第二話







第一印象は、最悪な奴等だった



「・・・で? 俺に治療させたいって患者はどこだよ」

「はい。実は中々訳ありな方でして」

「んなこと俺に頼むって時点でわかってるっての。大企業のネルガル重工さんの頼みだろ? 断りゃしねえって、死にたくないしな」

「いやいや、我が社はあくまで信用第一をモットーとしておりまして、決してそのようなマネは」

「そうかい。まあ、どっちでも良いけどよ」

「はい。ありがとうございます」

「・・・しっかし、こんな大病院の隔離病棟に入院してるのな、随分と大物みたいだな」

「それは黙秘させていただきます」

「・・・あ、そう」

「はい、申し訳ありません・・・・・と、着きました。ここです」

「ふーん。随分良い部屋に入ってんのな」

「ええ、まあ・・・・では、私はこれで」

「あ? 帰るのか? 紹介しねえと困るんじゃねえのか?」

「いえいえ、もうお話は通しておりますので」

「そうかい」

「はい、それでわ私はこれで・・・・あ、早々、シラキさん」

「あ?」

「隔離病棟とはいえ、ここも一応病院内ですので、おタバコはご遠慮下さい」

「・・・・」

「それでわ」

「・・・・・おーい、入るぞー・・・・なんだ、返事なしか。聞こえてねえのか? ・・・・と」

「・・・・」

「よお、俺が今日からお前の、一応主治医ってことになるボンクラだ。一応シラキナオヤって名前がある・・・・ん? そっちのガキは?」

「っ」

「・・・・・エライ髪の色してんのな、なんだ? 非行に走るにゃちょいと早いんじゃねえのか」

「・・・・」

「・・・? 俺の髪か? まあこいつはちっと訳ありでな、染めたわけじゃねえぞ、一緒にするなよ?」

「・・・・っ」

「? なんで逃げんだ? ってかそもそもなんでこんなガキがこんなとこにいんだ? まあ取り合えずこれからこいつの診察すっから、ガキは出てな」

「・・・っ!」

「あー・・・・いや、こいつが大事なのかもしんねえけど、そんなしがみ付いてたらなにも出来ねえんだよ。わかるか? わかんねえか。まあ良いや、とにかく邪魔だから出て―――」

「―――触るな」

「っ・・・・・アキト」

「・・・・あ?」

「ラピスに・・・・触るな」







五感を失った根暗男と、それにしがみ付いて離れない陰気なガキ

第一印象は、最悪な奴等だった










機動戦艦ナデシコ

 Imperfect Copy 』






『 虚像、来訪 』

 

 









「はあ・・・」

真昼間、砂漠の照りつけてくる日差しを避けるように、診療所の屋根の作る日陰、その中にあるベンチに座り、シラキは一服していた

今現在、診療所の中ではヒゲ爺がロウとユメを相手に家族サービスの真っ最中だろう。時折楽しそうなヒゲ爺の笑い声と、ユメのポソポソとした呟き、そしてロウの悲鳴が聞こえてくる

――― 悲鳴?

