第三話







嫌いだった

全身で不幸を表現して、自分が世界一不幸だとでも言いたげにベッドに横たわるあの男が、自分は嫌いだった



「・・・よお」

「・・・・」

「まーたダンマリかよ。ったく」

「・・・・」

「喋れねえわけでもねえだろうによ。なんだ? 喋りたくない理由でもあるのか?」

「・・・・」

「・・・・はあ。まあ良いけどな、ベッドの上で大人しくしてるってんなら別に文句もないけどよ」

「・・・・理由なら、ある」

「お? 久々に口利いたな」

「・・・・俺は」

「・・・・」

「俺は、お前が嫌いだ」

「わはははは。なにを今更、んなもん初対面から分かりきってるだろうによ」

「・・・・そうやって、人の気持ちも考えない無神経なところが、特にな」

「ぶっ! 笑かすなよ。何百人も人殺してる殺人鬼に無神経とか言われてもギャグにしか聞こえんぞ」

「・・・人殺しという点では・・・お前も、同じだろう」

「そうだなあ。まあだから俺は人様に無神経なんて言わないわけだが」

「っ」

「お? 言葉に詰まったな? まあ自覚があるだけマシだわな」

「出て行け」

「都合が悪くなるとすぐそれかい。餓鬼と一緒だな」

「餓鬼と一緒でも構わん・・・お前の不快なツラなんて見たくもない」

「へいへい了解しましたよ。とはいってもまあ、明日もそのツラを見なきゃならんわけだがな。オメエは」

「・・・」

「それとよ、一つ良いこと教えてやるよ」

「・・・・なんだ」

「俺も、お前が嫌いだよ」










機動戦艦ナデシコ

 Imperfect Copy 』






『 真実、来訪 』

 

 







