第九話







それは、良く晴れた日に起こった

とても良く晴れた。腹が立つほど晴れた日に起こった、一つの出来事





ラピスは、廊下を歩いていた

アキトの入院している隔離病棟。そこに専用に設置されている中庭を目指して、歩いていた

その顔は、いつもの無表情。だがそこにはどこか、楽しさや嬉しさが滲んでいるような、そんな無表情で歩いていた

すれ違う人間は、ほぼ皆無。元々不治の病や止むに止まれぬ事情などといった理由が無ければ、隔離病棟なんかに患者は来ない。故にここに駐在している看護士の数も本棟に比べれば半分以下だし、医者の数もそれに比例して少ない

時折廊下ですれ違う看護士が、笑顔と共に挨拶してくる

ここに来たばかりのときは、無視するどころかアキトの病室から一歩も出なかったので、それ以前の問題だったのだが、ここ最近のラピスは違った

未だに表情を作ることには不慣れなので軽く会釈を返すだけだが、それだけでも驚くべき進歩といえるだろう

ラピスに笑顔を向ける看護士達もそれをわかっているため、普段ならば無愛想の一言で片付けられそうなラピスの態度も、咎められることは無い。むしろ微笑ましいとすらいえるような気持ちで見守られている

それが少し恥ずかしかったが、不思議と嫌な気持ちはしなかった

アキトも、そんな自分の変化を喜んでくれているようだった。だからラピスは、ここ最近は毎日ように中庭に行き、そこでシラキに強引に紹介された子供達と日が暮れるまで遊んだ

そしてそこで起こった色々な出来事をアキトに話すのが、もはやお馴染みと言えるような日課となっていた

一緒に遊ぶ五人の子供達。その中の一人の少女が、自分達のリーダー格でもある元気な少年に淡い、しかし特別な感情を抱いていること

砂場で城を作ったら、シラキが爆笑しながらその傑作にフライングボディアタックをかまして、自分達と大乱闘に発展したこと

鬼ごっこで暇だったシラキを捕まえ鬼をやらせてみたら、予想外の体力の無さに皆が呆れたこと

まだ名前も知らない一人の少年が、ブランコを限界までこいだ状態から華麗に飛び降り、それを見回りの看護士の人に見つかって全員が怒られたこと

挙げればキリが無い。それはラピスが生まれて初めて経験する。アキト以外の人間との記憶だった

そして、初めて明確に楽しいと思える、最初の、記憶だった

だから今日も、ラピスは中庭を目指す。コミニュケが表示する時間は、すでに正午を回っている

今日はアキトとの会話が予想外に弾んでしまい、こんな時間になった。今頃、皆はもう昨日約束したケイドロという遊びを始めていることだろう

ケイドロという単語に対して、ラピスは知識が無かった。生まれてから本など読んだことはないし、仕入れた知識の大半はインターフェイスやナノマシン、それに軍事関係のものばかりだ

だからラピスは、そのケイドロという遊びを、非常に楽しみにしていた。彼らは自分の知らないたくさんの知識をもっている

砂遊びに、カケッコ、オニごっこ、さらにその亜流と思われる氷オニなる遊戯

初めて体験する遊びという概念はとても新鮮で、いつもラピスに驚愕と軽い感動を与えてくれる

アキトがいて、彼らがいる、エリナも比較的頻繁に来訪してくれる。後ついでに、意地の悪いあの闇医者も、いることはいる

それは、酷く居心地の良いことだった。幸せとは、きっとこういうことを言うのだろう

だからラピスは最近、生まれて初めて明日というものが、楽しみになっていた

廊下の角を曲がる。その先にある扉をくぐると、いつも自分達が遊んでいる中庭へと出る

周囲を病棟に囲まれた、隔離病棟の中にある中庭。そこには砂場や滑り台、それにまだ使ったことはないが、ジャングルジムなる遊具が置いてある

今日はケイドロとやらにきっと一日を費やすだろうが、今度彼らにジャングルジムとやらを使った遊びを聞いてみよう。ラピスはそんなことを考えながら、扉へとゆっくりと手を掛け、そして開いた



誰もいない中庭が、午後の日差しに揺れていた



「・・・よう」

呆然と佇むラピスに、背後から声が掛かる。視界を巡らせると、ラピスが入ってきた扉の影になる場所に設置されたベンチに、一人の男が座っている

シラキは、入ってきたラピスに軽く手を上げると、再び視線を手元に広げていたカルテデータへと戻した

しばしそのままで、時間が過ぎる。ラピスはまるで縫い付けられた人形のようにその場を動けず、ただ、視界だけで中庭を見渡す

何故か、嫌な予感がした

酷く、嫌な予感が

「み・・・」

普通ならば、こんなことなど考えない。マトモに考えるならば、皆もまた遅刻しているだけ、そう考えるのが正常だろうと、ラピスは自分に言い聞かせる

だがそこで、どうしようもない現実が、ラピスの脳裏を過ぎる

自分でも忘れていた、当たり前の事実

ここは、どこかという、そんな当たり前の事実が

「・・・・皆は?」

「死んだ」

返って来たのは、たった三文字だった

ああ、と思いながら、ラピスはどこか冷静な自分に、少しばかり驚いた

あれだけ仲良くしていたのに、あれだけ、自分のような特異な存在に、分け隔てなく接してくれたのに

その彼らが、死んだのに

ラピスは不思議と、シラキの言葉を疑う気にも、取り乱す気にも、ならなかった

そこで、背後に動きが加わった。ベンチに座っていたシラキが立ち上がる音が、白衣の衣擦れの音と共に響いてくる

それでもラピスは、動けなかった。だってそれほど、ショックではなかったから

そう、ここは、隔離病棟。もはや助からない人間が、余生を過ごす場所

そんなこと、最初から分かっていた。だから自分は、全然ショックなんかじゃない。わかっていたことだから

大体自分は、彼らのことがそんなに好きじゃなかった。むしろ、子供は嫌いだ。ギャアギャアとやかましいし、すぐにわけのわからない意地を張る。オニゴッコなんてバカみたいな遊びに熱中して、なにが楽しいのだ。あんなの、ただのカケッコと同じではないか

そう、嫌いだ。だから自分は全然―――

「泣くな」

頭に乗せられたその手。そして、それによって微かにぶれた自分の瞳から落ちた、水滴

「泣いて、泣いてなんか・・・・無い」

「そうかい」

俯けた顔を、グシグシと擦る

水滴が、ついた。これは、涙なんかじゃない。ただの水滴だ。欠伸をしたときに出るような、そんなどうでも良いような、ただの水分だ

「私には・・・アキトが、いる」

水滴を拭きながら、ラピスは呟く

その姿はまるで、意地を張る子供だった

「アキトが・・・・いる。だから・・・・他になにも、いらない」

「そうかい」

シラキは慰めることも、諭すもこともしなかった。ただラピスの頭に手を乗せたまま、空を見上げる

むかつくほど晴れ渡った青空は、いつもと全く同じように、そこにあった










機動戦艦ナデシコ

 Imperfect Copy 』






『 殺戮、来訪 』

 