まあ良いか。とそんなことを考え、シラキはベンチに身を沈める

先程まで着ていた白衣をベンチの背に掛け、空を仰ぐ

「・・・あぢい・・・」

だらしなく、溶けそうなほどグッタリと四肢を投げ出しベンチに座り込む

やはり自分は熱いのも寒いのも嫌いだという事実を再認識する

診療所の中に戻れば、エアコンが効いているのだろうが、あいにく今は戻れない

――― 見られるわけにゃあ、いかねえしなあ

そう思い懐から取り出したのは、先程の分厚い資料だ

『IFS強化体質者に関するナノマシン及び遺伝子操作及び投薬内容の詳細』そう綴られた資料を、気の無い様子でペラペラと捲っていく

「・・・・あぢいっての」

ジッとしていると、体の中で熱が暴れまわっているような感覚がある、ベンチに接している部分が熱を持ち、ただでさえ尋常ではない熱さに拍車を掛ける

汗が滴り、手元の資料にポタポタと落ちた

横に掛けていた白衣を掴み、乱暴に汗を拭う

そしてそのまま、止まない熱さに苛立ちながら三十分程掛けて、資料を流し読みした

息をつきながら、白衣の懐に資料を収める

――― やっぱ、ねえか

元々期待していなかったが、やはり改めてその事実を目の当たりにすると落胆を押さえきれない

「・・・・はあ」

ため息を零し、そろそろ戻るかと立ち上がったとき

「おーいシラ兄」

声が聞こえ、振り返る。診療所の入り口で、ユメとロウが手を振っていた

家族サービスは終わったらしい

「・・・おー」

熱さと資料のせいで極度に無気力な体を引き摺り、シラキは一歩を踏み出す

そのとき、不意に視界に人影が写った

いや、それは別に珍しい物ではない。人影なんて今自分の目の前にある通りには捨てるほどある。だがその人影は、そんな中でもありえないくらいの異彩を放っていた

「お久しぶりですなあ。いやーしかしここは熱い熱い」

「・・・オメエか」

「はい、ご無沙汰しておりました」

声を掛けた人影が、その顔ににこやかな笑みを浮かべて頭を下げた

クリーム色のワイシャツに赤いベスト、そして金縁の眼鏡を掛けたその男に、シラキはうんざりするように頭を掻いた

「なんかあったのか?」

「ええ。まあ少々・・・・込み入ったことが」

眼鏡を押し上げ、プロスペクターはそう答えた

そして、赤いベストの内側に手を入れる。が、それをシラキは片手で制した

「あー、話があるのはわかったがよ」

そういって、ユメとロウがいる診療所の入り口を指差す

「取り合えず中入ろうぜ。熱くて死んじまう・・・・いや、マジで」







「ブラックサレナが、強奪された?」

ルリの言葉に、ウインドウに映るエリナが神妙に頷いた

「どういう、ことですか?」

『言葉通りよ。ネルガル月ドッグに格納されていたブラックサレナが、昨日未明に謎の襲撃者の手によって強奪されたの』

「・・・・まだ、あったんですか。あれ」

ルリは、誰ともなしにポツリと呟いた

あの火星の後継者事件の際に、テンカワアキトが使用したブラックサレナ

A級ジャンパー専用の、桁外れのスペックを誇る機動兵器

だがそれは、随分と前の北辰との決戦のときに、大破したはずだ。そしてアレ以来、ブラックサレナは使われていない。使う必要がなくなったこともそうだが、なによりも

そこで、ルリの胸がチクリと痛んだ。最近起こる、不可思議な感覚

ユリカを追いかけているときには感じなかった。そしてユリカを見送ってから感じ始めた、二人のことを思い出す度に胸を突く、痛み

そんなルリの様子を見て、エリナは懐から一枚の写真を取り出した

『監視カメラの映像から、犯人の顔を正面画として復元した物よ・・・・』

差し出されたそれを見て、ルリは息を呑んだ

エリナも当然、その写真の意味するところはわかっていた。だが、それでも敢えて聞いた

『この写真に映ってる人、見覚えがない?』

その一言に、ルリはエリナへと向けている視線を険しくした

だが、すぐに見返してくるエリナの眼の奥に見える感情を感じ取ると、ルリはつっと視線を下げた

「・・・間違えるはず、ないでしょう・・・・これは」

そこでまた、胸が痛む

その名を口にしようとするたび、突き抜けるような痛みを伴うその感情に、ルリは思わず胸へと手を当て身を折った

「艦長!?」

その様子に慌てて声を掛けてくるハーリーを片手で制し、ルリは眼を上げた