体が固まった

時が、止まった

ありえない。心の中で何度もそう繰り返す。彼は死んだ、死んだはずだ

遺体も、確認した。自分のこの目で

遺言も、読んだ

ありえない。ありえるはずがない、彼は死んだのだ

町の人波の中、ホシノルリと、そして彼女の目線の先にいる、テンカワアキトだけが、その歩みを止めていた

金色の瞳を見開き、呆然と固まるルリ

そんな様子に目を細めると、目の前のテンカワアキトは、ゆっくりと足を動かし始めた

ルリの方へと、やって来る

その光景に、しかし彼女はなにも出来ない。ただ信じられない目の前の光景に、頭が追いつかない

死んだはずだ。もう何度目になるのかもわからない程繰り返したその単語が、もう一度頭を過ぎる

だが、そこで

――― 「アキトさん・・・・です」

つい先ほど、問われたエリナに返答した自分の言葉が浮かぶ

ブラックサレナを、ネルガル月ドッグから強奪した、テンカワアキト

死んだはずの、その彼の存在を、あのとき自分は確かに認めた

あれは、テンカワアキトだと。ブラックサレナを奪い去っていったのは、あの、死んだはずの男だと

いつの間にか、ルリとアキトの距離はもうほとんど無かった

手を伸ばせば触れられる程近くに歩み寄ってきたアキトに、ルリは相変わらず呆然と視線を向けることしか出来ない

そしてその視界の中

テンカワアキトは、口を開いた

「久しぶりだね。ルリちゃん」

全身を、雷に打たれたかのような衝撃が駆け巡った

その声色と、そして優しい表情が、自分の記憶の中にある、まだ幸せだった頃の彼と重なる

ユリカと彼と、そして自分で、小さなラーメンの屋台を引いていた頃の、決して裕福ではなかったが、それでも楽しく、満たされていた日々の記憶と、重なる

「あな・・・・たは・・・・」

搾り出した声は、滑稽なほど震えていた

心のどこか、冷静な自分が静止を掛ける

彼は死んだはずだ。今目の前にいるのは彼ではない。そうがなりたててくる

仮にもし本当だとしても、彼はブラックサレナを奪ったのだ。それは決して平穏なことではない

だがそんな理屈など、現に今目の前にいる彼の存在の前では、欠片の値打ちも無かった

「生きて・・・・いたん、ですか?」

そんな言葉すら、自然と口から漏れた

だがそのルリの言葉に、目の前の彼は苦笑にも似た微笑みを浮かべた

それは間違いなく、テンカワアキトの笑顔だった

気弱で押しに弱く、しかし優しかった、彼の笑顔だった

「生きていた・・・・って、言って良いのかな」

その、どこか躊躇いの響きがこもるアキトの言葉に、ルリはそこで初めて、僅かだが冷静さを取り戻した

「違う・・・んですか?」

まだ混乱の収まっていない頭を、必死に整理しながら、ルリは尋ねる

その言葉に、アキトはなんと言えば良いのかわからないといった曖昧な笑顔を浮かべる

「とりあえず・・・・一緒に来てくれないかな」

「え?」

不意を突かれたような驚きを貼り付けるルリに、アキトは相変わらず苦笑したままだ

「そこで、全部話すから」

そういって、手を差し伸べてくる

その言葉とその手を見つめ、しかしルリは戸惑った

この手を、握って良いのだろうか

理屈ではない。理論にすらなっていない、第六感と称すべきほどの曖昧な感覚が、警鐘を鳴らしている

この手を取ってしまうと、自分は取り返しのつかない場所に踏み込むことになるような気がする

二度と引き返せない。そんな場所に、行くことになる気がする

躊躇うルリの気配を察したのか、目の前のアキトは、その相変わらずの苦笑の上に、どこか悲しそうな色を乗せた

そして、その差し出していた手を、ゆっくりと退いた

「っ」

その行動が、引き金になった

遠ざかっていく手、それにルリは反射的に、自らのそれを重ねていた

驚いたように固まるアキト。そんな彼の顔を見ながら、ルリは思う。自分も、きっと彼と似たような顔をしているのだろう、と

そのアキトの顔を見ながら、ルリはゆっくりと唾を飲んだ

緊張でカラカラになっていた喉が動くのを確認し、いつの間にか、アキトの手を握り締めている手の平に汗を掻いていることを認識しながら

ゆっくりと、口を開いた

「連れて行って・・・・ください」

眼を見開くアキトをまっすぐに見つめながら、ルリは呟いた

「説明・・・・してください」







「おやおや、ここは」

「やっぱ知ってんのか」

日本に腐るほどある山地、その中の一つの中に建っているとある建築物の前に、シラキとプロスペクターは立っていた

「ええ、まあ、ネルガルも火星の後継者事件以来、軍の方達にも随分と顔が利くようになったようでして」

いやはやと首を振りながら、プロスペクターはその目の前の建物を見上げる

「もっとも、実際に訪れるのはこれが初めてですが・・・」

見上げたその建築物は、巨大なドーム状の姿をしていた

直径は、こうして外から眺める限り想像がつかない。四百、もしかするとそれ以上はあるかもしれない

その建物の正面口が遠く場所。そこにプロスペクター達は立っている

兵器試験場

企業ないし軍が開発し、そして軍に採用を希望する人型兵器、或いは銃火器、戦艦、グラビティーブラストの新砲門まで、例をあげればキリがないほど数多くの兵器の実験が行われている場所

表向きには、そういうことになっている

少し考えれば誰でもわかることだ。大体国同士の戦争も終結して久しい昨今、火星に一ヶ月で辿り着けるようなこの時代に、たかが半径五百メートルかそこいらの、それもドーム状の建築物の内部で一体なにを試すというのか

世間がこの矛盾に気付かないのも、単純にこのドームの存在そのものを知らないからだ

そこまで考えて、プロスペクターは横にいるシラキを盗み見る

古臭いコートを着込んでいるシラキは、相変わらず無気力な顔にタバコをぶらさげ、目の前のドームを囲む白い壁を見つめている

さらに視線を伸ばすと、その先に正面口が見える。ここからでは少々距離があるためはっきりとは見えないが、警備服を着た警備員が二人、入り口の脇に立っている

――― はてさて、どうするつもりでしょうか?

