ドックに繋留されているユーチャリスがセンサー翼を展開、ジャンプフィールドの発生を開始する。
『ドック内ディストーションブロックによる閉鎖完了』
『ユーチャリスによるジャンプフィールド形成を確認、レベルCからBへ』
『ナビゲーターの体温異常無し。血圧、脈拍共に若干の乱れあり、規定範囲内です』
カイトはユーチャリスに積み込まれた新しいブラックサレナ―ボディカラーは純白なのにブラックとはこれいかに―のコックピット内でオペレーターの報告を聞いていた。
『会長の指示通り、あなたが行った後にここを爆破、すべての物証を隠滅します。……いいのね?』
「ええ、元々私物なんて2枚の写真ぐらいですし、それに―――」
『それに?』
「いえ、全部終わればテロリストの真似事をする必要も無いでしょう?」
―――帰ってくるつもりは毛頭無い。という言葉をギリギリで飲み込んだ。
『……そうね』
エリナにはカイトの飲み込んだ言葉が判っていたが、指摘しなかった。
彼が何をするつもりなのかは知らないが止めることなど無駄だ。
ならばせめて、後腐れなく背中を押してやることが彼女に出来る最後の事。
『ミカズチ、フィールド形成80%、イメージングを開始します』
「オーケイ」
右手首に巻きつけられた髪留めのゴムを見る。
ひとつは少年にあげてしまったがもう片方は今だ彼の腕につけられていた。
『約束』
不意に2年前の少女と交わした自分の言葉を思い出す。
―――我ながら馬鹿な事を言い切ったもんだ、としみじみ思う。
「……ま、ホレた弱みってやつさね」
皮肉めいてはいるが嬉しそうにカイトは微笑んだ。
「ラピス、例の発信機は?」
『まだ、生きてる。座標は火星極冠遺跡のド真ん中』
「それだけわかれば充分、細かい跳躍地点の補正は僕がやる、発信機の座標の入力よろしく」
『了解』
目を閉じ、集中する。
身体中に遺跡と同じナノマシンパターンが浮かび全身が発光する。
『脈拍の乱れが増大しています、危険域です』
『やっぱり無茶よ、そんな身体じゃジャンプなんて出来ないわ!』
「……エリナさん、最後に一言だけ」
『何よ!?』
「怒った顔も充分魅力的ですよ。多分アキトもそう言ったんでしょうね、この場面で」
『この馬鹿!』
真っ赤になったエリナが乱暴に通信を切った。
カイトは笑みを消しミカズチの表情になる。
「ユリカ。いま、迎えにいく」
やがて全身の光はサレナに広がり、ユーチャリスを包み込んだ。
まばゆい光が格納庫から消えたとき、そこに艦の姿は無かった。
「ボソンジャンプ、成功しました。これより先は専用衛星を通してトレースされます」
「これより当ブロックを爆破、職員は指定の経路にて退避してください」
「……ばか」
制御室でオペレーターの言葉を聞きながらエリナは目尻に涙を溜めてそれだけつぶやいた。
彼女のつぶやきは誰にも聞き止められる事も無くただ、消えた。
第9話「『ばいばい』マーズ」
2201年8月20日16時2分 火星極冠遺跡上空
完全にルリの失策だった。
まさかA級ジャンパーによる奇襲攻撃を想定しているとは思わなかった。
『ジャンプによる奇襲は諸刃の剣、ぬかったな妖精よ』
夜天光が捨て台詞と共に錫杖を振り下ろす。
「いや!」
「く!」
思わずユキナを抱きとめるジュン。
ミナトは反射的に胸に掲げられたチェーンに通された指輪―故白鳥九十九が贈った遺品だ―を握り締める。
ルリにはそれらクルーの動きもブリッジを潰さんとする夜天光の動きもスローモーションのように感じられた。
次の瞬間、夜天光に2発の銃撃が命中する。
完全な不意打ちを真横からくらい、フィールドが相殺しきれなかった衝撃で弾き飛ばされる。
「え!?」
ブリッジクルーが一斉に銃撃の飛んできた方向を見る。
そこにはユーチャリスの上に仁王立ちしたブラックサレナの姿があった。
