儀式。

そう、それは一種の儀式であった。

彼が戦いへとおもむく前に必ず行う行為。

全ての機能を停止させたコクピットの中、感覚が無くなり始めて久しい右手をゆっくりと握る。

「大切な物はその人の手に収まる物しか手に入らない」

過去に読んだ小説か何かの一節だったろうか?

その言葉はウソだ、と彼は思う。

その考えは極めて『楽観的』と言わざるおえない。

例え大切な物を硬く硬く握り締めようとも、腕ごと切り落とされる事すら世の中には有り得るのだ。

彼は握った時の倍の時間をかけて右手を開いた。

『ジャンプフィールド形成完了、目標座標の指定をお願いします』

小さなウインドウに写った連れの少女が呼びかけてくる。

薄桃色の髪に金色の瞳、決して自然にはありえない美しさを持つ少女。

「了解。目標は宇宙軍月面基地。出現と同時に襲撃をかける」

彼の名はテンカワ・アキト、かつて大切な妻とコックになるという夢を味覚と言う名の腕ごと切り落とされた哀しき男である。







第2話
「『王子』、再び……」





2201年9月10日 15時18分 宇宙軍月面基地




ドアのプレートに貴賓室と書かれた一室、そこに彼等は居た。
広々とした部屋は間接照明で彩られ上品な雰囲気を醸し出している。
部屋の中央に位置するアンティーク調のソファーとテーブル。
ソファーにはどっしりと座ったミスマル総司令とちょこんと可愛らしくルリが腰掛けている。
対面のソファーにはその身を『火星の後継者』の軍服に包んだ黒髪の男が一人、静かに座していた。
周囲には武装した兵士が身動ぎもせず構えている、よく訓練されている証だ。その数、約10名。
重い空気に耐えかねたルリが口を開いた。

「私達をどうされるおつもりですか?」

対面に座った男、南雲義政が答える。

「人質だよ。草壁閣下を始めとする我等が同胞達を解放する為の交渉材料になってもらう」

「私と総司令の二人で草壁春樹とですか?
そんな馬鹿げたレートで交換するなんて小学生同士のカードゲームでもしませんよ?」

「魔女が! 口を慎め!」

激昂する部下を静止して南雲は言葉を続ける。

「御指摘ごもっとも、ホシノ少佐。確かに普通に考えれば統合軍は意地でも応じないだろうな。
しかし、そこまで我等は考え無しでは無い。ひとつ。まだ軍事裁判すら始まっていない今なら閣下の身柄は宇宙軍の管轄下だ、統合軍がどこまでごり押ししようが最終的な決定権は宇宙軍と新地球連合にある」

「だったら尚更です。新地球連合だって結局は統合軍の元締めなんですから宇宙軍<ウチ>が身柄を預かっていようが『人質を見殺しにしても渡すな』と言われてしまえばそれまでです」

彼女の反論を南雲は意に介さない。

「ふたつ。ホシノ少佐はもう少し御自身の商品価値を自覚したほうがよい。
少佐は先の叛乱をナデシコ単艦で制圧してみせた」

「それとどういう関係が……?」

「既に我々は地下ドッグにあるナデシコCも徴発してある」

コウイチロウの表情がみるみる変化する。

「……ナデシコCでサイバーテロをおこなうつもりか!」

「御名答、ミスマル総司令。先の叛乱では無力化させるだけだったが
本気で使用すればライフラインを完全に分断させることも可能なはずだ」

23世紀現在、電気、水道、ガスは当然として地方電車のローカル線ですらコンピュータ制御による無人車だ。例え一都市でも完全に制御システムを掌握されたら甚大な被害がでることは必死である。

「ナデシコCの起動にはマスターキーが必要だ。
起動するには艦長であるルリ君本人がいなくては不可能だよ」

「第一そのテロの時、私がシステム掌握するのに協力するわけないでしょう」

二人の反論もさして気にした様子も無く南雲は言葉を続けた。

「その点は御心配なく。手段を選ばなければ他人に行動を無理強いさせるのにそう手間はかからん」

ルリの表情に険しいものがやどり、コウイチロウが僅かに身を浮かせる。

「もっとも、我々としてもそのような手荒な真似は望む所ではない。
ホシノ少佐とナデシコCが我々の手中にあるという事実、つまり『ナデシコの矛先が自分達に向くかもしれない』という恐怖心こそが最大の交渉材料足り得るのだよ」

南雲はまっすぐ二人を見据えながら言った。少なくとも彼の言動には嘘は感じられない。

「……確かに過去の『火星の後継者』の一部では多々あった事柄かもしれぬが、嘘ではない。
交渉中のお二人の身柄も保証するし―――」

南雲の言葉を遮って新たに部屋に入ってきた部下が耳打ちする。

「……わかった。話の途中で恐縮だがここで失礼させてもらう」

「私達はどうなるんです?」

「お二人には当分の行動を制限させて頂く。特にホシノ少佐には端末さえあれば何をされるわかったものでは無いからな」

「過大評価、ですよ?」

「先の叛乱の最功労者に過大も何もあったものでは無いだろう?」

そういって口の端を歪めながら南雲は部下を伴って退室する。

「どーしたものかねぇ、ルリ君?」

「どうしようもこうしようも、きっと前回の汚名をそそごうと必死な統合軍さんが何とかしてくれるでしょうし、何よりサブロウタさん達がナデシコBで助けに来てくれますよ」

イマイチ緊張感の感じられないコウイチロウの問いかけにルリものほほんとした感じで答えを返す。
こういう時に『サブロウタさん達が〜』といわれてしまう辺りまだまだ、ハーリーがハーリーたる由縁なのだが、まあいいや。

「……たぶん」

彼女もハーリーの事が脳裏に浮かんだのか、物凄く小声で一言付け加えるルリだった。



貴賓室のドアの前に2名部下を監視に残し、歩を進める南雲達。

「お知らせがお二つございます」

「何事だ?」

「統合軍の艦隊が此方に向かっております」

「迅速な対応だ、予想よりも少し早いな……よほど我等が憎いと見える。もうひとつは?」

「ナデシコBの襲撃が失敗に終わったと神宮寺からの報告にあります」

「ほう、神宮寺を退けたか」

初めて南雲の表情が大きく変化した。ただし、驚きというよりもむしろ喜びと言ったほうが適切な表情にだが。

「わかった、私はすぐにでも新地球連合との交渉に入ろう。外の迎撃は諸君に任せる。
場合によっては『カザマ』の投入も許可するが罠の発動まで戦線を維持できればよい。
……勝つ必要は無い、無理はするなよ」