「・・・・大丈夫です」

「大丈夫って」

そもそも原因がなにかもわかっていないハーリーには、大丈夫といわれても一体なにが大丈夫なのかわからない

だがそれでも、ルリがそう言うのなら、大丈夫なのだろうか

逡巡する彼の肩に、手が置かれた、仰ぎ見ると、そこにはサブロウタがいた

彼はただ無言でハーリーへと頷きを見せ、そしてルリへと視線を移した

「大丈夫ですか? 艦長」

サブロウタの言葉に、ルリが僅かに顔を上げた

声を掛けることはしても、決して手を貸そうとはしていないそのサブロウタの様子に、ルリは薄っすらと笑みをたたえた

ルリのその顔には、痛みによって無数の脂汗が浮かんでいる

「・・・・ありがとうございます」

ルリの言葉に頷くサブロウタと、いまいちよく状況が飲み込めていないハーリー

痛みを逃がすように大きく息を吐くと、ルリはゆっくりとエリナへと視線を戻した

否、その視線はウインドウの中、エリナが差し出している写真の中へ

そこには

「・・・・これは」

再び、胸が痛む。だが今度は身を折ることも、胸に手を当てることもしなかった

ゆっくりと、呟く

「アキトさん・・・・です」







「アキトだな。こりゃあ」

診療所の一室、対面のソファーに座るシラキは、プロスペクターが差し出している写真を見てタバコを灰皿へと押し付けた

「間違いないだろ。ってかこんなの俺にわざわざ見せなくても問題ないだろうに」

「ええ、まあ確認だけならそうなのですが、何分こちらも色々と事情がありまして」

そう言って、笑いながらプロスペクターはその写真を懐へと収めた

「・・・事情、ねえ」

引っ掛かる物言いのプロスペクターに、シラキは眼を細める

「まあ、ブラックサレナってのが奪われたとあっちゃあ、確かに色々問題はあるだろうけどよ」

「はい。我々と致しましても、出来ればこの件は内密に処理したく思いまして」

シラキは、息を尽きながらソファーにもたれかかった

「・・・・で? それとわざわざネルガルを支える会計士さんが俺を訪ねてくるのと、どう関係があるんだ?」

その一言に、プロスペクターが眼鏡を指で押し上げた

「結論から申しますと」

そう言って、プロスペクターはゆっくりとその身を、シラキと同じようにソファーへと預けた

「・・・・テンカワアキトは、本当に死亡したのですか?」

数瞬、沈黙が支配した

相変わらずやる気のない目つきのシラキに、プロスペクターが試すような眼を向ける

懐から新しいタバコを取り出し、火をつけるシラキ

「それは俺が、死んでもない奴を死んだことにしたってことか?」

煙を吐き出す

「・・・・まあ、そういうことになりますかね」

「んなことする理由が見当たらんわ」

「ええ、私共もそう考えてはおります。理由がない」

そこで、プロスペクターは身を乗り出した

「もっともそれは、私共が知っている情報の範囲内では、ですがね」

試すような口調のプロスペクターのその言葉に、シラキは息をついた

「俺がオメエさん達が知らないなにかを知って、それでアキトを死んだことにしたってか」

「ありえないことであることは承知しておりますが、それでも現状で、彼らしき人物が現れることに対する理由などこの程度しか思い浮かびませんでしたので」

「・・・・もう一個、忘れてねえか?」

シラキの言葉に、不思議そうに眼を丸くする

「アキトの野郎が死んだのは、治療法が無かったからだろ」

吐き出した煙が、立ち上る

煙越しに見える蛍光灯の光に眼を細めながら、シラキは続ける

「仮に俺がそういう動機を持ってたとしても、今の今までどうやってアキトを生かしてた? ナノマシンの暴走を止める方法は、残念ながら現代医療じゃ確立されてねえ」

頭をボリボリと掻く

「おまけに、あんたらネルガルの監視をどう掻い潜ってアキトを運び出したってんだよ」

どうでも良さそうにそう言ってのけるシラキに、プロスペクターも笑った

「・・・・まあ、そうなのですがね」

言って、立ち上がる

「ご不快な思いをさせて申し訳ありませんでした。ただ、これは私の本心ではないのですが」

扉に向かいながら、背中越しにプロスペクターは喋る

「ネルガル上層部は、どうも貴方が今回の手引きをしていると思っているようです。まあ実際、先程も申し上げた通り、他に可能性が無い以上、仕方ないことではあると思うのですが・・・・」

