第八話







誰かと仲良くなることほど、簡単なことは無い

誰かに心を開くほど、難しいことは無い



「シラキ!」

穏やかだった日々。少なくとも、そう感じられるような日々の中、それは不意に訪れた

仮眠室で睡眠を取っていたシラキの耳に、自分の名を呼ぶ甲高い声が飛び込んで来る

「・・・んあ?」

浅い眠りから覚め、目を擦る。寝惚け眼で声と共に開け放たれた入り口を見つめると、そこにはラピスが立っていた

いつもの無愛想な態度などかなぐり捨てたようにその息は荒く、髪はほつれ、乱れていた

「っ」

その態度だけでなにが起こったのかなど、シラキには一発でわかった。元よりラピスがこれほどまでに平常心を失うような事態など、数えるほどしかない

「テンカワ!」

廊下を駆け、怒声と共に病室の扉を開ける

そこには

「あっシラキ先生! この人が突然・・・!」

ラピスが呼んだのだろう。看護士が三人掛かりでベッドの上で暴れる人間を取り押さえようとする光景が見えた

そして、シラキの気配を察したのか、それともただの偶然か、その取り押さえられている人間が

「――――ッ!」

声にならない、咆哮を上げた

「・・・・行かないと」

背後からの声に、シラキが振り返る。ようやく追いついたラピスが息を切らしながら、アキトをただ見つめていた。その瞳は涙で濡れかけ、唇は震えている

「―――! ――――っ!!」

「アイツらが・・・また、現れた・・・今度こそ」

五感など、もはやほとんど機能していないはずである。首を動かすことすら、困難なはずである

だがそのアキトは今、大の大人三人掛かりで、ようやく押さえつけられるような怪力を発揮していた

信じられない、事態だった。そしてそれは同時に

「――――ッ!!」

「・・・助け・・・無いと・・・」

「落ち着け」

看護士達を掻き分け、シラキがアキトの両頬をガッチリと掴んだ

だがそれでも、シラキの顔を見ても、アキトの抵抗も激昂も止まらない。それはもはや病人のささやかな抵抗などと言えるような生易しいものではない。野生のトラが鎖を引き千切ろうとするような荒々しさと獰猛さだった

指向性の全く無い挙動。ただ力だけが込められたその暴れる両腕が、シラキの首を捉えた

「――――ッ」

「俺を・・・出せ」

音も無く開くアギト。声も出ない喉。まるでそれら全てを叩きつけるような目で、アキトはシラキを睨み付ける

その後ろ、ラピスが額に片手を当てながら代弁する。その顔はすでに蒼白で、脂汗が無数に浮かんでいる

アキトの漲るような感情の津波が、ラピスへと直接流れ込んでいるのだ。常人ならとうに失神していてもおかしくない。ラピスが耐えられているのは、単純に慣れと思いの強さ故にだった

「―――!」

「た・・・・助け・・・るん、だ」

ついに耐え切れなくなったラピスが、膝を付いた。アキトとシラキの様子を恐々と眺めていた看護士達がそれに気付いて慌てて駆け寄る

「――――!!」

「お・・・・れが・・・」

看護士に肩を支えられるラピスが、もはやうわ言のように呟く。もはや両の瞼は完全に閉じられ、尋常ではない量の汗が服と肌を張り付かせていた

「―――ッ!!」

「こ・・・・ん」

そこで唐突に、アキトの咆哮が止んだ

驚き視線を向ける看護士達の先、アキトの両手が喉へと掛けられた体勢のまま、シラキが拳銃を取り出していたのだ

それもアキトの開ききった口の中に、なんの容赦も無く突っ込んでいた

「落ちつけってんだろ。このボケナスが」

冷えた病室の中、シラキの冷め切った声だけが響く。さすがのアキトも呆気に取られているらしく、先程までの嵐のような挙動をピタリと止めていた

「全く、なにをいきなりこんなアホみたいに暴れんだよ・・・・ん?」

アキトを見下ろす形になったシラキが、それを見つけた

ベッドの横、先程までの騒動で吹き飛んだのだろう。病室の床に、ポツリと新聞が落ちている

そして、丁度上向きになったその新聞の見出しが、シラキを無機質な視線で見上げていた

『クーデターいよいよ本格化。南雲と名乗るリーダーの目的は?』

『クリムゾン本社に対し強制捜査の可能性。クーデター支援の噂は真実だったのか?』

その見出しには、呆れるほど分かり易いような言葉や単語の羅列が、読者の目を引くために踊っていた

溜息をつくと、なるほどなと小さく呟く

「で、さっきの俺を出せ、か。このアホが」

拳銃を口に突っ込まれても、アキトの目は危うげな輝きを失っていなかった。暴れることだけはやめたが、その瞳は相変わらずの狂人のそれだ

だがそんなことなど、シラキにはどうでも良い。心底、どうでも良い

「なにが出来るってんだ? あ? 今のオメエの身体じゃロボットに乗るどころか歩くことすら出来ませんが?」

呆れたような溜息

「――――」

「関係・・・・無い」

銃を突き込まれたアキトの口が僅かに動くと、ラピスが看護士達に支えられたまま代わりにシラキに答えた

アキトが幾分か平静を取り戻したのだろう。先程大量に掻いていた汗が、見る限り大分引いている

「―――」

「・・・・ここから出せ。助けるんだ」

アキトの目が、シラキをひたすらに真っ直ぐに射抜く。まるでそれしか知らないような、ただ前に進むことしか出来ないような、そんな男の目が

「・・・・はあ」

その視線を受けたシラキが、再び溜息を付く。もはや呆れを通り越して諦めすら沸いてくる

だが

「寝ろ」

言葉が終わるよりも早く、シラキの空いた左手が、アキトの顎を見事に捕らえた

感覚が薄れてきているとはいえ、脳を直接揺さぶられてはさすがに無視は出来ない。突然のシラキの奇行に呆気に取られる面々の前で、アキトは結局なにが起こったのかもわからないまま、気を失った

呆然とする一同を置き去りにして、シラキはよっこらしょとアキトの口から拳銃を引き抜いた。唾液がついた銃身を嫌そうに見つめる

「鎮静剤用意しといてくれ。それと、今度からはコイツに見せる新聞その他の類は先に俺にチェックさせろ」

気だるげにそう指示を飛ばしながら、シラキは病室の扉へと向かう

「は、はい・・・」

やっとのことで搾り出された返事に手を振ると、病室を後にする

「そんじゃあ、頼むわ」





炎のような復讐を燃やす人間は、どれだけ幸せだろう

例えどれだけ激しく感情を燃やしても、それはいずれ朽ちるから

いずれ、終わるから

でも

復讐という『モノ』を背負ってしまった人間は、一体、どうしたら良いのだろう










機動戦艦ナデシコ

 Imperfect Copy 』






『 悪夢、来訪 』

 

 







夢を見ていた

記憶を遡る。昔の夢

ここはどこ、鉄の箱。私は誰。僕は誰。俺は誰

わからない、なにもわからない

淡い緑の色に満たされた世界。気泡が視界の下から上に、ボコボコと浮かんでは消えていく

その向こう、なにかが見える。緑色ばかりの世界で、それだけがクッキリと世界から浮かび上がっているような、黒い、人間

――― 貴方は誰?

