― 連合宇宙軍本部 総司令室 ―



「どう、思いますかな?」

宇宙軍副司令ムネタケヨシサダは総司令室に備え付けられた巨大な窓から、地上を見渡しながら口を開いた

その後ろには大の大人が寝転んでもまだ余裕があるほどの大きさのデスクに、ミスマルコウイチロウが眉根にしわを寄せて座っていた

「・・・副司令」

「はい」

「ユリカだと、思うかね」

その一言にムネタケは顔を僅かだけコウイチロウの方に向けた

「率直に言えば、間違いないでしょう」

「そうか・・・。ナデシコCへの無人兵器のナビゲート、か」

「まさかこんな形で、ナデシコの造反防止の機能が裏目に出るとは思いませんでしたな」

システム掌握という、AIに制御を任せている限りは決して逃れられない。こと現代での戦場では最強を誇るナデシコC

戦艦一隻が持つには明らかに強大すぎるその力

その対策として、軍は開発元であるネルガルとナデシコCにある仕掛けを施していた

それが、艦内へのハッキングの不可

そう、今回敵に取られた戦法とは、皮肉にもまさにコウイチロウたちが万が一ナデシコが離反したときのために建てていたものと、全く同じものだった

「・・・・如何いたします?」

「解除してやりたいのは山々だが、あれは元々そういうものではない」

「確かに」

通常、戦艦の中というものは外部からの電磁波や電波などは一切遮断する

そして、それと同じ理屈がシステム掌握にも適用される

艦内に専用のアンテナでも建てれば良いのだが、それはそのままナデシコCの弱点を潰すことになる

「止む終えないのでは?このままでは沈められますよ。ナデシコC」

「・・・・そうだな。手配を頼む」

ボソンジャンプというアドバンテージを敵に奪われている現状では、最小限の戦力で遺跡を奪還しなければならない

そのためには、ナデシコCのシステム掌握が必要不可欠であった

あるかも分からない造反を心配するよりも、目の前にある危険を取り除かなければ話にならない

「わかりました、手配します」

ムネタケはそれだけ答えると、敬礼をして部屋を出て行った

「・・・・ユリカ」

誰もいなくなった司令室で、コウイチロウは誰ともなしに呟いた





― ターミナルコロニーコトシロ ―



「・・・・どうすっかなあ」

夜の街をアテもなくさ迷いながら、シラキは立ち止まった

普通に通行証を見せて軍のドッグを抜け出したところまでは良かったが、実はそこから先のことは全く考えていない

とはいえ、やることは決まっている。ユリカを止めるのだ

「・・・・やっぱあれだな」

勢いで抜け出したが、別に火星までは便乗すれば良かったということに今更気づく

余りの自分の考えの無さを呪ったシラキは、しかしふと周りを見回した

―――でもまあ、しばらくぶらつくのも悪くないか

おそらくこれから火星に行くまでの間に、こうして街に出られるということはないだろう

ならば最後の気分転換も兼ねてもう少しだけぶらつくのも悪くないかもしれない

と、気分転換をしなければならないほど労働をしていないのを棚に上げて、シラキはゆっくりと足を踏み出そうとして

「ほうそこを行く若者よ。どうじゃ?食って行かんか?」

「あ?」

不意に掛けられた声に首を向ける

いつの間にか人気のないところに出ていたシラキの目線の先では、コロニー内の景色から明らかに浮いているものがその存在を主張していた

そこには、のれんにおでんと書かれた屋台が陣取っていた

「・・・・なにやってんだ?爺さん」

「なんじゃ日本語が読めんのか?外人さんかの、髪も白いし」

言って、ノンビリと笑うその老人

そんな老人に、シラキは目を細めた

見覚えがあった

「アンタ、どっかで会ったか?」