シラキがここに来た理由など、ネルガルが重宝する会計士であるプロスペクターにはとうに察しがついていた

ヤマサキ事件。未だ人々の記憶に新しいあの事件の首謀者、ヤマサキヨシオ

表向きには彼は今現在軍事法廷の中、数多くの罪状と陪審員その他諸々に囲まれている

そしてその判決はおそらく死刑だろうということで、世間の見解は一致している。そしてそれは、間違いではない

三日後、彼は未だ残っている数え切れないほどの殺人の罪や人体実験の罪をひとまとめに、死刑を宣告され、そして執行される

だが、実際は全く違う

ヤマサキヨシオは、軍事法廷になど一度も行ったことはない

ヤマサキ事件。その際にヤマサキが、テンカワユリカ、そしてイネスフレサンジュと協力し解明した遺跡のデータ。その彼自身の知識と技術を代償に、ヤマサキは死を免れたのだ

そして今も、この目の前の『ボソンジャンプ実験ドーム』で日夜研究に明け暮れている

おそらくシラキの目的の人物は、ヤマサキで間違いないだろう

「・・・彼がここにいると、どうやって御存知に?」

「んー?」

尋ねられたシラキは、口元にあるタバコに手を伸ばす

「一応、彼がここにいるのは立派な機密情報なのですけどね。軍の偉い方でもお知り合いにいらっしゃるのですか?」

「・・・ま、世の中には物好きな連中がいるってこったな」





「ヘックシュン!」

「フクさん、風邪っすか?」

「うーむ、どうもそうらしいのう」

「あーダメっすねその年での風邪は致命傷っすよ。今までありがとうございました」

「やかましいわ」





「・・・さーて、行くか」

誰とも無しにそう呟くと、シラキはゆっくりと正面口に向けて歩き出した

その背に、慌ててプロスペクターが追いすがる

「どうするおつもりで?」

「ん? ああ、まあ正面からヤマサキ君に会いに来ましたーって言っても無理だろうしな」

そこまで聞いて、プロスペクターはあることに気付いた

ゆっくりと歩くシラキ。その右手の中に、黒光りする丸い物体があることに

「・・・・あの、シラキさん? 不躾で申し訳ないのですが、その手に持っている物は?」

嫌な予感に胃をキリキリと痛めながら、恐る恐る尋ねる

「ん? ああ、そうか。アンタは外で待機しといてくれ。アブねえから」

「いやいやいや、そういうことではなくてですね」

「知ってっか?」

プロスペクターの言葉を無視し、シラキは取り出した黒光りする丸い物体を弄ぶようにしながら、一歩一歩正面口へと近づいていく

立ち止まるプロスペクター

「俺にヤマサキの野郎のこと教えてくれたジジイ曰くな、ここの警備は恐ろしく手薄らしいぜ。まあ、表向き現用兵器の試験場になってるところ、テロリストが標的にするわけねえしな。逆に物取りやら強盗やらが押し入るにゃあ、大仰過ぎる」

シラキが本気なことを悟り呆然とするプロスペクター。だがそんな物など眼に入らないように、シラキは尚もズンズンと進んでいく

もはや五十メートル程に近づいた正面口。そこに立っている警備員が、警戒のために身を引き締めたのが遠目にも分かる

シラキは尚も呑気に足を進めながら、後ろに佇むプロスペクターへと口を開く

「まあ要するに、中途半端なんだわな。きょうびこんなところを強襲して試作機盗もうなんてテロリストもいねえし、コソドロにはハードル高すぎる。おまけに今は、最近立て続けに起こったはた迷惑な事件の残務処理の真っ最中。まあ要するに」