声は出ず、ただ思考だけが飛ぶ

「君達を見つけ出せたのは、きっと俺にとって、幸せなんだろうね」

――― 貴方は誰?

答えは無い。ただ独白のように、目の前の黒は呟く

「多分、もう会いに来れない。俺は・・・・行かないと、いけないから」

視界の向こう、それは見える。黒の、さらに向こう

緑色の液体が満ちた、円柱形の透明なカプセル。それに浮かぶ、一人の青年

あれは一体、誰だろう







「・・・・あー息苦しかった」

通信を閉じたシャトル。その中で被っていた覆面を放り捨てながら、シラキはうんざりしたように呟いた

「幾ら変装のためだからってねえ。もう少しまともな仮装は無かったのかい? っていうか声紋とられたらお終いだけどね」

その呟きに、副機長席に座っているヤマサキが答える。呑気にそう言いながらも、右手に握られた銃は、ピタリとその横に座る機長へと合わせられている

「通信に変声機当ててたから、声は取られてねえだろ。まあなんにしてもこんなアホらしいことで軍に目えつけられるなんざ俺はゴメンだしな」

「ア、アンタら、一体なんなんだよ。なにがしたいんだよ」

先程の通信を聞いていた機長が、震えながら声を絞り出す。それはなにもヤマサキやシラキに対する恐怖感からだけではない

「んー? まあ気にすんな。別に命とるつもりなんざ欠片もねえよ。とりあえずコトシロに付けて俺達を降ろしてくれりゃそれで良い」

「この状況でそういうこと言うか!?」

叫ぶ機長。だがそれも無理は無かった。なぜなら彼らの突き進むシャトルの横には無数の連合宇宙軍や統合軍の戦艦。後ろには閉ざされたチューリップ

そして前には

「おやおや。大量だねえどうも」

コトシロから自衛のために排出された、数え切れないほどのバッタ達の群が広がっていたからだ

「無理だって! 絶対無理! 引き返さなきゃ死ぬ!」

「まあまあ落ち着いて」

能天気に笑うヤマサキ。まるでこんな状況など、昼下がりに座敷で茶を啜るようなものだとでも言いたそうである

鼻歌混じりに、接近してくるバッタ達の数をウインドウで表示する。空中に浮き出た、結果を示すそれは優に百を超える数字を示していた

「んー。許容範囲内だね・・・・シラキ君?」

「わかってんよ」

面倒そうに呟くシラキに、ヤマサキはニヤニヤと笑いかける

その笑みを心底嫌そうに眺めると、踵を返した

「行って来る」

「信じてるよー?」

「うわー超やる気出ねー」





「み、民間シャトル尚もコトシロへ接近! このままだと後五分でバッタ群と接触します!」

オペレーターの報告を聞き、フクベはふむと息を付いた

「ど、どうするんすかフクさん! このままだと見殺しっすよ!?」

「とはいってものお・・・」

慌てふためく副司令に急かされても、フクベはのんびりとした態度を崩さなかった

その態度には多少なりとも裏打ちがある

まずフクベは、先程の通信相手がシラキであることを見抜いていた

その隣にいた共犯者らしき人間の正体まではわからないが、取り合えず『あいう』などと描かれた覆面を被っていた人間は、シラキだ。これは間違い無い

変声機とふざけた覆面で誤魔化していたが、この状況でここまでアホな行動をしてまでテンカワアキトに突っ込んでいく人間は、おそらく彼しかいまい

テンカワアキトと、シラキの関係。それはフクベ個人も正確には知らない。老獪な老人ならではの独自の地獄耳で、噂を聞きかじった程度だ

だが、シラキが来た以上、そしてそのシラキが突入していった以上、おそらくあのバッタの群を凌ぐ手段をもっているのだろう。無いならば、とうの昔に引き返して自首でもしている