 







「ノーノー。下の名前で呼ぶなって言ってるだろー。俺はジャックだってば」

呆然と呟いた少年の呟きに、ジャックと名乗った金髪の青年は指を振る。その動作からなにからが全て、少年の記憶の中にある彼と一致していた

「・・・貴様の呼び名などどうでも良い。それよりボスが呼んでいる、行くぞ」

その横に佇む大男が呆れたように、少年の頭に手を置いて促した。それもやはり、自分の記憶と寸分たがわない

ナオヤ。そう呼ばれていた、大男。本名は最後まで知ることは無かった

愛想こそ悪いが、どことなく優しかった大男。それが昔の思い出のまま、色褪せることなく、少年の目の前で動いている

――― これは・・・・夢か?

明晰夢という、奴だろうか。自分が夢の中にいることを自覚し、ある程度自由に行動出来るという

だがそれにしても、全てがリアル過ぎる。砂の感触も、焼け付くような熱さも、そして先程ナオヤに頭を撫でられたときの暖かさも

明晰夢とは普段の夢と比べて格段に現実感が増すというが、それにしたってこれほどなのだろうか

「どうした。大丈夫か?」

そこで不意に、ナオヤが少年の顔を覗き込んできた。五歳以下の子供が見れば間違い無く泣き出すだろうほどの強面だが、少年はもうすっかり慣れている。特に驚くでもなく、首を振った

「なんでもねえ」

「そうか」

それだけの答えに満足したらしいナオヤとジャックは、少年の一歩前を並んで歩いていく

「・・・しかしお前の奇天烈な名前はどうにかならんのか」

「オーオー応用力が無いなあナオヤンは、大体ハーフだからってだけでこんな中途半端な名前付けられた俺の身にもなっておくれよ。泣けてくるぜ? 苗字が漢字名前が英語だぜ?」

「勝手に泣け」

昔からお馴染みだった、二人の下らないやり取り。それすら記憶のままに、少年の耳に飛び込んでくる

――― しかし、なんなんだこりゃ

その後ろを付いて行きながら、少年は頭が痛くなるような思いで嘆いていた

現実感が、消えていたからだ

夢だと、思う。ここは夢だと

だがそれにしては、なにもかもが明確過ぎる。幾らなんでもこれは、ここまで現実となんの差も無いというのは、ありえないのではないだろうか

――― じゃあ・・・一体どっちが

「おいおいなんだよボーイ。まーだ寝惚けてるのか?」

呆れたようなジャックの声。その単語に、少年は少しだけ言葉を詰まらせた

「・・・寝惚・・・けてる?」

「だってそうだろ。さっきまで昼寝してて、今はなんかフラフラしてるじゃねえかよー。大丈夫か?」

自分が、眠っていた

その言葉は不思議と、自然になんの抵抗も無く少年の心に落ちて来た

それは、先程まで見ていた現実が、夢なのかというボンヤリとした思考

確かにそうかもしれないと、少年は思った。なんだか頭が重い。考えたくない

今まで自分が見ていた方が夢で、ひょっとしたら現実は、これ、なのかもしれない

この圧倒的な現実感の前では、確かに先程までの体験の方が、夢なような気がしてくる

頭が、鉛のように重い。でもそれは、なんだか悪く無い気がしてきた

目の前の二人を見ると、心配そうにこちらの顔を覗き込んでいる

そう、悪く無い。この二人と、今頃自分達の帰りを待っている仲間達と一緒に、生きていく

それは何故か、酷く少年の心を刺激した。まるでそれ以上の幸せなど無いとでも、自分以外のなにかが耳元で囁いているように

なんだか視界がぼやけて来た。真上から降り注ぐ太陽の熱も、歩いている砂の感触も、聞こえてくるはずのナオヤとジャックの会話も、全て、全てが曖昧になる

だが少年は、なんの疑問も抱かない。まるでなにかが抜け落ちたかのような無表情で、焦点の合っていない目で、どこかを見つめている

まるで少年の中で、なにかが必死で、なにかに抗っているかのように







ルリは自動操縦の移動用フロートに乗って、シャトルドッグへと進んでいた

――― あれは

水のように流れる景色。もうシャトルドッグは目の前だ。ルリの右手にある壁の向こうは、すでにシャトルドッグ。このペースで走れば後一分も掛からないだろう。それに身を委ねながら、ルリは先程見た光景を思い出していた

アキトに指示され、進入してきたシャトルを監視していた。そして、そこに映ったのは

――― ヤマサキヨシオ・・・アキトさんとユリカさんから、全てを奪った人。そして

もう一人いた、その人物。それはもう随分と会っていないようにすら感じた、あの性格の悪い男だった

ルリが今まで生きてきた人生の中で、おそらくもっとも相性の悪い人間。特徴としては申し分無いあの白髪は、中々忘れられるものではない

――― シラキさん

何故彼がここにいるのか、想像が付かなかった。当たり前に考えるのならば、死んだはずのテンカワアキトと全く同じ容姿をした人間がコトシロを占拠したという事実の、真偽を確かめるためだろう

だが、ルリの知っているシラキという男は、そんな当たり前が通用する男ではない

三ヶ月前の事件のときも、アキトに頼まれたからというたったそれだけの理由で戦艦に乗り込んで来た男だ。これはルリの憶測になるが、おそらくその理由に偽りは無い。もしアキトに頼まれなかったならば、彼は本当に、全く無関心に前回の事件すら傍観していたことだろう

ならば今、何故彼がここにいるのか。誰かの依頼かもしれない。だが一介の闇医者である彼に、こんな荒事を頼む人間がいるだろうか

そこまで考えて、ルリは頭を振って思考を止めた

どの道、考えてもしょうがないことだ。アキトに頼まれたナノマシンは散布し、シラキもヤマサキも倒れたのは確認した。後は眠っている彼らを拘束すれば良い。それで自分の役目は終わりだ