「なんじゃ本当に気づいてなかったのか、ワシじゃよ」

「ああ・・・・思い出した、アンタ、あのときの爺さんか」

それは昔自分が初めて怪我を治した患者。そして、殺そうとした老人でもあった

「なんだ?アンタ確か軍のお偉いさんだろ?こんなとこで油売ってて良いのか?」

屋台の席につきながらそう問いかけるシラキに、その老人はその口元に蓄えられた髭を触りながら再びのんびりと笑った

「売っとるのはおでんじゃ。それに軍と言ってもワシのような老いぼれには暇なところでの、今はしがないただのおでん屋じゃよ」

「・・・・ふーん、卵な」

興味なさそうに答えると、シラキは目に付いたものを適当に注文していった

「酒もあるぞ?」

「いらね」

屋台の下からなにやら大げさな名前の酒瓶を取り出した老人に即答する

「釣れん若者じゃのお。で?こんなところでお主こそ何やっとるのじゃ?」

「油売ってんだよ。買うか?」

「いらん、おでんで腹いっぱいじゃ」

そう言って老人はシラキの前に空の皿を差し出した

「さっき注文したのが聞こえなかったか?老化には勝てねえか爺さん」

「アホ言え。これはワシのおごりという暗示じゃ」

「あ?」

「仮にも命の恩人から金など取らんよ」

笑いながらのんびりとした動作でその老人はその皿に適当な具を盛り付けていった

「で?お主はなんでこんなところにおる?」

「・・・・・ちょっとな」

「迷ったか?テンカワユリカを止めるべきか、どうするべきか」

その突然の言葉に、シラキは思わず目を見開いた

そんなシラキを見て、老人は満足そうに笑った

「言ったじゃろ?暇でも軍人じゃよワシは」

シラキの前に、なにやら具が山盛りにされた皿が置かれた

「・・・・事情は知ってるってわけか」

片肘をついたままシラキは皿の中にある卵に箸を伸ばした

「ふむ、あの子は良い子じゃからな」

「なんだ?知り合いか?」

「ちょっとの」

老人は緩慢な動作で髭を撫でながら、なにかを思い出すように視線を上に向けた

「軍の若いモンからお主の証言も聞いとる。愛する者に会いたいのは、人間として当然の考えじゃろうな」

「昔の仲間を裏切ってか?」

不機嫌そうにハンペンを食べながら、シラキは視線を送った

「裏切る・・・・裏切るか」

「なんだよ」

「裏切るとはどこまでのことを指すのかの」

「・・・あ?」

水を飲みながらシラキは、面倒そうに目を細めた

「敵に寝返ったらだろ」

「本当に彼女は敵なのかの?」

「アンタは拳銃で撃たれても笑ってるタイプか?」

「そんなタイプおるかアホ。そういうことではないよ」

「じゃあどういうことだよ」

シラキの言葉に、老人はどこか遠くを見るように目を細めた

「まだ、心が完全に決まってないんじゃろう」

「・・・・なに言ってんだ。もう軍にも仲間にも喧嘩売ってんだぞ?決断なんてとうの昔に決めてるに決まってるじゃねえか」

すでにユリカは後戻りのつかないところまで来ているではないか。今更戻ることも出来ない、もはや彼女に出来ることは進むことのみなのだ

「そうかの、ワシにはどうにもためらっとるように見えるがの」

「俺のこの右肩はどうよ?」

「お主はあの娘に言わせれば赤の他人ではないか、手加減する理由にはならんよ」

「け」

「じゃが、結局その傷とて同じではないか?」

「あ?」

「なぜあの娘は、お主にトドメを刺して行かんかったのかのう」

「俺が銃構えたからだろ?」

「なんじゃそうなのか」

なにか意味ありげなことを言おうとした老人の出鼻をいきなりくじくシラキだった





機動戦艦ナデシコ


Graduation STORY





  『言葉、届きますか? 〜 後編 〜』

 

 