自分の命のためなら、プライドも糞も無い人間である。そんな男が引き返さず尚も進路を変えないのなら、なにかやるはずだ

「なんにしても、今は動くことは出来まい。」

「でもこのままじゃ」

「まあ見とれ。多分、ただではやられんはずじゃ」

「でも!」

フクベがそう告げ、しかし副司令がさらに食い下がろうとした瞬間

「っ!? 司令、反応です! シャトルの艦首に熱源反応、これは・・・」

オペレーターの、自分の言葉すら信じられないというような声

「人間です!」





「うひゃー。宇宙こえー」

どこまでも真っ黒な真空が、広がっていた。気を抜けば足場もなにもかも曖昧になりそうな、そんな吸い込まれるような闇

緊急脱出用のハッチから、シラキは外へと顔を出す。その身はすでにゴテゴテの宇宙服に包まれ、ヘルメット越しにほとんど目の前まで迫ったバッタの群れが目視すら出来る

足裏の磁気を反応させ、シャトルの天井部分に足を固定。さらに取り出した鉄柱を両腕の肘に装着、それを同じくシャトルの天井部分に固着させる

「オーケー準備完了。おい糞科学者」

『なんだい糞医者』

「とぼけてんなよ。さっさと武器転送しやがれ」

『はーいはい』

言葉と共に、シラキが宇宙服に無数にあるポケットから、なにかを取り出す

それは、青い宝石。ボソンジャンプの引き金になる。現代の魔法の鍵

チューリップクリスタル

シャトルの操縦室、そこでヤマサキが目を閉じた。同時に、彼の顔や身体を、服越しに無数の光のラインが走るのが見える

右手が輝く、未だヤマサキしか持ち得ない。IFSの紋様が

ついこの間の戦闘で、ヤマサキが見せたボソンジャンプ

シラキが立てた作戦は、それだった。あのとき、車は無いのかと聞いたとき、ヤマサキは言った。バッタと『銃火器』しか、用意していないと

光が、シャトルを包む

「あー」

そして光が晴れた後には、相変わらずやる気の無い顔のままのシラキ。その両手にガトリングが、そして足元には、無数の投擲機がその姿を現していた

「わーはははー」

生気もやる気も無い掛け声と共に、シラキの足元にある投擲機から無数の手榴弾が発射されていく

宇宙での戦闘は、恐ろしいほどの高速で行われる。訓練を重ねた軍人ならともかく、並の人間の射撃能力では狙いをつけた相手に掠らせることも出来ないだろう

ましてやシラキは、宇宙での戦闘経験など当然欠片も無い。撃ってきた弾の数だけはそれなりの自信があったが、それもあくまで人間相手。しかも地上での話だ

だからシラキの取った戦法は、極めて単純明快だった

『バッタ群接近。来るよー』

通信の声を聞くと、足元の投擲機の内の幾つかを足で踏み抜く

マシンガンその他の銃を撃つために肘を固定しているので、投擲機の類を起動させるのは足頼みとなる

肉眼ですら、もはやハッキリと認識出来る。相対速度のためにシラキの眠そうな目にはほとんど残像しか映らないような速度で、バッタ達が迫る。心の中でカウントダウン

黄色い装甲を輝かせながら、バッタの群れは速度を落とさない。シラキは宇宙での距離感はほとんどわからないが、これだけ近くに感じるということはひょっとして百メートルを切っているかもしれない

そんなありえないことを考えながら、シラキは投擲機のスイッチに掛かっている足に僅かに力を込める

真空のため音は聞こえない。ただ僅かな振動だけを残して、宇宙用に開発された投擲機は、搭載された手榴弾を凄まじい速度で前方へと全力射出

射出された手榴弾に反応したバッタ達も、背部の装甲を開くのが僅かに見えた

「無反動ロケットランチャー」

『あいあーい』

それを視認したシラキが、懐から再びCCを取り出しながら声を飛ばす。ガトリングはさっさと手放して落とす。強力磁気を纏わせたベルトがシャトルの天井と反応し張り付く。だがそれを見もせずに、シラキは手を伸ばす。するとまるで合わせたかのように、その手の中に要求したロケットランチャーが収まる

その一連の動作に、ニヤリとシラキは笑う。目で見ていない限り、ここまで正確なボソンジャンプは出来ない。どうやら宇宙服に取り付けている小型カメラは正常に機能しているらしい

シラキはそんなことを考えた丁度その瞬間、爆発の軽い光が視界を横切った。目を上げると、先程投擲した手榴弾がバッタの間近で爆発している。自動的に熱源との距離を設定する投擲機の方も、調子は良いらしい

その爆発の煽りを受けたのか、バッタの群が僅かに挙動を揺らす。だが、予備動作は止まらない。ようやく開ききった装甲から解き放たれたミサイル達は、獲物を追い求める猛獣のようにシラキの佇むシャトルへと近づいてくる

心の中で震えながら、シラキは取り出したばかりのロケットランチャーを発射する

両者共音速を超えている。宇宙では音など聞こえないが、通った後に吹き荒れる爆風とその衝撃波に、シラキの胸が躍り始める

シャトルが軌道を急補正して、迂回するような経路でコトシロまでのルートを確保しようとする。肉眼で遥か向こう、小指の先程度の大きさのコトシロが見える

それを確認して、シラキは目をむける。その先には先程のミサイルを発射したバッタ達がいる

が、その様子がおかしい。挙動や発砲するマシンガンはデタラメな方向を向き、中には仲間同士で衝突しているものまでいた

原因は、先程シラキが放り投げた手榴弾。チャフだ

電子の吹雪にさらされた無人制御のバッタ達は、慌てふためく昆虫のように無制御無秩序な動きを見せる

回復するまで十分は掛かるだろう。そう考え、シラキは目線を前方に直した

それより早く、マシンガンの雨が来る

動けないシラキの代わりに、シャトルが機長の悲鳴を上げながら再び方向転換。それによって掠めた射線はシラキのすぐ脇を通り過ぎた

「ハハ・・・ハハハ・・・」

弾丸が耳を掠める甲高い音。まるでそれが幻想のように蘇ってくる。昔の記憶

――― やべえ・・・

追撃が来る。バッタ達はその機動性をいかし、シャトルの前後左右を完全に包囲。だが今度は、シラキの番だ

「糞科学者!」

『オッケー』

光が迸る。無人機械の大群がその背に備えられたミサイルを解き放つ一瞬前に、もはや行動は起こっていた

顕現したのは、人間一人分もの大きさにも達するような、トランクケースのようにも見える鉄の箱だった。それがシラキの手元ではなく、シャトルを守るように、包むように、前後左右あらゆる角度に現れた

数は、数え切れない。だがパッと見で、その数がバッタ達の数すら凌駕していることは、一目瞭然だった。そして、それが開く。中から覗くのは、ラベルの無い缶詰のような、同じく鉄製の円柱だった

縦に五列。横に四列。巨大な円柱は、全てバッタ達を向いている

「・・・・散れ」

口元をゆがめたシラキが、手元にある起爆スイッチを押した

直後、全てのトランクに埋め込まれている全ての鉄柱が、爆発した

吹き飛び、飛び散るのはベアリング弾。無数の鉄弾が津波のように真空の地獄を這い回り、バッタ達へと襲い掛かった

しかしそのベアリング弾を、バッタ達のフィールドは一つ残らず弾き飛ばした。黄色い装甲に掠ることすら出来ず、軌道を逸らされた鉄の粒は宇宙のどこかへ消えていく

だが、傷はつかなくとも、視界は一瞬だけ奪えた。さらにバッタ達は、芋を洗うような大混雑を見せるほど密集している。弾き飛ばしたベアリング弾の内、そのまま宇宙に消えたものは一握りにも満たない