「十分これもありえねえ可能性だとは思うんだけどなあ」

もう興味も失せたのか、プロスペクターの方を見もしないシラキ

そんなシラキの様子に苦笑すると、プロスペクターはゆっくりとシラキへと体を向けた

「ええ、ですが、現状この可能性が、ありえない中でもっともありえる可能性ですので・・・」

その言葉に、シラキはゆっくりと眼を細めた

面倒だな、と、心底そう思いながら

「建前は、もう良いんじゃねえか?」

「・・・・はい?」

シラキの言葉に、わざとかそれとも無意識か、半瞬遅れてプロスペクターが聞き返した

なんのことだかわからない、とでも言いたそうに

だがそんな様子など見もせず、シラキは短くなったタバコを灰皿に押し付けた

視線を送る。それを真っ向から受け止めながら、プロスペクターはいつも通り笑ったままだ

その態度に、たいした男だ。そう呟いて、シラキは小さく笑った

「・・・・スケープゴートだろ、俺は」

小さく漏れたその言葉、それに初めてプロスペクターは、わかり易いほどわかりやすく、苦笑いした

「テンカワアキトと目されている人物が犯行を侵し、しかもそれが明るみに出た場合、世間はおそらく昔の火星の後継者事件のときのテロリストがテンカワアキトだった事実を見つけ出すだろう。そしてもしそうなったとき」

シラキの眼が、初めて感情を露にした

気に入らない、とでも言うように

「三年前の事故で死んだはずのテンカワアキトを匿い、そして力を与え、あのターミナルコロニー連続襲撃犯に仕立て上げた男が必要になる」

ニヤリと笑うシラキに、プロスペクターは相変わらず苦笑したままだ

「今更ネルガルでした。なんて言えないしな、んなことすりゃ折角クリムゾン喰って盛り返してた勢いがパーだ」

新しいタバコを取り出し、しかしそれをしばし見つめた後懐に戻し、シラキは宙を仰いだ

「しかしそんな無理矢理なこと、出来ますかな?」

「出来るさ。オメエらがピアノのことトラックと言えば、例えそれがどんなに嘘臭くてもそれはトラックになる」

凶悪な笑みを浮かべるシラキに、プロスペクターは相変わらず微笑んだまま

しばしのときが、そのまま流れた

盗み聞きするために外からその一室の扉に耳をくっつけていたロウとユメが、一瞬顔を見合わせるほど、それは意外なほど長い沈黙だった

「・・・良いだろ」

溜息をつきながら、シラキはゆっくりと立ち上がった

白衣をパタパタとはたきながら、シラキは面倒そうに呟いた

「乗ってやるよ。その挑発に・・・・今から調査だ」

その一言に、プロスペクターがわざとらしく驚いて見せた

「おやおや、よろしいのですか? お忙しいはずですが」

「・・・最初からそのつもりだったんだろうが」

うんざりしたように肩を落とすシラキ

「まあどの道、今の状態でそのテンカワアキトっぽいのがなんかしたら、俺のせいにされちまうんだからな。他に方法もないわな」

「申し訳ありませんねえ」

「・・・・言ってろ」

半眼でプロスペクターを睨みながら、シラキは不意に足早に扉に近づき、乱暴に開いた

「うおっ!」

「・・・・うお」

開いた扉から、勢い余ってロウとユメが転がり込んできる

咄嗟にユメを庇ったロウが下敷きになる。その様子に苦笑しながらシラキは面倒そうに言った

「オメエらは留守番だ」

「えーっ!」

シラキの言葉に、上に乗っていたユメを押しのけてロウが起き上がる

「なんでだよ!」

「・・・よ」

抗議の声を上げる子供二人など端から相手にしていない様子で、シラキはタンスから拳銃を三丁ほど取り出し、懐に収めた

白衣を脱ぎ、砂漠の中を行くにしては厚手すぎるような灰色のヨレヨレのロングコートを取り出し、羽織る

そのとき、ありえないような数の金属の擦りあう音が聞こえたような気がしたが、プロスペクターは敢えて無視した

「子供二人置いてくのかよ! 飯とかどうすんだよ! 診療所は!?」

「・・・は?」

「あーうっせえなー」

両耳を塞ぎながら、シラキは部屋の中をグルリと見回す。忘れ物らしきものがないことを確認すると、シラキは大丈夫か、と呟き、まだ声を上げているロウとユメの頭に手を乗せた

