始まりは、呆れるほど酷く些細なものだった

一人の男が死に、女が生き残った

それだけのこと、どこにでも転がっている悲劇

ただ、同時にその女の願いも、酷く些細なものでしかなかった

男に会いたいと、ただそれだけの願い

それだけのこと、どこにでも転がっている願い

誰もが抱く、死人への想い

理不尽な別れも、現実の前ではただひたすらに事実でしかなく

その事実を変えることなどできない、非力な人間は、ただ理不尽な現実に折り合いをつけて、生きて行く

その女の唯一の不幸であり幸いは、それが当てはまらなかったこと

死人と出会う術を得たこと、それを知ったこと



一人の男が死に、女が生き残った

女は、もう一度会いたいと願った





ただ、それだけの話





機動戦艦ナデシコ


Graduation STORY





  『大切なモノ、なんですか?』

 

 



― 火星極冠遺跡 遺跡制御ルーム ―



薄暗い、ただコンピューターの観測モニターから漏れる光だけが、頼りなく浮かび上がっている空間

そこに二人の男が対峙していた

二人とも白衣を羽織った、片方は白髪、もう一人はなんの変哲もないただの黒髪

白髪の男、シラキに背を向けたヤマサキは、満足そうに目の前にある巨大なスクリーンに映る映像を眺めている

その後方、三メートルほどの距離を置いて、シラキが懐からゆっくりと拳銃を取り出した

「なにか言い残したいことでもあるなら、聞くぞ?」

「はは、意外だねえ、噂で聞いていたよりは随分と甘いじゃないか」

シラキの言葉にさも可笑しそうに肩を揺らすヤマサキ

それを見て、シラキも薄っすらと笑った

「職業柄、遺言はなるべく聞くようにしてんだよ」

「遺言・・・・遺言ね」

「ま、ないならないで構わねえがな」

「おっと、それは困るよ。私とて何か一つくらい残して死にたいからね」

ヤマサキの言葉に、シラキはくわえたタバコを吸った

「・・・・どこまで分かってるんだい?君は」

「さあね、取り合えずこの事件がマジであの女の独走だったってことくらいだな・・・・ったく、軍もネルガルも見事に踊っちまったってこったな」

「はは、なるほど・・・・存外、露骨過ぎる芝居だったかな?」

「そりゃあな、ここに来るまでに会ったのがお前らに拉致られた研究所員だけってんだ、オマケに繰り出した戦力は全部無人兵器、気づかない奴は全力バカか、よほどのヤクチュウだよ」

「ははは・・・そうか・・・・なるほど、ね」

笑うヤマサキ、だがいつの間にかその笑みにはどこか擦れたような疲労感が浮かび上がってきていた

「いや、失礼。ここ一週間ほどロクに寝ずに研究を続けていたのでね、少々つらい」

「仕事熱心だねえ」

「いや、趣味だよ。これは」

そのヤマサキの言葉に、シラキは拳銃を持っている手に、少しだけ力を込めた

「良い趣味してるな・・・・人間歪むぞテメエ」

「残念ながら二年ほどまえにそういうものは経験し尽した・・・・もう歪みようがないほど歪んでいるよ、私は」

「やだねえ、そういう達観したものの見方」

「では、達観ついでに一つ私の話しでも聞かないかな?」

ため息を漏らすシラキに構わず、ヤマサキはゆっくりと振り向いた

そして、今まで無造作にポケットに突っ込んでいた手を引き抜くと、両手を広げた

「君は、神様を信じるかい?」





― 火星極冠遺跡 ―



「ユリカ・・・さん」

背後から聞こえてきた、緊張で引きつったユキナの声

それを背中に受けながら、ルリは一歩を踏み出した

巨大な、ドーム状のその部屋。その床にはビッシリと複雑な模様が描き尽くされていた

その意味はルリにも、そしてその背後にいるナデシコクルーにもわからない。ただ、なんとなくその模様が、どこか遺跡の演算ユニットに掘り込まれていたあの紋様と似通っていることだけは察しがついた

