2186年某月某日、連合宇宙軍司令部の一角にて……
「ふう……」
「おや? どうかされましたか? ミスマル提督」
「ああ、ムネタケ君か……。いや、最近娘がふさぎ込みがちでね。いったいどうしたものかと……」
「娘さんというと、確か今年で10歳になられた?」
「ああ……。本当ならとても明るくて元気のいい子なのだが、地球に引っ越してきてからというもの、笑顔を見せることがめっきりと減っていてね……。
火星で仲の良かった隣の家の子と離れてしまったのが原因だとは思うのだが……」
「隣の家の子? 火星での提督の家の隣は、確か……」
「ああ、テンカワ博士の家だ。先日のクーデターで亡くなられた、な」
「……そうでしたな」
「お二人の息子……確か、アキト君といったか。その子がどうしているかも今ではよくわからん。こんなこと、とても娘には伝えられんしな……」
「ふむ……」
「なあ、ムネタケ君。何かいい方法はないものかなぁ?」
「そうですな……
……………………
……そうだ、ペットでも飼い始めてみたらどうですかな? 他に可愛がるものができれば、少しは気も紛れるでしょうし。
例えば、そう……
犬
など」
僕は犬です
第1話「名前」
シックル
僕は犬です。名前はまだありません。
……いえ、本当はまるっきり無いというわけでもないんですが……犬同士の間で呼ばれる時の名前なら一応、あります。
その名も「うぁおん!」と、いう……
……え? よくわからないって? 仕方ないでしょう、『犬語』なんですから。
人間みたいに口の形で色々な発声が出来ないぶん、発音とかアクセントとかを細かくせざるをえないんです。
……でも、他の動物には犬語でも通じるんですけどね。何ででしょう?
ともかく、そういう呼び名ならある僕ですが、それならなんで『まだ名前がない』かというと……
実は僕、ペットショップに並んでる商品なんです。
僕がこの店にやって来たのは今から3年ほど前。といっても、店長さんがどこかから仕入れてきたとか、別のところで育てていたのを連れてきたとか、そういう訳じゃありません。
その日……僕はもう良く憶えてないんですが、店長さんが夜になって店を閉めようと外に出たところ、入り口の脇に段ボール箱に入っている子犬がいたんだそうです。
僕は……『捨て犬』だったんです。
ペットショップの前に捨てるなんて、ある意味狙っているとも言えますね。
それでも、店長さんが薄情な人だったら、そのまま無視されてハイさよなら、だったかもしれませんが。
でも、このお店の店長さんは元々は獣医を目指していて、学業を理由に断念してからは代わりにペットショップを開業した、という、犬である僕の目から見てもずいぶんと動物好きな人でした。
そんなわけで、段ボールで震えている子犬をかわいそうに思った店長さんは、その犬を他の商品の犬達と一緒に自分の店で飼い始めることにしました。
そうして、僕はこのお店の商品の一匹になった、というわけです。
だから、どこかの誰かが僕のことを買っていって、その人に改めて名前を付けてもらうまでは、僕は『名無し』なんです。
とは言っても……血統書も何もない、犬種すらよくわからない僕を買っていこうなどという物好きなお客さんは、これまで一人も現れませんでした。
僕は犬の中では体の大きなほうで、どちらかというと愛玩用よりは番犬などが向いてるタイプみたいです。
でも、このお店の周りにある家はみんな大きな家ばかりで、来るお客さんも結構お金持ちな人達ばかりでした。
そして、そういう人達はたいてい、番犬を飼うよりもどこかのセキュリティ・サービスなんかで防犯をしています。もっとお金持ちになると人間のガードマンを雇ったりもしています。
だから、この店に来るお客さんはほとんどが、僕みたいな犬よりももっと小さくて、可愛いタイプの犬を選んでいきます。中にはコンテストがどーこーってうるさい人なんかも……
そんなわけで、店頭に並んでから3年が過ぎても、僕は『売れ残り』のままでした。でも、店長さんはいい人だし、他の仲間もみんないい奴だし、そんな『売れ残り』生活も結構気に入っています。
ただ、おかげで今では店で5本の指にはいるくらいの古株になってしまいましたが……
チリ〜ン♪
おや?