そこまで行って、シラキは足を止める。すでに目の前の建築物との距離は二十メートルを切っている

そして右手に持った黒光りする物体のピンを、無造作に引き抜いた

頭を抱えるプロスペクターの三十メートルほど前で、シラキは振りかぶった

投擲

二十メートルの距離を滑空するその手榴弾に、近づいてきていたシラキをあらかじめ警戒していた二人の警備員は泡を食ったように逃げ出した

「まあ要するに」

甲高い鉄の音を立て、放り投げられた手榴弾が床へと落ちる

そして一拍の間を置いて、手榴弾は破裂した

周囲に襲い掛かったのは爆発ではなく、代わりに撒き散らされた催涙ガス

懐から取り出したガスマスクを手早く装着したシラキが、古びたコートにガスマスクという怪しさ全開の格好でプロスペクターを振り向いた

「まあ要するに、押し入るのにゃこれ以上ない好機ってこったな」





「・・・」

「・・・」

重苦しい沈黙を抱えたまま、ロウとユメは砂漠の中の町を歩いていた

砂漠の中の町とはいっても、砂漠を跋扈する砂は町の中にはほとんどない。時折、突風に運ばれてくる細かな砂粒が視界を横切るだけだ

舗装された道路、その両脇に伸びる歩道を歩きながら、ロウは気まずい沈黙に耐えかねたように、横に並ぶユメを盗み見た

「だ、大丈夫だって、シラ兄のことだから、すぐに帰ってくるよ」

苦し紛れのその発言に、やはり効果は無かった

ユメは相変わらず沈黙したまま、顔を俯けるように歩を進めるだけだ

そんな様子を見て、ロウは頭を掻く

正直、ユメがここまでふさぎ込む理由がわからなかった

確かに、心配なことは心配だ。この町を出た記憶がないロウにも、ネルガルの悪い噂や薄暗い事情は耳に入ってくる

顔見知りとはいえ、そんな連中の仲間と一緒に行ってしまったシラキの身は、確かに心配ではある

だがやはり、ユメがこれほどまでに心配する理由が、ロウにはわからない

「・・・なんで、そんなに心配なの?」

恐る恐るといった様子で尋ねるロウに、ユメはそっと身を寄せてきた

まだ幼い故に、ほとんど体格に差が無いロウとユメ。必然的に、寄りかかるように身を寄せてきたユメの顔は、ロウのやや強張った顔のすぐ真横に来ることになる

心拍数が上がることを自覚するロウに構わず、ユメはポツリと呟いた

「嫌な・・・予感が、するの」

その言葉に、僅かに思い当たる節があったロウが、思わず眉をひそめる

「まさか・・・例の、アレ?」

ゆっくりと頷く

ユメには、不思議な力があった。いや、それは力と呼べるほど確かな物ではなく、どちらかといえば現象という分類に当てはめるべきな程、微弱で不確かな物だった

それはよくある単語を使えば、未来予知という言葉が当てはまる

だがユメのそれは、予知などと言えるほど正確な物ではない

十日に一度程度の頻度で、ユメはなにがしかの予感に駆られることがある

それすらも酷く曖昧な物で、なにか悪いことがある気がする。或いはなにか良いことがある気がするなどといった、曖昧な感覚的な物だ

当初はロウもヒゲ爺も、気のせいだと笑った

が、ユメがそう言った直後にヒゲ爺が腰を痛めたり、翌日にロウが拾った宝くじが四等を獲得したり、ヒゲ爺が腰を痛めたり、ロウがアイスのクジに五回連続で当たったり、ヒゲ爺が腰を痛めたりしたため、今やヒゲ爺もロウも雑誌やテレビの占いよりは、遥かにユメが時折漏らすその言葉を信じている

唯一、出会ってから日が浅いシラキだけが、その話を聞いても鼻で笑った挙句、知り合いの精神科医のところに三人を連れて行こうとしたりした

そのユメが、再びその嫌な予感を感じているという

先ほどからの沈みようから、それが今までの比ではないのではないかという予感がしたロウが、僅かに息を呑む

「どういう・・・予感?」

ロウの問い掛けに、ユメは首を横にフルフルと揺らす

「嫌な・・・・予感。気持ち悪い・・・」

その瞬間の感触を思い出したのか、ユメの顔が見る見る青ざめていく

堪えるように口元へ当てられた手が、目に見えて震え出す

その、今までのものとは明らかに異なるユメの反応、ロウは慌てて彼女の背中に手を乗せる

「大丈夫っ?」

「・・・消えちゃう」

「え?」

聞きなれない単語に、ロウが思わず息を吐く

「消えちゃう、の」

先程からのユメの様子、シラキを必死に止めようとしていた様子。そこから想像を巡らし辿り着いた結論に、ロウは冷たい汗を浮かべた

まさか

「シラ兄、が?」

動きは、そこまでだった

ユメが答えるより早く、その身が崩れたのだ

慌てて抱きとめる。胸に圧し掛かる重みは、ロウが今まで感じたことがないほど重く、グッタリとしていた

「ユメッ!? おい、ユメッ!?」

余りに唐突の事態に、ロウは心底慌てた

腕の中のユメ。その見慣れた少女の姿は今、完全に血の気が失せた顔で全身の力を抜き横たわっている

当然ながらこんな経験など無いロウは、半ばパニック状態に陥っていた。ただ大声でユメの声を呼び、力の無い体を揺さぶる

慌てて辺りを見回すが、最悪なことに人通りが無かった。助けを呼ぼうにも、誰もいない

その事実がさらに焦りを呼び、ロウの頭は真っ白になった

どうすれば良い。どうやれば良い

医者を、ヒゲ爺を呼びに行くべきだろうか、だがこんな状態のユメを置いていくことなど出来ないし、かといって担いで行くのでは時間が掛かりすぎる。助けを呼ぼうにも、周囲には人っ子一人いない