そしてあらぬ方向を見つめながら、ボソッと呟いた

「大丈夫だー。お前らならきっと二人だけでも生きていけるさー」

「適当言うなあ!」

「・・・・なあ」

叫び、シラキの脛へと必殺の蹴りを繰り出す

だが

「ぐあ」

跳ね返ってきた有りえないほど硬度な感触に、ロウは思わず足を抱えてピョンピョンと飛び回る

「ケケケケ。脛当てだよ脛当て」

跳ね回るロウを見ながら、邪悪に笑うシラキ。仮にも保護者代わりの人間の取る行動とはとても思えない

「おや、なんじゃ出掛けるのか」

と、再び扉が開く。顔を出したのはヒゲ爺だった

プロスペクターを見つけ、初めましてと律儀に頭を下げる

いえいえこちらこそ、とさらに深く頭を下げるプロスペクター

「・・・・で? どこぞ行くのか?」

「ああ。長くなるかもしれねえから、ちょっと頼むわ」

その言葉に、ヒゲ爺の目がスッと細まる

抗議の色

ヒゲ爺の視線が、無言で足を抱えて半泣きになっているロウと、それに黙って寄り添っているユメへと移る

その視線に溜息をつくと、シラキは手でヒゲ爺を呼んだ

「わりい、ちょっと待っててくれ」

「はい、わかりました」

相変わらず微笑みながら答えるプロスペクターに片手を上げ、シラキはヒゲ爺と共に廊下に出た

照明のついていない廊下。昼下がりの強い日差しが、薄暗い廊下の窓から差し込んでくる

それに目を細めると、シラキはヒゲ爺へと振り返った

「言いたいことはわかるぞ」

「なら察しろ。今のこの時期にお主が家を空けたりなんぞして、万が一のことがあったらどうする」

「だからオメエ残ってくれよ」

「アホか」

話にならん、というように、ヒゲ爺は溜息をついた

「ワシが行かねば、誰があの二人の治療法を調べるというんじゃ」

その一言に、シラキは目を閉じる

吸い込んだ煙を確かめるように肺に留め、大きく息をつきながら吐き出した

空気と共に、言葉も漏れた

「・・・・なあ」

どうでも良さそうに、呟く

「今更だけどよ・・・アンタが駆けずり回るのは、やっぱ無駄なんじゃねえのか?」

言葉に、ヒゲ爺の体が僅かに強張った

だがシラキは気付かない。気付かないことにして、シラキはそのまま言葉を続けた

「あの二人を治すには、どうしたってあの研究所の―――」

「それが判れば苦労せんわ!」

声を荒げた

怒声が、廊下中に響き渡り、そして

しばし、沈黙が降りる

ハッと我に返ったヒゲ爺が、自分が怒鳴ったという事実に気まずそうに顔を伏せた

そんな、自分の育ての親であり恩人であり、そして師匠でもある老人の姿に、シラキはどことなく懐かしさを覚えた

昔と、変わった。そして、変わっていない、と

「・・・お主にとっては・・・」

顔を伏せたまま、ヒゲ爺は呟く

「お主にとっては、たった一月足らずの付き合いの子供なんじゃろうが・・・・ワシにしてみれば、もう五年以上も一緒におる・・・・家族なんじゃよ」

家族、ポツリと老人が漏らしたその呟きに、シラキの目が僅かに細まった

頭を掻く

出来れば言いたくなかったのだが、そう思いながら、シラキはあらぬ方向を見つめた

「安心しろよ」

ガラじゃない。そんなことを思う

こんなことで動く自分なんて、ガラじゃない

――― まあ、暇だったしなあ

そんな言い訳をしながら、シラキはタバコを懐から取り出した携帯灰皿へと押し付けた

死んだはずの、テンカワアキト

なのに現れた、テンカワアキト

奪った力、ブラックサレナ

その理由は?