アキトはヤマサキをどうするつもりなのか。それはルリにも容易に察しがついていた。おそらく彼は、ヤマサキを決して許しはしないだろう

その点については、ルリも同感だった。彼がアキトやユリカに対して行った行為、それを想像すると、吐き気すら込み上げてくる

だが、そんな自分の中に、ふとその行為に虚しさを感じている部分も、確かに存在していた

それは復讐を行う者が、正確には、復讐に対して疲れてしまった人間が感じる、共通の感覚だったのかもしれない

そんなことをして、一体なんになるのだろう、と

なにかが、返ってくるのだろうかか、と

わかっている。それは確かに正論だが、正解ではない。そんな理屈で復讐をやめられれば、彼はここまで来なかった

こんな、後戻りの出来ない状況にまで、来なかったのだ

ならば、やるしかない。例えその結果なにも得るものがなかったとしても、今の自分に出来るのは、きっとそれだけだ

「物憂げな表情だねー」

そのとき、声が割り込んできた

ハッとなって顔を上げる。第六感が警鐘を鳴らし、ルリは即座にフロートに取り付けられているIFSコンソールに手を滑らせ、緊急停止させた

火花が散り、甲高い鉄の音と共にフロートが挙動を止める

「いやいや、絵になってるよ。素晴らしいねえ。能力だけでなく外見までも完成された芸術品だよ。君は」

「アナタ・・・は」

「いやあ、こうして直接会うのは初めてかな? 妖精?」

ルリは、彼女にしては酷く珍しい、火を灯すような目で前方を睨み付けた

いつの間にか、廊下の影から姿を現した。その人物に

「・・・どうして、アナタがここに?」

「その問い掛けは二通りに取れるけど、一体どっちの意味なのかな?」

「両方です」

警戒しながら、ルリはフロートから体を降ろす。それに合わせるように、移動用の通路の壁が一部突出し、ルリの傍らへとその身を伸ばした

その先端から現れたのは、IFSコンソール。ルリがその手をそこにかざせば、基地内のあらゆる通路に仕込まれた侵入者迎撃用の警備システムが、目の前の男に牙を向くだろう

「うーん。じゃあ順番に答えていこうか。まず素直に、何故僕がこの、コトシロにいるのか、から行こう」

だがそんなことなどまるで歯牙にも掛けず、ルリの前方。目算で十メートル程離れた位置に佇む白衣の男、ヤマサキは、相変わらずの薄ら笑いを浮かべて指を立てた

「理由は単純。僕自身もすーっかり忘れてた研究対象が、いきなりとんでも行動に出たんだもん。近くで観察したいって思うのが科学者ってものじゃない?」

「・・・反吐が出るような理由ですね」

「ハハ、冷静な顔して随分酷いこと言うねえ」

会話をしながら、ルリは自身の中にどうしようもない怒りが渦巻いていることに気付いた。それは生まれたというよりも、燻っていたなにかが、捌け口を見つけて再び芽吹いたような、そんな、再来と言うべき感覚

先程までの感傷は、すでに吹き飛んでいた。アキトはこの目の前の存在に、自分の何倍もの憎悪を抱いているのだ

なるほど、と思う。確かにこんなもの、止められない。自分の大切なモノを奪い去った張本人を前にして、ルリはアキトの気持ちを、少しだけ理解したような気がした

「もう一つの理由は、なんですか?」

「結論から言うと、君の使ったナノマシンは僕には聞かないよ」

得意気に、そう宣言する

「元々実験対象に使ってたナノマシンだ。なら製作者の一人である僕が、その対策をしてないはずがないでしょ? 抗体なんてもう二年以上前に僕の体に出来てるよ」

裂けるような笑みを称えて、ヤマサキは右手を振る

「・・・?」

その挙動に合わせ、微かに光のラインが見えた気がして、ルリは僅かに目を細めた

「ああついでに言うと、シラキ君はまだドッグで寝てるよ。今頃ナノマシンの効能で、良い夢でも見てるんじゃないかなあ。まあ彼なら、僕がたった一つだけ用意しといた正解を見つけて、自力で目覚めてくるかもしれないけど・・・・まあ、そんなことはどうでも良いさ。それより」