「ハッ!」

全員が一斉に敬礼し、それぞれ所定の箇所へ散っていった。



同時刻 ネルガル月ドッグ




占拠された月面基地にほど近いネルガル月ドッグに繋留されたナデシコC内部、そこに彼らはいた。

「コイツがナデシコCか、なかなかどうして見事な物だね」

「私はそこまで割り切れませんよ。前回はこの艦一隻にしてやられたワケですし」

「あいにくと節操がないのが取り柄でね。……ふむ、OSを再インストールすれば、
いやいや蓄積されたデータを生かす方向でホシノ少佐をエミュレートして―――」

部下を引き連れて白衣姿の二人の男性がブリッジ内をチェックしていた。
先程まで電話で何やら話していた黒服が二人に声をかける。

「統合軍の艦隊が近づいております。危険ですのでお下がりください」

「素早い対応だねぇ。で、南雲君は?」

「閣下の解放交渉にあたられております。迎撃は我等に一任する、と。
場合によっては『カザマ』を投入しても構わないとのことです」

白衣の男はしばし考える。

「ふーむ、あの連中は罠の準備があるし、神宮寺君は帰って来たばかり。
実戦テストも兼ねていいんじゃない?」

白衣の男が指を鳴らすと暗闇から一人の影が浮かび上がる。

「出番だ、せいぜい派手に注意を引き付けなさい」

影は無言で頷くと来た時と同じように消えた。
傍に控えたもう一人の男、タカハシが周りのスッタフに撤収させるよう指示をだす。

「再び戦争が始まる、君も動かざる負えない程のね。早く出てこないと手遅れになるよ?」

タカハシの指示を尻目に白衣の男、元コロニー開発公団次官ヤマサキ・ヨシオは虚空を見上げとても嬉しそうに一人微笑んだ。



オーストラリア キャンベラ クリムゾン本社ビル




重役クラスの人間にあてがわれる特別なオフィス。
趣味の良い調度品と高級なテーブルとソファー、大きく切り取られた窓から見える景色はとても見晴らしが良く、まるで高級ホテルのスィートルームと見間違いそうだ。
ヒラ社員がみたら労働待遇の違いを訴えるのを通り越してバカバカしくなるぐらいの光景だがまあしかたない、この部屋の主は『特別』なのだ。
部屋の主は現在通信の最中だった。

《A26専用 極秘・暗号回線》

「ええ、そう、わかったわ。こちらも行動を開始しましょう」

『重ねて言うがくれぐれもそちらの動きは気取られぬよう―――』

「くどいわね、南雲。心配せずとも地球は今大混乱よ? 世界中のあらゆるチャンネルでさっきの戦線布告が流れているわ。地球上で今一番テレビに写っているんじゃなくて、貴方?」

さながら日本刀の様な雰囲気をもった南雲の威圧感を意に介さず部屋の主はからかうように応じる。

「この騒ぎの中、地球から飛び立つ艦がいてもいちいち追跡する余裕なんて今の統合軍にないわ。
そちらこそ派手に注意を引くのはいいけど、目的と手段を間違わないでほしいわね」

『言われずとも重々承知している。閣下の解放と同時に計画もすぐさま次の段階に移行する』

「ならばお互い成すべき事を成しましょう? 草壁春樹のエスコートは私達がやるわ、
そちらは当初の予定通り事を進めて頂戴」

部屋の主が草壁を呼び捨てにしたのが気に食わなかったのか南雲の表情が一瞬歪む。

『……』

「あら、怒ったかしら? 仲良くしましょうよ、私達にとって貴方たち『火星の後継者』は
大事なビジネスパートナーなんですから」

南雲の機嫌など気にせず静かに笑みを浮かべる部屋の主。

『わかった、我々は我々の仕事をしよう。全ては新たなる秩序の為に』

「ごきげんよう、南雲。次に会うのは火星かしら?」

部屋の主はコンソロールに触れて再び通信を繋ぐ。先程とは別の回線だ。

「ターゲットの補足はどうなっています?」

『現在ターゲットは火星、極冠遺跡へ調査団を率いて向かっています』

「よろしい、私達も火星に向かいます。艦の準備を」

『了解しました。それと、ひとつお知らせが』

「なんです?」

『『火星の後継者』はナデシコBの適応体候補の奪取に失敗した模様です』

「あらあら、さっきの通信では一言もそんな事を言わなかったのに。
……でもま、あの子が『火星の後継者』にいる以上リスクを冒してさらう価値はないでしょう、
それこそ誘拐するターゲットがミスマル・ユリカでも無い限り」