大半は、そのさらに後方にいる別のバッタに直撃する。そしてまた弾かれ、さらにその周囲にいるバッタに衝突する

キリが無い連鎖反応。視界の中を縦横無尽に飛び回る弾丸に、バッタ達が一瞬その人工知能を混乱させる

そしてその一瞬こそ、シラキとヤマサキの狙いだった

僅かだけ動きを止めたバッタ達。その上を、シャトルが一機飛び越していく

流れ弾が二、三発掠めるが、シャトルはそんなものなど物ともせずに突き進んだ

その後を追うため、慌てて急旋回するバッタ達。しかしその視界一杯に、またしてもなにかが飛び込んできた

チャフグレネード

破裂した銀箔の檻に、バッタ達は再び放り込まれた

――― やべえ・・・

まだ幼い頃、かつての衝撃で随分と記憶が薄れた日々を思い出す

砂漠でゲリラをやっていた、あの頃。物資の極端な不足に備えて常に残りの弾薬を気にして、サブマシンガンすら一発一発撃っていたあのとき

そのころと今は、悲しいほど決定的に違う

武器は枯れることを知らない湯水のように湧き上がり、弾薬は留まるところを知らない土砂降りのように降って来る

なにも気にせず、なにも考えず、ただ撃ちまくれる。憂いも考慮もなにもいらない。ただ地上で戦っていたときと少しばかり違う反動の中、ただただ戦える

混乱する無人兵器の群れ。どんどんと遠ざかるそれを見届け、シラキは再び目を前に移す

キリが無いほどの大群。先程やり過ごした数の倍はいそうなバッタの軍勢が、広がっていた

だがそれを見ても、シラキは笑みを崩さない。ユメとロウが見たなら脅えるような、ヒゲ爺が見たら呆れて溜息を零すような、そんな笑み。震えるような唇を真っ赤な三日月に歪めて

「すげえ楽しい」

呟いた







「前方接近中のシャトルにボース粒子の増大反応を確認しました」

コトシロ内部。観測結果を告げるルリの顔には、不可解な感情が浮かんでいる

それは、疑問だ。今接近中のシャトル、それに乗っていた『あいうえお団』などというふざけた名前を名乗った二人の男が、一体何者なのか

チューリップから現れたことから、彼らのどちらかがB級ジャンパーなのはわかる。そして、わざわざ民間のシャトルの機長を脅迫して操縦させているということは、軍などの関係者ではないだろう

さらにわからないことは、今、自分が口にした言葉だ

ボース粒子の増大反応

これが、ルリにはわからなかった。そもそもボソンジャンプとは、乱暴に言ってしまえば瞬間移動の技術だ。タイムラグ無しに月から火星、果ては木星への一瞬の移動を可能にする

つまりボース粒子の増大反応が検出されたということは、あのシャトルはどこか別の場所に移動しなければならない

だがそれは、不可能な話だ。生体ボソンジャンプが可能なのはA級ジャンパーだけ。だがそのA級ジャンパーは、すでにこの世に二人しか残されていない

イネスと、そして今、自分と行動を共にしているアキト

微かに三人目の女性の顔を思い出し、ルリは僅かに唇を噛んだ

首を振る

どちらにしろ、関係無いことだ。先程のボース粒子でシャトルが消えなかったということは、取り合えずあのシャトルにA級ジャンパーが乗っていると言うことは無い。ならば残るは中央突破のみだが、戦艦ならともかくたかだか一機の民間シャトルに、なにが出来るはずも無い

放ったバッタには、敵機の撃沈ではなく無力化を指示している。後は勝手に彼らが駆動部なり操縦室などを押さえ、どこか安全な場所に誘導してくれるだろう

そう結論付け、ルリは思考を現実に戻した。そして、そこでふと違和感を得る

「アキトさん?」

通信で映るアキトの顔。それを正視した瞬間、ルリの背筋をゾクリと恐怖が舐め上げた

『ルリちゃん。バッタを退かせて・・・』

ウインドウに映るアキト。その顔が、怒りと憎しみに歪んでいた

目は釣りあがり、歯を噛み締める耳障りな音が通信越しでも嫌というほど聞こえてくる

「・・・え?」

『わかる・・・声なんか変えても、あんなふざけた覆面なんて付けても、誤魔化せるもんじゃない』

直後、ユーチャリスの格納庫に鎮座していたブラックサレナを、青い光が包み始めた

「なにを」

『お前が・・・お前が一番憎かったんだ。殺してやる、殺してやる殺してやるぞ!!』

ルリの言葉など、もはや耳にも入っていなかった。アキトの黒い視線の先には、一機のシャトルしかない

『ヤマ・・・・サキイ!!』

次の瞬間、ユーチャリスの格納庫から転移したブラックサレナは、宇宙に踊り出ていた





「・・・・すごい」

その戦いぶりを見て、ハーリーは放心したように呟いた

目の前のウインドウに映るシャトルは、今も無数のバッタ達の群れを振り切りながらコトシロへと進んでいく

シャトルが突入を始めて十分弱。その間シャトルは、実は一機もバッタを落としていない

それは、当たり前のことだ。約四年近く前、蜥蜴戦争が開戦した第一次火星開戦。そのときまだ古代文明の遺産を手に持っていなかった地球側は、一方的な戦局を強いられた

当時主流だったレーザー兵器を始め、実弾その他諸々、全ての武器がこれといった効果を示さなかったのだ

唯一実弾のみが多少のダメージを与えられることが発覚したものの、それとて微々たるものだ。一発でどんな戦艦も沈めることが可能な敵の重力波兵器と比較すると、アリとゾウといっても過言ではない

ナデシコを始め、エステバリスといった現行兵器が出現した今でこそ、バッタなどの無人兵器などモノの数では無くなったが、それはあくまで軍の話

一般火器でバッタ達を落とすことなど、事実上不可能なのだ

そしてそれを、あのシャトルに乗っている人間は自覚している。火器をただの目晦ましと割り切り、なんの効果も期待してはいない。ただひたすら敵を混乱させ、僅かに開いた防衛網の穴を目ざとく見つけては突破していく