部屋の中央まで、目算で十メートル以上

床に描かれた模様の、その中心部に佇むユリカを、ルリは真っ直ぐに見つめた

「ユリカさん」

口から漏れた言葉、その声量は決して大きいものではなかった。だが、その言葉は、物音一つしないその部屋の隅々にまで行き届いた

「成功確立は・・・・どのくらいなんですか」

余りに予想外なルリの言葉に、背後にいたナデシコクルーはみんな一様に首を傾げた

ルリには分かっていた。ユリカの言うアキトに会う方法と、そしてそれが如何に無謀で困難なことなのかも

最初はまさかと思った。自分の考えすぎだと、だが、この部屋に入り、そして彼女を取り囲むように描かれたその無機質な模様を見て、ルリは確信した

アキトに会うための、唯一の方法。それは・・・・



ランダムジャンプなのだ、と



「・・・・やっぱり、ルリちゃんは賢いね」

懐かしい声がした。実際に聞いていなかった時間など一週間そこらでしかないのに、その声は酷く懐かしかった

自分の予想が当たったこと、そしてそれを実行しようとしているユリカ

駆け寄って言いたかった。やめてくれ、と

貴方まで、行かないでくれ、と

だが、そんな感情を表に出すことはなく、ルリはただ無表情にユリカを見つめ続ける

「成功の目処は、立ってるんですか?」

「うーん・・・・五分五分ってところかな」

ニヘラと笑ってみせるユリカだったが、その笑みが引き攣っていることなど、ルリには簡単にわかった

失敗を怖がっているわけではないのだろう、きっと、自分たちにどういった態度で接すれば良いのか、わからないのだ

殺す気はなかったのだと思う。もしそうなら相転移エンジンみたいな中途半端なところは狙わず、ブリッジをあのボソンボムで破壊している

だが、彼女が自分たちに牙を向いていたのも、また事実だった

しかしルリは思う・・・・どうでも良いと、そんな些細なことはどうでも良いと

今自分たちはここにいる

彼女の前に、いるのだから

「・・・・ランダムジャンプ」

そのルリの呟きに真っ先に反応したのは、軍人であり背後のナデシコクルーの中でもっともジャンプに対する知識を持っている、ジュンだった

「ユリカ、まさか」

その呆然とした呟きにも、ユリカはやはり笑って答えるだけだった

「え?なになに?ランダムジャンプって?」

ユキナがジュンへと顔を向けるが、ジュンは相変わらず険しい顔つきでユリカの方を見据えるだけだった

「ランダムジャンプ・・・目的地のイメージを明確に行うことなく行うジャンプの総称。人間の生存本能のお陰で宇宙などの生態活動が行えないところにジャンプする可能性は低いものの、その遺跡の特性から時間軸を完全に無視した形でジャンプが敢行される現象」