『わかりました。それでは出航の準備に入ります、シャロン様もお急ぎください』

部下の言葉に応えると部屋の主は不敵な笑みを浮かべて呟いた。

「首を洗って待っていなさい、イネス・フレサンジュ……!」

部屋の主の名はシャロン・ウィードリン。
豪州最大のバリア系兵器メーカー、クリムゾングループ会長を祖父に持つ女性である。



一方そのころ ナデシコB




「どどどどどーしましょ! どーしましょう! かんちょぉぉぉぉぉぉぉ!」

一人でパニックに陥っているハーリーをなだめるのはナデシコB艦のオペレーターの一人、サクラ准尉に任せガイ、サブ、プロスの三人は額を集めている最中だった。

「いやはや、素晴らしい手際の良さですなぁ、これは」

「おそらくさっきの襲撃と同じようにジャンプで月面基地内部へ奇襲をかけたんだろうが、どうやったんだ?」

「目的はやはり前回の雪辱戦といったところなのでしょうか?」

「ありがちなセンだが、多分そんなところだろーな。
簡単に言っちまえばボソンジャンプを駆使して世界征服しちまおうってハラだろ」

「新たなる秩序、再び。信念は宇宙をもつらぬく……ですか」

プロスが軽くため息をつく。

「って、そんなのんきに喋ってる場合じゃないでしょぉぉぉぉぉぉ!」

「まあまあ、落ち着けよハーリー」

「一体どこをどうすれば落ち着いていられるんですか!
オモイカネ、今すぐナデシコの航路を月へ!」

のんきな三人に業を煮やしたハーリーがサクラ准尉の制止を振りきって跳びこんで来た。

「マキビ少尉、ちょっと待ってください」

「ダイゴウジ大尉までなんです! ちょっとも少しも待ってられません、艦長が……!」

「まあまあ。すいません、統合軍の動きはどうなっています?」

すぐにでも飛び出しかねないハーリーを両手で制しながらガイはブリッジ下部のオペレーターに声をかける。

「あ、はい! ええっと……周辺の艦隊と月軌道上のターミナルコロニーから発進した一部の警備部隊が合流して月面基地に向かっています」

先程までハーリーをなだめていたサクラ准尉(20代前半、メガネッ娘)が答える。

「どうされました、ダイゴウジさん?」

「いや少々妙だな、と」

「妙?」

意図する所を掴みかねてクルーの視線がガイに集中する。

「叛乱があったのはたった三週間前、ピーク時には統合軍の三割近い参加者がいたとはいえ
現在の『火星の後継者』にそれほどの戦力があるとは思えません」

「それがなんの関係があるんですか!?」

「だから落ち着けってハーリー。……なるほどボソンジャンプで奇襲をかけられるなら同じようにさっさとどこかに逃げちまえばいいもんな」

「戦線布告だって別に月からする必要はないんです、そのままいれば数に物を言わせた統合軍に包囲されるのは目に見えている……もとい、すでに包囲され始めてますね」

サブロウタの答えに満足そうに頷き、オモイカネの映した戦力分布図を見る。

「ならば何故動かないんでしょうなぁ?」

「考えられる可能性は幾つかあります。可能性その1、どういう理屈でジャンプしているのか知りませんがやはり完全にはA級ジャンパーと同じようにはいかない。その2、どうしても月から離れられない理由がある。もっとも―――」

「ルリさん……ホシノ少佐やミスマル総司令の身柄、ナデシコCを入手した時点でその理由は薄いと?」

「ええ、推測に過ぎませんけど。可能性その3、個人的には一番確率が高く一番来て欲しくないんですがこの理由が一番簡単です」

そこまで言って言い淀むガイ。その表情でサブロウタは答えを察した。

「そもそも『動く必要が無い』……?」

「恐らくは。やはりチューリップやヒサゴプランの類いの力を借りずに単独でジャンプする方法があるのか、統合軍の一個艦隊程度なら一蹴する戦力があるのか、何かしらの罠を張ったか。或いはそのすべてか」

「自由にジャンプ可能、高い戦力の保持、そして罠。どれがきても最悪だーねー」

「だからって、ここにいてもしょうが無いでしょう! 早く艦長を助けなきゃ!」

両手を上げて文字通り『お手上げ』のポーズを取るサブロウタに噛みつかんばかりの勢いで詰め寄るハーリー。
ハーリーの言葉に答えたガイは冷静そのものだった。

「もちっと待ちましょう」

「そんな! 大尉は艦長を……!」

「総司令とホシノ少佐が人質に囚われている以上、宇宙軍は迂闊に動けません。とにかく様子を見るべきです」

「落ち着くのはいいが黙って見てるってのは俺も賛成しかねぜ、艦長候補生さんよ」

「……少しだけ待ってください。罠の類いがあった場合、統合軍と同じタイミングで戦闘に突入するのは得策ではありません」

ガイは頭の中で今後の展開を急速にシミュレートしていた。

(もっとも宇宙軍<ウチ>の人間が人質にとられても統合軍は痛くもかゆくもないんですよね〜)

目下のところその要素が一番の悩みのタネであったが。



地球 新地球連合総会議場




現在会議は混乱の真っ最中。
各国の代表が集結して熱心な議論を繰り広げていた。

「南雲打つべし」

「正義は我等に有り」

「今度こそ完全な残党の一掃」

「宇宙軍の介入を許さず統合軍で処理」

まあ思いっきり要約するとこんな感じである。
先の叛乱での失態を取り戻すべく彼等は彼等で必死なのである。

「そうだとも、我々はヤツラの所業を許す事など出来ぬ!
故に統合平和維持軍は全力を持ってこれを討ち……なんだ!?」

熱弁を振るう議事進行役の傍に秘書が近づき耳打ちする。

「通信が入っております」

「後にしろ!」

「それが……」

進行役の表情が変わる。
それと同時に巨大なウィンドウが会議場に開いた。

『地球ならびに木星の御歴々の方々、議会の途中に失礼させて頂く』

南雲の顔が映った瞬間、会議場にどよめきが広がる。

『私は現『火星の後継者』代表、南雲義政。以後お見知りおきを』

「黙れ、反逆者め!」

「この恥知らずが!」

周囲の罵詈雑言も気にした風は無い。

『我等の要求はただひとつ。先の叛乱で逮捕された草壁閣下を始めとする同志の解放。
取引の材料はミスマル総司令とホシノ少佐の身柄』

「そんな要求を我々が呑むと思っているのか!?」

確かにホシノ・ルリ少佐は軍の内外を問わず有名人であり、先の叛乱を単艦で鎮圧してみせた事で現在世界で一番有名な軍人かもしれない。
しかし、草壁春樹と等価値かと問われればそれはいささか難しい。
草壁は先の叛乱の例をださずとも、地球火星木星とあらゆるところに自身のシンパを持ち政財界にも強い影響力を持っている。
彼を釈放する事は火星の後継者に再び決起させるチャンスをみすみす与えてしまう事に他ならない。

「どうやって月基地を強襲したかは知らんがそれもここまでだ。
既に統合軍艦隊がそちらを包囲している最中、投降するなら今の内だぞ!」

まるっきり悪役な台詞を吐く議員を嘲笑うように南雲は薄く笑う。

『ならば丁度良い。そちらのお気が変わるまで御一緒に戦闘中継を見ましょう』

《LIVE 宇宙軍月面基地周辺》

南雲の言葉と共に新たなウィンドウが開く、映像は火星の後継者を撃破すべく展開した統合軍艦隊と月基地を制圧した『火星の後継者』達の積尸気が出撃する所であった。



月周辺 統合軍艦隊




『全部隊に通達、全部隊に通達! これより本艦隊は作戦行動に入る。総員戦闘配置に……』

先程から流れっぱなしの艦内アナウンスを聞き流しながらライオンズ・シックル隊隊長、スバル・リョーコは愛機のコクピット内で計器類のチェックをしていた。

「ジョロやバッタにカトンボたあ随分と懐かしい顔ぶれだな、オイ」

外の状況を映し出したウィンドウを見ながら彼女はボヤく。
さて、何故アマテラスの警備部隊所属であるリョーコがここに居るのかと言うと、事の発端は三週間前にさかのぼる。