だがハーリーが感心しているのは、そんなことではない

そんな戦術は、すでに開戦直後に提案されているのだ。敵を倒すことは出来ずとも、混乱させることは出来る。と

ハーリーが驚いているのは、それを実行する肝力だ

理論上はそれほど難しいことではない。要は敵をビビらせるだけだ。だがいざそれを実行するのは、困難を極める

目の前に広がる無人兵器の群れ。それを前にして尚一歩も退かない度胸など、大半の人間が持ち合わせてはいない

目の前のシャトル。それが繰り出す攻撃自体は、誰でも出来る。道具さえ揃えばおそらく子供でも実行可能だろう

ハッキリ言ってしまえば、射撃能力など皆無でも出来るのだ。ただ向かってくる敵に向けて、持っている火器をばら撒けば良い

と、そのとき

「っ!?」

思考を中断する警告音が、ハーリーの耳に微かに届いた

「オモイカネ、どうしたの?」

慌てて問い掛けるハーリーに、オモイカネは一枚のウインドウを示した

それを見て、ハーリーは息を飲み込んだ

ボース粒子の増大反応。しかしこれは、あのシャトルからのものではない

これは

「サブロウタさん! リョーコさん!」

我を忘れて、格納庫のエステバリスの中で待機する二人に通信を繋げる

『どうした?』

酷く取り乱した様子のハーリーに、怪訝そうに尋ねてくるサブロウタ

ハーリーは、叫ぶように告げた

それは敵の到来を告げる叫びだったのか、それとも探し続けた人間を見つけたときの驚愕の叫びなのか

それはハーリーにすら、わからない

「ブラックサレナです!」





『ワーハハハー!!』

シラキは、絶好調だった。それは別に射撃能力が上がったとかそういうわけではなく、ただシラキの精神が、この上もなく調子に乗っているだけである

飛んでくるミサイルをグレネードで迎撃。伝わってきた衝撃波に身体を持っていかれそうになりながらも、さらに取り出したミサイルランチャーを哄笑と共にぶっ放す

それを無視して飛び込んでくるバッタの鼻先に、もはやお馴染みとなったチャフが炸裂した

『おらおらもっと来いやオラオラオラア!』

「・・・なあ」

「んー?」

もはや慣れてしまったのか、すっかり冷静さを取り戻した機長が機体を操作しながら呟く。戦闘が始まった直後はミサイルが飛んでくる度に泣き喚き、急制動を掛ける度に走馬灯のように幸せでしたな記憶が過ぎっていたが、その目は今はもう巻き込まれた悲惨さや先程までの恐怖を通り越して、一種悟りの境地のようであった

「あの兄ちゃん・・・頭大丈夫か?」

機長席に浮かぶウインドウ。そこに写されたシラキは実に楽しそうに、次から次へと取り出す武器を手当たり次第に乱射していた

その目はどんなに控えめに見ても、紛れも無く生粋の犯罪者の目だ

「いやー。大丈夫じゃないねえ」

呑気にそう呟くヤマサキは、最初から今までずっとこの調子である。不安や不満など欠片も無いような、仮面のような笑みを称えたまま

「ま、今のところ迎撃は順調だし、良いんじゃない? ところで、僕の渡した防壁の方はちゃんと動いてる?」

「ん、ああ・・・まあ、ちゃんと動いてるけど・・・これ、なんだ?」

機長とヤマサキの間、そこに置かれている巨大なドラム缶のような機械は、伸ばした配線をシャトルのあちこちに繋げていた。その稼動を示す緑色のランプが激しく点滅していることを確認して、機長は眉を潜める

「ああ、まあハッキング対策って奴。これだけ慌しく点滅してるってことは、向こうもそろそろこっちを無視出来なくなって来たってことかな」

もはや銃を向ける必要も無いと判断したのか、ヤマサキは拳銃をブラブラさせながらしゃがみ込み、忙しなく稼動するその機械を覗き込む

「うーん。大分破られてるねえ。さすがは妖精ってところかな。やっぱり彼女は天才だねえ」

「?」

なんのことかわからず眉を潜める機長を無視し、ヤマサキはうーんと伸びをして立ち上がる

「ま、それよりも気を抜かないでね。多分こっからが本番だから」

「本番?」

「そっ。多分さっきの通信だけで、彼にはわかっただろうしね」

まるで今から憧れのスポーツ選手と会える子供のような顔で、ヤマサキは薄く笑う

その笑みを見て、機長は底知れないなにかを感じた。ぞっとする背筋をなんとかなだめすかそうと、身に力を込める

やはりこの目の前の男と、そして今シャトルの天井部分に張り付いて銃やらなんやらを撒き散らしている二人の男は、マトモじゃない

行動もそうだが、なによりその精神性が異常だった

目的のためなら、笑いながら死へと突き進むその異常性。さらにこの二人を見ていると、思う

この二人は、死ぬ気すら、多分無い

常人なら死を覚悟する状況にも、笑って突貫する。さらにはその中ですら、自分が死ぬなんて欠片も考えていない

おそらく、死ぬと思ったら即座に退散する判断力と、その逃げの技術に絶対の自信を持っているのだろう

幼い頃からの経験か、それとも天性の物か。それはわからないが、この機長にはそう思えてならなかった

「・・・ん?」

と、そんなことを考えている機長の目が、不意に止まった

視線が向かう先は、操縦席に備えられているレーダーだ。それに写されている光点はシラキのブチマケタ大量の熱源と群がるバッタ達によってほとんど真っ赤だが、その外れに一つの違和感が灯っている

位置で言えば、コトシロの付近。そこに不意に現れたその比較的巨大な光点が、発見した一瞬の停止の直後、物凄い速度で加速した

向かう先は、当然このシャトルだ

「な、なんだこれ・・・」

その余りに非常識な速度に、機長は思わず目を疑う。なんだかんだでここまでコトシロに接近出来たが、それでもまだ距離は半分以上残っている

速度だけなら戦艦とそれほど変わらないはずのシャトルですら、おそらく残り十五分程度と思われるその距離を、その新たに出現した光点は、瞬く間に埋めてくる

「お、おい・・・アンタ、これ」

ドラム缶を覗き込んでいたヤマサキに、呆然と声を掛ける。それに気付いたヤマサキがゆったりとした動作で機長の背後から指し示されたレーダーを覗き込む

そしてそれだけで、ヤマサキは全てを悟った

薄い笑みを、一層深める。仮面のようだったその表情が、そのとき初めて人間らしさを浮かべた

待ち侘びた来客を歓迎する老人のように、ヤマサキは笑う

「来たねえ。本命が」





漆黒の風が、吹き抜けた

「あん?」

宇宙だから、当然風などない。だがそれはまるで疾風を上げながら突き進むように、一瞬でシラキの視界の遥か彼方から現れて、そしてその横を巨大な質量と共に駆け抜けた

その余りに常識外れのスピードに、先程まで奇声をあげながらガムシャラに火器を撃ち捲くっていたシラキの頭が冷静さを取り戻す

思わず振り向いた視線。その先の闇の中、浮かび上がるようにそれはいた

漆黒の真空の地獄。その中に溶け込むように存在する、一機の機動兵器

シラキは初めて見るためわからなかったが、それは、かつて幾多のターミナルコロニーをたった単騎で震え上がらせた、伝説と呼んでも過言ではないような、バケモノ

呪いの花言葉を冠した、一人の男の絶望から生まれた機体

ブラックサレナ

「なんだかしらねえが大物だなあええおぃ!」

だがシラキは、当然ながらそんなことなど知らない。アキトがターミナルコロニー襲撃犯の犯人であることは知っていたが、たかだか闇医者である。幾ら主治医だったとはいえ、そこまで深い事情を知っているはずがなかった