一歩前に出る形になったルリが、背中越しにユキナに呟いた

「それって」

時間軸を完全に無視した形、その意味を悟ったユキナが青くなる

「アキトに会う方法は・・・・それしかねえってか」

リョーコの声が割り込んできた。その声は幾分か震えている

その言葉に、ユリカは頷いた

そして、それを引き金にリョーコはきつく握り締めていた手を開いた

「!!中尉!!」

そのリョーコがやろうとしていることをいち早く悟ったサブロウタが背後から素早く彼女を羽交い絞めにした

「離せサブ!!離せ!!・・・・ユリカア!!」

サブロウタの拘束から逃れようともがくリョーコだが、それが無理と悟ると部屋の中心部に相変わらず佇むユリカに向かって叫ぶ

「お前逃げんのか!?違うだろ!?昔に戻ったってそこにアキトはいねえんだぞ!?」

「中尉!落ち着けって!!」

「過去変えて!!そこでアキトと幸せになったってな!!それはお前の好きだったアイツじゃねえんだ!!」

リョーコの言う通りだった。仮にユリカが過去に戻り、アキトと出会ったとしても、それはすでにあの、ユリカを助けるために命を、全てを削ったアキトではないのだ

「お前言ってたじゃねえか!!私らしくって!今まで作ってきた大事なモノぶっ壊しちまうからってルリの言葉に!!お前納得したじゃねえか!!アキトと一緒に歩いていくって!あんな恥ずかしい痴話喧嘩で戦争とめたじゃねえか!!だから俺らは遺跡壊さなかったんじゃ!!過去を変えなかったんじゃねえか!?」

「はい」

「なら!!」

「変えるつもりは・・・ないですから」

ユリカの言葉に、リョーコはサブロウタの羽交い絞めから逃れようともがいていた動きを止めた

「なんだと?」

「もしこれが成功して、昔のアキトに会えたとしても・・・・それは私の大好きだったアキトじゃ、ないんです・・・・私のために、ボロボロになって頑張ってくれた、アキトじゃないんです」

「だったら―――」

「でも!!」

尚も口を開いたリョーコの言葉を、ユリカは強引に遮った

その、吐き出すような叫びに思わず口を紡ぐリョーコ

そんなリョーコに、ユリカはただ俯いたまま呟く

「もう一度だけ・・・・会いたいんです。一目でも良い、話せなくても、アキトが私と気付かなくても、良いんです。だって・・・このままじゃあ、私は・・・・」

「ユリカさん」

凛と響く声に、一同の視線が彼女へと集まる

ルリは、ただ真っ直ぐにユリカを見て、言った

「過去に戻っても、それがアキトさんが死んだ時期にジャンプ出来るとは、限らないはずです」

「・・・・うん」

「全く別の時間軸に跳ぶかもしれません。もしかしたら、何百年も前かもしれない、もしかしたら、アキトさんが死んだ後の時間に跳ぶかもしれません」

「・・・うん」

「わざわざ遺跡を占拠したのも、ランダムジャンプの研究をしていたから、でしょう?」

「・・・うん」

「ならもし失敗しても、もう一回なんて簡単に跳べるものでも・・・」

「・・・うん」

成功率は、呆れるほど低い

ほとんど無限に近い、様々な時間軸、平行世界の中から、アキトのいる世界に跳ぶ

それがいかに無謀で、絶望的なことなのか

だがユリカは、その可能性に賭けたのだ

たった、1パーセントに満たない確率のために、ユリカは全てを投げ打ったのだ

ならば

「それでも、行くんですか?」

「うん」

ならば見送ろうと、ルリは思った

寂しくないはずがない、悲しくないはずがない

自分の、もっとも大切なはずである人間を、二人も失くしてしまうのだ

止めたい、ただそれは・・・・それだけはやるべきではないのではないかと、ルリはそう思った

「無茶だよユリカ!!」

「そうだぜ艦長!そんな無茶なジャンプ!!」

背後から聞こえるナデシコクルーの声も、もっともだと思う

いや、むしろ彼らこそが正しいのだろう

たった一人の死んだ男のために、自らの命を投げ出すようなものだ

そんなことが、正しいはずがない

だが・・・・

不意に、風を感じた

驚いて横を見る、そこには

いつの間にか自分の横に歩み寄ってきたラピスが、佇んでいた





― 火星極冠遺跡 遺跡制御ルーム ―



「・・・・紙?」

「神だよ神」

「あー・・・悪いな、そういうの一欠けらも信じてないから」

「そうか、残念だね」

シラキの言葉に苦笑を浮かべると、ヤマサキは視線を上へと向けた

別にそこに何があるわけでもなかった、ただ、シラキには見えない何かを、彼は見ているような気がした

「私はね、一度だけ見たことがあるんだよ」

「神をかあ?」

心底胡散臭そうに眉をしかめるシラキに、ヤマサキは一拍置いて答えた

「君は信じていないと言うが、それでは神とはなんなのだろうね」

「知らね」

「世間一般では神とはいわゆる万能な存在と言われている・・・・だがね、私は神とは物理的な制約に捕らわれないとか、人間に出来ないことを出来るとか、そういうことを考えたことはない」

