― ナデシコC ブリッジ ―



「それではお世話になりました、提督」

『ほっほっ、ワシはもう提督ではないがのお』

ペコリと頭を下げるルリに、ウインドウに映るおでん屋台の老人、フクベジンは面白そうに笑った

「でも本当意外よねえ、まさか提督が乗ってるなんて」

「ホントよね、もう軍なんてとっくの昔に引退してると思ってた」

ミナトのつぶやきに、ユキナが大げさに頷いて同意した

『なに、ワシもそろそろ引退時かと思っておったが、クーデターやらクーデターやら無人艦隊の強襲やらが重なっての、運が無いわい』

髭を触りながら笑うフクベに、ブリッジの一同は苦笑しかできない

と、不意にフクベがブリッジに巡らせていた目を留めた

『そういえば、あの若造はどうしたんじゃ?』

「シラキさんなら、医務室に閉じこもってます」

『なんじゃ別れの挨拶もせんとは、礼儀を知らん若者じゃのお』

「・・・・多分それが嫌で閉じこもってるんだと思いますけど」

シラキがフクベを苦手としているのは、二人の会話を見た人間なら誰でも分かることだろう

『まあアヤツのことは置いておくとして、お主らに聞きたいんじゃが』

「はい」

『止める気かの?主らの元艦長を』

その一言に、ブリッジに居た人間は息を呑んだ

言えるわけがない、自分たちはユリカへの協力のために火星へ行こうとしているなど

そんな中、一人だけ冷静なルリがあっさりと答えた

「提督」

『ん?』

「私たちは軍人です」

『ほっほ、模範的な解答じゃの』

「どうも」

「艦長、発進準備整いました」

二人の間に、ハーリーの声が割って入る

それを聞くと、ルリはハーリーに向かって僅かに頷き、再びフクベに視線を移した

「それでは」

『うむ、あの子を頼むぞ』

それだけ言い残すと、フクベは妙に満足そうな笑みを浮かべ、通信を切った

「艦長、ジャンプ体勢整いました」

「わかりました、敵の襲撃があったら困りますから、さっさとジャンプしちゃってください」

「うぃーっす」

「通信回線、生活ブロック、艦内まとめてオールオッケーよルリルリ」

「レベル上昇。艦内異常なし」

それらを聞き届けると、ルリは顔に走った幾重ものナノマシンのラインに少しだけ触れて、呟いた

「ジャンプ」





― コトシロ ―



「なんせ、ワシの命の恩人じゃからのう」

チューリップに吸い込まれていくナデシコCを見つめて、フクベは頷いた





機動戦艦ナデシコ


Graduation STORY





  『星、見えますか?』

 

 