そしてなによりシラキが侵した致命的なミスは、その機体に喧嘩を売ったことだった

シラキは知らなかったのだ。無人兵器のバッタと幾らここまで渡り合えたからといって、それらと今目の前にいる黒い機体とやり合うということは、正に次元が違うということを

静かに停止する機体に、シラキは容赦の欠片も無く手元にある火器をでたらめに発射した

左手に持つランチャーからミサイルが射出され、右手に持つガトリングから弾丸が雨のように降り注ぐ

足元にある投擲機を踏み抜き、総数二桁に上るようなグレネードとチャフが、ランダムに織り交ぜられて襲い掛かる

それは、執拗なほどの暴力の津波だった。先程まで戦っていたバッタ達に集中砲火すれば、さすがに一機くらいは叩き落せただろうほどの強力な攻撃

猛烈な勢いで襲い掛かるそれらの弾丸の群れは、しかし

着弾の直前、その機体が一瞬で消え失せたことによって、外れた

正確にいえば、消えたわけではない。ただその余りに急激な加速と冗談のような速度が、シラキの目に映らなかっただけだ

「あん?」

その信じられない光景に、シラキは思わず目を見開く

そしてその次の瞬間には、すでに勝負は付いていた

『詰み、だ』

聞き覚えのある声。最後に聞いたのはもうどれほど以前になるのかすら思い出せない。そんな声が、響いた

頭上を仰ぐ。そこには、全力で疾走しているはずのシャトルの真上に、まるで止まっているように佇むブラックサレナがあった

その手に持たれているハンドカノンが、シラキの頭上、僅か二メートル程度の距離で暴力を溜め込んでいた

「・・・マジ?」

『大マジだよー』

余りに呆気ない決着に思わずコメカミを引き攣らせるシラキ。それにあわせるように、ヤマサキの声が響いてきた

その声に、目の前の機体が反応する。赤い光を称えたアイカメラが僅かにその光を強め、まるで立ち上るようななにかが漏れ出しているような気がした

「・・・んー?」

不思議そうに首を傾げるシラキ。視界を巡らせると、どういうわけかすでにバッタの群れは、自分達への興味が尽きたかのように、背後に展開する大艦隊へむけて陣形を整え始めていた

『やあやあテンカワ君。ひっさしぶりー』

『・・・・黙れ』

馴れ馴れしいヤマサキの声に、機体の主の声が震えた。感情が軋みを上げているような激情が、声だけでも伝わってくる

『お、おい大丈夫なのか?』

機長の潜めた声が漏れ聞こえてくるが、ヤマサキは意にも介さない

『おっと、テンカワ君ってのは正確には違ったかな? 言い直そうか・・・・久しぶり、タイプ甲』

『っ!!』

その一言が、逆鱗に触れた

ブラックサレナが突きつけていたハンドカノンが火を噴き、シャトルの後方部分を貫通した

「うおっ!?」

爆音と爆発に、シラキの体が持っていかれそうになる。それをなんとかこらえながら、シラキは天井部分を睨み付ける。正確には、そのさらに下にある機長室にいるヤマサキを

「テメエ挑発すんなボケ! 死ぬだろうが! いやオメエは死んでも良いけど俺を巻き込むな死ぬなら一人で死ねアホ!」

『ふふーん大丈夫大丈夫。彼は僕らを殺せないよ』

機長の悲鳴と一緒に聞こえてくる、能天気なヤマサキの声。貫通したハンドカノンの弾丸は、神技のような精度でエンジンや致命的な部位を避け、脅しのような爆発を起こしただけだった

『殺す気なら、とっくの昔にこのシャトル潰してるよね? タイプ甲』

『・・・・』

通信越しに、歯軋りが聞こえてくる。吹きあられる怒りの感情を必死に押さえ込もうとしているような、噴出そうとする憎しみを死に物狂いで押さえ込もうとしているような、そんな言外の言葉

「・・・なんでだよ?」

『さあー? 本人に聞けば?』

はぐらかすようなヤマサキに言葉に、一瞬このシャトルを自分の手で沈めてみようかと思うシラキだったが、自分も巻き込まれるのでやめた

というよりも、シラキにもわかったからだ。なぜこの機体の男が、自分達を殺さないのか

先程ヤマサキが口にしているタイプ甲という単語。それは車中で聞いた、テンカワアキトのクローンを示す単語だ。つまりこの機体に乗っているのは、テンカワアキトのクローンということになる

「ああ、なるほどね」

頭上にハンドカノンを突きつけられているとは思えないようなシラキの言葉。その能天気さは、ヤマサキにも引けを取らない

「ここまでやっといて、無関係の人間は巻き込みたくないってか。個性的だねえ」

挑発ともただの呟きともつかないシラキの言葉。つまりは、そういうことだった

機長の存在、である。自分やヤマサキは明らかに自ら事態の中心に乗り込んでいる。よってこのテンカワアキトにとってはただの倒すべき敵だ。だが、今このシャトルを操縦している機長はちがう

火を見るよりも明らかな、一方的な被害者だ。故に彼は、このシャトルを落とせない

無惨に無力に巻き込まれる者の気持ちは、彼自身が良く知っているはずだからだ

――― 『似てない』ねえ

そう考えると、シラキは素直に武器を収めた。このまま反抗を続けようかとも思ったが、敵が攻撃出来ないというのはあくまで今の間のみ。それも物理的な強制ではなく、ただの心情からである。いつ気が変わるともしれない

そしてなにより、現状手元にある装備では目の前の機動兵器を落とせるわけがない

「で? こっからどうすんだよ。このままじゃお互い動けず立ち往生だぜ?」

仰ぐ視界の中、無機質なブラックサレナの顔がある。その漆黒ゆえに、気を抜けばそのまま宇宙の闇と混同してしまいそうな、そんな機体

『・・・簡単だ』

漏れ聞こえてきたのは、苦虫を噛み潰したような声だった

『貴様らは、このままコトシロに入れ』

「良いのか?」

『構わない。どの道このままではお前の言う通り立ち往生だ』

『まあ、そうなるよね』

響くヤマサキの声

『それで君は、一般人を解放した僕らを大手を振って殺せるわけだ。うーん、見え透いた罠だねえ。好きだよそういうの』

「オメエは黙ってろアホ」

やたらと挑発的なヤマサキの言葉を中断して、そそくさと体を固定している鉄柱や磁気の類を外していく

おそらく、ヤマサキの言った通りだろう。コトシロに入り込んで行動するとなると、どう考えても地の利は向こうにある。例え自分達が機長を人質に徘徊したとしても、向こうにはこちらを分断する手段など幾らでもあるはずだ