「あ?」

「・・・・そう、綺麗だったんだよ。ただ、それだけさ」

満足気にうなずくヤマサキの脳裏には、かつて見たその神の姿が浮かんでいた

彼女は確かに、そうだったかもしれない

自分たちに操られていたとはいえ、彼女は確かに時を、時空をありのままに支配していた

そう、あの時あの瞬間、彼女は―――テンカワユリカは、確かに神であったのだ

「結局」

響いてきた声に、ヤマサキは思考から顔をあげた

その目線の先にいるシラキはどこか皮肉気にゆがめられたその口を動かした

「結局、男と女の惚れた腫れたの話だったってこったなあ」

そのシラキの言葉に、ヤマサキは苦笑するしかなかった

「そう、だねえ・・・確かにそうだ。他につける理由もないね・・・・笑うかい?こんな私を、そして彼女を」

「笑って欲しいってんなら幾らでも笑うぞ?」

「それは勘弁だな・・・・これでも、命を張ったモノを笑われるのは、きついものがある」

「きついねえ、今まで散々人殺してきた人間が言えた台詞じゃねえよな」

「それは君もじゃないかな?」

「俺のは生きるための生活手段、お前のは趣味」

言うと、シラキは思い出したようにいつの間にか下げていた拳銃を、再びヤマサキに向けた

「・・・撃つのかい?」

「おうよ」

さも当然のように頷くシラキに、ヤマサキはその疲れきった表情に、苦笑と共に陰を落とした

「・・・・なぜだい?」

「頼まれたんだよ、アンタの実験材料に」

思い浮かぶ男など、二人にとっては一人しかいなかった

彼以外の、ヤマサキが弄んだ人間たちは、皆ことごとく死んでいったから

向けられた銃口を見ながら、ふと思い返す。どこで間違ったのだろうかと

何人も殺しておいて、笑いながら看取っておいて、こんな疑問を浮かべること自体おこがましいのはわかっている

だが、今更死人に払う敬意などない

逆にきっと、自分に払われる敬意もないだろう

それで良い。それで少なくとも自分は満足して死ねる

遺族とか、そういった人間の意志などヤマサキの知ったことではない。実験材料と、自分、この二つの間にある問題に、あんなろくに訳や状況や情景も知らない人間たちの入り込む余地などないのだから