― ナデシコC 医務室 ―



「で、こっから火星までどれくらい掛かるって?」

「さあな、四日くらいじゃねえのか?」

シラキの質問に、いかにも不機嫌そうに現在のシラキ監視任務担当であるリョーコが答える

「で、暇を持て余した連中が色々遊んでるってわけか、いつ襲撃があるかわかんねえってのに」

「だからパイロットは交代で一人ずつ待機だよ。整備班も半分くらいちゃんと詰めてる」

「大変だねえ」

完全に他人事な様子のシラキは、タバコを吸いながら拳銃をバラバラにしていた

「で、オメエさっきからなにやってんだよ」

「見りゃわかんだろ。分解整備だよ」

「そりゃあ分かるが・・・・こりゃあ」

リョーコが口ごもるのも無理はなかった

シラキの座っている机には、小型の拳銃が八丁、さらにリョーコが見たこともない大きさの大口径の拳銃も、少なくとも二桁

さらに後ろの棚には、数えるのも億劫なほどのマシンガンやショットガンにライフルが建て掛けてある

「これ全部やんのかよ」

「まあ他にやることもねえしな、フラスコ積み重ねるのはもう天井まで行っちまったし」

「フラスコオ?」

「そうだ、フラスコを積み上げんだ・・・・これがやってみると中々―――」

シラキの言葉はそこまでだった。突然天井に設置されていた五基のスプリンクラーが、最大出力で水を吐き出したのだ

火災防止用のスプリンクラー。その勢いは凄まじいものだった、それも五基が一斉に作動したのだから、シラキとリョーコは反応する暇すらなく全身に水を浴びた

噴射は十秒ほどで止まった、だがそれだけで医務室にある全てのものを水浸しにするには、十分過ぎる時間であった

「いやっほー暇だから遊びに来てやったよー!相変わらずフラスコでも積み上げてるの?」

元気よく医務室の扉を開けたのはシラトリユキナだった

が、すぐに部屋の惨状を見て取ると、うわっと声を上げた

「び、びしょ濡れねえ・・・・あは、ははは・・・誰がこんなことしたのかしら」

「・・・・おい小娘」

全身余すことなく水にドップリと濡れたシラキが、小動物なら見ただけで失禁しそうな目付きでユキナをにらみつけた

そして、ユラリと立ち上がると近くにあった拳銃を一つ掴み医務室の出口へ足を向ける

「やったの・・・・誰だ?」

「あ、そ、そうねえあはははは・・・・だ、誰かしらね」

シラキの全身から漂っている不吉過ぎる気配に、大量の冷や汗を掻きながら引き攣った笑みを浮かべる

「ほ、ほらあれじゃない?スプリンクラーを作動させれるんだから・・・・あーそのお・・・・ルリとか・・・かなあ。なんちゃって」

「くくく・・・・あの銀髪娘か」

澱んだ瞳に、歪んだ笑み

びしょ濡れの外見に、こんな形相で街中を歩けば二分で警察に捕まるだろう表情を浮かべ、シラキは銃のセーフティーを解除した

「はっはっはなるほどなるほど、前々から生意気だったが、まさかここまでひねくれた野郎だとはなあ」

「あ・・・あはーあはは・・・」

引き攣った笑みを浮かべるユキナ。本当のことなど今更彼女に言えるわけがなかった

「おいユキナー!スプリンクラーの調子がおかしくて予定の五倍くらいの噴射量だったんだってー!!シラキ君たち大丈夫ー!?」

廊下の向こうから、間延びしたジュンの声が響いた

固まるユキナ

そのコメカミには、一瞬で突きつけられた冷たい銃口

真っ青な顔色に床が濡れるほどの冷や汗を流し、首をぎこちない動作で回してユキナはシラキの方に顔を向けた