素早い動きで、ヤマサキは開いた右手を自分の胸へと重ねた。そこに、再びチカチカと光る細い糸のようなものを見て、ルリは身を硬め、臨戦態勢へと入る

先程から目にチラチラと入ってくる光は、幻覚でも見間違いでもないようだ。一体それがなんなのかはわからないが、なにか不吉な予感を、ルリは直感として感じていた

「今は君とタイプ甲のたどり着く結末の方に・・・興味がある」

ヤマサキの言葉を無視し、脇にあるコンソールに手を伸ばす。触れたとき、一瞬だけルリの顔にナノマシンのラインが走った

そして、通路上部に格納されていた無数の侵入者用の銃や催涙弾を搭載した投擲機が、甲高い鉄の音を立てて次々と顔を出した

だがそれを見ても、ヤマサキの薄ら笑いは消えない。むしろ歓迎すらしているように、両手を広げる

「・・・最後に一つだけ・・・・良いですか?」

睨みつけてくるルリの視線に、首を縦に動かして首肯する

「なんだい? 答えられる質問になら答えてあげるよ?」

「何故・・・・」

唇を噛み締め、ルリは尋ねる

もっとも気になる疑問で、彼女にとってもっとも忌むべき事態、その発端を

「何故・・・アキトさんに、記憶を植え付けたんですか?」

それは、ルリの中でもっとも引っ掛かっていた。そして同時に、もっとも憤りを感じた部分だった

何故クローンであるはずの彼に、わざわざ手間を掛けてまでオリジナルの記憶を植え付けたのか

それがルリには、悔しくて仕方が無かった

そんなことをしなければ、ただのクローンとして彼を生み出していたならば、彼はオリジナルの記憶や意志を引き継いで、こんなことなどしなかったのに

もっと普通な、別の生き方も、出来たはずなのに

「ああ・・・・そんなことか」

だが当のヤマサキは、ルリのそんな内心など欠片も気にせず、告げた

そのヤマサキの顔を、ルリは生涯忘れないだろう

唇を釣り上げ、この世のなにもかも、自分の命すら見下したような、狂った笑顔

そこには、自分の玩具を自慢する子供と、他人を快感と共に舐め殺す狂人が、同居していた

「その方が、面白そうだったからさ」

その瞬間、ルリの中で、なにかがキレた

手をかざしたままのコンソールに、神速で指示を出す。命令は、ただ一つ

生け捕りとか、捕獲とか、そんな単語は想像すらしなかった。ルリは生まれて初めて、己の激情に任せて、他人をただ傷つけるためだけに、その能力を行使した

だが、さらにそれより早く

通路を、蒼い光が満たした





『アキトォ!!』

コトシロへと振り仰いでいた視線。そこに唐突に、それは割り込んできた

近づいてくる熱源を察知して、アキトはブラックサレナを正面へと向け直す。そこには、赤い塗装を施された一機のエステバリスが、猛烈な勢いで迫って来ていた

「・・・リョーコちゃん」

悲しげにそう呟きながら、アキトは機体を操る。飛び込んできたエステバリスのナックルをその軌道に沿うようにかわす

『あのシャトル・・・どうするつもりだ?』

距離を取って佇むブラックサレナ、それに火がつくような視線をぶつけながら、リョーコが尋ねる

『なんで見逃した? なにを考えてる?』

「・・・復讐、だよ。リョーコちゃん」

『無関係の人間は巻き込まないんじゃねえのか!?』

「そうさ。でもね。あのシャトルに乗ってた人間は、無関係なんかじゃない。むしろ当事者さ。誰よりもね」

『・・・なに?』

「ヤマサキヨシオ」

アキトの呟いた言葉に、リョーコは視線を細くする。確かにその名前は聞いたことがある

火星の後継者の、暗部。決して表沙汰には出来ないような人体実験の数々を指揮していた。最悪の男。狂気の探求者

『奴が・・・乗ってたのか?』

「間違い無く、ね」

そこでアキトは、唇を釣り上げた。それは表情だけ見れば穏やかな微笑みにも見えたが、その瞳の宿る暗い色と煮詰めたような感情だけが、爛々と輝いている。そんなアンバランスな、笑顔だった

「今頃、夢でも見てるさ」

『・・・夢?』

「俺達A級ジャンパーを実験材料にしていたとき奴が使った。最悪の嫌がらせだよ」

当時のことを思い出したのか、ギリッと手を握り締め、アキトはその身を怒りで震わせた

「過去を見るのさ。自分が一番幸せだったときの、過去をな」

言葉に、強烈な怒りが混ざり始める

「建前は、過酷な人体実験に対する、被験者へのメンタルケアだったらしい。ハハッ、笑えるよね。そんなのは飾りだ。アイツは・・・あの糞野郎は、ただ俺達への嫌がらせだけで・・・・たったそれだけの理由で! あんなものを作った!」

吐き出すようなアキトの言葉に、リョーコは言葉を掛けられなかった

「今でも覚えてる・・・感覚もなにもかもが酷く現実的で、例え偽物だとわかっていても、どこかで信じられなくなる。ひょっとしてあの人体実験は全部、自分が見てた夢だったのかと、そんな気持ちになる」

『・・・アキト』

「でも、夢で奴が言うんだ。これは夢だって、ただの虚像だって・・・わざわざナノマシンにそんなプログラムを載せて、ただ俺達を絶望させるためだけに・・・!」

それはアキトの中で、もっとも忌むべき記憶だった。毎回毎回、自分は騙された。どれだけ理性でこれは夢だと言い聞かせても、どれだけこれは幻だと拒絶しようとしても

笑顔で自分に笑い掛けてくるユリカやルリ、そしてナデシコクルーの皆。それを拒絶することが、アキトには出来なかった

それは、自覚のある堕落だった。抗う意志はあるのに、それを実行出来ない。そんな自分に苛立って、それでも拒絶出来なくて、そんな自分にまた苛立って

悪夢のような、無限ループ

「そして・・・・目が覚めたら、言うんだよ。アイツ等は・・・夢から覚めて、現実に絶望する俺達を嘲笑うように」

ギリギリと、歯を噛み締める。耳障りな音を立てながら、しかしアキトは気にしない

奥歯が砕けるような圧倒的な力を込めて、アキトはうめくように、呪詛を吐き出すように、呟いた

「おかえり・・・って」

二人の間に、しばし沈黙が下りる

リョーコは掛ける言葉を見つけられなかった。噂には聞いていた、火星の後継者の人体実験の内情。知識としては知っていたが、それを実際に体験した人間から聞かされると、重みが違う

「だから・・・だから今度は俺がアイツに言ってやるんだ! メチャクチャに壊して! 破壊して! 眠らせて!」

それは、どれだけの絶望だったのだろうか。例え幻だとわかっていても、アキト達は、それにすがるしかなかった

「自業自得さ! これは当然の復讐なんだ! 奴等にやられたことを考えれば! 奴等はそれだけのことをした!」

きっと、すがらなければならないほど、身も心も、ボロボロだったのだろう

そしてすがって、突き放されて、そしてまた傷つけられて

「・・・それでも」

顔を俯かせたアキトが、ポツリと告げた

「・・・それでも俺と、戦うつもりなのか?」

『・・・・・ああ』

僅かな沈黙と躊躇の後、リョーコが答える

確かな、肯定を

『確かに・・・お前が受けた仕打ちは、最悪だと、俺も思う。そんな奴等死んじまえって、今心底思ってる』

それでも、リョーコは

『でも・・・・それでも、なにも返って来ないんだ。アキト』

アキトにもうこれ以上、罪を重ねて欲しくなかった

『・・・俺は、止めるよ』

睨み付けるような、強い意志を秘めたリョーコの視線が、アキトを真っ直ぐに捉えた

『・・・お前が止まるつもりが無いってのなら、無理矢理にでも止める!』

リョーコは、その右足を振り上げた。無理矢理な体勢からの攻撃だったため奇襲にはなったが、機体の質量が乗っていないただ当てるだけの一撃では、ブラックサレナの頑強な装甲を打ち破れるはずも無い

