るようなそのアキトの叫びを、シラキは幾度となく聞いた

そう、ただ一つだけ、言えることがあった

あの男。一年も一緒に生きて、しかし最後まで友になどならず、ひょっとしたら医者と患者の関係ですらなかったかもしれない。あの男

復讐を望んだのか、そうでないのか、今となってはわからない。でも、あの男は。幾度となく戦場に戻りたいと叫んだ、あの男は、それでも

それでも



――― 殺してやるとは、絶対に言わなかった



血が吹き出す。左腕が無いだけなのに、全身が痛い。血が足りない。視界が暗くなる

だが、それでも、シラキは言った

「死人を・・・・引きずり出すんじゃねえよ・・・・!」

全身に力を込め、顔を上げる。烈火のような怒りが渦巻く表情で、シラキはアキトを睨み付ける。縮小した血管が、左腕からさらに血を吹き上げるか、シラキはそんなことなど構わず

ただ、叫んだ

「テメエが望んだ復讐だろうが!! 死人に責任押し付けてんじゃねえ!! このクソガキが!!」












あとがき





ようやっと主人公らしくなってきた・・・・んでしょうか? いやはや



というわけで、第十話でした

アキトが本当はなにを望んで逝ったのか、それは文中でも言われてますが本当のところわかりません

タイプ甲君が言った通り、それは本当に復讐だったのかもしれません

でもシラキ君には、そんなこと関係無いようです。要はタイプ甲君が許せなかっただけ

死人のために、それは割と良く聞く言葉ですが、結局それは残された人間のため、という言い換えも私には出来るように思います。いえ、もちろん個人的に、ですけど

残すところ後二話程度です





さてさて、次回予告です





次回予告



機動戦艦ナデシコ 『Imperfect Copy』



最終話



間に合った少女



「・・・アキト」

「ラ・・・ピス」



壊れた人形



「違う・・・・違う違う違う違う!!」

「俺は・・・俺は!! 彼のために!」



蘇る、自分



「これは、我侭だけど」

「出来るなら、君達には・・・・」



少女の、決断



「ルリ・・・・」

「私・・・・は」





そして





「シラ・・・・キ・・・・?」

「精々・・・・長生きしろよ・・・・クソガキ共・・・・」





最終話

『未来、来訪』







それでは次回で







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