― ナデシコC 通路 ―



「ねえちょっとリョーコってばー」

背後から声を掛けるヒカルを無視し、リョーコはずんずんと医務室へと続く廊下を歩いていた

「どうしたのー?そんな怖い顔しちゃって」

「ヒカル、オメエ変に思わなかったか?」

顔を前に向けたままのリョーコの問いかけに、ヒカルは不思議そうに首を傾げた

「・・・なぜ、彼は艦長の存在に気づいたのか、ね」

その二人から少し離れて歩いていたイズミが口を開いた

「ああ、おかしいだろ。予め知ってないとんなことできねえ」

「それって・・・」

「アイツ・・・・スパイじゃねえのか?」

「でもそれならルリルリがもう聞いたんじゃない?」

「どうかしらね、あの子はまだ素直過ぎるところがあるから」

仮に気づいていたとしても、自分を庇った彼への負い目で聞くことを後回しにしている可能性もある

「ああ、だから俺らが聞く。あのシラキって奴、なんでも話しそうな性格してるが、そういう肝心なことは喋りそうにねえ」

話が終わるころには、三人は医務室の扉の前に到着していた





― ナデシコC ブリッジ ―



「オモイカネ、艦内補修はあとどれくらいで終わりそう?」

『およそ78時間後だと思われます』

艦長席に身を沈めたルリの言葉に、オモイカネが答えた

淡々と作業を続ける彼女の心中は、その迅速な作業速度とは裏腹に、実に落ち込んでいた

「・・・・」

ユリカへ協力することはルリ自身の提案だ、今更どうこう言う気はない

ただ、一体どうすれば良いのか、そしてその意志をどうやってユリカに伝えるのかということ、それらにルリは頭を悩ませていた

出来れば会って話すのがもっとも確実だ、だが、自分たちを裏切ったという負い目を感じているユリカが、果たして自分たちの前に現れてくれるのだろうか

最悪の場合、本気になったユリカの前に、ナデシコが沈められる可能性すらある

「・・・・」

打開策がない。というよりは余りの情報不足のために考えようがない

ルリがそうして自分の思考の中に沈んでいると、不意に目の前にウインドウが現れた

『ルリ!大変だ!!』

大写しになったリョーコのウインドウとその音量に、無表情に耳をふさぐルリ

後ろにいたサブロウタとハーリー、そしてミナトにユキナは反応できずに頭をクラクラとさせている

「どうしました?リョーコさん」

『シラキの野郎が逃げやがった!!』

その一言に、ブリッジにいた全員が息を呑んだ

『多分まだコトシロの中だ!野郎やっぱりスパイだったんだ!!』

「スパイって・・・・シラキさんがですか!?」

その一言に驚いたようにハーリーが声を荒げた

確かにリョーコがそう思うのも無理はなかった

ブリッジにも無断でユリカと接触を図ったのだ、これだけでも疑う余地は十二分にある

くわえて医務室から姿を消したとあっては、リョーコでなくてもそう思うだろう

『やばいぜルリ!もしアイツがスパイだったら俺たちがユリカに協力しようってのが火星の後継者にばれちまう!!』

「確かにそれはマズイっすよ艦長、もしそうなら奴らユリカさんと俺らを絶対に会わせませんよ!?」

サブロウタの言う通りだった

もしナデシコCがユリカへの協力の意志があることをユリカが知ったら

彼女は確実に迷うだろう。自らの行動と、そしてナデシコCへの攻撃に

目的地のイメージがダイレクトに影響するボソンジャンプで迷うなど、危険以外の何者でもない

おそらく、彼らがユリカを遺跡と融合させていないのはそこだろう。B級ジャンパーのイメージをユリカを通して遺跡に伝えていたのでは、あのオモイカネが反応できなかったほどのスピードのボソンジャンプなど実現できない