その機体は火星極冠の雪原に消え入りそうなほど、白い。
「あの機体は……幽霊ロボット?」
かつてシラヒメで目撃した姿の機動兵器とうり二つの姿に思わず声をあげるジュン。
『でもよぉ、カラーリングが違えぞ?』
『よくぞ気づいてくれました!!』
リョーコの突っ込みにすかさずウリバタケのウインドゥが開く。
『何を隠そう、この俺様が直々に作り直した新型ブラックサレナ。その名も『カサブランカ』だ!そのスペックはオリジナルと比較して……』
『や、みなさんお久し振りです』
「あー!あんたは!!」
「カ、カイト君!?」
ウリバタケの説明を遮って開いた新たなウインドゥを見て、いまだに抱き合っているジュン&ユキナが大声を上げる。
『悩める少年、元気そうだね。お守り、役に立ったろう?』
「ええ?」
突然呼びかけられ困惑するハーリー。
『その髪留めには念の為、発信機を仕込んでおいたからね。こういう不測の事態に割り込めるように』
「ええー!?」
「カイトさん……」
『よもや邪魔はすまい?ホシノ少佐』
念を押すようなカイトの問い。
ルリは静かに答えた。
「はい、あなたに任せます。……ハーリー君は艦の維持、エステバリス隊は生きている機動兵器からの防御を!私は遺跡システムの掌握に移ります!」
「了解!」『了解!』《了解!》
クルー全員とオモイカネがルリの命令で動き出した。
「ジャンプによる奇襲は諸刃の剣、最初の一撃で仕留め損ねればそのまま反撃で沈むし、来ることさえ判っていればモグラ叩きの要領で出現と同時にドカン、だ。……昔、お前が僕に言った台詞だったな」
『遂に来たか、殺人傀儡ミカズチ・カザマよ。『火星の後継者』という名の舞台の幕引き、我らの戦いこそふさわしい』
北辰の夜天光と後ろに控える六連達がカイトのブラックサレナ―いや製作者に敬意を払ってカサブランカと呼ぼう―と対峙する。
『決着をつけよう』
その言葉が合図だった。
同時に中空へと飛び立つ8体の機動兵器。最後の戦いの幕が切って落された。
ユーチャリスで随時、敵機の機動をカサブランカに入力するラピスにルリがネットワークを通して接触してきた。
『あなたは誰?私はルリ、これはお友達のオモイカネ。あなたは……』
「ラピス」
『ラピス?』
「ラピス・ラズリ、ネルガルの研究所で生まれた。私はミカズチの目、ミカズチの耳、ミカズチの手、ミカズチの足、ミカズチの、ミカズチの……」
墓場で会った時から感じていた既視感、間違いなく彼女は自分と同質の存在だ。
『あなたも、イジられたの?』
少女はルリの質問に答えなかった。
「ミカズチは私のモノ、私だけの殺人傀儡。あなたのモノじゃ無い!」
真正面から浴びせられる敵意。
『違う。あの人は人形じゃない、ただ優しいだけの人』
「あなたがミカズチの何を知っているの?何の為に戦っているか知っているの?」
『それは……』
「あなたはミカズチにとって切り捨てられるべき過去、私がいれば彼は戦える!」
ラピスは乱暴にネットワークを切断した。
7体の機動兵器に囲まれカサブランカは防戦一方。
左右から、あるいは上下からの変幻自在の傀儡舞に嬲られていた。
すさまじい横Gに耐えながら頭に送られてくる情報を元に反撃。
しかし、ことごとく回避されてしまう。
「くそ!時間が無いってのに!」
焦りの色を隠せずカイトが毒づく。
衝撃が機体を揺らし、肩に六連の錫杖が突き刺さる。
『どうした殺人傀儡、未完成品ではこの程度か!』
夜天光の放つミサイルをギリギリで避ける。
「やりたい放題ってか……グ!」
吐血、真っ赤な血がカイトの白装束さながらのマントを染め上げた。
「内臓系に続いて肺までやられてる、本気で時間がないや。……ラピス、『呼ぶ』ぞ!」
イメージング開始、目標座標は自分自身!