「それは・・・・私が殺してしまった男かい?」

自嘲の笑みと共に問い掛けた言葉、だが、その返答は意外なものだった

「いんや、寿命だ」

あっさりとそう答えたシラキ、その余りに真っ直ぐな瞳に、ヤマサキは思わず震えた

「・・・く・・・・くく・・・あは、あはははは」

急に笑いだしたヤマサキを、シラキは気味悪そうに見つめた

「なんだ狂ったか?」

「はは・・・どうだ、ろうねえ・・・狂ってるのは、どっちだい?」

「お前だろ?」

「ふざけるな!!」

哄笑をとめると、ヤマサキは叫んだ

「寿命だって?ふざけるのも大概にしてくれ!殺したのは僕だろう!?彼の、彼らの寿命を殺ぎ落とし、五感を奪い、壊し尽くしたのは僕だろう!?」

豹変したヤマサキを、シラキは冷めた目で見下ろしていた

「そんな台詞で僕の罪の意識を軽くしようとでも言うのか!?はんっ!本当にお人よしだね君は!最低の偽善者だよ!!」

「・・・・バカじゃねえの?」

つぶやかれたその言葉に、思わずヤマサキの勢いがとまる

「・・・・なんだと?」

「いや、お前ら如きに、あいつは殺せねえって」

さも当然のようにそう言うシラキ

「満足して逝ったぜ?あいつ。少なくとも普通の人間並みにはな」

「・・・」

「まあやりたいことは色々あったと思うが・・・んなもんにまで一々付き合ってられんしなあ」

「・・・・じゃあ、私は―――」

絶句するヤマサキに、シラキは唐突に発砲した

「!!」

「わはははは」

右肩に直撃した銃弾に倒れこむヤマサキを見て、シラキはやる気なさそうに笑った

「な、なにを」

「あほう、お前があのバカ女そそのかしたせいで俺は右肩撃たれたんだ、責任取れ」

「な!?」

余りに理不尽で唐突な物言いに思わず口を開こうとして、やめた

なるほど、と思う。つまりはこういうことなのだ

いや、自分がやったことは、こんなことよりももっと理不尽な、純然とした暴力だったのだろう

真っ当な理由などなく、ただ自らの好奇心を満たすためだけに、たくさんの人間の平穏な暮らしを引き裂いた

泣き叫んだ者もいた。恨み辛みを吐きかけて死んだ者もいた

弾けた者も、発狂した者も、皆等しく自分にとっては実験材料でしかなかった

そして、彼らにとっても自分はただの怨念、怨嗟の対象でしかなかった

いつのまにか、口元に笑みが浮かんでいた

馬鹿らしかった。自分や、そして彼らが

「もう一回笑っといてやるかな」

そして、そんな自分の耳にシラキの声が響いた

「俺は今からお前がやったバカなことを笑うぞ、良いか?・・・わははは」

そんなやる気のない笑い声を聞きながら、ヤマサキも笑う

この男も、馬鹿なのだ。と





― 火星極冠遺跡 ―



いきなり動いたラピスに、一同の視線は集中した

だが、彼女はそんな皆の視線などまるで無視し、ルリの隣からゆっくりと歩き出した

誰も、声を掛けることは出来なかった

ただ、その桃色の髪の少女のゆっくりとした歩みを、見つめていた

小さな歩幅で、小さな体で、ラピスはユリカへと近づいていく

その手にある物を、しっかりと抱き締めながら

十メートル程の距離を、一分ほどを費やして歩ききったラピスは、目の前にいるユリカを真っ直ぐに見上げた

その金色の瞳は、不安気に揺れている

そんなラピスの姿を見て、ユリカはフッと口元を緩ませた

「貴方が・・・・ラピスちゃん?」

体を屈ませ、ラピスと目線を合わせると、ユリカは噛み締めるように尋ねた

自分の声が震えていることに、ユリカは少し驚いた

アキトを、その小さな体でずっと支えてくれてきた、目の前の少女に、ユリカは申し訳ない気持ちで一杯になった

どれだけ辛かったのだろう。その小さな体で、あの、身も心もズタズタになっていたアキトを支えるのは、どれほど苦しかったのだろうか

ツンと目の奥が痛んだ。また泣きそうになる、涙脆くなってしまった自分を責めながら、ユリカはその潤んだ瞳で、ラピスをただ見つめ続けた

「ごめんね・・・・ラピスちゃん」

「なんで謝るの?」