そしてもしユリカが迷いを持ち、その速度が出せなくなれば

彼らは強引に彼女を拘束し、再び遺跡と融合させることは目に見えている

前回の融合では確かにユリカに後遺症やなんらかの副作用は現れなかった

だが、二回目もそうだと言う保障などどこにもないのだ

『おいルリ!!』

「・・・・わかりました。ただし大人数でナデシコを離れるわけには行きません。コトシロの警備隊に捜索をお願いします」

「・・・でもルリルリ、本当にあの人スパイだったの?」

ミナトが不満気に口を開いた。彼女は、ルリがシラキと実に屈託なく接するさまを見ている

無論それは他のナデシコクルーも見ているが、ルリの一番の理解者であるミナトにだけそれが伝わったのだろう

ルリがあれほど思ったことをズケズケと言える人物は、少なくともミナトは知らない。自分にすらルリはあそこまで思ったことを素直には言ってくれないだろう

端から見れば確かに二人は仲が良いどころか悪いようにも見えるが、ミナトはそうは解釈していなかった

冷静で感情を余り表に出さないルリ

そんなルリの警戒心を解かせるような人間が、スパイであるとは、ミナトにはどうしても信じられなかった

そして、ミナトの気持ちを知ってか知らずか、ルリは艦長席を立ちながら顔を向けた

「はい、だから私も警備隊の人と同行してそれを確認します」

「な!艦長危ないですよ!!」

そのルリの言葉に一番に反応したのはハーリーだった

「もしあのシラキさんが敵だったら!」

「そのときは警備隊の人たちにお任せします。でも、もしあの人が敵じゃなかったとしても、多分あの人は素直に警備隊の人に従いません」

そのルリの言葉に、ハーリーは僅かばかりの衝撃を受けた

あの他人に対しては余り感心を見せないルリが、まるでシラキのことを理解しているような言動をしたからだ

実際はそうでもないのだが、恋する少年の敏感な心には、そう聞こえた

「ダ!ダメですよそんなの!!だったら僕が行きます!!」

「ハーリー君は、シラキさんと余り親しくないでしょう?」

すでに先入観を持ってしまっているハーリーには、そのただ事実を言っているだけのルリの言葉も、まるでルリとシラキが親しいと言っているように聞こえた

「で、でも艦長!!」

「はーいストップストップ」

尚もなにか言おうとするハーリーの頭に、サブロウタが手を乗せた

「今は時間がないだろうハーリー。・・・・・艦長、お気をつけて」

「はい」

それだけ答えるとルリは足早にブリッジを後にした

それを見届けると、サブロウタは視線をハーリーに向けた

「ザブロウダさーん!!」

「あー分かった分かった落ち着けって」

すでに半泣き状態のハーリーに苦笑しながらサブロウタがなんとか彼をなだめようと口を開こうとすると

「ねね!ミナトさん!ルリとシラキって絶対なにかあるよね!?」

「そうねえ・・・・取り合えずルリルリは気に入ってるみたいよね、あの人」

「ってことはあれ!?ついにルリにも!?」

「・・・・あー・・・・」

その会話を聞きながら、サブロウタは笑うしかなかった

「ま、まあなんだ・・・元気でな」

「うわああああああん!!!」

ブリッジから勢い良く駆け出すハーリーだった





― ターミナルコロニーコトシロ 屋台 ―



「でも何故じゃろうなあ」

思わせぶりな独り言を呟く老人

だが、シラキはそれを意図的に無視して淡々と次の具に箸をつけた

「おい爺さん。卵」

「老いぼれの戯言に付き合うのは若者の義務じゃぞ?」

「やなこった・・・・卵」

突き出された皿に卵を入れながら、老人は笑った

「本当に、お主は昔と変わってないの」

「そりゃどうも」

「じゃあ独り言でもするかの」

「あーやだやだ。そういうの俺一番嫌いなんだ」

「知ったことか。ワシは独り言をするって言ったらするんじゃ」

新たに卵を追加された皿を出されたシラキは、席を立つわけにもいかず不本意ながら箸を動かした

「あの娘の目的は一体なんだったのじゃろうなあ」

「・・・・」

「ナデシコCの撃破が目的なら、それこそブリッジに直接軍勢を送り込んで自爆でもさせれば早かったろうに」

「・・・・・」

「仮にもし出来るだけ傷つけずに手に入れたかったにしても、ブリッジへ攻撃しなかった理由にもならんしなあ」

「・・・・・・」

「わからんのお・・・・わからんの?」

「・・・・・なあ爺さん」

「どうした若者」

「なんか俺の後ろから凄い数の足音が聞こえてきてるんだが」

「もうろくした爺には聞こえんなあ?」

その言葉が終わる直前、突如として現れた黒い装甲服に身を包んだ如何にもな特殊部隊の面々が、シラキに向かって銃を突きつけた