押されたことで微かに機体を後方へと下げながら、アキトはまるでリョーコが体勢を直すのを待つように、ただ佇んだ

「じゃあリョーコちゃんは・・・俺の邪魔を、するんだ」

『・・・』

沈黙は、この状況ではこれ以上ない程の肯定だった。それを受け取って、アキトは微かに顔を俯けた

「そうか・・・・」

『・・・・アキト、俺は』

「君も、邪魔するのか」

顔を上げたアキト。その目には、もはや先程まで確かにあった、かつてのアキトの面影など、欠片も無かった

「じゃあ、殺すよ」

ゾッとするような殺意を叩きつけられ、リョーコは反射的に右腕を振り上げた

そしてそれは、結果的にリョーコの命を首の皮一枚で繋ぎとめることになる

全身を、衝撃が揺さぶった。その正体を認識するより早く、さらに追撃がくる

『グッ!』

捩れた重力を叩きつけられ、リョーコがうめくように声を漏らす

「・・・残念だよ。リョーコちゃん」

そんな衝撃の渦の中、目の前のウインドウに映るアキトの声だけは、何故か酷く鮮明に聞こえた

『・・・アキト』

「お願いだ。退いてくれ・・・・俺は、君を殺したく、無い」

『俺だって・・・殺したくなんかねえ!』

振り絞るように叫び、リョーコはブラックサレナの蹴りを防いでいた右腕を振り払った

そしてその反動を利用して、左腕を振りかぶる

『止まって・・・止まってくれよアキト!』

「出来ないんだ・・・出来ないんだよ! だって彼の無念を晴らさなきゃ! 可哀相じゃないか!」

『アイツは・・・!』

左腕を、サレナが防ぎもせずに前に出る。そのためリョーコの繰り出した打撃は直撃したが、やはりサレナの装甲に阻まれ、僅かに拳がめり込んだだけで止まる

『アイツはそんなこと望んでねえ!』

「君になにがわかる!!」

ハンドカノンをパージした右腕が、エステバリスの頭部へと伸びる。サレナの出力ならば、そのまま握りつぶすことすら可能だ。捕まるわけにはいかない

『わかんねえ・・・・わかんねえけど!』

それをエステバリスの首を逸らし、驚異的な反射神経でかわすと、リョーコは距離を取るために全力で逆進を掛けた

「だったらやめてくれ! これ以上邪魔をするな!」

だがそれを、サレナが見逃すはずも無かった。そのままスラスターに爆発的な熱を送り込み、急加速でリョーコへと追いつく

「俺は彼の全てを知ってる! だからわかるんだよ! 彼がどれだけの憎悪と怨嗟を抱きながら体を壊され続けたのか! どれだけ奴らを殺しても殺し足りないか!」

『っ! だからって!!』

さらに延びたサレナの右腕。それをリョーコは信じられないような動体視力で見切ると、なんと両手で受け止めた

『だからって! こんなことしてなんになる!』

「なら他の方法を教えてくれよ! 奴らに復讐出来る方法を! これ以外の方法を!」

『・・・くっ』

アキトの振り絞るような叫びに、リョーコは思わず言葉を詰めた。そんな方法など、思い浮かばない

わかっている。自分はきっと、酷く理不尽なことを言っている。だが他に、リョーコは方法を知らなかった。アキトに復讐を諦めてもらう、他の方法を

『わからねえ・・・でも、それでも!』

両手で捉えていたサレナの右腕を振り下ろすように捌くと、リョーコの操るエステバリスは自分の右足へと手を伸ばした

それに反応して、踝の辺りに設置された台座が押し開かれる。飛び出したのは、イミディエットナイフ

掴むために体を屈める時間すら惜しい刹那。強引に排出したナイフが宙を舞う。それを空中で掴むと、そのまま逆手に持ち替えて

目の前のブラックサレナの頭部目掛けて、勢い良く振り下ろした

『お前は! ここで止める!』





頭がボーッとする。これは一体なんなのだろうか

少年はそう思いながら、目の前に広がる光景をただ見つめていた

「おうどうした! オメエはやらねえのか? ああそうだったな! オメエまだ未成年だったよな!」

二キロ先にも響きそうなほどの大声で話し掛けてきたのは、ヒゲ面の大男だった。ナオヤ程の大柄ではないが、常人と比較すれば十分に巨躯と言っても過言ではない大柄な体格をしている

性格もその外見に忠実で、実に大雑把。良くこんな奴がリーダーで、ゲリラが成り立つものだ

そう考えながら、少年は視線を移す。二十畳ほどの部屋と呼ぶには少し大きいが、かといって他に当てはまる単語も思いつかないような中途半端な部屋に、実に十人以上の人間が詰め込まれ、ワンサカと騒いでいる。その中には当然、ナオヤやジャックの姿もある

酒や町で仕入れてきたレトルト食品が、右に左に飛び交っている。良く映画などで見るような野蛮人の宴会を絵に描いたような光景だった

何故こんなことをしているのか、少年は思い出せない。ただなんとなく、気が付いたらこんな状況になっていた

やけに重かった頭も、今はすっかり引いている

「どうした?」

席を立った自分に、ナオヤが話し掛けてくる。それに軽く手を外へと示して、部屋を出る

夜の砂漠は、寒い。昼間と夜との温度差は、一体なんの冗談なのかといつも思ったものだ

――― 一体、なんだったんだ。アリャ

夜の砂漠。中のドンチャン騒ぎが耳障りなほど響いてくる中で、少年は夜空を見上げてそう考える

昼間見ていた『夢』は、なんだったのだろう。時間が経ったのかもうほとんど思い出せなくなっているが、それは随分と長い夢だったように思う

夢の中で、自分は名前を持っており、そして医者をやっていたような気がする。夢はその人物の潜在意識をどうとか聞いたことがあるが、自分は医者にでもなりたいのだろうか

「・・・似合ってねえー」

自分の想像に思わず苦笑し、壁に背中を預けて座り込む。相変わらず宴会の音がうるさいが、余り悪い気はしなかった

だが、そこで

「夢見は良いかな?」

唐突に、声が掛けられた。体に染み付いた習慣が即座に臨戦態勢へと体を移行させ、腰に収めていた拳銃へと手を伸ばす

「被験者君」

だがそこで、少年の手が止まる。被験者などという聞きなれない単語に眉を寄せて、いつの間にか自分の正面、月を背後に佇んでいた男へと銃口を向ける

「最初に言おうか、これは君に投与されているナノマシンに仕組まれたただの伝言プログラムだ。故に私は君の夢が実際にはどんな夢なのかわからないし、また意志の相互交換も成り立たない。まあ要するに、君の声は私には届かないし」

「なにを言ってるのかわかんねえよ。イカレ野郎か?」

男は、知らない顔をしていた。年のころは三十代後半といったところで、白衣を羽織っている。夜の砂漠をうろつくにしては妙に薄着だ

「さて、早速だが現状説明をさせてもらおう。とはいっても言うことはほとんど無い。このプログラム自体、ヤマサキ主任の嫌がらせのようなものだからな。私が言えたことではないが、あの人も全く、人が悪い」

「・・・」

その訳のわからない言葉に、少年はさらに視線を険しくした。一体なんの話なのか、心当たりが全く無い

「ふむ。訳がわからないといった顔をしているね? ああ先程言った通り、無論見えているわけじゃないが、間違っていたら申し訳ない」

涼しげに微笑む、その男

「君は、私の言葉に全く皆目、これっぽっちも一握りも心当たりが無いだろう。それもそのはずだ」

一息付くと、男は告げた

「君は今、我々に記憶の操作をされている」

「・・・・なに?」

「理屈は、ハッキリ言って私にもわからない。このナノマシンを設計、開発したのは先にも言ったヤマサキという人でね。全く、天才だよ彼は」

少年の拳銃を構える手が、震え始めていた。それに微かに戸惑った彼だが、男はそんな様子などまるで無視して、淡々と言葉を紡ぐ

「さて・・・そろそろ、思い出して来た頃じゃないかな?」

その言葉が、引き金だった

「っ!?」

少年の脳裏に、全く唐突に、前触れも無く。次から次へとあらゆる映像や音声が流れ込んで来たのだ

――― なっ!?