原因はアマテラスでの武装蜂起に端を発した火星の後継者事件、ひいては彼等を逮捕すべく極秘裏に動いた独立ナデシコ部隊に彼女が参加したからである。
統合軍所属の軍人であるにも関わらず宇宙軍の作戦に参加した彼女への風当たりは実に厳しかった。
元々、作戦に参加した理由は極めて個人的かつ重大な理由で、指をくわえて見過ごすマネなど出来なかったため下手をすれば辞職することになっても仕方ないと考えていた。
事実、軍に戻ると上司の態度は実によそよそしい物であったし、すぐさま異動命令が下された、移動先は地上勤務。
彼女は性格にこそ多少の問題があるもののパイロット兼教官優秀としては他に得難いほど優秀な部類だったので是非とも教官役に専念して欲しいというのが軍の思惑であった。そこで実戦配置、演習ともに滅多に行われない地上への異動へとなる。詰まるところ体の良い左遷だ。
リョーコとて一端の軍人だ。始めから降格程度は覚悟していたし、むしろこのぐらいで済んだのは幸運だろう。ただ、ひとつ気がかりなのは―――

『隊長、時間です。いっちょ派手にブチかましましょう』

『ライオンズ・シックル最後の宇宙での戦いになります、気合を入れるぞ!』

彼女の部下であるライオンズ・シックル隊がリョーコの異動を知るとすぐさま全員転属願いを出して自分について来てしまったのだ。
今回戦いに借り出されたのも地球行きの途中でちょうど南雲の戦線布告とぶつかってしまい、地球に降下予定だった戦艦ごとやって来たのだ。

『隊長?』

「……すまねぇなあ、オメーら。俺なんかの為によ」

珍しく殊勝な表情をするリョーコ

『なーにらしくもない事言ってるんです』

『水臭いじゃないですか』

『そうですよ、俺達はどこまでも隊長にお付き合いしますよ』

一瞬、涙ぐみそうになりながらも堪える。

「へ、そこまで言うなら地獄の底まで付き合って貰おうじゃねーか、行くぜ野郎ども!」

『了解!』

リョーコの号令の元、ライオンズ・シックル隊が出撃した。



する事も無くルリは部屋のソファーでじっと座っていた。
コウイチロウは先程から落ち着き無くウロウロしている。

「総司令、少しは落ち着きましょうよ」

「いやしかしそうは言ってもだねぇ、ルリ君。
ユリカ〜! パパは無事だから心配しないでおくれ〜!」

『ご機嫌いかがかな、お二人とも』

突然ウィンドウが開く、通信の主はもちろん南雲だ。

「捕虜に機嫌を聞くのもどうかと思いますが……ハッキリ言って最悪です」

「お前は無事なのかい、ユリカ〜!」

軽く呆れたような表情で応対するルリと全く聞いていないコウイチロウ。……どうでもいいけど余裕だねキミタチ。

『流石だな、ホシノ少佐。このような状況でも全く動じて無いとは、本来ならば奇襲ではなく戦場でお手合わせ願いたかった所だ』

この二人のリアクションは単に素なのだが。

「せめてなにか暇つぶしとかありません?」

『暇つぶし……ならばこれでもどうかな』

《LIVE 宇宙軍月面基地周辺》

出現したウインドゥには外の景色、つまりこの基地を包囲すべく展開した統合軍艦隊と迎撃にでた火星の後継者の軍勢が映し出されていた。
既に戦闘が始まっていて、統合軍のステルンクーゲルやエステバリスにいとも簡単に墜とされてゆく無人兵器群。

「バッタやカトンボ……先の大戦で使用された無人兵器が大半ですか。こんな戦力で本気でどうにかなると思っているんですか?」

『虫型戦闘機や数体の人型兵器だけで勝てると思うほど我々は考え無しではないよ。
座興と言うにはいささか相手がみすぼらしいが、そこそこ面白い出し物を御覧いれよう』

「座興? 出し物?」

不敵な笑みを浮かべる南雲と怪訝な表情のルリ、そしてその空気を無視して……。

「ゆ〜り〜か〜!」

滝のような涙を流して全く話を聞いていないコウイチロウがいた。



影は戦場を見つめている。
統合軍や宇宙軍の機体が入り乱れ、次々と味方の虫型戦闘機が撃墜されていく。
しかし、そんな情景に影は一切興味が無い。
自信に課せられた任務は時間を稼ぐ事であって、敵の殲滅では無い。
このペースでの損耗具合ならば自ら出ずとも罠の発動まで持つだろう。

「……!!」

唐突に影は虚空を見上げて反応する。
来る。
彼か、それとも別の誰かか。
だが間違い無く『跳んで』くる、それは確かだ。
影はこみ上げる嬉しさを堪えようともせず笑い、エステバリスに乗りこむ。

―――さあ、派手に行こう。お客様を出迎えなければ。

殺人傀儡は意気揚揚と戦場へと繰り出した。



走る。
赤いエステバリス・カスタムは戦場を縦横無尽に駆け巡る。

「オラオラ、もうひとつ!」

左手に携えたラピッドライフルでバッタを撃墜、すかさず右腕のレールカノンを自機の正面に構える。
片腕では照準こそおぼつかないがこの至近距離では関係無い。目の前のカトンボをフィールドごと撃ちぬく。
炎を挙げて沈むカトンボの裏側から新たに出現した3機のバッタが襲いかかる。

「チキショー! 落せど落せどキリがねぇ!」

かつてナデシコにパイロットとして乗船し、数多の敵機を撃墜したスバル・リョーコにとってジョロやバッタなど物の数では無い。
が、今回ばかりはいささか勝手が違った。
相手はこちらに攻めてくる意思は薄く、明らかに宇宙軍基地を盾にして戦っている。
これではお決まりのグラビティブラストによる一斉掃射での殲滅戦ができず、各個に機動兵器で潰していくしかない。
負ける気はさらさら無いが雑魚相手にハエ叩きのような作業を徹底してやらされるハメになっているリョーコのストレスは既に限界だった。

「あーもー! ウゼー!」

目の前のバッタに銃弾を撃ちこみ、或いはイミディエットナイフを突き立て、また或いは直にぶん殴って打ち倒す。
鎮圧にきた統合軍の戦力ではこれが精一杯だろう。
せめて、なにか現状を打破できるキッカケがあれば……。
リョーコのイライラが頂点に達した時、ソレは来た。