その数は十を超えるかもしれない

全方位から銃を突きつけられたシラキは、箸を口にくわえたまま恨めしそうに目の前の老人を睨んだ

「説明してほしいねえ。出来れば簡単に細かく」

「無茶言うでない」

老人は笑いながら、その装甲服の集団を見回した

「で?お主らどうしたんじゃ?」

「少将殿!彼には先のナデシコでの一件でスパイ容疑が掛けられております!!」

隊長らしき人物が老人に模範的な敬礼をして答えた

「あ?スパイ?」

「そのことは私からお話します」

シラキが訝しげに眉を潜めていると、その装甲服の間からルリが顔を出した

「ふむ」

それを見ると、老人は視線を再びその隊長に移した

「すまんがお主ら席を外してくれんかの?」

「は?し、しかし」

「・・・・ダメかのお?」

老人の声が少しだけ低くなった、それを察すると隊長は慌てて再び敬礼をすると、他の隊員に指示を出し始めた

「撤収だ!!」

さすがと言うべきか、彼らの手際はスムーズで、わずか二分ほどで、おでんの屋台は再び沈黙に包まれた

残っているのは席に座っているシラキとその横、人一人分ほどのスペースを挟んで座っているルリ

そして、相変わらずの老人の三人だけであった

「で、どういうことだ?簡単に細かく説明しろ」

「無茶言わないでください」

「二度ネタとは三流じゃの青年」

口を挟んできた老人を軽く睨むと、シラキは不機嫌そうに大根を箸で割った

「お嬢ちゃん久しぶりじゃの」

「はい」

「?お前らも知り合いなのか?」

「昔、少しお世話になりましたから」

「どうじゃワシ、顔広いじゃろ?」

「しわくちゃだよ」

「釣れんのお・・・・で?お嬢ちゃん注文は?」

「ラーメン一つ」

「あるかよ」

「あるぞ?」

「・・・・・」

もうどうでも良くなったのか、シラキは黙って黙々と皿の中身を食べ始めた

「で、先ほどの話の続きですが」

「なんだ?」

「貴方にスパイ容疑が掛かってます。理由は」

「あれだろ?ブリッジに隠してあの女に会ったからだろ?」

「はい、それと何故貴方がユリカさんがあの部屋に居たのか分かったのか、それも疑問視されてます」

「なんで分かったか、ねえ」

ため息をつきながら、シラキは空になったコップに触れた

「なんとも言えねえが、なんか気配があったんだよ」

「気配?」

シラキに顔を向けたルリがたずねた

「気配。まあ俺も最初は気のせいかもと思ったが、お前からナビゲーターがいないって聞かされたときにちょいと気になってな」

「・・・・そうですか」

「で?これで疑いは晴れたのか?」

「まあ、貴方がユリカさんと接触できた理由なら、それでなんとか説明出来なくもないですから」

「何とかしろよお前電子の妖精なんだろ?」

「全く関係ない言いがかりどうも」

「はいよラーメンじゃ」

ルリは出されたラーメンに口をつけながら、シラキを横目で見た

「じゃあもう一つ」

「あ?」

「なぜ、降りたんですか?」

その言葉に、シラキはガンモに伸ばしかけた手を一瞬だけ止めた

その動きを、ルリは相変わらずラーメンを食べながら目だけで追っていた

「・・・・気にくわなかったからなあ」

「・・・・甘いと言いたいんですか?」

「いや、単純に俺と合わないだけだ」

ガンモを一口で串だけにすると、シラキは一気に水をあおった

「あの女とお前らの間になにがあったか知らねえ。だからだろうが、とにかく俺の結論とお前らの結論が違った。それだけだ」

「で、独自路線を行くためにナデシコを降りたんですか?火星に行くアテもないのに」

「・・・・・」

「バカですね」

「やまかしい」

とはいえ、ルリの言っていることは間違いなく正論なので余り言い返せないシラキ

「・・・じゃあ、火星まで便乗して行けば良いんじゃないですか?」

ルリの意外と言えば意外な提案にシラキは顔を向けた

「ほお、良いのか?俺はお前達とは真逆の道を行くかもしれねえぞ?」

「・・・・その方が良いのかも、知れませんから」

空になった丼を置くと、ルリは立ち上がった

「・・・・」

シラキは座ったまま、空になったおでんの皿を箸でつついていた

「・・・・帰りましょうか」

「・・・そうだな」

そういうと、シラキは左手でタバコを取り出し、左手で火をつけた

「帰るか」

煙を吐きながらそういうと、ルリも頷いた

「お主ら」

と、背後から掛けられた声に振り返る二人

「頑張るんじゃよ」

笑いながら手を振る老人に、シラキは苦笑した

「なにをだよ」

「色々じゃ」

「ラーメンありがとうございました。提督」

「なに気にするでない」

律儀にお辞儀をするルリを置いて、さっさと歩き出すシラキ