次の瞬間、カイトの膝の上にラピス・ラズリが出現した。
「オモイカネ、ハッキング再開。目標は遺跡システムに取り込まれたユリカさんの自我領域」
《了解!》
現在も次々とジャンプアウトしてくる機動兵器。
草壁が対ジャンプ奇襲用にこれほど周到な用意をしているとは思わなかった。
いちいち新たに出現した機動兵器を一体一体、ハッキングしてもラチがあかない。
そう考えたルリはナデシコの防御をリョーコ達に任せ自分は遺跡へのアクセスを試みる。
『ウリピー、最新鋭機って落ち着かないよ〜』
『マルチスクリーンたって視界が360度確保されてるだけで後は変わらん!』
『全然違うよ〜!』
『視界……塩分濃度の極めて高い湖、確かイスラエルの湖だったわね』
『それを言うなら死海でしょ?』
『イズミ!サブ!オメーらもさっさと出撃しろー!』
既に3倍近い積尸気やステルンクーゲルに囲まれているがいつものやりとりが聞こえている間は大丈夫だろう。
狙いは『火星の後継者』が遺跡へイメージを入力する際に使ったルート。
ルリはモニターに映る敵機も彼女達の漫才も思考の外から追い出しハッキングに集中した。
遺跡システム自体に干渉することは出来なくとも『人間翻訳機』ことミスマル・ユリカへのイメージングさえ阻害してしまえば敵のジャンプを封じることが出来る。
『ユリカさん!答えてください、ユリカさん!』
彼女の意識は遺跡の中枢へと埋没していった。
2体の六連によって生まれた死角から夜天光が襲い掛かる。
即座に反応したカサブランカの銃撃は空しく外れた。
「上か!」
カサブランカの真上にボソンジャンプした夜天光が出現、それと同時に錫杖を振り下ろす。
すんでのところで左手のハンドカノンの銃身で受け止める。
ギリギリと金属をしならせながら睨み合う。
『フハハハハ、素晴らしい、素晴らしいぞミカズチ!よく耐える』
続けて左右に新たな六連がジャンプアウト、両側からミサイルを発射。
爆発が機体を揺らし、コックピットをシェイクする。
「くそ!」
最早、目が見えない。
文字通り刻一刻と身体が死んでいくのが判る。
「IFSリンク、フル・コンタクト!全ての感覚器をラピス・ラズリの物に変更!!」
《被リンク者からのコマンド変更を確認、モードシフト開始》
ビクン、と膝の上のラピスが大きく震える。
五感の全てを彼女の物に依存、さらにラピスの処理するユーチャリスからの情報をダイレクトに受け取る。
妖精と人形がひとつとなり、一体の殺人傀儡と化した。
「ここは……?」
ルリは気がつくとよく見知った土地に立っていた。
家族4人で過ごしたあのアパート(2階建て四畳半一間)が目の前にあり、ご丁寧に屋台まで横に停められている。
「ここが遺跡に取り込まれたユリカさんの世界?」
自分の身体を見るといささか等身が縮んでいる上に服装が軍服ではない。
恐らく、『ホシノ・ルリ』という情報がユリカを通して遺跡に入力された際、彼女の知っているルリの姿になったのだろう。
この世界全体がいわば遺跡によって演算された超リアルなヴァーチャルルームのような物なのだろう……たぶん。
多少、この世界に興味が沸いたが今は一秒でもおしい。
この世界を作り出したの主が居る場所は間違い無くあそこだ。
安アパートの階段を駆け上がり表札を確認する。
『天河アキト』と書かれた表札の空白に稚拙な字で御統ユリカ、星野ルリ+カイト君とムリヤリ書かれている。
「ユリカさん!」
バン、と大きな音を立ててドアを乱暴に開く。
そこに彼女は居た。
「あれ、ルリちゃんおかえり。どうしたのそんなに慌てて?」
「どうしたもこうしたも……とにかく起きてください!」
「ほえ?ユリカはちゃーんと起きてるよ?」
ルリの剣幕にユリカはきょとんとしている。
間違いなく2年前と変わらない彼女の表情。
「違います!この世界は全部虚構、砂上の楼閣なんです」
ルリの言葉にビクッと突然ユリカが固まった。