膨大な情報の波に直接さらされ、身を崩す。頭がガンガン痛む。巨大なキリを無理矢理頭に捻じ込まれているようなデタラメな痛みに、思わず声があがる

「―――あああ!!」

「まあ個人差があるため未だに記憶が戻っていない可能性もあるが・・・・そのときはわからないなりに私の話をこのまま聞いてくれ。記憶が戻りさえすれば、すぐに意味もわかると思うしな」

なのに、この目の前の男の声だけが、いやに鮮明に頭に放り込まれてくる

「これは、夢だよ。君の理想とする。理想だった、俗にいうならば『幸せだったあのとき』とでも言うような記憶だ」

まるで死刑宣告のように、言葉だけが夜の砂漠に響いた

「夢を見始めた当初は記憶が一時的にリセットされる。が、時期を見てこの私を使った伝言システムが立ち上がる。だが無論、それで夢から覚めることは無い。我々が君を必要とし、君を夢から呼び戻さない限り、この夢はどうしようも無く続く。永遠にな。君は自覚したまま、この天国のような地獄で過ごさなければならない」

だが、痛みの奔流は止まらない。堪えるために突き立てた指は、砂漠の砂に埋もれてしまう。その砂の感触は、とてもリアルだった

「ああ、中には何故そんなことをわざわざ告げるのかわからないと考える人間がいると思う。まあ正直に言えば、嫌がらせ、らしい。私は無為な行為だと思うが、一応上司の命令であるから、逆らうわけにはいかない」

「テ・・・・メエ・・・・」

「おっと、愚痴っぽくなってしまったな。まあ説明はこんなモノで良いだろう。最後に付け加えるならば、これはあくまで夢で、見ているのは君達だ。故にある程度の融通は利く。同じ内容の夢に飽きたのなら、意志の強さにもよるが、多少の脚色は可能だろうな。まあ、暇つぶしの材料として頭の片隅にでもいれておいてくれ。それでわ諸君」

激痛を堪え倒れ伏す少年の前で、男は白衣を揺らめかせ、皮肉気に告げた

「よい夢を」

そしてその男の姿が消えると同時に、少年の脳みそをかき回していた痛みが、嘘のように消えた

「・・・・」

だが少年は、動かない。もはや体を拘束するような激痛は消えたのに、ただ倒れ伏したまま、動かない

「ハハ・・・・」

そして、その口から漏れたのは

「ハハ・・・・ハハハハ!」

哄笑だった。それは一体誰に向けられたものなのか、少年にすらわからない

「ハハハハハハ!!」

笑いながら、ゆっくりと身を起こす。そしてそのまま、亡霊のようにフラリと体を向けると、部屋の中へと引き返す

扉を開けた瞬間、どこか遠く聞こえてきた笑い声や喧騒が、大音量で耳に飛び込んできた

「おーおーどこ行ってたんだよボーイ? ボスが大変だぞ」

「じゃかましいわあ! 俺の酒が飲めねえのかあ!?」

「オ、親分が大変だ! ナオヤさーん!」

「む、今助ける」

「ああナオヤてめえやんのかコラ! おっしゃあ受けて立ってやる!」

「ギャアアアア親分ガトリングはやめて!」

「よし、ならばこちらはグレネードだ」

「もっとダメー! ナオヤさんも酔ってるよ誰か止めギャアアアア!」

「ああ! サカキが吹っ飛んだ!」

「人間ってあんなに飛ぶのな!?」

それは、ひどく懐かしい響き。思い出のままの、それ。聞こえてくる声も、目の前で騒ぎ立てる馬鹿達も、皆、皆生きている

だが、あの男の存在が、その全てに歯止めを掛ける。あれはおそらく、火星の後継者の人体実験に使われていた人間に対してのメッセージ。おそらくそれが、自分にも使われたのだろう

きっと彼らは、あの言葉を聞いても尚、目の前の現実を拒絶出来なかったのだろう。その気持ちは、とても良くわかった

なにもかもが、昔のままだ。自分が一番幸せだったときの記憶。ましてや圧倒的な現実感を伴うこの光景を拒絶することは、出来ないだろう。目覚めても過酷な現実が続いていくだけとなれば、尚更だ

そしてそれは、自分も同じ

このまま自分が望めば、おそらくあの男の映像が言った通り、永遠にここに留まれる

この、自分がもっとも幸せだと感じた場所で

自分に優しい世界で、安らぐ場所で、痛みもなにもなく、ただ楽しく、過ごしていける

それは、なんて―――



反吐が出るほど、くだらないことだろう



そう考え、少年は―――

シラキは、笑った

懐に手を伸ばす。取り出したのは、大口径の拳銃。先程まで懐にはそんなものなど無かったし、子供の体で撃つには余りにも巨大な拳銃だった。だがそれを

シラキはなんの躊躇も無く、無表情に発砲した

「・・・・・あ?」

喧騒が、一瞬にして静まり返った。皆が呆然としてシラキを見つめ、そしてその視線がゆっくりと移動する

胸に風穴を開けた。自分達のリーダー。ボスへ

「な・・・に?」

なにが起こったのかわからないまま、微かに残った意識でそれだけ呟くと、大柄な男はそのまま床へと前のめりに倒れこんだ

「シラキ・・・なんてことを」

声を掛けられ、視線を辿る。その先には、うろたえきった表情でただ立ち尽くすだけの巨躯、ナオヤがいた

それを見て、シラキは笑う。やっぱりこいつらは偽者なんだなと、そう思いながら

本物のナオヤなら、こんなマヌケなことはしない。一瞬で自分の背後に回りこみ、問答無用で理由も聞かず、自分の両腕をへし折っていただろう

視線を回し、大勢の男達の中にいる一人を見つける。金髪の青年。彼もまた、他の人間達と同じように、ただ呆然と自分と硝煙を上げる拳銃を見つめている

「ワハハハ」

間の抜けた、わざとらしい笑い声を上げながら、シラキはいつの間にかもう片方の手に出現していた拳銃も同時に構える

二丁拳銃。現実の自分なら間違っても出来る芸当ではないが、ここは自分の夢の中だ。多少の融通は利くだろう。現に拳銃もこうして現れた

そして同時に発射された二発の弾丸は、寸分違わずジャックとナオヤの顔面を吹き飛ばした

血と脳漿が飛び散る。とても夢とは思えない。だがこれは夢だ。過去ですらない

「くだらねえ」

転がる二人の死体を見届けて、シラキは顔面を押さえて小さく笑う。やっぱり偽者だ。出来の悪い、屑人形だ。弱過ぎる

本物のあの二人は、こんなに弱くは無かった

『自分に名前をくれたあの二人』は、こんなものじゃなかった

「な、なんてことしやがる!」

そんなことを思い出していると、横から声が掛けられた。見ると、部屋にいた大の男達が全員、脅えきった顔で自分のことを見つめている。部屋を出れば良いだろうに、そんなことにも頭が回らないのか、それとも、自分の願いとやらが反映されているのか