ルリも顔を上げると、足早にシラキを追いかけて行った



「・・・・頑張るんじゃよ」

小さくなっていく二人の背中に

老人―――フクベ ジンはもう一度呟いた





― ネルガル私設病院 敷地内 ―



「もっと良く探して!そっちの方とか!!」

声を張り上げながらエリナは駆り出されたスタッフに次々と指示を送っていた

「・・・どこ行ったのかしら」

全身から焦燥を滲ませながら、エリナは忙しなく辺りを見回した

ラピスがいなくなってから、すでに一晩が経過していた

普通の人間なら、確かにこの程度の経過時間など許容範囲だ。だが、ラピスは違う

彼女は、あの小さな体にも関わらず、この一週間ばかりマトモな食事を取っていない上にベッドからほとんど動いていない

そんな衰弱しきった状態で一晩も見つからないのは、非情に危険だ

すでに病院の敷地内はほとんど探し回った。となれば

エリナは背後を振り返った。そこには、巨大で雄大な森林が広がっている

この病院そのものがマシンチャイルドや火星の後継者の人体実験の被害者という、およそ公に出来ない人間の収容施設だけに、人里離れた場所に建設された

その結果が、この病院の周囲を覆うこの大森林だ

その広さは計り知れず、地図も持たない大人が迷えば、おそらく絶対に自力での脱出は不可能だろう

エリナは無意識の間に唾を飲み込んだ

もしラピスがこれだけ巨大な森に入ったのだとしたら、とても探し出せる自信がなかった

どうするべきだろうか、捜索隊を出すべきだろうか

だが、普通の遭難者とは違いラピスが呼びかけて答えるとは思えない

森の一斉捜索しか手がないのだろうが、昨日のアカツキの話ではこの森を捜索できるほどの規模の人数が集まるのは、早くても明日の夜ごろだそうだ

焦燥に駆られたエリナがふと目を逸らすと、不意にそれは彼女の視界の中に飛び込んで来た

それは、点滴の針だった

おそらく森の枝にでも引っ掛かったときに落ちたのだろう

エリナはそこに駆け寄ると、恐る恐るその僅かに踏み荒らされた木々の間から、森へと足を向けた





― 誰かの夢 ―



夢を見ていた。毎日見る、いい加減にしてほしいような夢

あの人が死んでからまだ数日、なのにそれから今までの時間は、まるで自分にとっては何十年にも及ぶほど長い、長い時間だった

「私はアキトの眼、アキトの耳、アキトの手、アキトの足」

いつか火星で出会った、自分と同じ名前の人に言ったセリフ

彼が入院してから、自分は少しだけ明るくなった気がする

それは、アキトの通訳という新たな、そして間違いなく自分にしか出来ない役目を貰ったからなのか、それともあのバカな白髪男に影響されたのかはわからない

だがそれは少なくとも、あの研究所に居た地獄のような日々よりも幸せだった。そしてあのアキトと二人で戦い続けた日々よりも、穏やかで満ち足りていた日々だった

このまま続けば良いと、心から思った

だが同時に、それは長い幸せではないことも、分かっていた



ある日、彼は死んだ

一瞬だった、それはまるで流れ星のように・・・

願う間もなく、祈る間すらなく、彼は消えてしまった

あれ以来、自分も死んでしまった

だってそうだ。彼の眼であり耳であり手である自分が、彼が死んだのに生きていて良いはずがない

自分は、ただ黙って終わりを待った

終わりを受け入れることに抵抗はなかった・・・・だが、歩み寄ることは・・・・出来なかった

臆病な自分を引き裂いてやりたくなる

そんな臆病な自分は、本当は彼の手足にすらなれていなかったのかもしれない

そのことに気づきまた絶望して、そんな絶望の中ですら終わりに歩み寄ることは・・・相変わらず出来なくて

だから待った、ただひたすら、その時を

だが

―――「俺は・・・・ナデシコに行く」

放っておいて欲しいのに、そのバカ白髪はそう言った

―――「アキトとの約束を、破るわけにゃいけないからな」

その言葉に、思わず彼の顔を見つめていた



似て、いた



顔も違う、雰囲気も違う、背負った運命も違う

なのに、似ていた

不意に思い浮かんだのは、彼との約束のとき

アキトが笑っていて、自分も笑っていた。彼だけが怒っていたが、それはとても楽しそうだった

申し訳なくなった、全てを放棄した自分が、とても恥ずかしくなった

自分はいつまでも殻に閉じこもっていた、ただ、その殻は出ようと思ってもとても硬く、何度も何度も叩くのにヒビ一つ入ってくれない

諦めた自分は、目を閉じる

そして、夢は終わる





いつもは、そうだった。そのはずだった

なのに今日に限って、それは違った

「ア・・・・・キト・・・」

目の前に、彼がいた

それは自分の中のもっとも多くを占めている、あの真っ黒な格好ではなかった