そこには

まさに悪鬼のような、背中に般若を背負ったシラキがいた

「遺言はあるか?」

「・・・・ちょっとした出来心なんす、情状酌量の余地を―――」

そのユキナのせめてもの言葉に、シラキは髪水を滴らせながら口元を歪ませた

とても楽しそうに

「無理」





― ナデシコC 廊下 ―



食堂に通じるこの通路を、昼食のために抜けてきたミナトとハーリー、そしてヒカルが歩いている

「ふうん、つまりまだハーリー君ってばシラキ君のこと認めて無いの?」

能天気にそう尋ねるヒカルに、ハーリーは不機嫌を隠そうともせず口を開く

「確かにあの人がいた方が医療面でなにか助かるのかもしれませんけど、僕は別に認めてないとかそういうんじゃないです」

「?」

「ただ、嫌いなだけです」

そのハーリーの言葉に、ミナトとヒカルがそろって苦笑を浮かべたとき

凄まじい爆音と爆煙が廊下を満たした

「え?なに?なに?」

余りにいきなりの事態に思わず首を右左に動かすミナト

そして、その煙の向こうから叫び声が響いてきた

「ちょ!ちょっとアンタ!!どこにそんなもん隠してたのよ!!」

「じゃかあしいわボケ娘!!!」

片方は余り聞きなれない声、そしてもう片方は余りにも聞きなれた声

爆煙を切り裂いて、ユキナが凄まじい速度でミナトたちの方に走ってきた

「ミナトさんどいて!!奴は本気よ!!」

「ちょっ!ちょっとユキ!!」

さすがと言うべきか、ユキナの全力疾走は凄まじく、あっという間に三人をすり抜ける

だが、そこを間髪入れずに雨のような弾丸の嵐が追撃した

「うわあ!!」

「危ない!」

パイロットであるヒカルが、咄嗟に二人を廊下の隅に追いやる

「ゴム弾!?」

その弾丸の正体を見極め、驚きに声を漏らす

そんな三人の前を、シラキが駆け抜けた

「ちょっと!!ミナトさんたちに当たったらどうする気よ!!」

「じゃかあしい!喋るな喚くな逃げるなこの糞ガキ!!」

廊下の彼方から響くユキナの声に怒鳴り返すと、シラキは抱えていたガトリングガンを再び乱射した

「うひゃあああ!!」

慌てて物陰に飛び込むユキナに舌打ち

「なによ!ちょっと医務室水浸しにしただけじゃん!!」

そのユキナが飛び込んだ物陰から響く声に、シラキは青筋を浮かべた

「そうだなあ!バラしてた銃は皆水浸しで全部やり直しでしかも弾の大半は湿気て使い物にならなくなったなあ!?」

「べ、弁償しまーす!」

「ガキの小遣いで買える値段かああ!!!」

怒号と共に再びガトリングガンが火を噴く

「うひゃああ!!」

慌てて物陰から飛び出すと一目散に駆けて行くユキナ

「逃がすかボケエ!!!」

怒りの余りくわえていたタバコを噛み千切ると、シラキもそのまま廊下の彼方に消えていった

「・・・・なに?」

残された三人は、余りに一瞬で通り過ぎたあの大騒ぎにしばらく呆然としていたが、ややあって立ち直ると、慌ててブリッジに連絡を入れた





― ナデシコC 格納庫 ―



まずいことをしたと、ユキナは格納庫を疾走しながら心底後悔した

動機は単純。暇だったのだ、コトシロからボソンアウトしてから火星まで四日。ただでさえ退屈や停滞を嫌うユキナに、この四日間という時間は尋常ではない長さに思えた

元々密航同然の乗り方をしたのだ。暇つぶしになるような道具など持ってくる余裕などない

そんな退屈で死にそうなユキナの脳裏によぎったのが、いつもボーッと煙をモクモクさせているあの男