「・・・・・そうだね」

「辛くなんて、なかった」

自分の考えを見抜いたような言葉に、ユリカは思わず息が詰まった

「ユリカは・・・・辛かったの?」

不思議そうに尋ねてくるラピスに、ユリカは思った

この子にとっては、アキトを支えるのは当たり前なのだ

例えその結果自分が傷ついたとしても、それは彼女にとってみれば取るに足らないことなのだろう

アキトの傍にいること

アキトが、少しでも自分を支えにしてくれていること

彼女はきっと、それだけで満足なのだ

驚きで強張っていた表情を緩める、嬉しさの余りこみ上げてきた涙を、ユリカは再び噛み締めた

この子も、きっと自分と同じなのだ

「そっか・・・・ごめんね」

「なんで謝るの?」

「うん、そうだね・・・・ごめんね」

ユリカの要領を得ない言葉に、ラピスは不思議そうに首を傾げた

が、ふと思い出すと、ラピスはゆっくりと今まで胸の前で組んでいた両手を差し出した

「これ、あげる」

その手の中にある物を見て、ユリカは心底驚いた

それは





― 回想 ―



「―――」

「なに?アキト」

「―――」

「・・・・なんでいきなり、そんなこと言うの?」

「―――」

「アキトは、死なない。だから、そんなの要らない」

「―――」

「え?・・・・でも」

「―――」

「・・・・わかった、でもこれは遺品っていうのじゃない。アキトが、私にくれた。それだけ」

「―――」

「捨てないし、誰にもあげない。ずっと私が持ってる」

「―――」

「・・・・うん、大事にする」





― 火星極冠遺跡 遺跡制御ルーム ―





二人が笑い終えてしばらく、なんとか倒れていた体を自力で立て、座りなおしたヤマサキと、そんな彼に相変わらず銃を向けているシラキ

「撃たないのかい?」

まだ先ほどの笑いの名残が残っているのか、わずかに口元を歪ませて、ヤマサキはたずねる

自分と彼の理解の時間は、終わった

あとは、それぞれの望む形で、決着をつけるだけだ

「・・・・そうさなあ」

そんなある種の覚悟を決めたヤマサキを眺めて、シラキは面倒そうに首を傾げた

「僕は、君にとって仇だろう?」

そんなシラキに問いを投げかけるヤマサキ

だが、その当のシラキは、その言葉を聞くとあっさりと断言した

「別に、ただ仕返しに来ただけだよ」

その余りに予想外な返答に、思わず目を丸くする

「意外だね・・・・僕はてっきり君とテンカワアキトは親友同然なものだと考えていたんだが」

でなければ、約束を守るために戦艦に乗り、わざわざテロリストの本拠地である火星まで危険を冒してやって来たりはしないだろう

「復讐なんて大層で賢そうなことなんざ興味ねえよ。ただ頼まれたから来た、それだけだ」

「では殺さないのかい?僕を」

「言ったろ?仕返しだって。殺したら復讐になるだろうが」

そのシラキの適当で投槍な物言いに、ヤマサキは再び笑った

「至って単純だね・・・殺したら復讐で、殺さなければ仕返しなのかい?」

「ま、そんな言葉遊び興味ないけどな。気分の問題だよ、気分の」

彼へと向けていた銃を肩に掛けると、シラキは面倒そうに息を吐きながら、背を向けた

「・・・・行くのかい?」

「まあな」

その遠ざかっていく白衣の背中を、おそらく自分が殺してきた様々な人間も見たであろう、その白衣の背中を見ながら、ヤマサキは呟いた

「好奇心で、一つ・・・・良いかい?」

「あん?」

立ち止まる背中。それに向かってヤマサキは尚も言葉を紡ぐ

「その髪・・・・君ももしかしたら」

シラキの年齢で、真っ白な頭髪など通常ならあり得ない

だからヤマサキは疑った

彼ももしかしたら、どこかの誰かの実験材料にされたのかもしれないと

アキトの遺言を根拠もなく守ろうとしたのも、もしかしたらそれが原因なのかもしれない

だが、ヤマサキの予想をシラキはあっさりと裏切った

「あー・・・・そんなに気になるもんか?これ」

「そりゃあね」

「染めっかなあ。あの生意気娘も似たようなこと聞きやがったし」