「いらっしゃいませ」
誰かお客さんが入ってきました。40歳くらいのオジサンです。早速店長さんが応対を始めています。
「今日はどのようなご用件でしょう?」
「ああ、娘に犬を買ってやろうかと思ってな」
「娘さんですか? お年は?」
「うむ、この間10歳になった」
「左様ですか。それでは……」
そのお客さんは店長さんと話をしながらこっちにやってきました。仲間達の中でも、お客さんを気に入ったらしい何匹かは盛んにアピールをしています。
でもまあ、僕にはあまり関係ないかな。10歳の女の子へのプレゼントなんて。
……とか考えていると、そのお客さんと店長さんが僕の近くにやってきました。
檻を順番に眺めながら、それぞれの犬を観察しているようです。
やがて、僕のいる檻の前で足を止めると……
「……店主、この犬はどういった犬だ?」
「はあ……その犬は3年ほど前にこの店の前に捨てられていた犬でして。こう言ってはなんですが、娘さんに贈られるというのには少々……」
「ふむ、そうか……」
んっ?
店長さんとそんな会話をしながらも、なぜかお客さんは僕の顔をジーッと見つめてきます。
……いや、これは”見つめる”というよりも”睨みつける”といった方が……それくらいの力が込められた視線……!
これは……
目をそらしたら負けだ!
ギンッ!
「む……!」
くわっ!
くっ……!
こっちが対抗して放った”睨み”を、さらに強力な眼力で返してきた……!?
だけど、この店最年長の犬という誇りにかけて、ここでお客さんに屈するわけには……!!
カッ!!
ウォォォーーーン!!
……………………
「あの……お客様?」
「ん? ああ、店主か」
……数時間に及ぶようにも感じられた長い闘いの果て(本当はせいぜい十数秒といったところでしょうが)に、先に目をそらしたのはお客さんの方でした。
と言っても、店長さんに声をかけられてそちらに振り向いただけでしたが……
勝った……のかな? 一応は……
……でも、精根尽き果てた……といった具合の僕に対して、お客さんの方はまだまだ余裕がありそうです……
やっぱり、僕の負け、かなあ……?
そんな僕を余所に、店長さんとお客さんはまた何か話し始めました。
「ふうむ……店主、この犬はいくらだ?」
「は? いえ、しかしこの犬は娘さんのプレゼントには……」
「それはさっき聞いた。が、この犬の”眼”が気に入ってね」
「……左様ですか。それでは……」
……店長さん、顔に思い切り『変な客だ…』って書いてありますよ?
どうやら、ペットショップ生活3年目にしてようやく、『物好き』な人が1人、現れたみたいです。
僕を買ったオジサン……ミスマル=コウイチロウさんというそうですが。その人に連れられて、僕はミスマルさんのお屋敷にやって来ました。
別れ際の店長さんは、どこかスッキリしたような、寂しげなような、微妙な表情をしていましたが……一言「元気でな」と言って送り出してくれました。他の犬や猫たちもみんな別れを惜しんでくれて……やっぱり、少しだけ寂しいかな。
なんだかんだとずいぶん長い間あの店で暮らしてましたからね……
それはともかく、ミスマルさんのお屋敷です。これからは僕もここに住むことになるみたいです。
結構大きなお屋敷ですが、やっぱり番犬の用なんかは少なそう……
そして今は、ミスマルさんの娘さん……ユリカさんの部屋の前に到着したところです。
でも、10歳の女の子……犬なら生まれて半年ちょっとってところか。うーん、子犬の扱いなら新入りの世話で慣れてるつもりけど、人間の女の子は……
果たして、僕で大丈夫なんだろうか?