医務室のスプリンクラーにちょっと細工をして、あのタバコを消してやろうと訳のわからないことを思いついたのが運の尽きだ

ジュンの協力を持って計画を実行。結果は成功・・・ただ、成功し過ぎた

部屋を掃除しようとしたら、部屋ごと吹っ飛ばしたような感じだ

「待てっつってんだよ小娘!!」

背後からの怒鳴り声に慌てて物陰に飛び込む。直後、自分のいた場所の床をピンポイントでゴム弾の雨を降り注ぐ

ゾッとする、こんなのが当たったら本気でシャレにならない

わかっている、調子に乗り過ぎた自分が悪いのだ、だが、幾らなんでもここまですることは無いと思う。理不尽だ

ガトリングの銃音を聞いて格納庫にいた整備班がなんだなんだと集まってくる

マズイ。今のシラキなら邪魔すれば誰だろうと情け容赦なくぶっ飛ばす

「あー!なんでもない!なんでもないから!!」

物陰から顔を出せないため、声だけで散らばるように言うが、当然ながらそんなことを素直に聞くようなナデシコ整備班ではない

尚も何事かと距離を詰めて来る整備班の面々、もうダメだ。撃たれる。さようならナデシコ整備班の人たち。と、ユキナが固く目を閉じたその瞬間

彼らの野生の勘はユキナの想像を遥かに上回っていた

「邪魔だお前らああ!!」

シラキの怒号と共に降り注いだガトリングの弾丸。だが、彼らはそれをとんでもない方法で防いだ

一瞬で彼らと弾丸の間に立ち塞がった無数の人影が、それらを全て受け止めたのだ

思わず顔を出して状況を凝視するユキナ。彼女の視界の向こうに見えるシラキも、あまりに突然のとんでもない存在の登場に呆然としている

「ふふ・・・・うふふふふ」

そんな二人の間に割り込んできたのは、なぜか不敵な笑みを浮かべたウリバタケ

「お前さんシラキって言ったな!?どんな事情があるのか知らんが!この格納庫で美少女に危害を加えるのは許さあああん!!!」

ウリバタケの言葉と共に先ほどのシラキの弾丸を受け止めた人影、五体のリリーちゃんたちの目に赤いライトが点灯する

「これ以上ユキナに手を出すのなら!俺たち整備班製作、この精鋭リリーちゃん部隊が相手になるぞ!!」

答えるように、何十とあるリリーちゃんの赤いライトが再び点灯する

心底不気味だ

だが、ユキナは見た。そんなウリタバケ達を前にしたシラキのこめかみに、青筋が浮かぶのを

「くく・・・くくくく」

肩を震わせて笑うシラキ。だが、不意にその鋭い眼光をこちらに向けた

目が据わる

マジだ

「やってみろこのダッチワイフどもがあ!!」





戦いは熾烈を極めた

こう見えてもシラキは過去に幾つもの戦場を、そして死線を潜り抜けてきた歴戦の兵士である

生身での戦いなら五対一程度なら大抵勝てるし、十メートル程度の距離ならほとんど百発百中の銃の腕前を誇る

人間相手で普段とは勝手が違うとはいえ、所詮簡易ロボットであるリリーちゃん部隊に、遅れを取る理由などない

・・・・だが、それはあくまで戦場にいたときの話だ

実戦から離れて数年というブランクは、シラキの想像を遥かに越えていた。医者を名乗りだしてからはケンカらしいケンカなど一度もしていないし、銃もここ半年ほどマトモに構えていない

何より致命的だったのが、体力の著しい低下だ

日がな一日ロクに部屋から出ずにタバコばかり吸っていたのが災いしたのだろう。ユキナを追いかけているときには感じなかった疲労が、ここに来て唐突に、ズッシリとシラキの背中に圧し掛かってきた