目は虚ろで焦点を結んでいない。
「虚構……?ウソ……?やだ、ルリちゃん何言ってるの?」
「こんな物は全て都合の良い幻惑です。現在に目を背けて幸せな過去をリピートしているだけなんです!」
「イヤ、嫌だよ、ルリちゃん。わかんないよ」
頭を抱え首を振る。小さな子供のような仕草だ。
ルリは質問を変えた。
「ユリカさん、今日は何年何月何日ですか?」
「へ?えーと今日は2199年の6月1日だよ。そうそう!今月はついに、ついにアキトとの結婚式なんだよ〜!」
花が咲いたように笑うユリカ。
何時の間にか彼女の横にはウエディングドレスが出現している。
本当にここは彼女にとって都合の良い世界のようだ。
「じゃあ、結婚式には皆さん呼ぶんですね?」
「うんうん!ジュンくんにメグミちゃん、ミナトさんとユキナちゃん。それにリョーコちゃん達……アカツキさんやエリナさんにも招待状書かなきゃ!もちろんルリちゃんも来てくれるよね!」
一瞬だけ辛そうな顔してルリは顔を上げた。
「カイトさんはどうしました?」
「カイト君?……あれ?」
再び彼女の目が虚ろになる。
「そういえばカイト君は何処にいるの?ルリちゃん知らない?」
「……ません」
「へ?」
「もういませんよ、カイトさんは2199年の1月、木星で殉職しています」
「ウソ!どうしてそんなこと言うの!」
「でもいないんですよ、ユリカさん」
淡々とルリは告げる。
ユリカの夢とヤマサキのイメージ伝達促進プログラムによって作られたこの世界は彼女の日記の中でも都合の良い『想いで』を抜粋して作られた脆弱な世界。
悲しみや憎しみといった感情から無縁の綺麗な世界。
だがそれは虚構の美しさだ。
人は辛いこと悲しいことがあるからこそ美しいと感じ、幸せと感じるのだから。
「そしてあなた達は新婚旅行のあの日、シャトルを襲撃されて……」
「嫌!嫌!嫌!嫌!聞きたくない!やめてよルリちゃん!」
床にうずくまったユリカの悲痛な叫び。
少々荒っぽ過ぎたが時間が無いルリにはこれしか手段が無かった。
辛い現実を突き出すことでこの世界を『虚構』と認識させたのだ。
まるで数十枚のガラスが一斉に割れる音を立てながら周りの景色が急激に崩れる。
全てが崩れた先の世界はただ、ただ、永遠の暗闇であった。
「目を覚ましてください!ユリカさん!みんな待っています!」
「嫌い!嫌い!嫌い!嫌い!嫌い!嫌い!みんな大嫌い!アキト、助けてアキト!」
「邪魔だよルリちゃん」
「え!!」
突然、後ろから声をかけられ慌てて振り返る。
その懐かしい声を発する人物はテンカワ・アキトであった。
「この世界はユリカの夢の世界。白雪姫の眠りを妨げるならば君を排斥する」
黒塗りのリボルバーをルリ目掛けて構える。
その瞬間、アキトの身体はサングラスで顔を隠し、黒いマントに身を包んだ『黒い王子様』へと変貌していた。
「アキト!」
「アキトさん!?」
銃声が響いた。
後手後手に回っていた筈のカサブランカの動きが急激に変わる。
突然、肩と腰のバーニアを停止、重力に従ってごく自然に落下するカサブランカ。
『苦し紛れか、小賢しい手を!』
『逃がさん!』
ホンの一瞬、ブースターを最大。六連の攻撃を風船のように避ける。
そのままハンドカノンが火を吹いた。
真上から撃たれあっさりと被弾する2体の六連。
『うおおおおー!』
『死ねい!』
続けて殺到する残りの六連
しかし、ことごとく『墜落している』としか表現できない機動で避ける。
そのまま銃口を六連に向け連射、次々と着弾する。
ハンドカノンから来る反動を受けて再びゆらゆらと糸の切れた凧のように舞うカサブランカ。
その動きはまるで……
『まさか、傀儡舞か!』
まるで糸に操られたマリオネットのごとく火星の空を舞う純白の百合
ハンドカノンが放つ銃弾は攻撃であり、移動であり、牽制であった。
今ここに真なる傀儡舞が完成した。
(どうする?どうする?どうする?マキビ・ハリ!?)