『隊長、何か来ます!』

《基地周辺にボソン反応確認》

部下の一人の通信と共に危険を知らせるウィンドウが開いた。



何も無い空間に波打つように波紋が広がり、一隻の円錐形をした白亜の戦艦が出現する。
そのまま四連装グラビティブラストを放射、完全に虚を付かれた火星の後継者側の戦艦は宇宙軍基地を盾にする暇も無く歪み、捻れ、爆発、そして四散する。
撃墜した戦艦の中に無人機に指令をだしていた艦がいたのだろう、明らかのバッタ達の動きが単調になる。
白亜の戦艦からバッタが出撃、火星の後継者側のバッタが次々と落とされていく。
続けて、戦艦の色とは対照的に漆黒の宇宙にどこまでも融けていきそうな黒い一体の機動兵器が発進する。
思いっきり地上――この場合は月面か――目掛けて射出された機動兵器は地表スレスレの所で機体を持ち上げ、超低空で宇宙軍基地へ加速する。
周囲から群がってくるジョロやバッタ、積尸気やステルンクーゲルの攻撃を意に介さず直進し、必要最小限の動きで射撃を避け、フィールドで弾き、道を塞ぐ敵機のみ両手に構えたハンドカノンで確実に排除していく。
パイロットは口の端を吊り上げて笑う。
昔の彼を知る物ならば違和感を覚えること請け合いの歪んだ笑み。
興奮が、高揚感が、撃墜した時の手応えが、身体にかかる過度のGが、戦場で感じられる全ての物が自身の生を実感させる。
この一瞬だけは過去も未来も地球も木星も火星も復讐も全てを忘れ彼を真っ白にさせてくれる。
新たに白いエステバリスが出現する。明らかにこちらの進路を妨害する動きだ。

「……いいだろう、オレの邪魔をするなら容赦はしない。ラピス、サポート頼む」

『了解、アキト。バッタ数機をそちらにまわす』

復讐に身を焦がした黒い王子は我知らず叫んでいた。



一瞬、ここが戦場であることすら忘れルリの表情が驚愕に歪む。
南雲によって開かれたウィンドウに映された機体は彼女にとって見間違いようが無い。

「ユーチャリス……それにブラックサレナ……!?」

アマテラスで見た時と同じく現行兵器の機動性を遥かに超えるオーバースペックで戦場を蹂躙する。
多数のジョロがサレナの足を止めようと射撃し、包囲する。
しかし、それらの行為を全て嘲笑うかのようにミサイルを避け、機銃を弾き、ハンドカノンで撃墜し、体当たりで蹴散らす。
ジョロの攻撃は1秒たりとてブラックサレナの足を止められず月基地へ向けて前進しつづける。

「……アキト、さん」

ルリの唇が我知らず彼の名を呟き、南雲は眼前で繰り広げられるサレナの戦いぶりに満足そうに笑う。

(やはり現れたか復讐人、テンカワ・アキト。貴様にも先の戦いでの借りを返さねばならぬからな)

彼の身体が微かに震える。武者震いだ。
火星の後継者最強を誇った北辰を打ち破った彼と武人として、戦士として戦い、そして勝利したいと体が呼びかけている。

(だが、あくまで今回は閣下を解放するのが最優先事項、今はまだ貴様と決着をつける時では無い)

アキトの侵攻を阻止すべくサレナの眼前に新たなエステバリスが出撃する。
ブラックサレナと対照的に白く、僅かに紫がかった瑠璃色のエステバリス。
ユーチャリスからの指令を受けて、サレナの敵である白いエステを破壊すべく五体のバッタが襲いかかる。
エステバリスの足を止めるべく後衛のニ体のバッタからミサイルが放たれ、前衛である三体がフィールドを纏い体当たりを仕掛ける。
対するエステは動かない。

ミサイルが迫る。

動かない。

バッタが迫る。

うごかない。

せまる。

うご―――いた。

あろう事かエステは一切の回避行動をとらずに弾幕目掛けて歩く。

はじめの第一歩を踏みしめたその瞬間、初めてエステバリスに劇的な動きがみられた。
弾けるように疾り、ミサイルの合間を縫う様に前進し、更にバッタのフィールドアタックをごく自然に避けてミサイルを放った後衛のバッタの後ろに回りこむ。
腰から抜いた二本のイミディエットナイフを両手に構え、バッタを滅多切りにする。
いとも簡単に爆発するニ体のバッタ。しかし、AIによってコントロールされる物言わぬ兵である彼等は怯まない。
反転し、残りの三体が同時にミサイルを放―――とうとした瞬間、真ん中のバッタにワイヤードフィストが突き刺さる。
当然のようにミサイルに引火、周囲の仲間もろとも爆発し四散するバッタ達。
高い戦闘力を誇る目の前のエステバリスを警戒し、ゆっくりと停止し、着陸するブラックサレナ。
両者はしばし睨み合う。

唐突に―――

そう、余りにも唐突に―――

ホシノ・ルリは強烈な既視感に襲われた。

自分は知っている。

あの白いエステバリスに酷似した操作技術を誇るパイロットを。

常人離れした機動と類い稀な操縦センス、そしてイミディエットナイフやワイヤードフィストなどの格闘兵器を主体とした酔狂な戦闘スタイル。

―――バカな、そんなことはありえない。

ルリは自身の頭に浮かんだ馬鹿げた答えを一瞬で否定する。

そう、彼がこんなところに居る筈が無いし、まして火星の後継者側で戦っている事などありえない。

彼の最後を見届けたの間違い無く自分なのだから。

彼は今も、今もなお、遠い木星で眠りに―――

彼女の思考はそこで中断される。
身動ぎひとつしなかった両機が急上昇、空中戦へと移行する。
サレナがハンドガンでエステのナイフを受け止め、ちょうど鍔迫り合いのような格好で空へ舞う。
黒と白、ニ体の機動兵器による戦いの火蓋が切って落された。



一方そのころ 月地下都市第288番区画




空港から延びる高速道路を一体の金色のエステバリスが駆け抜ける。
月。人類初の地球外入植地であるこの地は過酷極まりない環境である。
大気は無く、太陽からの直射日光を受けて表面温度は最低と最高で200度以上の差が生まれる。
人類に最も近い星でありながら人類を拒絶する死の星、それが月である。
この星に根付く為にあらゆる手段を講じ、結果人々は地下に潜ることを選んだ。
巨大なクレーターにドーム都市を形成し、それらの箇所を基点とし網の目のように交通網が張り巡らされている。
ガイのエステバリスはローラーダッシュでそのうちの一本をひた走る。
目指すは宇宙軍月面基地。