だがこうやって慌てている間にも、時間は過ぎていく

ただユメの名を呼ぶことしか出来ないロウの目には、薄っすらと涙すら浮かび始めていた

と、そんなとき

「どうしたの?」

唐突に掛けられたその声に、ロウは思わず顔を上げた

その先には

「っその子、気絶してるじゃない。大丈夫!?」

その女は、ロウが混乱している間に、どこからか現れたのだろう

外見は、お世辞にも若いとは言えなかった。だがその人の持つ雰囲気は、どこか凛とした空気を周囲に降らしている

「とりあえず、どこか休めるところに運びましょう。君、手伝って」

「え・・・・は、はい!」

突如として差し伸べられた救いの手に、呆然としていたロウが慌てて頷いた

彼女は倒れこむユメの体を静かに抱えると、勝手知ったる様子で道を歩き出した

ロウも、この道には見覚えがある。確かこの先には小さな公園があるはずだ

簡素な遊具に、ベンチもある。確かにユメを休ませるには適切な場所だろう。それにその公園の方が、診療所に近い

その事実をその女性が知っているのかどうかは知らないが、とにかくロウは、そのときようやく安堵した

先を行く背中を見つめる

彼女は、真っ直ぐに背筋を伸ばし、ユメを軽々と抱き上げたまま道を行く

先程微かに見えた凛とした横顔

そして、その女性は

腰ほどもある、長く、青い綺麗な髪をしていた





千切れよとばかりに、その研究室の扉が吹き飛んだ

そして、十分ほど前から鳴りっ放しの警報音に重なって、吹き飛ばされた鉄製のドアから、廊下から漏れてきたのだろう、白い煙が入り込んでくる

それを経験から催涙ガスだと悟ったヤマサキは、咄嗟に羽織っていた白衣の袖元で口を覆った

だが、煙の勢いは存外に弱かった。恐らく廊下を満たしてはいるのだろうが、空気の流れ故か、入り込んでは来るものの、足元を這いまわる程度のレベルでしかない

その事実に、ヤマサキは口元から手を離し、代わりに視線を寄越した

吹き飛んだドア、そこから流れこんでくる煙の中を、一つの人影が進んでくる

煙から現れたのは、ガスマスクをした、古臭いコートに身を包んだ、いかにも怪しい風貌の男だった

だがそれだけで、ヤマサキにはその来訪者が何者なのか容易に察しがついた

ガスマスクの隙間から覗く、白い頭髪

開けたドアから、遠く怒鳴り声が響いてくる

ボンヤリとしか内容は把握出来ないようだが、どうやら侵入者が入り込んだようだ

侵入者とはつまり、目の前のこの男

現れたその男は、無造作に被っていたガスマスクを外した

中から出てきたのは、見慣れた顔。実際に会ったことなど一度限りだが、ヤマサキにとってここ数ヶ月の間で、恐らく二番目に記憶に残っている顔だ

ガスマスクを放り投げたその男が、口を開いた

「いよーう。生きてるかあ? 糞野郎」

「おやおや、相変わらず礼儀を知らないようだねえ。君は」

おそらく史上最も性質の悪いマッドドクターと、史上最も残虐なマッドサイエンティストは、そうして一ヶ月ぶりの再会を果たした





「・・・もう、大丈夫みたいだね」

ベンチに寝かせたユメの胸元に当てていた聴診器を懐へと戻しながら、その女性は安堵したように息をついた

そしてその告げられた言葉に、ロウも同じように胸を撫で下ろす

僅かな沈黙が、辺りを支配した

お礼を言おうか、とロウは考えた

だが、なんと言えば良いのだろう。もちろんこの状況ではありがとうございます以外の選択肢などないのだが、初対面の人間に接するという行為に慣れていないロウはやはり躊躇ってしまう