ナデシコCのブリッジ、ハーリーは窮地に立たされながら自問していた。
ルリが遺跡への侵入を開始してからジャンプによって送り込まれる敵機のペースが落ちてはいるが相変わらず増えつづけている。
『うえーん!数が多過ぎるよ〜!』
『くそ!次から次へとキリがねぇぞ!』
『相手のキリがなくてキリキリ舞い……ククク』
『どっちかって言うとてんてこ舞いじゃないの?この状況は』
三人娘とサブの連携で辛うじてナデシコを守っているがこれ以上は正にジリ貧だ。
「オモイカネ!艦長はどうなってる?」
《ミスマル・ユリカ嬢の自我領域への接触は成功。ただし、逆ハックをかけられている模様》
「ええ!そんなぁ〜!」
見上げるとIFSシート上のルリは死んだように動かない。
傍目には穏やかに眠っているようにも見える。
『ナデシコC、あなたに預けます』
彼女の寝顔を見つめ、ハーリーは決心した。
そうだ、自分は彼女に託されたのだ。ここでやらずに、いつやるというのだ。
「オモイカネ!ジャンプしてくる敵機動兵器を片っ端からシステム掌握。サポートよろしく!」
《了解、ハーリー!》
数の多さは問題ではない。問題はバラバラにジャンプしてくるため、まとめて掌握することが出来ないということだ。
しかし、それがどうした。
ハーリーは自身を奮い立たせる。
1機ジャンプする間に2機掌握、2機なら3機、要は相手のペースを上回れば良いだけの事だ。
自分はナデシコのシステムサポーター、電子の妖精ホシノ・ルリ少佐の右腕。
やってやれないことは無い!
ハーリーは猛烈な速度でハッキングを開始した。
永遠の暗闇。
その空間にアキトとユリカとルリの三人が対峙していた。
自分の右頬を冷や汗が伝う。銃弾は微かな風をルリに感じさせたに過ぎなかった。
『黒い王子様』ことテンカワ・アキトはこちらに銃口を向けたまま口を開いた。
「今のは警告だ。おとなしく立ち去るのならば良し、でなければ次は当てる」
「アキト!」
ユリカがアキトに抱きつく。
「アキト、ルリちゃんたらイジワルばっかり言うんだよ!」
「もう大丈夫だよ、ユリカ。何も心配することは無い、君は幸せな夢を見続けていればいい」
「うん……」
そのままアキトの胸に顔を埋める。
「ユリカさん惑わされないで!その人はあなたの、私達の好きな人じゃない!」
しかし、ルリの呼びかけは届かない。
目を閉じたユリカの姿は忽然と消えてしまった。
「ユリカさん!?」
「心配することは無い。元の場所へと送り返しただけだ。『人間翻訳機』として都合よく動いてもらうための、夢の世界へな」
唇を噛みながらアキトを、いやアキトの姿をした物を睨みつける。
「おいおい、そんなに怖い顔で睨まないでくれよルリちゃん。……そうだ!」
アキトは新しいイタズラを思いついた子供のように笑う。
パチン、と指を鳴らすと再び周囲の世界が急速に構成される。
割れたガラスの映像を高速で巻き戻しているかのようだ。
「あなたは一体何をするつもりですか?」
努めて平静を装いながら目の前の『アキト』に話しかける。
先程から通信を切断しようとオモイカネに呼びかけているのだが全く反応が無い。
侵入したつもりが実は誘い込まれたか、もしくはナデシコCに何らかの非常事態が発生したか、あるいは両方か。
最悪、体感時間は数分でも現実では既に数時間後でナデシコは撃沈しているのかもしれない。
「なに、ちょっとした面白い趣向をね」
「趣向?」
バラバラだったピースが組み合わさったその先に出現した風景。
そこはあの『忘れえぬ日々』を過ごした場所。
ナデシコAのブリッジそのものであった。
「君も夢を見ようじゃないか、永遠に幸せだった時間の夢を」
何時の間にかナデシコ時代の服装に戻ったテンカワ・アキトは歪んだ笑みをルリに向けた。
ユーチャリスから送られてくる情報を元にカイトは戦場全体を把握していた。
戦況は完全に劣勢、自分の傀儡舞は完璧に使いこなせば決して被弾しない技だが現状を覆せるわけではない。
所詮は時間稼ぎに過ぎない技。
ナデシコは更に出現しつづける敵機に囲まれている。
近づこうにも夜天光と六機の六連に囲まれて思うように動けない。
「クソッ!負けるつもりは無いけど勝てる気が全然しない!」
まさかここまで大きく事象がズレているとは考えもしなかった。
ラピスの肉体がIFSリンクの負担に耐えられる時間もあまり残されていない。
無為に過ぎ行く時間がカイトを焦らし、傀儡舞に隙を呼ぶ。
六連の生み出す死角を潜って夜天光が接近、直接殴りつけてくる。
『憎かろう?悔しかろう?そして何より愉しかろう?』
愉悦、それ以外に表現しようが無い表情で北辰は愉快そうに笑う。
ガシン!ガシン!ガシン!