そこは、病院だった

真っ白い部屋で、大きな窓で、そして光が差し込んできていた

彼はいつものようにベッドに横たわっていた、そして自分もいつものようにベッドの横にある椅子に腰掛けていた

「アキ・・・・ト・・・?」

夢なのは分かっていた、現実でないことも理解していた

だが、その夢であるはずの彼に向かって伸びる自分の腕を、止めることは出来なかった

夢の中の彼は、そのはっきりと光を宿した瞳で、自分をことを見ていた

そして、ゆっくりと伸びる自分の腕に向かって、ゆっくりと首を振った

・・・・・横に

それだけ、たったそれだけの動作で、自分の腕は止まった

「・・・どう・・・して?」

泣きそうな、溢れそうな涙を堪えて、自分は口を開いた

そして、ソレにも彼は、ただ黙って首を振るだけだった

彼の眼は、穏やかだった

復讐に身を焦がしていた彼の瞳は、どす黒く爛れた光をただ宿すのみだった

全てを終えた彼の瞳にそれはなくなった。だが、そこにはそれ以上に、泣きそうなほどの空虚が潜んでいた

この人の、本当に優しい心からの眼など、自分は見れないのだと思っていた

きっと自分にはその資格がないのだと、そう思っていた

だが、それは違ったのかもしれない

彼の瞳に映っていたのは、彼自身の心ではなく、自分自身の心だったのかもしれない

でも、それならばなぜ彼の眼は今穏やかなのだろうか

自分はこんなにも悲しいのに

自分はこんなにも、消えてしまいたいのに

不意に、彼は笑った

聞こえたわけではなかった。ただ自分には、アキトの言いたいことが、伝えたいことが、分かった気がした

もう良い、と、そう言われた気がした

「・・・いや・・・」

必要ないと、そう言われた気がした

もう彼は死んでしまったから、自分はもういらないのだと

「・・・・いやぁ・・・・」

そんなのは嫌だった、捨てられるくらいなら、自分も死んで、今度こそ、本当の彼の眼となり、耳となり、手となり、足と・・・・



―――「ラピスは、ラピスだ」



聞こえた

ずっと傍にいた自分が聞き間違えるはずがない

アキトの・・・・声だった

「アキ・・・・ト・・・」

答えるように、彼は笑った

その笑顔は、彼の心からの笑顔だったのだと思う

何十人、ひょっとしたら何百人もの命をその手にかけ、そしてその罪に苦しんだ彼の―――罪人の、心からの笑顔だったのだと

「アキトォ・・・・」

悲しかった、苦しかった、でも

笑った

これが別れなのだということは、直感で理解していた

多分、これっきり、自分は彼の夢を見ないだろう

見なくても、大丈夫なのだろう

だから笑った

納得なんてしていない、自分はまだ、自分で立てないかも知れない、歩けないかも知れない

でも、この別れを泣いて終えることだけは、したくなかった

そんなことは、本物の糞ガキのすることだ

震える口を開くと、言葉は自然と漏れてくれた

もっと色々なことを言いたかったと思う、もっと綺麗な言葉で、もっとたくさんの言葉で別れを伝えたかったと思う

だけど、漏れでた言葉は、とても簡単で単純な言葉だった

でもこれで良いと思う

自分は、ラピスラズリなのだから

自分は今、生まれたのだから



「バカ」



それは最後の最後まで不器用だった自分に、そして彼に送った・・・たった一つの言葉だった





― 森林 ―



エリナが見た光景は、彼女を驚かせるのに十分に値するものだった

他の木々が周りにない。まるでそこだけ切り離されたような場所

そこでラピスは、一本の大木に頭を預けて眠っていた

生きているのは、その寝息と共に僅かに上下する体が教えてくれる

それを見て安心したのか、エリナの全身から力が抜けた

そして、苦笑を顔に浮かべて歩み寄る彼女の耳に、その呟きは聞こえた

「・・・・バカ」

寝言なのだろう、ホンの僅かな言葉。たった一言の言葉

だが、その一言だけで、エリナはなんとなく分かった

「・・・・強いわねえ、アンタは」





ああ、もう大丈夫なのだ。と














あとがき



前中後編、なんとか終わりました



今回の話が、一番長かったと思います

まあそれは一話一話に詰め込みすぎな私のせいなのですが

これでこの作品の中での主役三人の内の一人の話が、一通り終わりました

とはいえ、まだメインどころが二人も残っています

次回はようやっと、下手するとルリより主役かも知れない彼女の出番が、ちょっとだけですがあります





それでわ次回で







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