そう考え、またシラキは思う。本当にここは、自分に都合の良い世界らしい

本物の彼らは皆、あのとき、木星トカゲが攻め込んで来た最後の戦いのとき、最後の一人になるまで絶望を飲み込み、戦い続けて死んだというのに

「お、お前! ボスやナオヤさん達に世話になった恩を忘れたのかよ! こ、こんな―――」

「―――うるせえ」

言葉を途中で強引に遮り、シラキが顔を向ける

シラキにとって、現実はどこまで行っても現実だった。例えどんなに常識外で不可解で理不尽なことが起こっても、現実ならばしょうがない、そう思っていた

だから知らないままなら、おそらくシラキは永劫ここで生き続けただろう。その程度には気に入っていた。だが、それが夢だと、あの白衣の男と自分の記憶が証明した

その瞬間シラキにとってこの夢は、気に入っていた、好きだったといっても問題無かったこの世界は、一瞬で塵に変わった

変わって、しまった

男達に向けられたシラキの顔には、なんの感情も無い。思い出とはいえかつての恩人を殺したことに対する罪悪感も、怒りも、なにも無い

ただ凍るような酷く冷たい視線で男を睨み付けると、無造作に拳銃を向けた

「夢が、喚くな」



部屋の中にいた十数人を全滅するのに、一分と掛からなかった

血塗れの部屋の中央で立ち尽くし、シラキは顔を俯けている。その全身は返り血でまみれ、周囲には先程まで仲間であったはずの死体が、散乱した椅子や棚や、落ちて割れた酒瓶の海の中に沈んでいる

「・・・戻んねえな」

そんなものなど目にも入っていないように、シラキは憎々しげに吐き捨てる。シラキにとって、過去は過去だ。ましてや姿形が似ているだけの虚像を踏み抜くのに、なんの後悔も躊躇も無い

血と鉄の臭いが充満する部屋の中で、思案にくれる

あの幻のような男が言っていた言葉が本当ならば、自分は誰かが任意にこちらの目を覚まさせない限り、夢から抜け出すことは出来ないらしい

だが、シラキはそんな言葉など信じていなかった。これは自分の夢だ。他人にどうこうされるままというのは、気に食わない

試しにここにいる夢を全部壊してみたが、それでもなんの変化の兆候すら見られない

だがそこで、ふとある考えがシラキの頭を過ぎった

「ああ・・・そういや、まだ殺してない奴がいたな」

独り言のように呟くと、拳銃を持ち上げる

これから行う行為に微塵の躊躇も感じさせない澱みない動作で拳銃を構えると、シラキは狂気の塊のような笑みで、薄く笑った

そして

自らのコメカミに突きつけた拳銃の引き金を、なんのためらいもなく引いた







目の前に広がった、蒼い光。それに一瞬目をしかめたルリだったが、決してその目を逸らせはしなかった

元々、それほど強い光ではない。我慢すれば耐えられる。それになにより、こんな至近距離で向き合っているこの男を相手に視界を逸らすほど、ルリはマヌケではない

銃声が、廊下を満たす。ルリの命令に一瞬送れて反応した迎撃システムが、今更のように弾丸が発射したのだ

マシンガンの耳に響く銃声と、通路が抉られる耳障りな音。それに僅かに顔をしかめながら、ルリの脳裏に、再びウジウジとした感情が沸き上がってきていた

今自分は、一人の人間の命を奪った。その事実に対する、僅かな罪悪感が

自嘲する価値すらないような、矮小な感傷である。自分はすでに四年前のトカゲ戦争のときや、火星の後継者のときに、一人どころか何百人、ひょっとしたら万に届くかもしれないほどの人間を殺している

オマケに今殺した男は、自分にとって仇といっても過言ではないような存在だ。彼らのやってきたことを考えたら、自分が罪悪感など感じる必要なんて欠片も無い

そう幾ら頭で命令しても、ルリの胸にどうしようもないムカつきが渦巻いて降り募って行く

ナデシコに乗っていたときは、こんな感情など欠片も抱かなかった。戦争だったし、命令だったから。なにより、殺さなければ殺されていた。だからそこには、同情もなにもなかった