夜天光の攻撃に合わせて機体が激しく揺れ、ウインドゥがブレる。
『たとえ鎧で取り繕うとも貴様はヒトにはなれないのだ!!』
瞬間、脳裏に家族の事が浮かぶ。
木星での別れ際のルリの涙。
素人意見でも真剣に聞いてラーメンに実践してくれたアキト。
いつも太陽のように笑っていたユリカ。
病室で眠り続けているアキト。
目前で遺跡へと融合されるユリカ。
そして葬式の時でも決して涙を流さなかったルリ。
「うおぉぉぉぉ!!」
フィールドを全開にして体当たり、頭部が歪み相手のフィールド発生器にも負荷がかかる。
さすがの北辰もこれにはたまらず、カサブランカをムリヤリ引き離しそのまま傀儡舞に入る。
「北辰!!」
ハンドカノンを乱射しつつなおも追走するカサブランカ。
『隊長ォー!!』
さらに六連がそれに続いた。
「ルリちゃん」
優しく自分の名を呼ぶ声にルリは動けなかった。
自分の等身は先程よりもさらに縮み、服装はナデシコのオペレーター時代の物に変化してしまっている。
「『幸せな時間をリピートしてるだけ』か、でもルリちゃんだってユリカの事は責められないだろう?」
「え?」
アキトの言葉にドキリとする。
「君だってシャトルの事故から現実と向き合って生きてきたのかい?」
「それは……」
「特にカイトの奴が現れてからはナデシコの事ばかり思い出していたんじゃないのかい?」
彼の言葉に囚われて動くことすら出来ない。
どのみち、この世界に逃げ場所などどいう物があればだが。
「いいんだよ、ルリちゃん。ここは夢の世界、幸せな思い出の世界。痛みも苦しみも悲しみすらも無い永遠の世界さ」
彼は一歩一歩自分へと近づいている。
彼の瞳はルリを捕らえて話さない。
「私をどうするつもりですか?」
やっとのことで声を絞り出す。
「なに、ここで幸せに暮らすだけさ、君と俺の二人でね」
その時、ブリッジのドアが軽い音を立てて開いた。
「アーキート!なーに大事なお話って?」
艦長服に身を包んだ女性、間違い無く3年前のミスマル・ユリカそのものであった。
「やあユリカ、待っていたよ」
歪んだ笑み、だがユリカはアキトの表情の変化に気づかず、一人妄想にふけっている。
「やっぱり、大事なお話って交際の申し込みかしら?それとも指輪を送られて婚約とか?まさかまさか、いきなりプロポーズされたりして……」
目を輝かせながら何処か遠くを見ているユリカにルリの目前まで来たアキトは冷静に告げた。
「俺はルリちゃんが好きだ。だからお前の気持ちは受け取れない」
「へ?」
「え?」
同時に固まる二人の女性。
「や、やだなぁアキト、そんな冗談あんまり笑えないよ!」
アキトはルリを抱きしめた。
あまりの事態に抵抗することも出来ずなすがままのルリ。
「俺は本気だ。本気でこの娘が好きなんだ」
「だ、だってルリちゃんはまだ11歳なんだよ!」
「関係無い、俺は彼女を愛している」
ルリを抱きしめたままニコリともしないで淡々と告げるアキト、その目は恐ろしく冷たかった。
「あ、あ、アキトのバカー!」
涙ながらに猛ダッシュでブリッジを飛び出すユリカ。
「あ、アキトさん、追いかけないと!」
「いいんだよルリちゃん」
先程とは一転、優しい声でルリに話しかけるアキト。
「で、でも!」
「本当は君だってこうなることを望んでいたんだろう?」
体格差があり過ぎるためアキトを振りほどくことすら出来ない。
―――抵抗?そもそも抵抗する必要が何処にある?大好きな人に抱きしめられているというのに。
ルリの瞳は虚ろな影に支配され始めていた。
「私は……アキトさんの事が……」
「幸せなナデシコでの日々、そして傍らに最愛の男性が居れば他に何も望む必要は無いだろう?」
「はい……」
くい、とアキトの手がルリのアゴを上向ける。
彼は唇を近づけながらなおも優しく囁き続ける。
「もはや『カイト』などどいう俺の代用品でガマンすることも無い」
「か……いと?」
聞き覚えのある名前。しかし、今のルリには思い出すことは適わない。
ふたりの唇が近づき、そして―――
『大切な想い出を、大好きな人を踏みにじられてはいけない!!』
「!!」