『大尉、このまま行くと2キロ先で封鎖している火星の後継者と接触します』

手元にウィンドウが開き、ハーリーがナビゲートする。

「マキビ少尉、突破は?」

『警備の戦力と基地との距離から考えてここで戦闘に入ると基地への到達は困難と判断します。
オモイカネ、新たなルート検索よろしく』

ニ等身のエステバリスがテコテコ歩いている新たなウィンドウが出現する。

《ルート検索……》

《検索中……》

《検索中……》

《検索完了、新たなルートを提示します》

『400メートル先で右折してください、しばらく行けば地下鉄の入り口があります。線路を利用しましょう、そこからなら直接基地を目指せます』

「了解!」

両足のライディングギアが唸りを上げ、火花を飛び散らせながら曲がる。
右折した瞬間、ちょうど巡回していたと思われるジョロと鉢合わせになる。

「!!」

ガイは叫び声をギリギリの所で呑みこみ、慌てず騒がずすかさずイミディエットナイフをジョロの首筋に打ちこむ。
電気回路を正確に切断。爆発どころか、抵抗すらできずジョロはその動きを停止した。

「想像以上に敵が進行している、急がないと!」

今まで以上に加速し、金色のエステバリスは月の内部を疾走する。



さかのぼる事数分前、ダイゴウジ・ガイは突然決断した。

「よし、エステ単機で潜入しましょう」

「えええええええええ!?」

相変わらずオーバーなリアクションを返してくれるハーリー。

「本気ですか?」

流石にまともとは言い難いガイの意見にプロスも眉をひそめる。

「総司令とホシノ少佐を救出するなら統合軍との戦端を開いた今がチャンスです。
彼等が正面切ってガチンコで戦っている隙を付いて侵入しましょう」

ガイの口調はまるで近所のコンビニに買い物しにいくかのような気安さだ。

「解った、なら俺が―――」

「いえ、私が行きます」

サブロウタの声を遮ってガイが席を立つ。

「オイオイ、マジか候補生さんよ?」

「高杉大尉のスーパーエステバリスは先程の戦闘で損耗しています。
今は使用した弾薬の補給や破砕したパーツの換装をしている時間も惜しい」

有無を言わさぬ口調でサブの反論をピシャリと押さえ込む。

「でも、サブロウタさんの方がパイロットとしての腕は……」

「こーゆー言い方をするのもの何ですが、はっきり言って『火星の後継者』はホシノ少佐を解放するとは思えません。下手すれば草壁の解放交渉が終わった時点で暗殺されかねない」

「暗殺とは穏やかではありませんなァ」

「殺されるのはまあ言い過ぎとして、恐らく少佐には別の利用価値があると思います。
でなければ彼女が機動キーを差さなければ動きもしないナデシコCまで押さえるとは思いません」

《月面上空を避け地下都市の道路を使えば、かなりの距離まで潜入することが可能かと思われます》

ガイの意見を意外にもオモイカネがフォローした。

「……他に選択肢は無し、か。頼むぜ候補生さんよ」

肩をすくめるサブロウタ。

「ガイで構いませんよ、高杉大尉」

サブロウタの言葉にガイはにこやかに応じた。



そんなこんなでガイのエステバリスUは月の地下を走破していた。
戦闘区域から遠く離れた都市部から地下に侵入、ハーリーから送られる情報を元に極力、戦闘を避けてひた走る。
幸いにも有人機の数は思った以上に少なかった。地上の戦闘に集中している事もあるだろうがやはりガイの予想通り今の『火星の後継者』は人材不足なのだろう。

『二つ目の分岐線を左折、そのまま直進すれば宇宙軍基地の機材搬入用特設駅に到着します』

「そこからは流石に自分の足で潜入ですね。ありがとう、マキビ少尉」

『僕が引き続き基地内部の案内もしますが内部の敵の数は未知数です。……注意してください』

「ナデシコは戦闘区域のから離れ気味でテキトーに戦って下さい。細かい指示はサブロウタさんに任せます、総司令とホシノ少佐を助け出したら合図しますんで救出よろしく」

ハーリーと会話しつつガイはエステの速度を緩める。
当然、駅の入り口には人間の見張りがいるのだろう、ナデシコから借りてきた銃を腰のホルスターに納める。

『ガイ大尉もお気をつけて。それから僕の事もハーリーで結構です、クルーの皆もそう呼びますし』

「うん、よろしくね、ハーリーくん」

敵地とも思えぬ緊張感の無い笑顔でガイは笑った。



宇宙軍月面基地 軍用特設駅入口




MR(Moon Railwaysの略称。旧『月面都市鉄道』の民営化に伴い、分割設立された旅客貨物会社12社の総称)と大きく床にペイントされたフロアに靴音を響かせながら一人の兵士が見回っていた。

『こちら司令室、どうだ異常は無いか?』

「こちら駅改札、辺りには人影ひとつ無い。問題なし」

『了解、引き続き警戒にあたられたし』

火星の後継者の軍服を着た兵士の一人――まあ、説明するまでも無く見張りである――である彼は現在、退屈の極みにあった。
微かな地響きと爆音が地下鉄の改札にまで聞こえてくる。
外では統合軍との戦闘を開始している頃合なのだろう。

「こんなことならパイロット志望にしておけばよかったなぁ」

情けなくボヤく兵士、当然の事ながら彼以外に誰もいないので答えは返ってこない。
今回の作戦はなんとも妙だった。

ごく一部の潜入部隊――南雲中佐直属の隠密部隊だとか、科学班が秘密裏に作り上げた特殊兵団だとか、『火星の後継者』の暗部を一手に担う旧木連時代から存在する暗殺集団だとか愚にもつかない噂が兵士達の間でも飛び交っているが実態は謎である――による襲撃後、月市街や各主要路に潜んでいた自分達が宇宙軍基地を占拠する手筈になっていた。
実際のところどんな魔法を使ったのか判らないが、事実潜入部隊はネルガル会長の乗ったシャトルを爆破し手際良く宇宙軍の中枢を制圧してみせた。

後は指示されていた通りに基地に突入して現在に至る、と言うわけである。
彼は欠伸を噛み殺す。

「草壁閣下の解放交渉中、一切の侵入者は許すな」

それ以上の指示は与えられておらず、潜入部隊が余程上手くやってのけたのだろう、宇宙軍の残党はおろか伏兵の気配すら無い。
2回目の欠伸、今度は噛み殺そうともせず思いっきり大口を開け、閉じた目尻には涙がたまる。
名も無き一兵士である彼の平穏はそこまでだった。
閉じ様とした口は大きく開いたまま動かす事ができず、顔には冷や汗が伝う。
口の中に拳銃が突っ込まれていた。
目の前には一人の青年が銃を構えて真正面に立っている。
早い話が自分は彼に銃を――しかも口の中に――突きつけられているのだ。