……とか考えてるうちに、コウイチロウさんがドアに手を伸ばしました。
コンコン
「ユリカ、起きてるかい?」
「お父様? うん、起きてるよ」
「そうか、ちょっと邪魔するよ」
そう言うと、ドアを開けて入っていきました。僕も一緒について入ります。
「なに、お父様……あれ? その子は?」
僕に気付いた女の子−ユリカさんが、少し訝しげな顔をしました。
「ああ、この子か。最近、お前の元気がないだろう?」
「え? ……ううん、別にそんなことないよ!」
「隠さなくてもいい、見ていればわかる。……テンカワ君かい?」
「お父様……」
僕たち入ってきたときには空元気のようだったのが、コウイチロウさんの言葉で一転し、ぐっと沈んだ雰囲気になりました。なんとなく、仲の良かった仔が売られてしまったときの子犬に似ています。
……確かに、父親ならずとも見ればわかりますね。
「それでな、お前に少しでも元気になって欲しくて、この子を買ってきたのだよ」
「私に?」
「そうだ。テンカワ君の代わりになればと思ってな。
ホラ、今日からこの子がお前の飼い主だ。ユリカの言うことはちゃんと聞くんだぞ?」
『ウォン!』(はい!)
と、一応返事はしたものの……あの、コウイチロウさん? なんだか、そのユリカさんの様子が……
「…………の代わりなんて……」
「ん?」
「……キトの代わりなんて……」
「……ユリカ、何か言ったかい?」
「……アキトの代わりなんて、誰にも出来ないもん!!」
「うぉっ!?」
うわっ!!
「お父様のバカァッ!! 出てって!!」
「……い、いや、ユリカ? ワシはただ……」
「出ていってぇっ!!!」
ボンッ!!
……ユリカさんが枕を投げつける寸前、コウイチロウさんは部屋の外に脱出しました。目標を失った枕が、閉められた扉にぶつかって鈍い音を立てます。
えっと……僕で大丈夫なんでしょうか、本当に?
「……ヒック、ヒック……お父様のバカ……アキトの代わりなんて……グスッ……いないんだもん……」
……コウイチロウさんが退散してから約10分。ユリカさんはあの後ベッドに顔を埋めたまましゃくり上げています。
こういう場合は、何を言っても逆効果ですね、きっと。……とにかく、そっとしておきましょう。
「……あれ?」
ユリカさんが僕に気付いてベッドから顔を上げました。
「……まだいたの?」
……………………
き、気付くなりすぐにその台詞ですか……?
「……出てってよ」
『出てけ』と言われましても……確かにコウイチロウさんからは、『ユリカさんの言うことを聞け』と言われましたが、それは飼い主がユリカさんになるというからであって……
主としての命令ならばいくらでも聞きますが、この場合はむしろ主になることを拒否してる? ように……
となると、ユリカさんではなくコウイチロウさんの意志に従うべきところなのでしょうが、その為にはユリカさんに僕の飼い主になってもらわないと……
ああっ! 僕は一体どうしたら!?
「……早く、出てってって言ってるでしょぉっ!!」
ブン!!
……やっぱり、ユリカさんが落ち着くのをひたすら待っているしか……って、うわっ!?
ガン!!
『ギャン!?』(痛ッ!?)
「あっ……!」
め、目覚まし時計は反則ですよ、ユリカさん……
咄嗟に顔をそらしたので、顔面に直撃するのは避けましたが……代わりに背中に一発キツイのをもらってしまいました。ウゥ……
「ご、ゴメンね!? 大丈夫!?」
ユリカさん……?
……さっきまでとはうってかわって、心配そうな……というより、不安そうな顔をしたユリカさんが、背中の、時計がぶつかった辺りをさすってくれ始めました。
はう、確かにまだちょっと痛いけど、けっこう気持ちいいかも……
「い、痛かった……よね? ゴメンね、ホントに……」
背中を撫でるペースが遅くなるとともに、ユリカさんの顔がゆっくりと俯いていきます。
えっと……
ペロッ♪
「ひゃっ!?」
気がつくと思わず、舌を伸ばして右の頬を流れている涙を舐め取っていました。
固まっているユリカさんのことは無視して、左の頬にも同じようにします。
ペロペロ♪
「あ……」
硬直がとけたらしいユリカさんが、顔を大きく歪ませました。両目に涙がジワッと溜まっていって……
「ぅ……」
しまった! 怖がらせちゃったか!?
「う……
うえええぇぇぇ〜ん!! アキトぉぉぉ〜!!