「誰だ!」
突然の女性の声にハッとなるルリとうろたえるアキト。
『ナデシコのブリッジ』として描かれた背景を突き破って二人の目の前にひとつの人影が出現する。
「邪魔をするな!」
アキトはルリを突き飛ばしリボルバーを抜く。瞬間、彼の姿は『黒い王子様』へと変貌した。
銃声。
地に伏したのはアキト自身であった。
再び周囲の世界が崩れ、深い暗闇へと変貌する。
「あなたは……もしかして……」
ルリにはその女性の声に聞き覚えがあった。
彼女と過ごした期間は極めて短いが忘れるはずは無い。
「お久し振り、と言うべきかしらね?」
銃を構えた黒髪の女性。その名はイツキ・カザマであった。
「後一歩で……そこまでして邪魔をするか、傀儡どもが!」
地に伏したアキトがうめく。
「私としてはどっちでもいいんだけど、まあ他ならぬ彼の頼みだからね」
「くそ……」
そのままアキトだった物は塵になり、消滅した。
ルリは何とか口を開く。
「……どうして、助けてくれたんです?」
「さっきも言ったでしょ?彼、ミカズチの頼みだからって」
「でも……」
「ハイハイ、質問は無しね。それよりも、ユリカさんを悪用していた『想いで』は破壊された。これで敵もジャンプできないわ」
「あ!」
すっかり、忘れていた。急いで戻らなければ。
「オモイカネ、よろしく」
《心配しましたよ、ルリさん》
「ごめんなさい、急いで帰りましょう!……イツキさん」
「何かしら?」
「ありがとう、ございます」
次の瞬間、ルリの姿は掻き消えた。
「……全く、世話が焼けるカップルね」
イツキはヤレヤレと、だが少しだけ嬉しそうに肩をすくめた。
感覚が物理世界に引き戻される。
最初に聴覚が、続いて視覚と触覚が同時に訪れた。
間違いないナデシコCのブリッジだ。
「ハーリー君!」
「艦長!大丈夫ですか!?」
心配げに見上げてくる。
周囲を見ると先程よりも敵機が増えているが水際で耐えているようであった。
「よく、頑張りましたね。さあ、さっさと反撃しちゃいましょう」
「ハイ!」
ルリの言葉にハーリーは満面に笑みで力強く頷いた。
ホンの数秒でナデシコCを取り囲んでいた積尸気とステルンクーゲルが行動停止する。
『艦長、お疲れ様です』
『ルリルリ、ありがと〜!』
サブとヒカルの通信を聞きながら、素早く次の指示を出す。
「急いでカイトさんのフォローを!」
『任せとけって!騎兵隊だァ!』
『助太刀……御免』
リョーコと珍しく真剣なイズミが動いた。
夜天光とカサブランカの後を追おうとした六連の行く手は射撃にて阻まれた。
『騎兵隊だァ!』
『助太刀……御免』
赤、黄、緑、青。四色のエステバリス・カスタムとスーパーエステバリスが躍り出る。
『男のタイマン邪魔する奴は馬に蹴られて三途の川だ!』
『馬その一、ヒヒン!』
『その二のヒヒン』
リョーコの言葉に合いの手を入れるヒカルとイズミ。
『おいおい、俺も馬なのかよ?』
苦笑いのサブロウタ。
『そうそう、馬だけに』
『リョーコはサブを尻に敷き』
『お、やるねぇ』
『バッカヤロー!何が尻だ!』
素早くリョーコからツッコミが入る。
相変わらず漫才のようなやり取りを続けているがその間も六連の攻撃を軽々と回避している。
『まあ、尻に敷くか膝枕かはその後の展開として……ねえ、中尉?』
『バ、バカ!』
『お〜熱い熱い』
両肩の高射砲でミサイル撃墜。すかさず、サブロウタと敵の間に割り込んでラピッドライフルを放つヒカル。
『てめー!これが終わったら憶えてやがれ!』
『気をつけろ!ヘラヘラしとるが彼奴等は強い!』
六連の一体にレールカノンが直撃、大地目掛けて墜落する。
『無念!』
北辰とカイトは雪原の上、互いに距離を取って対峙していた。
『よくぞここまで、貴様の執念……見せてもらった』
「……勝負だ!」
両腕のハンドカノンを雪原に放り投げる。
『抜き打ちか?……笑止』
お互いに構え、タイミング伺う。
まるきり、木星プラントで初めて戦った時とそっくりだった。
一瞬の沈黙の後、両者が同時に動いた。
カサブランカの左フックを紙一重ですり抜け夜天光の右ストレートが命中!