髪をつまむシラキに、ヤマサキはさらに尋ねた

「君ももしかしたら、誰かの実験材料にされたのかい?」

「・・・・・あ?」

シラキにとっては余りに予想外の言葉だったのだろう、間の抜けた表情でヤマサキを振り返った

が、ようやくその言葉の意味を理解すると、シラキは面白くて仕方ないという風に笑いだした

ヤマサキは全く想像していなかったシラキの反応に、ただ呆然と笑い転げるシラキを見つめる

ひとしきり笑った後、シラキは腹を抑えながらようやく喋った

「ひー・・・腹いて。バカかオメエ?俺がそんな研究される価値があるほど大層な人間に見えるかあ?」

「・・・違うのかい?」

「全然違うっつうの。あー笑った。オメエ芸人にでもなったらどうだ?そんな発想中々出てこねえぞ普通」

言い終えると、シラキはまだ笑いの余韻が残っているその表情のまま、ヤマサキに背を向け歩き出した

だが、入り口の前まで来て立ち止まる

その行動が、少なからず彼に答える意思があると受け取ったヤマサキは、重ねて尋ねる

「じゃあ、なぜだい?」

「昔、人喰った」

「え?」

背中を向けたまま、シラキは肩を竦めた

「そんだけだ」

シラキにとっての過去など、その程度のことなのだろう

髪を白いまま放っているのも、別にそのかつて自分に起こった出来事を忘れないようにしているとか、そんな大層な理由ではない

ただなんとなく

それだけの理由で、シラキには十分過ぎるのだろう

ぼんやりとシラキの背中を見つめていたヤマサキだったが、不意にその顔に笑みを落とした

歩き去ろうと足を踏み出したその背中に、再びヤマサキの言葉が当たる

「彼女を・・・・頼む」

その言葉に出しかけた足を止めると、一瞬だけ考えるような時間を置き、シラキは笑った

そして、そのニヤついた顔だけを向けると、壁に倒れ掛かったヤマサキに向かって、答える

「やなこった」





― 火星極冠遺跡 ―



「アキトが・・・・言ってた」

差し出されたそれを、呆然とユリカは受け取った

「もし、それが邪魔になったら捨てても良い、壊しても良い、誰かに、あげても良いって」

ラピスの言葉を聞きながら、ユリカは今度こそ、こみ上げてくる物を止めることが出来なかった

「最初は、捨てたくも壊したくもなかった。誰かに上げたくもなかった」

「・・・・うん・・・・」

受け取ったそれを、キツク抱き締めながら、ユリカはただ頷く

「でも、ユリカにあげる。私は・・・他にも色んなもの・・・貰ったから」

それは形に出来るものではなかった。ラピスが唯一明確なアキトの形見として受け取った物は、その、ユリカが今抱き締めているバイザーだけだった

でも、それでも良いと思った

ユリカになら、あげても良いと思った

形にならないものを、アキトから自分は、たくさん、本当にたくさん貰ったのだから

体を丸めるように、アキトのバイザーを抱き締めて泣くユリカ

その頭を、ラピスはそっと撫でた

「ランダムジャンプは、凄く危ないこと」

ラピスの言葉に頭に手を置かれたまま、頷くユリカ

「でも無理なことじゃない。きっとユリカなら、出来ると思うから」

ラピス自身、初対面のはずの人間になぜこんなことを言うのか分からなかった

ただ、初めてユリカの目を見たとき、感じたのだ

今の彼女の目は、アキトと同じ目をしている・・・・と思う

それは彼が復讐にその身を焦がしていたときの目ではなく、かといってあの死を覚悟した一種の達観した目でもなかった

精一杯にもがき、暴れ、あがく

端から見ればそれは確かに見っとも無いことかもしれない。諦めて家で寝てろと言う人間もいるかもしれない

ただ自分は違った。自分はこの目が好きだった

それだけ、そういうことにしようと、ラピスは思った

「だから、ユリカも、ガンバ」

言い終わると、ラピスの体はユリカにきつく抱きしめた

昔に比べて随分と痩せ細ったユリカの華奢な体でも、ラピスくらい小さな子供にとって力一杯抱きしめられることは当然苦しいことだった