思えば初めてシラキと会ったときも、自分は似たような反応を返したものだ

「あ、えっと・・・」

言いよどむロウの頭に、不意に柔らかい感触が乗せられた

驚いて上を向くと、その女の人が自分の頭をそっと撫でている

柔らかい瞳で、ゆっくりと、ロウを落ち着けるように話し掛けてくる

「初めての人とお話するのって、緊張するもんね」

まるで心の中を読み取ったかのようなその言葉に、ロウは恥ずかしげに顔を赤らめる

「ご、ごめんなさい」

「あっ、ううん、責めてる訳じゃないの。ごめんね?」

そういって、ゆっくりとロウの頭を撫でる

不意に風が吹いた

――― あ

その風に運ばれてきた微かな香り。それにロウは、どこか懐かしい感覚を覚えた

――― 昔、嗅いだ匂い

それがどこだったのか、良く思い出せない

ヒゲ爺と出会う前の記憶を、ロウもユメも持ち合わせていないのだから

感慨に耽るロウ。それを不思議そうに見つめながら、その女性は小首を傾げた

「君・・・」

「え?」

「私と会ったこと・・・ある?」

その突然の質問に、当然ロウは困惑する。懐かしいとは感じた、だが目の前のこの女の人と会ったことがあるかと問われれば、答えは否だ

そんなロウの様子を察したのか、ハッとなって両手を振ってきた

「あ、ごめん。気のせいだよね。なんでもないよ」

ハハ、と取り繕うように笑う。恐らく今の言葉は、彼女にとっても意外だったのだろう

「それじゃあ私、もう行くね。その子はただの貧血みたいだから、早くおウチに帰って休ませてあげて」

それだけ言って、そそくさと立ち去ろうとする

「あ、そうだ」

と、公園の出口まで行ったところで、不意に彼女は振り返った

「ねー、君ー!」

公園の入り口から、ロウとユメが体を休めているベンチまでは、それなりの距離がある

それを埋めるように、その女性は声を張る。綺麗な声を

「この辺りに、小さな診療所があるって聞いたんだけど」

問われた言葉。そしてその答えは、すぐに頭に閃いた

診療所どころか、この町には他に病院すらない。ならば答えは簡単だ

これで少しは恩返しになるだろうかと、そんなことを思いながら

「あっ、それなら」

ロウも、声を張って叫び返す

近づけば良いだろうに、まるで二人はそんな事実に気付かないように、公園の端と端で、大声で診療所の場所に関するやり取りをした

「ありがとー!」

大きく両手をブンブンと振る女性に、ロウもいつしかすっかりと警戒心を無くしていた

「頑張ってー!」

大声でそう告げるロウに、彼女もまた微笑んだのが遠目にもわかった

「君もねー!」

「わかったー!」

そうして、女性は公園から完全に姿を消した

昼下がりの公園。そこのベンチに眠っているユメと並んで座りながら、ロウはただ呆と時間をすごす

――― 良い人だった・・・・のかなあ

思い浮かぶのは、つい先程まで一緒だったあの女の人の姿

どうやら自分達の家でもある診療所を探しているみたいだったが、一体なんの用なのだろう

ユメを看病してくれた手際から見て、多分あの人も医者だろう。あるいは、看護士かもしれない

どちらにしても、病気の治療のためにわざわざこんな砂漠に囲まれている町まで来たわけではないだろう

だがなんとなく、あの女性とヒゲ爺が知り合いというのは、変な感じがする

別にどこがと問われても答えようが無いのだが、なんとなく、二人が会話をしている場面が想像しづらい

いや、と、そこでロウは、違和感をさらに深めた

想像しづらいのは、なにもヒゲ爺と彼女との場面だけではない

例えばそれはシラキと彼女との会話

例えばそれはユメと彼女との会話

そして、つい先程まで会話をしていたはずの自分との、会話

考えすぎだろう。間違いなく。大体出会ったばかりの人間と知り合いの人間との会話場面を想像出来るほど、ロウは多数の人間と触れ合っていない

だが、それでも違和感があった

まるで彼女の、先程のあの女性の、存在自体が酷く場違いなような、そんな違和感