衝撃と反動でパーツを撒き散らしながら激しく後方へと吹き飛ぶカサブランカ。
だが、白い増加装甲の崩れた先には何もなかった。
『空蝉か!?』
《後方にボソン反応》
夜天光の後方に一体の機動兵器がジャンプアウトする。確認するまでも無い、間違いなくカイトの乗っている機体だろう。
『甘いわァ!』
夜天光を急旋回、その回転の反動で錫杖をコックピット目掛けて投げつける。
カイトの出現地点は自分から6、7メートル後ろ。
無手の状態のカイトに攻撃する手段は無い。
『最後の最後で、跳躍地点をしくじったなミカズチ!』
勝ちを悟った北辰の耳に金属が引き裂かれる高い音と金属が叩き潰される鈍い音が響いたのは、ほぼ同時だった。
「ハア、ハア、ハア、ハア……」
荒い呼吸をするカイト。戦闘と最後のジャンプで体力の限界だった。
錫杖に貫かれてもなお、カイトの攻撃は夜天光に届いていた。
自分と北辰を繋ぐ一本のワイヤーが見える。
カイトのエステバリスから放たれたワイヤードフィストが夜天光のコックピットを正確に叩き潰していたのだ。
こちらの攻撃が僅差で速かった、錫杖はわずかに狙いを外れエステの胸部を貫いている。
「戦闘における動きは全てが伏線だ。一番最初に戦った時、お前が僕に言ったな」
『……そうか、貴様が今までの戦いで突入と離脱の時にしかジャンプしなかったは……』
「そうだ、今まで一度も格闘戦を仕掛けなかったのも……」
『最後の跳躍で我に反撃を誘う距離に出現したのも……』
「ああ、すべてはこの一撃の為の伏線だ」
『ククク……見事……だ……』
ドス黒い血を吐きながら、目の前の殺人傀儡が完成したことに微かな満足感を抱いて北辰は死んだ。
2年以上も前の旧式機である薄い紫―瑠璃色―のエステバリスのメインカメラからオイルが漏れ出す。
―――まるで、泣いているようであった。
静かに遺跡の最下層に着陸する瑠璃色のエステバリス。
ハッチを開き、カイトが飛び降り、無言でラピスがそれに続いた。
上空を見上げるとゆっくりとナデシコCが着陸してくるのが見える。
カイトは遺跡に向かって歩き出した。
そっと、遺跡に取り込まれたユリカに手を触れる。
「イツキ……よろしく」
言葉と共に彫像と化したユリカの表面に無数のヒビが入り、崩れ出す。
いとも簡単にユリカは遺跡から切り離された。
肌は硬質な金属ではなく、みずみずしい女性特有の物だ。
大丈夫、間違いなく生きている。
「よっと……さすがに他人の嫁さんを裸のまま晒せないよね」
自分の身体を覆っていた白いマントをドレスのように彼女の身体に巻きつける。
そのまま彼女を床に寝かし、再び遺跡へと向き直る。
ユリカが埋没していたその箇所がせり上がり、再び一人の女性の彫像が出現した。
「……久し振りだね、イツキ」
『ええ2年間、本当にこの日を待ちわびたわ、ミカズチ』
精神同調。触れているだけで落ち着く、懐かしい心だ。
「ああ。イツキ、君を――――」
ナデシコCが遺跡内部に着陸する
はやる心を抑えきれずにルリは駆け出していた
カイトの元へと
全て終わったのだ
彼の身体が死ぬ運命にあっても自分が何とかして見せる
絶対に、絶対にだ
彼の背中へと一目散に駆け寄る
そこでルリは信じられない言葉を聞いた
カイトの口から出た言葉、それは――――――
「―――君を殺しにきた……」
おまけ・対談式あとがき 跡地
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