それでも、ラピスはそのままユリカの頭を撫で続けた

正直、どうして良いかわからなかった。ただ、今のユリカはただこうしていて欲しいのではないかと、根拠もなく思った

と、不意にそのラピスの手の上に柔らかな感触が重なった

見上げると、そこにはラピスの手に自分の手を重ねているルリの姿があった

「ルリちゃん・・・」

顔をあげたユリカの、涙でクシャクシャになった顔を見ながら、ルリは微笑んだ

その後ろには、ナデシコクルーがいる

皆、三者三様の顔をしていた

泣きそうなユキナ、ただ真っ直ぐにこちらを見つめているジュン

不貞腐れたようなリョーコ、その横で苦笑しながら手を振るサブロウタ、両手を組んでいるウリバタケ

僅かに口元を歪め、ただ真っ直ぐにこちらを見ているイネス

それらを見回し、ルリはユリカに再び目線を向けた

微笑む

ユリカもまた、笑った



「行ってらっしゃい」

「行ってきます」





― 連合宇宙軍本部 総司令室 ―



「どうしましたかな?総司令」

総司令室に備えられた、一体なにをどう考えたらこんなに巨大になる必要があるのか全くわからないほど巨大な机

そこに座っていたコウイチロウの僅かな様子の変化に、ムネタケが声を掛けた

ハッと頭を上げたコウイチロウが、ゆっくりと頭を振る

「いや・・・・いかんな、勤務中についつい居眠りしてしまった」

「無理もありますまい。最近の宇宙軍はなにかと大忙しですからなあ」

かくいうムネタケも、下手をすると天井に届きそうなほどの莫大な量の書類を淡々と片付けている

「・・・して、どんな夢を見られたんですかな?」

「ん?ああ・・・・」

尋ねられ、答えようとしたコウイチロウだったが、不意に口を開き・・・・やめた

「総司令?」

「いや・・・・なんでもないよ」

答えて、視線を背後にある巨大な窓へと向ける

「なんでも・・・ない」

どこまでも続くような青空を見ながら、コウイチロウの脳裏に不意に娘の顔がよぎった

あの目に入れても痛くないほどの愛娘の姿と、そしてその娘が愛した自分の、もう一人の息子の姿が

「良い天気だな」

「そうですな」

コウイチロウの視界の中で、流れ星が流れた

真昼間から流れ星が見えるなど、中々に珍しい

口元に笑みを浮かべながら、コウイチロウはいつの間にか呟いていた

なぜそんなことを言ったのかは、自分でもわからない

「出掛けるには、絶好の天気だ・・・・なあ?ユリカ」





こうして、この一連の事件は終わった

これを受け、今後の火星極冠遺跡の警備は従来のほぼ倍に跳ね上がり、ボソンジャンプの軍事利用は、条約により核に並ぶ禁止項目として検討されることとなった

ナデシコが到着したおよそ二日後に到着した統合軍と宇宙軍の連合軍により、この事件はナデシコ単騎での鎮圧ではなく、あくまで両軍の合同活動によるものとして、世間には報告された

クーデターの主犯はヤマサキヨシオ

尚、クーデター当初に誘拐されたテンカワユリカの安否については、最後まで軍が口を開くことはなかった

一時はこの軍の態度に即席軍事アナリストたちが軍の陰謀や内部の不徹底な管理体制を罵ったり、中にはテンカワユリカは最後のA級ジャンパーとして今回のクーデター騒動に乗じて始末されてしまったのだなど、おおよそ見当外れな意見が昼のワイドショーを支配していたが、それもまた一瞬のこと

二日、三日と経つと共に話題は急速に消えていき、世界は何もなかったように動き出す





敵味方合わせて軽傷者二十一名、重傷者二名、死者ゼロ

史上最も優しいクーデータは、こうして幕を降ろした














あとがき



本当に大事なモノは、守るモノじゃなくて見守るモノ・・・・だったりして



特に意味はありません。ごめんなさい

さてさて、いよいよエピローグを残すのみとなりましたこの話

頑張ります





それでわエピローグで







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