だがかといって、行かないわけにはいかない。もはやユメとロウの治療の手掛かりになりそうな場所はここだけだし、次の機会と言っていられるような悠長な事態でもない。万が一戦闘の余波でコトシロが大破でもしようものならば、手掛かりは永遠に闇の中となってしまう

――― まあ

戦闘の興奮がすっかり引き、元の死んだ魚のような目になったシラキは、相変わらず適当に考える

――― いざとなりゃ、逃げりゃ良いわな。そんときゃユメとロウ死ぬけど

まあ俺が死ぬ訳じゃないしと、恐ろしく自分に正直なことを呟きながら、シラキは出てきたときと同じように、緊急脱出用のハッチからシャトル内へと戻っていった

それを確認すると、ブラックサレナは緩やかにシャトルから離れた。先程のハンドカノンによる攻撃で推力も半分程度になっているが、それでも残りの距離を考えれば二十分と掛からないだろう

『・・・ルリちゃん』

『え? はい』

閉鎖していた通信を開き、ルリを呼び出す

迷彩を施してはいるものの、本来ならこんな通信すら危険極まり無い。だが今は状況が状況だし、なによりアキトの中にある怒りは、爆発寸前だった

煮え滾ったそのドロドロとした感情が漏れ出たように、歪んだ笑みを貼り付ける

先程までの自分とヤマサキとの通信を聞いていないルリは怪訝そうに眉を潜めるが、アキトはそんなものなど気にしない

仇。自分を壊した奴ら、自分の全てを叩き壊した奴ら。その中でもっとも憎かった敵が、目の前に現れたのだ

殺してやる、絶対に。爪を叩き割り喉を引き裂き指を全て折り足を引き千切って、殺しては蘇生させ殺しては蘇生させ、永劫回帰に渡って苦痛の限りを与えてやる

『もうすぐヤマサキと、後二人。『知らない奴ら』がそっちに行くよ』

『・・・・はい』

ヤマサキという単語に、ルリの表情が引き締まる

『その二人の内一人は、巻き込まれた普通に人なんだ。だから三番のナノマシン、用意しておいて、奴らが彼を人質にする可能性もあるから、まずは引き剥がさないと』

今にも笑い出しそうな衝動を堪えて、アキトは努めて冷静に言葉を紡ぐ

もうすぐ目の前にまで迫った、復讐のときを幸福に感じながら







ネルガル月ドッグにある医務室を、沈黙が満たしていた

「・・・本当、なの?」

イネスの告げた、この二人はもって後三日という単語に、エリナが呆然と呟く

ユメとロウがエリナと出会ってから、まだ一時間も経っていない。そもそも出会ったといっても、ユメもロウもこの部屋に運び込まれてきたときには意識を失っていたため、本当のところは互いに面識すらない

だがそれでも、エリナは驚きに言葉を失った。それはもしかしたら、このIFS強化体質者の二人の子供にラピスを重ね合わせていたのかもしれないし、単純にこんな小さな子供が死ぬという事実に、同情にも似た憐憫を浮かべたからなのかもしれない

「事実よ。残念ながら」

イネスは首を振り、未だベッドで眠り続けている二人の子供の寝顔を見つめる

「アナタは随分とこの二人に関して調べたみたいだけど、その様子だと」

「・・・そうじゃ」

消沈しきった様子で椅子に座り込むヒゲ爺が、消え入りそうな声で答えた

「何一つ・・・何一つ・・・わからんかった。せめてこの二人がどういう手順で、どこをどのように遺伝子操作を施されて生まれてきたのかさえわかれば・・・可能性は、あったんじゃ」

「・・・ないでしょうね。そんなものは」

「ああ」

首を振るヒゲ爺に視線を移し、イネスは過去を思い出すように目を細めた

「アキト君とユリカ嬢の遺伝子を使われていることから、この二人はおそらく火星の後継者の実験の一環として生み出されたんでしょうけど・・・残念ながら、彼らの残した実験データの大半はすでに削除されているわ」

「・・・それじゃあ」

エリナが気の毒そうな表情で、ヒゲ爺を横目で見た

それを察したのか、ヒゲ爺は項垂れたままで再び首を振る

「この二人を救う方法は・・・ない。シラキの奴が調べとるはずじゃが・・・残り時間は後三日じゃ・・・間に合わん」

「シラキって・・・アキト君の主治医を担当した闇医者の人ね」

記憶を掘り起こすように、エリナが呟く。元々シラキはエリナともイネスとも会話らしい会話すらろくにしていない。白髪で妙に野蛮な医者だったという程度の印象しか残されていなくても、無理はなかった

「そのシラキって人と、連絡は?」

「・・・つかん」

「・・・・そう」

返って来た返答に、イネスもエリナも言葉に詰まった

もうそうなってしまえば、打つ手は無い。そもそも火星の後継者が残した実験データという、マトモに探すことすら困難な代物なのだ。それを残り三日。それも現存するかすら不明なデータを探し出す

誰がどう考えても、不可能。例えルリ程の情報収集能力と演算能力を持ち合わせていたとしても、砂漠の中の米粒だ

だが、彼らは知らない

現在、彼らが名をあげているその人物が今、まさにその入手不可能な情報に限りなく接近していることに

そして

それによってもたらされるある別れ。それをうなだれたままの老人も、未だ眠り続ける二人の子供も、まだ知るはずが無かった





「とうちゃーく」

のんびりとそう呟くヤマサキが、シャトルからうーんと伸びをしながら降り立った

ふむふむと辺りを見回す。シャトルが接舷したのは、一般人が乗るシャトルなどが乗り入れるドッグだ。一辺二キロに届くような正方形に似た広大な空間

「なんだ戦闘の後もなんもねえなオイ。どうやって占拠したんだよ」

ヤマサキに続くように、シラキがコートを揺らしながらドッグへと降りる

「そりゃまあ妖精さんがいらっしゃるからねえ。これくらいの芸当、そこまで難しくは無いんじゃないかな? 奇襲なら尚更」

「妖精? ・・・・あー」

聞きなれないメルヘンな単語に眉を潜めるが、すぐに心当たりに行き着いたのか両手をポンと合わせた

「なんだアイツ。あのニセモン野郎と一緒にいるのか」

ルリがアキトと行動を共にしているという事実を知らなかったシラキが、意外そうに納得する

その顔には、ルリが敵に回ったという事態に対する驚きは欠片も伺えない。元々他人に対して酷く淡白な上に、ルリと一緒に行動した時間など一週間程度。驚く以前に、むしろ忘れそうですらあった