そもそも、あのテンカワアキトはどこから現れた?

それらの疑問を、おそらく一発で解決出来る人間を、シラキは知っている

そしてあの男なら、あの二人の遺伝子治療のことも知っているはずだ

脳裏に過ぎるのは、二人の子供の顔

ロウとユメ

――― 本当、似合わねえなあ。オイ

自嘲か苦笑か、本人にすら判別のつかない笑みを浮かべると、シラキはヒゲ爺の肩を叩き歩き出した

まだなにか言おうと口をぱくつかせるヒゲ爺に片手を上げ、シラキはその場を後にした







世の中には、格が違う人間というものが存在するらしい

「・・・・おいおいマジかよ」

口の端から落ちるタバコなど気にもせず、シラキは呆然としているのか呆れているのかわからないような、呆けた表情で呟いた

その目の前には、一台のリムジン

別にこれだけならば、さほど驚くことではない、のかもしれない。ネルガルという巨大企業の会計が乗るにしては確かに大仰過ぎるが、別に不自然なことではない

だが問題なのは

視界を巡らせる。右手側に先程まで自分のいた町、住んでいる町並み

左手側、どこまで伸びるのかわからないほど遥か地平線の彼方まで続いている、一直線の道路

真正面、リムジン

上、ヘリコプター

そう、ヘリコプターである

風を撒き散らし砂を巻き起こしシラキの頭上をブンブン回っているのは、ヘリコプターである

さらに信じがたいことに、そのヘリコプターの下部から伸びたワイヤーが、これまた信じがたい場所に繋がっていた

リムジンの天井

頭を抱える。意味がわからない。ヘリ一台で明らかに問題ない、リムジンの意味がわからない

そしてなぜかそのシラキの横では、同じようにプロスペクターも頭を抱えていた

「・・・・こりゃあ、なんだ」

「・・・・私も知りません・・・迎えの者が来るとしか聞いておりませんでして・・・」

日頃から節約が口癖と言っても良いプロスペクターである、こんな意味のわからないことにリムジンやヘリを一台使っている光景など、どれほどの心労になるのであろうか

どこから取り出したのかわからない胃薬を、同じように出自不明なコップに満たされた水で喉に流し込むプロスペクター

「・・・・アンタも、大変だな」

「会長には・・・・振り回されっぱなしです、はい」

――― アイツか

脳裏に浮かぶ、自分は数回しか会ったことのないニヤニヤ笑いのロンゲ男の顔

「・・・・行くか」

「・・・はい」

諦めたのか、二人は溜息をつきながら首を回し、一歩を踏み出した

そこでシラキは、さらに意味不明の物を見る

「ささささ・・・・」

「・・・・ささ」

あれはなんだろうか

自分達の足元を這いずり回って通り過ぎていく、茶色の布を被った謎の物体二つ

保護色のつもりなのだろうが、幾ら砂漠とはいえ灰色の道路の真ん中を茶色い物体二つが進む姿は、もうどうしようもない

「ふっふっふっ。俺たちを舐めんなよ!」

「・・・・なよ」

茶色い物体が蠢く

同時に、なにか聞き覚えのある声がした気がする。独り言のように聞こえた気がする

――― 気のせいか

自分に言い聞かせる。そうだ、気のせいに決まってる

自分の知り合いに、あんな茶色くて地面を這いずり回る趣味の悪い物体はいない。いてたまるか

だがそんなシラキの葛藤を無視するように、その物体は一直線にヘリに吊り下げられているリムジンへと向かっていく

「・・・・」

考える

茶色い物体は、リムジンへとさらに距離を縮める

「・・・・」

銃声が響く

着弾は四発。いずれも地面を這いずる茶色い物体の左右に二発ずつ

唐突な発砲に混乱したのか、茶色い物体がうねうねと蠢く

そんな物体にコメカミをピクつかせながら、シラキは近寄った

シラキの接近を感じ取ったのか、茶色い物体の動きが止まる

近くで見ると、よくわかる。ただの布である。こんな物で本気で誤魔化せると思ったのだろうか、もし本気なら、自分の教育方針か、或いはあの爺の教育方針が根本から逆ベクトルに一直線だったということだ