彼女がここにいることそのものが間違いなような、そんな違和感だ

慌てて首を振り、そんな取りとめのない考えを振り払った

自分はなにを考えているのだ。きっとユメが倒れてしまって、混乱しているのだろう

と、そのとき

「んっ」

小さく息を呑む気配が、ロウの隣から漏れた

顔を向けると、そこには

「あ、起きた? 大丈夫?」

声を掛けられたユメは、なぜ自分がここにいるのか理解出来ない様子で不安げにロウの服の裾を握り、ただ呆然と辺りを見回している

「突然道端で倒れたんだ。覚えてないか?」

それだけで、ユメには十分だったようだ。倒れる直前の記憶を思い出したのか、目を見開く

不安に再び塗りつぶされそうなユメの顔を見て、ロウは慌ててユメの両手を握り締めた

「大丈夫だからっ。無理して話さなくても、な?」

微かに濡れた瞳でロウを見つめてくるユメにそっと頷くと、少女の体を導くようにベンチから立ち上がらせた

「大丈夫?」

「・・・・・うん」

小さく頷くユメに安堵を落とすと、そのまま手を小さく引き、心持ちゆっくりとした歩調で歩みだす

「それにさ、きっと気にすることないよ」

殊更に明るい口調で、ロウはそう言った

「あの殺しても死にそうにないような性悪男が、そんな簡単にくたばるわけないって」

言っている内に、それは確かな説得力を持ってロウの胸を支配した

純粋な戦闘力とか、そういうのはよくわからない。だがそんなこととは無関係なところで、あのシラキという極悪な男が死ぬ場面が、想像できない

うんうんと頷くロウに手を引かれながら、しかしユメの表情に落とされたその影が、消えることは無かった

「違う・・・・」

誰にも聞こえない声で、そう呟く

「・・・シラキじゃ、ない」

あのとき、シラキを見送るとき、自分の胸に去来したあの予感は

「消えるのは・・・・私達だよ・・・」





「やれやれ、大変なことになってるみたいですなあ」

シラキが突入したボソンジャンプ実験場。その騒動を裏口側から、遠巻きに眺めているプロスペクターは、思わずそう呟いた

あの男が催涙弾をぶん投げ施設内部に殴りこみ、そして警報が鳴り始めてから、すでに二十分程が経っている

だが、そろそろだろうと思い腕時計を見つめるプロスペクターの脇には、一台の赤い軽自動車が止められている。シラキのとんでもない行動から立ち直って、慌てて調達してきたものだ

外観からは、この施設の内部は途方もないほど広く見える。二十分かそこらで、探し人を一人探して脱出してくるなど、一見不可能に思える

だが、この施設が誇るこの巨大さは、大半が内部の地面から無数に突き出しているチューリップと、その様子を計測するための機具や管制室に占められている

おそらく実際に人間がいるであろう場所は、その巨大さのため返って特定しやすい程だろう

遠巻きに眺める裏口から、不意に二人程の人間が転がり出てきた

二人共警備員の制服を着込んだ、初老の男と新人らしい青年だ

彼らが転がり出て開いた裏口から、内部を満たしているのだろう催涙ガスが濛々と漏れ出てくる

――― よくもまあ、これだけの数を隠し持っていたもんですなあ

それだけではない、ここに車を乗りつける際、ラジオや通信に類するもの全般が機能しなかった。おそらくどこかに妨害電波を発するアンテナでも立てたのだろう

裏口にまで満ちている煙に内心呆れながら、プロスペクターはゆっくりと足を踏み出した

煙にむせ、ゴホゴホと落ち着きなく呼吸を繰り返す二人に、歩み寄る

「先輩、無茶苦茶ですよあの野郎! 普通生身の人間相手にグレネードとかガトリングとかぶっ放しますか!?」

「俺に聞くな俺に! 俺だってあんな出鱈目な野郎見たことねえんだよ!」

段々と聞こえてくるその怒鳴り声の会話に、プロスペクターは苦笑する。確かに滅茶苦茶だ

近づいていっている間も、二人の会話はヒートアップしていく、実際、襲撃を受けたのは初めてなのだろう。さらにその初めての相手がよりにもよって常識という単語を食い物と勘違いしていそうなあの男だ。運が悪かった以外の何者でもない