それと、もう一つ意外だったもの。それが

「わははははどうしたシラキ!貴様の実力はこの程度かあ!!」

言葉と共に降り注ぐのは、弾丸ならぬミサイルの嵐

手加減など一切なしの、本気の攻撃。加えて

「じゃかあしいわ!!」

相手の銃撃が止む瞬間に物陰からお返しとばかりにガトリングを連射するシラキ

だが、その弾丸の八割が命中しているものの、リリーちゃん部隊には蚊ほどのダメージも見られない

シラキのもう一つの誤算、それはリリーちゃんの意外すぎるスペックの高さだった

幾らゴム弾とはいえ、鉄くらいならへこませられる程度の威力はある

そんなものでユキナを狙っていたのかとも思うが、シラキはそんなこと全く考えない

リリーちゃん部隊のミサイルを、再び物陰に隠れてやり過ごす

唐突に、シラキを正体不明の苛立ちが襲った

なぜに自分がこんな連中にこんなピンチに立たされなければならないのか

仕掛けてきたのはそもそもあの小娘ではないか、なのになぜ自分がこんな目に遭っているのか

「ふっふっふっふっ!!やはり正義は勝つのよ!!」

聞こえてきたのはユキナの声。それに、シラキは自分で自分の頭の中からブチッ!っと言う音を聞いた

「くく・・・くくく」

暗い笑いが、再びシラキの口元に浮かぶ

「良いぜ・・・良いだろう・・・・」

一人そう呟きながら、物陰から物陰へと駆ける

目の前にあるコンテナを、シラキはようやく包帯が解けた右腕などお構いなしに登る

高さ八メートルにも登るほど積み上げられたコンテナの頂点から下を見下ろす

まだ自分が物陰にいると思っているのだろう。ウリバタケ率いるリリーちゃん部隊は、ゆっくりと旋回しながら距離を詰めている

それを見てシラキは懐からタバコを取り出し、火をつけた

そして、口元を邪悪に歪めると、両手に持ったガトリング砲を持ち直し、一気に―――

―――飛び降りた

八メートルもの高さからの落下速度を加え、振り上げたガトリング砲を一瞬で振り下ろし、リリーちゃん一体を殴り飛ばした

ひしゃげて帯電するその一体をそのまま無視し、すぐ横にいたもう一体にガトリング砲の銃口を密着させる

実弾なら暴発ものだが、これは幸いゴム弾だ

超至近距離からのガトリング砲に、さすがのリリーちゃんも耐え切れなかったのか、穴だらけになって崩れ落ちた

その間、シラキの余りといえば余りな行動にウリバタケは呆然としていた

簡易ロボットいうだけあり、リリーちゃん単体に思考能力はない

AIを積んでいないために、ウリバタケの指示が無ければ動けないほかのリリーちゃん三体は、間抜けにもそのまま最初に指示された通りにシラキが元いた物陰へと移動している

それを見て口元をさらに歪めるシラキ、くわえていたタバコを吐き捨てると、そのままもう一体の背後に回り人間でいえば後頭部に当たる位置をガトリング砲で再び殴りつける

本来ならば二体目を仕留めた時点で、そのままウリバタケを取り押さえれば勝負はついていたが、シラキは敢えてそれをしなかった

ウリバタケがようやく我に返って指示を出そうとしたときには、すでに四体目のリリーちゃんも沈黙しており、シラキの手で五体目が破壊されようとしている瞬間だった

崩れ落ちる最後のリリーちゃんを一瞥すると、シラキはゆらりと上体を揺らす

無理をし過ぎたせいか、乱れに乱れた息を整えながらゆっくりと振り返ると、呆気に取られた表情をしているウリバタケと整備班の面々、そしてユキナへと視線を向ける

その視線に気おされたのか、全員素晴らしい速度のムーンウォークをかまして一気にシラキから十メートルほどの距離をとる

そんな格納庫の全員を見回しながら、シラキは笑い。ゆっくりと口を開いた

「さあ・・・誰から死にたい?」

全員、一斉に首を高速で横に振る

だが、シラキは乱れた息を整えながら、ガトリング砲を彼らに向けた

「わはははは・・・・・・・・遠慮するな」

完璧にマジ者の目だった

そして、シラキがゆっくりと引き金を引こうとしたその瞬間

「なにやってんですか」

「ぶっ!!」

いつの間に現れたのか、音もなくシラキの背後に回ったルリが何故かその手に持ったスリッパでシラキの後頭部をはたいた

「ミナトさん達からバカが大暴れしてると聞いて来てみたら・・・」

呆れたような口調でルリはその手にあったスリッパを仕舞い、面倒そうにシラキに目を向ける



ルリに後頭部をはたかれたシラキは、どうしたわけかそのまま倒れ込み、そして動かない

「?」

そんなシラキに不可解な視線を向けるルリ。そこに必要以上に距離を取った場所からウリバタケが口を挟んだ

「ルリルリ・・・・そいつ、気絶してるんじゃねえか?」

「・・・・みたいね」

ウリバタケの言葉に、物陰から顔だけ出して頷くユキナ

シラキは遠くなる意識の中、格納庫の冷たい床の感触を感じ、そして、手放した





―― ナデシコC ブリッジ ――



「で、要するにシラキ君は極度の疲労で倒れたってこと?」

「暴れ過ぎだんでしょうね、単純に」

艦長席で本を読んでいるルリの耳に、ミナトとハーリーの会話が届いた

あれから結構な大騒ぎとなった。元々暇を持て余していたナデシコクルーが、まるで玩具を見つけた子供のようにはしゃぎ回ったため、騒ぎが拡大

一時期は、リリーちゃん五体を倒したシラキを一撃で伸したルリに対する、艦長は実はとんでもない実力者説まで飛び交い、艦内は大騒ぎとなった

が、その騒動から三日。ユキナの手によって水浸しとなった医務室の大掃除も終わり、シラキの暴走で壊れた艦内の補修も終了、ユキナの手によって破壊されたシラキの持ち込んだ銃火気の類の弁償問題も、シラキ本人による「暴れ回ってスッキリしたから、金はもう良い」という発言によって収集