未だ硝煙の上がる拳銃で額を小突きながら、シラキは溜息をつく

「オメエらは留守番だっつってんだろ」

その一言に、茶色い物体が動いた

被っていた茶色の布が翻る。出てきたのは、二つの小さな影だった

ロウとユメ

やっぱりか、と、判りきっていた事実に改めて落ち込むシラキ

そんなシラキを、二人は細めた目で睨みつける

「・・・・なんでだよ」

「・・・よ」

座り込んだ二人が、ガンとして動かないことを全身で訴える

「なんでもなにもねえってんだろうが。すぐ戻るっつうの」

そんな二人に再度の溜息をつきながら、シラキは適当に手を振った

「それにヒゲ爺が残るっつってたっつうの、オメエらは心配すんな」

「でも―――」

「良いから。オメエらはただ黙って待ってりゃ良いんだよ」

それだけ言うと、これ以上は時間の無駄だとでも言うように、さっさと歩き出す

座り込む二人の横を、通り過ぎる

――― え?

そのとき、不意にユメは感じた

慌てて振り返る。見えるのは、プロスペクターと名乗った男と、リムジンに乗り込むシラキの後ろ姿

不意に、どうしようもない焦燥に駆られた

気付いたときには、走り出していた。背後から慌てたように声をかけてくるロウの声に一瞬足を止めそうになるが、それでも走った

肩まである程度の黒髪が、風に揺れる

ヘリの巻き起こす風に目を細めながら、それでもユメは走り

「・・・あ?」

シラキの、灰色のコートの袖を、掴んだ

不思議そうに見下ろしてくるシラキの顔。それを見てなぜか、ユメの胸をどうしようもない不安が駆け巡る

理屈ではないところで、ユメはなにかを確信した

「・・・・ダメ」

首を振りながら、必死に喋る

なにがダメなのかわからない。だが、どこか胸の内の絶対的な部分が、必死に叫んでいた

この男を、行かせてはならない

二度と会えなくなる。根拠もない妄想が、自分にそう語りかけてきていた

「行っちゃ・・・・・ダメ」

だがしかしシラキは、そんなユメに苦笑しか浮かべなかった

子供の戯言以上の意味を見出さなかったシラキは、必死に自分のコートの裾を掴むユメの頭に、手を置いた

「なに言ってんだ。心配すんなって」

「・・・・ダメ」

上手く、言葉にならない。それでも必死に、ユメはすがりつくように言葉をつむいだ

「・・・・だめえ」

涙が浮かぶ

「・・・・行っちゃ、ダメ・・・・」

なぜ自分は、こんなに必死なのか。それすら理解出来ないまま、ユメはただそれしか言葉を知らないように、それだけ呟く

そんなユメに、シラキは困ったように視線を泳がす

どうにも、こういうのは苦手だ

強引に振りほどいても良いのだが、こんなに必死な様子の子供にそう言うまねをするのは、さすがに憚られる

先に座席に乗り込んでいたプロスペクターと、不意に目が合った

助けを求めるように、シラキはユメを指差す。だがプロスペクターは相変わらずの微笑を称えたまま、手を振った

自分でなんとかしろ

こいつはやはりアテにならない。シラキはそんなことを考え、ユメの頭に乗せていた手を上下させた

「大丈夫だって言ってんだろ?」

「・・・・でも」

「ほら、向こうでロウが混乱してんじゃねえか」

その言葉に、ハッとなったようにユメが視線を背後に戻す

すっかり取り残されたロウが、所在なさげにオロオロとしていた

「・・・・あ」

ポツリと呟き、そして意識がシラキから僅かにそれたその瞬間、車のドアが閉まる音が聞こえた

視線を戻すと、すでにドアの閉まったリムジンが、ヘリによって上空へと飛ぼうとしている瞬間だった

それを、呆然と見つめる

そんなユメの様子に狼狽するロウが、おずおずと背後から声を掛けた

「どうしたんだ? ユメ」

「・・・・わからない」

俯き、首を振る

「・・・・わからない」

なぜ自分は、あんなにも必死だったのか