「武器を捨てて、両手を挙げてください」

慌てて肩に掛けたサブマシンガンを捨て、両手を挙げる兵士。
当然ながら銃は自身の口に突っ込まれたままだ。

「質問がありますけど、答えてくれますよね?」

「ふ、ふぁい」

「ミスマル総司令とホシノ中佐は何処にいます?」

「ひひんひつふぇふ」

「……」

「……」

兵士とガイはしばし無言で見詰め合う。

「……銃を抜いても暴れません?」

「ふぁいふぁい、もひおん!」

必死で――まあそりゃ当たり前だが――同意する兵士。
ゆっくりと銃を引き抜き今度はこめかみに突きつける。

「改めて質問します、人質は何処にいます?」

「貴賓室です。ほら、来客接待用の!」

「今の『火星の後継者』の指導者はどこにいます?」

「南雲中佐は、現在草壁閣下の解放交渉の為に新地球連合と交渉に当たられております」

こんなにぺらぺら喋っていいのかなーとか尋問しながらガイ自身思わなくも無かったがまあ時間も無いし手っ取り早くていいやとあえて突っ込まなかった。

「なるほど、どうもご協力ありがとうございます」

「いえいえ、そんなご丁寧に」

なんか場違いなやりとりがガイと兵士の間で交わされる。
次の瞬間ガイの右拳が兵士の鳩尾を捉える。
不意打ちに兵士の呼吸が止まりうずくまる、下がった後頭部目掛けて今度は銃杷を振り下ろす。
鉄の塊で殴られた彼はあえなく気絶してしまった。
ガイの横に浮いているウインドゥ越しにハーリーが突っ込む。

『ガイ大尉、無茶をしすぎですよ』

「手加減しておきましたから大した怪我じゃないですよー」

ハーリーの言っていることはそうゆう事では無いのだろうがその辺は大胆に無視した。時間無いし。
喋りながらもガイの手は休まず兵士の身体を抱き起こす。

『あのー何をされているんです?』

「潜入用衣装の現地調達」

手馴れた様子で軍服を脱がせていく。そこ、なんで手馴れているのか突っ込まないように。

「よっと、うん、サイズはぴったしだ」

『火星の後継者』の軍服を身にまとい、銃をホルスターに納め、ついでにサブマシンガンも頂く
念の為、哀れ下着姿になってしまった兵士の手足を駅員室で見つけたガムテープで縛りロッカーに放りこむと一目散に駆け出した。

「目指すは貴賓室。ハーリーくん、案内よろしく」

『了解!!』



宇宙軍月面基地上空




もつれ合うような形で上昇するブラックサレナとエステバリス。
リョーコはその戦いを食い入るように見つめていた。

『隊長、アイツはいつぞやの幽霊ロボットじゃないですか!』

『アマテラスでの借り、返しますか?』

ライオンズ・シックル隊の言葉で意識が現実に引き戻される。

「……アイツも『火星の後継者』が標的のようだ、優先順位は低い。
黒い機動兵器と戦艦にはこっちからは手を出すな、宇宙軍基地の奪還を優先しろ」

『しかし隊長……!』

「いいから言う事を聞きやがれ! 敵の敵は味方って言うだろ!」

納得しきれない部下の一人に叫ぶと強引に通信を切る。
性格こそ直情的だがリョーコとてプロの軍人である。ワザワザこちらへ攻撃する意思の薄い相手を刺激して事態を混乱させるような真似をするほど愚かでは無い。
周囲の統合軍も同じような結論に達したのだろう、とりあえず『火星の後継者』との戦闘に終始しており、ユーチャリスとサレナには徹底無視を決め込んでいる。
もっとも今の統合軍には先の叛乱に参加した挙句、のこのこ統合軍に戻ってきた『出戻り組』が大量に居る為、幽霊ロボットの恐ろしさを知っている彼等は下手に手出して矛先を向けられたく無いといった方が正確なのかもしれないが。
再び、視線をサレナに移す。
機動性という大きなアドバンテージを活かして、エステバリスと戦っている。

それに―――

リョーコは考える。自分にはアキトを止める権利があるのだろうかと。
いざ彼と相対した時、いったい何を言えば良いのだろうかと。
かつての仲間に自分は何もしてやれないという歯がゆさが彼女の身体を苛んでいた。



黒と白、ニ体の機動兵器は月の空へと華麗に舞い上がる。
サレナはナイフを銃身で受け止め、至近距離からハンドカノンを連射する。
回避運動に入ることも許されずディストーションフィールドを展開、ひたすら耐えるエステバリス。
たまらず一度、距離を取ろうとするも素早くサレナが横手に回りこみ、ハンドカノンを肩アーマーの内側に収納、代わりに取り出した伸縮ギミック付きの棍棒を取りだし、フィールドを単純な物理的攻撃で無視してぶん殴る。

両者のパイロットとしての技量はほぼ互角ではあったが、いかんせん乗機に大きな開きがあった。
現行兵器を遥かに上回る機動性を誇るサレナ、一方エステバリスは傍目にはカスタム化すらされておらず全くの量産機のようだ、これでは差は歴然である。少なくとも一対一で戦っていてはエステバリスの勝ちは薄い。
アキトは戦いを優位に進めているにも関わらず、ひとつの思考に支配されていた。

目の前で戦っている相手の機動、クセ、間合いの取り方。乗機が変わっている為か多少変化しているが僅かに名残がある。
他人には判らずともこの2年間ヤツを殺す為に文字通り血を吐くような修練を積んできた、見間違いはしない。
しかし、妙なところが幾つかある。
ヤツは常に部下を伴って行動するため、こうしてすんなり一対一で相対することはまず無かったし、得意技である傀儡舞を使用できないエステバリスに乗りこむとも思えない。そもそもあれほど『火星の後継者』に、いや草壁に忠誠を誓っていたヤツがネルガル製の機体に乗っている事が不自然か。
そういえば白いエステの動きは本人というよりもコピーや模写とか言った方がアキトの感覚にしっくり来る。
アキトは自身の思考を追い払うように軽く頭を振る。
やはりどうかしている、ヤツは間違いない無く死んだではないか。
他ならぬ自分の手で、火星極冠遺跡でヤツの乗った夜天光のコクピットを叩き潰した。生きているワケが無い。
パイロットの正体が多少気になるがまあいい、その件は後だ。

自分にそう言い聞かせると余計な思考はあっさりと破棄した。
今は目の前の敵を排除して一刻も早く基地を目指すべきだろう。

「ラピス、人質の所在は?」

『現在調査中。監視カメラの映像記録……無し。
コミュニケの識別は……数が合わない、たぶん取り上げられている』

ユーチャリスから宇宙軍基地へとハッキング、基地内のところどころに設置された監視カメラの映像記録、あるいはコミュニケの使用ログを辿ったりして二人の監禁されている場所を探る。