が、さすがにその程度で済ませるほどシラキも甘くなく、ユキナと、とばっちりを受けたジュンは火星に着くまで医務室での助手的労働二十四時間を命ぜられ、今も過酷な労働条件の中で奴隷よろしくこき使われている

そんなこんなで、コトシロからボソンジャンプしてすでに八十時間もの時が経過した

火星まで、後約半日

その間警戒していたボソンジャンプによる強襲攻撃もなく、艦内は実に落ち着いている

ルリは思う。おかしい、と

普段は天然で通っているユリカだが、彼女のその戦略能力は間違いなく軍内でも群を抜いている

そんな彼女が、このままナデシコCを大人しく火星まで通すとは、ルリにはどうしても思えなかった

先に使用した艦内への無人兵器での奇襲も、コトシロでの修理作業の折に設置されたアンテナで、すでに対策が立っている

それによって死角がなくなったナデシコCはすでに事実上最強の戦艦と化しており、真っ向から勝負を挑んでは、幾らユリカでも勝ち目などない

だがそんなことなど、ユリカならとうに承知しているはずだ

「・・・」

何か考えがあるのかも知れない、自分では全く想像もつかないような、ナデシコCを打ち破る、とんでもない方法が

そう考えると、今のこの異常ともいえるユリカの沈黙が、ルリには不安で堪らなかった

「ねえルリルリ、結局シラキ君のお見舞い行ってないけど、良かったの?」

ハーリーとの会話にも飽きたのか、ミナトが話の矛先をルリへと向けた

「良いんです。自業自得ですから」

本から目すら上げず、ルリは淡々と答えた

そんなルリにミナトは苦笑を漏らすと、ふとそのルリの横顔に見える緊張を感じ取った

無理もないと思う

自分の家族である女性、自分たちは彼女への協力を決定したが、依然彼女にそれを知らせる方法は見つかっていない

それだけではない。おそらくルリはユリカの手によってこのナデシコCが沈められるのではないのかと、心配で堪らないのだろう

ミナトにはこのナデシコCが撃沈されることなど正直想像もつかない、だが確かにユリカなら、自分たちが考えもつかない方法を取りそうな気がする

いつものように、あの能天気で底抜けの笑顔を浮かべながら

不意に、ミナトの表情が曇る

この期に及んでと言われるかもしれないが、彼女が敵に回ったなど、どうにも実感が沸かない

あの笑顔を自分は覚えている。あの幸せそうな彼女の姿を、自分たちは知っている

だからなのかもしれない、彼女に協力するというルリの提案に、自分たちがほとんど抵抗も感じずに賛同できたのは

「・・・ねえ、ルリルリ」

だから言った。気休めにもならないのは知っているし、余り意味がないだろうこともわかっている

だが、それでも、もしもホンの僅か、爪の先ほどでも、この目の前の過酷な運命を背負った少女の背中を支えられるのなら

「大丈夫よ」

そう言って微笑むミナト

いきなりなその言葉に、少し呆然としていたルリだったが、その口元を微かに歪めると、ゆっくりと頷いた

「・・・・はい」





― ナデシコC 医務室 ―



「おらおらまだ汚れてるぞこの黒人奴隷どもが」

「私は黒人じゃない!」

「っていうか今のご時世にその発言はまずいよ」

椅子にふんぞり返って座るシラキの前を、モップを持って走り回るユキナとジュン

あの医務室水浸し騒動から、彼らはずっとシラキの指示通りにこき使われている

「それが終わったら今度は艦内のトイレ全部洗って来い」

タバコをくわえて近くにあった本を適当に広げながら、シラキは医務室のドアを顎でしゃくった

「な!なによ今日でもう三回目じゃない!」

「昨日も四回も洗ったよトイレ」

「わははは聞こえんなあ」

ユキナとジュンをこき使うシラキの表情は、実に生き生きとしていた

「覚えてなさいよぉ・・・絶対仕返ししてやるんだから」

医務室の床をモップで擦りながら、ユキナはぶつぶつとつぶやく

そんな言葉もシラキにとってはどこ吹く風のようで、相変わらず楽しそうに労働に勤しむ二人の姿を眺めている