なぜ自分は、あんな根拠もないことを不意に思いついたのか

なぜ自分は、そんな根拠もないことに、ここまで心を乱されているのか

俯き、ただ佇むユメを、ロウは所在無さ気に見つめることしか出来なかった







月ドッグから出てすぐの場所に広がる町

その商店街を、ルリは私服姿で歩いていた

月に季節は無い。常に人間にとって最適に調整されている環境は、一年中ほぼ同じ気温と湿度を維持している

一年で気温が激しく上下する日本とは大違いだ。だが、その人生のほとんどを日本で過ごしてきたルリにとっては、その一見住みづらい環境も今は懐かしい

ここまで徹底して管理された気候というのは、どうにも味気ない

一年中春。そんな言い方をすれば聞こえは良いのかもしれないが、どうにも最近気持ちが沈みこむ易いルリとしては、そんな風に考えることすら一苦労だった

伏しがちな視線で、ルリはただ町を歩く

明日、ネルガルの本社へと詳しい状況を聞くために出港する予定だ。通信で行っても良いのだが、如何せん色々と問題になりそうな事柄だけに、盗聴の可能性を考慮しての、直接の対談となった

白いシャツに薄手の茶色の上着、そしてGパンという、年頃の割には随分と味気ない服装のルリは、ただ黙って町を歩く

髪の色などすでにどうとでもなるこの時代、ルリの銀髪は然程目立つことは無く、人波の中でただ歩くルリはただの雑踏の一員だ

あの、エリナからの通信を聞いた直後、サブロウタが自分に散歩をしてこいと言い渡してきた

おそらく彼には、自分の気持ちが落ち込んでいることなど、お見通しだったのだろう

仕事も片付き、後は部屋に戻り休むつもりだったルリに、彼は部屋の中で鬱々とするよりも、町をブラブラと歩く方がまだ気晴らしになると言った

それが事実かどうかは、今のルリにはまだ知る由もない。あまり変わらないような気さえする

服でも買おうかとも思ったが、年がら年中軍服である以上、そんなことに金を使うのも、どうにも違和感を覚える

小物や髪飾りでもとは思うが、今の赤い髪止めが気に入っているし、これ以上細々とした物を増やしても、部屋がわずらわしくなるだけだろう

――― 随分と、枯れた考え方ですね

そんな自分に苦笑しながら、ルリはただ歩く

もう帰ろうか、そんなことを思った

そのときだった

何気なく巡らせた視線。その中に、ルリは見た

流れる雑踏。行く人来る人の二つの波の中、そこに

金色の目が、見開かれる

忘れるはずがない。あの人がいた

それは、自分の記憶の中、最後に見たあの人とは、随分とかけ離れた姿

だが、そのさらに奥にある記憶と、重なる姿

漆黒の外套を羽織らず、あの顔を覆っていたバイザーすら外し

微笑みすら称えた顔で、彼は、そこにいた

テンカワアキトは、そこにいた








あとがき





暑い。太陽の人は少し頑張りすぎだと思います。マジで



というわけで、第二話でした

人間弾薬庫、シラキナオヤ。別名ヘビーアームズ

多分銃弾一発当たっただけで大爆発します。特攻野郎です

やたらネガティブなルリと、あれな臭いムンムンのシラキ

どうなることやら







次回予告







機動戦艦ナデシコ 『Imperfect Copy』





どこかから来た誰か



「あな・・・・たは・・・・」

「久しぶりだね。ルリちゃん」



再会する二人の男



「いよーう。生きてるかあ? 糞野郎」

「おやおや、相変わらず礼儀を知らないようだねえ。君は」



出会う人形



「この辺りに、小さな診療所があるって聞いたんだけど」

「あっ、それなら」





第三話

『真実、来訪』







それでは次回で









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