混乱の極みなのか、二人は接近しているプロスペクターに全く気付かない。そしてそんな二人の背後に立ち

「・・・・え?」

ようやくプロスペクターの存在に気付いた二人だったが、もはや遅かった

「申し訳ありませんねえ」

言葉が終わるより早く、彼らが自分の方を振り向く間すら与えず、プロスペクターは二人の首後部に手刀を叩き込んだ

なにが起こったかもわからず昏倒した二人を見て、プロスペクターは心持ち緩んだネクタイを軽く締めなおした

「・・・さて」

「おー。まだいたのかアンタ」

言葉が掛けられ、振り向くと、裏口から現れた白衣にガスマスクの二人組が駆け寄ってきた

「追手はどうされましたか?」

「あ? ああ、面倒だったから天井崩してやった。正面口の方もやっといたから、当分追ってこれねえんじゃねえか?」

「無茶苦茶だよねえー。彼らも気の毒に」

ガスマスクを外しながら、やれやれと首を振るヤマサキを無視し、シラキはプロスペクターの背後にある車に目をとめた

「ん? なんだありゃ」

「足ですよ。無いよりはマシでしょう?」

「ま、確かにな」

と、三人の背後からガラスの割れる音が響いた。どうやら手近な部屋の窓ガラスから外に出ようとしているらしい

「お、あんまりダラダラしてる時間はねえみてえだな。じゃあ行くか」

「面倒だねー。僕としてはそろそろ事情くらい教えて欲しいんだけど」

「道々教えてやらあな。多分お前も大歓迎な話だと思うぜ?」

「・・・ふうむ」

まだ考え込んでいるヤマサキを引き摺って、シラキは車へと乗り込んだ

「・・・・ところでアンタは大丈夫なのか? 俺らの逃亡手助けしたのがバレたらマズイだろ」

「いえいえ、大丈夫ですよ」

車の窓から顔を出すシラキに、プロスペクターは得意げに笑った

「今日、たまたまこの近くをドライブしていた私は、ボソンジャンプ実験ドームから逃げ出してきた凶悪犯に脅され、泣く泣く車を譲った訳ですから」

「悪人だねえ」

「おやおや、正義感に燃えてあなた達と一緒に車に乗り込む方の方がお好きですか?」

「うへ、やめてくれよ気持ち悪い。大体そういう青くせえ奴は使えねえって相場が決まってんだ」

そういって笑うと、シラキは手を振った

「じゃあな。なんかわかったら連絡くらい入れてやるよ」

「ええ、アナタもお気をつけて、今捕まったらただのテロリストですよ?」

「け、どうでも良いと思ってやがるくせに」

「いえいえ、逃げ切ってくれた方が助かりますから、出来ればそうなると良いなあくらいには思ってますよ?」

「お二人共、そろそろ行った方が良いんじゃないかい?」

助手席に座っていたヤマサキが、そう言って割り込んできた

「そうだったなあ。じゃあな、会計士さんよ」

「ええ、闇医者さん」

それだけ言うと、けたたましいエンジン音を立てて赤い軽自動車は遠ざかっていった

あっという間に道を曲がり、見えなくなる

「・・・さてさて」

それを見送ると、プロスペクターは眼鏡を押し上げながら呟いた

――― どこまで出来ますかねえ

例のテンカワアキトらしき人物の捜索には、ネルガルも全力を挙げている。だが、今のところその痕跡も手掛かりも、全く掴めていない

監視カメラの映像から、相手がテンカワアキトかどうかはともかく、相手がA級ジャンパーであることは確定している

それを考えると手掛かりも痕跡も掴めていないのは、ある種当然の結果ではある

そして、ネルガル側の捜査からは、これ以上の結果が上がらないだろうことも、プロスペクターは予想していた。だからこそ、この話をシラキに持ち込んだのだ

ネルガル上層部が彼に罪を擦り付けようなどと、全くの出鱈目だ。全てプロスペクターの独断である

なぜそんなことをしたのか、そんなことは決まっている。プロスペクター自身が、あのテンカワアキトらしき人物の正体に好奇心を抱いているからだ

全ては、プロスペクターの手の平の上、のように見える

だが

――― おそらく、彼も気付いているでしょうね

互いに相手の思惑を知りつつも、己の利益になると計算し、互いに踊らされている振りをしている

――― まあ、お互い踊りましょうか

テンカワアキトを壊した科学者と、多少なりともその彼を延命させることに一役買った闇医者

奇妙な取り合わせであるが、もしあのネルガル月ドッグに現れた人物が本当にテンカワアキトか、あるいはそれに関連する人物ならば、この二人程捜索に適した人材はない

「さて、私はもう少しばかり、時間を稼いでさしあげましょう」

車を凶悪犯に奪われたプロスペクターは、そう呟くとようやく施設内部から転がり出てきた警備員達に抗議と言う名の足止めをするべく、一歩を踏み出した








あとがき





若者分が、若者分が足りない・・・



というわけで、第三話でした

ナデシコの影が薄いどころか、主に動いてるのが誰も彼もナデシコとしては年齢高めな人達ばかりです

これにゴートやウリバタケが加われば暑苦しさ全開だなあと思ったりしますが、どうなんでしょうか







次回予告







機動戦艦ナデシコ 『Imperfect Copy』





最悪の二人



「あー知ってるよこれ」

「マジかー」



出会った二人



「教えてください・・・・全部」

「・・・・わかった、全部話すよ」



揺れるナデシコ



「か、かかか艦長が行方不明!?」

「目撃者の証言によるとよ、一緒にいたのは・・・」





第四話

『秘密、来訪』







それでは次回で









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