では今殺した男は、どうだったのだろうか。明らかに、そのどれにもあてはまらない

彼に、殺意は無かった。それは明確だった。もし殺すつもりなら、わざわざ自分に姿を見せる必要が無い

戦争でも、命令でも、無かった。ルリは生まれて初めて、自分の意志で人を殺した

それを自覚し、ルリの胸にどうしようもない罪悪感が募る。あの男は、殺されて当然だったのに、そして自分には、その理由もあったのに

なのに何故、こんなに気持ちが悪いのだろう

軽い混乱状態にあるルリは、だからこそ、見逃してしまった。平時の彼女ならば、おそらく一瞬で察知し、そして追撃を行うことすら可能だったろう

だが、今のルリの精神状態は、異常だった。アキトと自分との間で揺れ、そしてそこでさらに人を、生まれて初めて、直接殺した

だからこそ、出来た隙

そしてそれを見逃すほど、ヤマサキヨシオという人間は、善人でも真っ直ぐでもなかった

気付いたときには、ルリの視界一杯に、黄色いなにかが広がっていた

「え・・・」

言葉を作る暇さえなく、ルリは生まれて初めて感じるほどの衝撃を腹から突き上げられ、悲鳴すら漏らせずに通路を吹っ飛んだ

「ガッ!」

年齢と照らし合わせても小柄なルリの体が、床へと叩きつけられる。肺から空気が残らず漏れ、呼吸が停止する

受け身もなにも取れず、ただ喘いだ。息が出来ない

だが、これが攻撃だとなけなしの判断力で悟ると、震える両手を使って身を起こそうとする

しかしそれより早く

「動揺したねえ。まあ分かるよ。その気持ちは」

倒れ伏した自分の体。それを覆うような影が、視界を遮った

通路に取り付けられた照明からの光でその黄色の装甲が浮き上がり、軽い排気音と共に、複眼の赤いアイカメラがルリを覗き込んで来る

それを見つめるルリの目が、見開かれた

「対人・・・・バッタ?」

吹き飛ばされた衝撃で口内のどこかを切ったのだろう。唇の端から血を流しながら、まだ満足に呼吸出来ない肺を振り絞り、ルリが呆然と呟く

「・・・・どこ、から?」

「いやいや、やはりどれだけ能力を付加しても、精神面はどうしようもないか。まあそうだよね」

ルリの呟きに答える気など微塵も無いというように、ヤマサキはバッタに押さえつけられたルリの顔を笑いながら覗き込む

「どれだけ取り繕っても、どれだけ立派に見えても、君はまだ16歳の女の子だ」

「・・・・」

だがそのルリの表情は、相変わらずの無表情

「・・・・?」

そこに僅かな違和感を感じて、ヤマサキはルリから視線を外して、周囲を警戒する。だが当然、そこにはなにも無い。では先程の違和感はなんなのだろうと思うヤマサキの耳に

甲高い鉄の音と、そのすぐ傍を対人バッタが千切れるような速度で吹き飛んでいく音が飛び込んできた

「っ!?」

余りに予想外の事態に、ヤマサキは咄嗟の判断でルリから距離を取った。それと同時に周囲にチューリップクリスタルをばら撒く

バッタのストックは、まだまだある。先程は余裕を見せて一体しか出していなかったが、今度は五体だ。どんなマジックを使ってバッタを吹き飛ばしたのかは知らないが、さすがに五体もあれば十分だろう

そう考え、ヤマサキは右手のIFSにボソンジャンプのイメージを送ろうとして

ばら撒かれたチューリップクリスタルは、突如として飛来した無数の弾丸によって全て空中で破壊された

「な・・・・に?」

思わず呆然と呟く視線の先、ルリが佇んでいる。だが先程までは無かったはずのモノまで、その光景の中にはあった

ルリの右手側に、巨大な円柱のような鉄の柱が貫き通っていた。おそらくあれでバッタを吹き飛ばしたのだろう。そして、先程の銃撃は

その鉄柱に右手を触れさせるルリの顔面に、無数の光のラインが走っていることから、容易に想像が付いた

視線を動かす。ルリの真上にあたる天井から吐き出されたような機関銃達が、全て自分に銃口を向けている

「・・・確かに私は、まだ16歳の子供です」

それを見て思わず動きを止めるヤマサキに、ルリは淡々と告げる

「でも・・・ただの16歳でも無いと、自分では思っています」

言葉と同時に、ルリが左手を振りかぶる。それと同時に侵入者迎撃用の、ヤマサキとはまた違う種類の対人バッタが、ルリの背後に姿を現す

その数は五。おまけに天井からは、ヤマサキがCCをばら撒くのを待ち構えているように、無数の銃口が向いている

――― さて、どうしたものかな

明らかに絶体絶命の状況。逃げようにも戦おうにも、共に手段が無い

ばら撒かなくても、CCからバッタは呼び出せる。だが不意をついた先程とは違い、今度は自分が少しでもそういう素振りを見せれば即座にルリは銃口とバッタを差し向けてくるだろう。間に合わないのは明白だった

しかしこのままでは、どの道埒があかない。今の状況は膠着状態などではなく、ただ単にルリにとって他愛の無い程優勢な状況であるだけなのだ

だが、そこで

ヤマサキにとって、僥倖とも呼べる現象が巻き起こった

ルリとヤマサキの丁度中間ほどの位置、バッタが五体控えているその横の壁が、不意に巨大な爆煙と轟音によって、吹き飛んだのだ

「!?」

思わず固まる二人。ルリもヤマサキも爆発の影響を避けるため、咄嗟に背後に飛んだ

吹き飛んだ壁と、そして衝撃に、さすがのバッタも悲鳴を上げて弾け飛ぶ。それでも半壊程度で済んだバッタも二体程いたが、それも吹き飛んだ壁の穴から飛び出してきた手榴弾によってトドメを刺され、絶命した

熱風が辺りを包む。顔を庇うように手をかざす二人の間に、それは現れた

ユラリと、まるで亡霊か死神のように見えるほど、その姿には生気が無い。滲んだ殺意や殺気が、周囲の空間まで滲ませているような、そんな有り得ない錯覚を伴って

シラキは、姿を現した

ルリの背筋を、寒気が舐め上げる。彼はただ、立ち尽くしているだけなのに

俯けた顔からは、表情は見えない。足元に転がっていた、余りの熱量で紅く歪んだバッタの残骸を力任せに何度も何度も踏み砕きながら、シラキは顔も上げずに、ポツリと呟いた

「・・・なんだ、オメエらか」

まるで期待外れとでも言いたげなその言葉には、どうしようも無いほどの怒りと殺意が充満していた

「まあ、良いか」

未だ爆発音の残響が残る通路。その中で、シラキは右手に拳銃を、左手に手榴弾を握った姿のまま、顔を上げる

だがその目は、どちらも見ていない

それを見て、ヤマサキは先程の僥倖という感想を即座に取り消した

今のシラキに、敵も味方も無い。それが空気を伝わって、これでもかとヤマサキとルリへと殺気を運んできている

――― 敵が増えたっていうより、どでかい爆弾が乱入してきた感じだねえ

内心の冷や汗を隠しながら、ヤマサキは現状をそう認識した

「確か、オメエら二人共俺の敵だったよなあ。糞科学者は最初っから敵だし、銀髪娘もあの偽者野郎と一緒に行動してるんだから、敵だよなあ・・・」

それは、会話ではなかった。ただ自分に言い聞かせるように呟いているだけの、確認のような言葉

シラキが、両手を微かに上げる

「俺は今、最っ高に機嫌がわりいんだ・・・・オメエらが敵で、折れるつもりが無いんなら、めんどくせえ、まとめて掛かって来い」

壊れた笑みを、ただ自分の正面の壁に向けて、シラキは告げた

「二人まとめて、殺してやるよ」








あとがき





しゅ、主人公じゃねえ・・・



というわけで、第九話でした

以前から結構聞かれていましたシラキの過去ですが、今回でついでだぜとやってしまいました。まあこれで全部ではありませんが、大体の概要は書けたと思います

さて、バーサク状態というよりも、単純に不機嫌の極みになってるシラキ君ですが、まあ実力が伴ってないので大した脅威にはならないでしょう。身も蓋もありませんが

ラストまで後三、四話と言ったところでしょうか? まあ予定は未定なのですが・・・



さてさて、次回予告です





次回予告



機動戦艦ナデシコ 『Imperfect Copy』



捩れた殺意



「しまっ―――」

「こいつは、俺の獲物だ」



戻った記憶



「思い・・・出した」

「ロウ?」



終わる、思い出



「アキト・・・・アキトが!」

「もう・・・付き合っちゃくれねえんだな」

「――――」





第十話

『記憶、来訪』







それでは次回で









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