」
……ユリカさんはそのまま、僕の首にしがみつくと、大きな声をあげて泣き出しました。
「アキトぉ〜! アキトぉぉ〜!!」
……そっか、その子に会えないのがそんなに寂しかったんだ。
ここは、泣きたいだけ泣いてもらうのが一番ですかね……
「アキトぉ……。あいたいよぉ……」
キュッ♪
ぐぇっ!?
ゆ、ユリカさん、チョーク、チョーク……! 首が……!?
「アキトぉ〜……!」
キュキュッ♪
ぐおぅっ!?
パタパタ! パンパン!
必死に尻尾で床を叩くも、泣きじゃくるユリカさんには全然気付いてもらえず……ユリカさんが泣き止むまでの間、僕は懸命に途絶えそうになる意識と闘い続けていました……
やっぱり、大丈夫なんだろうか、この先……
「お父様にも、謝らなきゃ……」
あの後、なんとか落ち着いてくれたユリカさんは、そう不安そうに呟きました。でもまあ、あの様子なら笑って許してもらえるんじゃないでしょうか。
しかし、犬である僕の考えがユリカさんに通じるはずもありません。
そのままユリカさんはしばらく悩んでいましたが、やがて、なにかを思いきるとともに、部屋から出ようとドアを開けました。
ドサッ!
「うぉっ!?」
…………はい?
「……お父様?」
……コウイチロウさん、扉の向こう側に思い切り寄りかかっていました。廊下から中の様子でも窺っていたんでしょうか? ……一体いつから?
確かさっき部屋を追い出されたときは、けっこう遠くまで逃げて行ってたような……
「……や、やあユリカ。その、これはだな……」
「お父様、さっきはゴメンナサイ!!」
「……は?」
突然思い切り頭を下げた娘に、コウイチロウさんは少々困惑気味のようです。でも、やがて穏やかに微笑むと、ユリカさんの頭を優しく撫でました。
「んっ……お父様?」
「ユリカ、あの子は気に入ってくれたかい?」
あの子って、僕のことでしょうか、やっぱり。
「えっと……うん! とっても!!」
「そうかそうか。うむ、やはりワシの目に狂いはなかったようだな……」
後半は僕の方を向いてしみじみと……なんか、照れますね。
「それじゃあ、名前を付けてやらんとな」
「名前?」
「そうだ。ユリカの犬なんだから、ユリカが考えてあげなさい。いい名前をな」
「私の……。そっか、名前かあ。う〜んと……」
名前……ですか。僕の、ペットとしての、名前。
う〜ん……
……あまりヘンなのは、勘弁して欲しいんですけど……
「う〜ん……」
「……まあ、じっくり考えなさい。ワシはもう今夜は寝るから」
「あ、はい。おやすみなさい、お父様」
「うむ、おやすみ、ユリカ」
そうして、コウイチロウさんが出ていった後も、ユリカさんはうんうん考え込んでいました。
「……ねえ、お前はどんな名前がいい?」
『ウォ?』(はい?)
いや、そう言われても……返事のしようがないんですが。
「な〜んて、言ったってわかんないか……はぁ、アキトぉ……」
と、ユリカさんが部屋のどこかに目をとめました。
僕もそっちの方を見てみると……本棚? それも、童話?
「…………そうだ!」
? なにか思いついたんでしょうか?
「あのね……
カイト
っていうのはどうかな!!」
……カイト?
「アキト(AKITO)のAとKを入れ替えてカイト(KAITO)!! なんとなく、響きとかが”ナイト”にも似てるし!」
ナイトって……騎士のことですか? おとぎ話なんかに出てくる?
「そうよ、アキトは私の王子様なんだから、いつか絶対にまた会える! だから、お前はそれまで私を護るナイトさん! うん、ピッタリ♪」
……それって、その”アキトさん”と再会するまでの『繋ぎ』? いや、むしろ『虫除け』? う〜ん……まあ、『ボディガード』くらいに思っておきましょうか。
カイト、かぁ……。うん、けっこういい名前じゃないか。それに、ユリカさんもずいぶん元気になったみたいだし。
「よ〜し、お前の名前はカイトに決まり! カイト、わかった?」
『アォン!』(はい!)
僕は、犬です。
名前は今日から、カイトです。
続く
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