「・・・終わったあ」

ゴミ袋を纏めていたジュンが体を伸ばしながら声を漏らした

「よーし、じゃあ予告通りトイレな。行って来い」

「ちくしょー!!」

モップを放り投げながら叫ぶユキナを押しながら、ジュンは苦笑混じりに医務室のドアから出て行った

無人になった医務室で、シラキは相も変わらずタバコを曇らせながら、先ほど拾い上げた本を開いた

「・・・後半日、か」

漏れでた呟きは、火星到着までの残り時間であるとともに、シラキにとってのタイムリミットでもあった

彼女、テンカワユリカを本当に止めるのか、止めないのか

「どうしたもんか」

おそらく出ないであろう結論に頭を抱えながら、シラキは視線を写した

医務室に取り付けられている、小さな小窓に

「・・・・火星、ね」

そこには、すでに肉眼で捉えられる程度の大きさの、あの赤い星が浮かんでいた





― 火星極冠遺跡 ―



かつて自分が取り込まれていた、あの遺跡の演算ユニット

ユリカはそれを見上げていた

その心の中には、今もなお吹き荒れる自己嫌悪と、そして彼ら、彼女たちへの謝罪の想い

そして、今はなきあの人への忘れえぬ想い

自分が間違っていることなど分かり切っている。子供のような駄々をこねているだけなのだと言うことも、分かり切っている

今すぐやめれば良い、そして罪を償えば良い

それがきっと一番正しいことなのだろう、だが

正しいことだけで、世界は回っていないのだ

他人に迷惑を掛けることは、間違っているのだろう。他人の命を奪うのも、きっと間違っているのだろう

だが、それならばなぜ、あの人は殺された?

殺されなければならなかった?

―――「あんな奴らにアイツは殺せねえよ」

不意によぎったあの男の言葉に、思わず手を硬く握り締める

戯言だ、屁理屈だ

アキトは殺されたではないか、あの男たちに。少なくとも、奴らがいなければアキトはもっと長く生きることが出来たはずだ

それが殺されたと言わずに、なんと言う?

悔しそうに噛み締めた口からようやく力を抜くと、ユリカは視線を落とした

終われない、絶対に

もし方法がないのなら、アキトに会う方法をもし自分が知ることがなかったら、自分はきっとこんな行動になど出なかっただろう

泣きたいほどの理不尽さと、煮えたぎった怒りを、どこにぶつけることも出来ずにいたことだろう。或いは、ルリ達に励まされ、立ち直ることも出来たのかも知れない

だが・・・今となってはどうでも良い事だ

自分は知ってしまったのだから、アキトに会える方法を、もう一度だけ、触れられる方法を

それを知って尚、ただ落ち込み、そしてルリ達に励まされて立ち直ることなど、ユリカには出来なかった

バカな女と罵られても構わない。歴史の教科書に、史上最も取るに足らない理由で名を馳せる犯罪者となっても構わない

もう、決めたのだから

不意に、ユリカの背後にある扉が開いた

だがそれに反応しないユリカに、その入ってきた人物、イネスは特に何も言わずに歩み寄った

横に並び、ユリカと同じように、目の前にある演算ユニットを見上げる

二人の間に、沈黙が下りた

険悪な物ではない、互いに、互いが何を言いたいのかわかっている。言葉を交わす必要のないという意味での、沈黙だった

だが、やはり言わねばならないのだろう

決断の時が、訪れたことを

相変わらず遺跡を見上げているユリカの隣で、イネスも結局彼女へ視線を寄越すことはせずに、ゆっくりと口を開いた

その声は、広く無機質なその空間に、染み入るように広がった

「ナデシコが・・・・来たわ」














あとがき



史上初、ナデシコクルー相手に暴れ回る主人公



いえまあ、史上初かどうかはわかりませんが、取り敢えずそんな感じです

あっという間に火星ですので、物語もそろそろ終盤です

さて、どうなることか





それでわ次回で







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