それでもルリという人間がこんな犯罪行為に加担するような人間には思えなかったが、シラキはまあそんなこともあるわなと軽く思うだけで、特に疑問も抱かずあっさりと納得した

「しっかしひれえな」

宇宙港という存在を初めて目の当たりにして、シラキは呆れたように周囲を見回す。これだけ広大な空間だと、移動するだけでも手間取りそうだ

「あーそれなら問題無いよ」

「あん?」

「ほらあそこ」

指し示された先には、一台の電気車があった

基地内の移動などに軍では頻繁に使用されている、どこにでもありそうな一台の車だ。どうやらコトシロが占拠されたときの騒動の中、そのまま乗り捨てられたらしい。エンジンは掛かったままだ

「うーん都合良いねー。やっぱり日頃の行いが良いと得だよね。神様もよく見てるよ」

「わははは死ねよ」

ノロノロとした動作で車に乗り込む二人。それを見届けるように、直前まで二人が乗っていたシャトルがエンジンに火を灯した

頭上を仰ぐと、まだ微かに見えるシャトルのコックピットにいる機長が、心配そうな目でこちらを見ている

一方的にこんな事態に巻き込んだ二人を尚心配しているのだから、この機長の人の良さはかなりのレベルだろう

そんな機長を乗せ、シラキとヤマサキが見つめる中、シャトルはエンジンに灯された熱をドンドンと吹き上げ、二重になっている発進口から外へと飛び出して行く

この脱出は、シラキとヤマサキの指示だった。元よりここから先は敵の本拠地といっても問題無い。そんなところに一般人を連れて行っても純粋に足手まといだし、かといって人質にしたところで、結局地の利は敵にあるのだ。引き離されるのは目に見えている

ならば最初からいてもいなくても同じ。そう判断しての脱出の指示だったのだが、どうやらあの機長は色々と勘違いをしてしまっているようだった

「さて」

再び静まり返ったシャトル格納庫の中、シラキが首を回してアクセルに力を入れようとした、その瞬間

「・・・・あん?」

視界に、小さな違和感があった

それは、ホンの小さなわだかまり。気にしなければ別にどうということも無いような、そんなどうでも良いような、小さな違和感

だがそれが、ドンドン、ドンドンドンドンと大きくなる

「なんだ? ・・・・こりゃ」

視界が暗くなる。ピンボゲしたカメラのように、見る見る内に焦点が手の平から滑り落ちていく

「ん? どうしたの?」

隣にいたヤマサキが声を掛けて来る

隣にいるはずなのに、その声すらもはや遠くなる。視界が暗くなる

視界が

ドサッと音を立て、シラキは前のめりに倒れた

ハンドルにあるクラクション。それがシラキの体重によって押し込められ、無意味で虚しい警笛を鳴らす

止まることなく、途切れることなく





砂漠があった

どこまでも見通せるような砂漠

そこに、一人の少年が寝そべっている。仰向けに

目深に被ったフードから僅かに覗く口元や、未だ伸び切っているとは言い難い未熟な手足が、その少年がまだ十代の半ばにも届かないような子供であることを主張していた

「なんだ? ここ」

少年が、ポツリと呟く。断熱コートに身を包んでいるとはいえ、昼間の砂漠の温度は殺人的だ。見る間に額に汗が浮かび、砂と密着している体の各所が熱を持つ

顔面を覆うコートから僅かに覗いた黒い髪の毛が、チリチリと痛んでいるような幻覚すら抱く

そのとき、ふとその視界に影が落ちた。人影は二つ。標準的な大きさの影と、もう一つ、巨大な影

「おいおい、またこんなところで寝てるのかボーイ?」

「・・・・ふん」

それを見たとき、その少年は目を見開いた。それは驚愕というよりも、ありえない現実にまず自分の頭を疑っているような、どこか懐疑的で温度の低い驚きだった

寝そべっている少年からは逆光になって見えにくいが、それでも彼にはその二人がどんな容姿でどんな性格なのか、手にとるようにわかる

「・・・どうした、そんな顔をして」

巨大な影が、少年の頭をスッポリと覆えそうな巨大な手を差し伸べてくる。それを呆然とした表情で握り締めながら、少年はまだ信じられないような表情を顔に貼り付けたまま、体を起こす

「・・・ナオヤ」

「ん? どうしたどうした? そんなアンビリーバボーな顔して」

手を貸してきた大男の顔を見つめる少年に、その横にいた影が話し掛ける

少年と同じ断熱コートを羽織ったその男の顔は、どうにも日本人離れしていた。覗く金髪や、彫りの深い顔立ち。その割には妙に澱みの無い日本語を操る青年

その二人を呆然と見比べながら、少年は、最後にもう一度金髪の青年に目を戻す

そして、呟いた



「・・・シラキ・・・」








あとがき





大分涼しくなってきました。過ごしやすいことはとっても素晴らしいことです。はい



というわけで、第八話でした

威勢良く無人機にシャトルで突っ込みましたが、まあやっぱりアキト君に瞬殺されてしまいました

まあブラックサレナは反則みたいなもんなので、当たり前なんですけども

こうやってて思うのは、うちの主人公弱いなあってことですかね。いや、一般人の割には十分過ぎるというかやり過ぎなくらい強いんですけど

もっとこう、エステ一機で艦隊を壊滅させるような凄い主人公と比べると、どうも見劣りが・・・まあ良いか

というかシラキ君にそんな力持たせたら色々危ないのでやっぱり今くらいで良いです。バカに刃物とはこのことか。うん。っていうか私が困ります

さてさて、次回予告です





次回予告



機動戦艦ナデシコ 『Imperfect Copy』



破裂する思い出



「ハハ・・・ハハハハ!」

「シラキ・・・なんてことを」





歪む復讐



「過去を見るのさ。自分が一番幸せだったときの、過去をな」

「アキトォ!!」



対峙する二人



「アナタ・・・は」

「いやあ、こうして直接会うのは初めてかな? 妖精?」





第九話

『殺戮、来訪』







それでは次回で









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