『通信記録は……現在使用中。管制塔から長距離通信。場所は地球』

「それは多分草壁の解放交渉中なんだろう」

『邪魔する?』

相棒である少女の声に若干期待がかった色が含まれる。イタズラ盛りの子供のようだ。

「しなくていい、変な事をして警戒されると面倒だ。それより人質はどうした」

にべもないアキトの反応にすねながらもしっかり仕事はこなすラピス。

『同じく管制塔から基地内通信を傍受。発信者は南雲義政』

「通信先は?」

『同基地内、来客応対用貴賓室』

「ビンゴ」

『びんご?』

頭にハテナマークを浮かべているラピスは無視して機体を軍基地へと向き直させる。
この状況下で南雲が解放交渉先以外に通信を開く相手が居るとすれば恐らく人質であるコウイチロウとルリ以外にあり得ないだろう。
二人の所在が判明したなら戦闘を続ける理由はない。一刻も早く救出して解放交渉を潰さなければ。
アキトはコンパクトに次の行動を決めた。
エステの苦し紛れに放たれたナイフを右手の棍棒で叩き折り、無造作にコクピットを叩き潰すべく左手の棍棒が振り下ろされる。
エステバリスのコクピットが叩き潰されようとした瞬間、ソレは来た。









―――金属同士が打ち鳴らされる音





―――鈴の音よりは重く





―――鐘の音よりは軽い





―――錫杖の、音


『愛する女を取り戻しても尚、戦いに身を委ねるか。貴様の人生はよくよく血塗られた道らしいな』

アキトの目の前に出現したウィンドウ、そこには忘れもしないあの男の顔が写されていた。
その顔を見た瞬間、アキトは呼吸も思考も心臓さえも停止してしまったのでは無いかと錯覚する。
目の前のエステバリスにトドメを刺すことも忘れ呆然と立ち尽くす。
テンカワ・アキトが火星で殺したあの男。
自らを『火星の後継者』の影と呼び、人にして人の道を外れたる外道。
心臓が早鐘を打ち、僅かに残った理性が全力で目の前の人物の存在を否定する。
しかし、そんなアキトの願いも空しくその男は嬉しそうに愉悦としか表現できない笑みを浮かべる。








その男の名は―――



『久しいな、愚かしき復讐人。
テンカワ・アキトよ』



―――北辰















次回予告という名のあとがき


ル リ「『ヒロインは遠くにありて思うもの』相変わらず囚われの身で出番の少ないホシノ・ルリです」

レミア「はろーえぶりわん! 約十ヶ月のご無沙汰、レミア・アンダースンでーす」

ル リ「ほんとーにご無沙汰ですね。しかも今回は2/3以上を2週間で書ききったんだからサボり過ぎです」

レミア「確かにダメ過ぎねー。やる気が無いにも程があるわ作者」

ル リ「危うくプロットが完成しているラスト4話+エピローグを『没ネタ〜』のコーナーに投稿しようとしていたぐらいのやる気の無さでしたから」

レミア「そもそも根本的にオリジナルの話を作る能力が欠落してるのよ。だから時間がかかるワケ」

ル リ「ついでに言うとここのサイトに集まる皆さんはやれ軍の思惑だ、やれアキトさんの復讐だなんてシリアス話は求めてないんです!」

レミア「ほうほう、ならば読者はどんな話を望んでいると?」

ル リ「砂糖です!」

レミア「サトウ?」

ル リ「その通り、私とカイトさんが日がな一日いちゃいちゃしたり、デートしたり、私のマズイ手料理をガマンして食べてくれたりするような―――」

レミア「いや、不味いのはダメだろ」

ル リ「読者が鳥肌たてて身悶えするほどの砂糖を、ハチミツを、サッカリンを!」

レミア「……流石にサッカリンは読者の致死量を超えると思うよー」

ル リ「諸君、私は砂糖が好きだ! 諸君、私は砂糖が好きだ! 諸君、私は砂糖が大好きだ!

    ラブコメが好きだ、三角関係が好きだ、手料理が好きだ、同棲が好きだ、添い寝が好きだ、

    お風呂上りが好きだ、バレンタインが好きだ、七夕が好きだ、クリスマスが好きだ。

    地球で、火星で、木星で、ナデシコAで、ヴァーチャルルームで、ラーメン屋台で、

    4畳半のアパートで、ナデシコBで、イネスさんのお墓の前で、ナデシコCで、

    この世界で繰り広げられるありとあらゆる砂糖な話が大好きだ!」

レミア「おーい、壊れてるよー! 帰ってこーい!」

ル リ「カイトさんの操る、明らかにあり得ないスペックを誇る新型機が敵を撃破するのが好きだ。

泣き声を上げて、日々平穏から飛び出したハーリーくんよりラーメンを優先した時など胸がすくような気持ちだった。

ユリカさんまでもがアキトさんを見限って、「カイトカイト」と繰り返し呼ぶ様など感動すら覚える。

『たとえ忘れてしまっても……』のその5が書かれないのはとてもとても悲しいものだ」

レミア「もしもーし!」

ル リ「諸君。私は砂糖を、地獄の様な砂糖を望んでいる

    諸君、私に萌え従う『風の通り道』諸君。君達は一体、何を望んでいる?

    更なる砂糖を望むか? 情け容赦のない糞の様な砂糖を望むか?

    鉄風雷火の限りを尽くし三千世界の鴉を殺す嵐の様な砂糖を望むか?」

群 集「砂糖!! 砂糖!! 砂糖!!」

レミア「うわッ! 何処から沸いて来たのよこの人達! ……もーほっといて次回予告!」

ル リ「よろしい。ならば砂糖だ。

    我々は満身の力をこめて、今まさに振り下ろさんとする握り拳だ!」

レミア「再び戦場に舞い降りたアキト、殺した筈の北辰、釈放される草壁、不敵に微笑むシャロン、信念のままに戦う南雲、不気味に行動を起こすヤマサキ」

ル リ「だが、このネットの海の底で半年もの間、更新を堪え続けて来た我々にただの砂糖ではもはや足りない!! 大砂糖を!! 一心不乱の大砂糖を!!」

レミア「バラバラだったピースは揃い、遂に新たな戦争が幕開ける!
次回『The prince of shining』第3話「月は『地獄だ!』」を半年間ぐらいお待ち下さい」

ル リ「征くぞ、諸君」



《この後書きはおおむねフィクションです》








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