──2198年3月某日──
『やっぱり! アキトは私が大大だーい好き!!』
『そ、そうだよ、悪いか…………お前は、どう思ってるんだよ』
『私? うん、私はアキトが大好き!』
『……初めて聞いた』
戦場に響きわたる痴話喧嘩。
『ルリちゃーん、私の代わりに点呼とってぇ〜』
「点呼、ですか?」
『そう、前にならえ! いち!』
『に……』
「……さん」
遺跡を宇宙の彼方へと放りだしたナデシコクルー達。
「なぁにぃぃぃっ! 1人多いだぁ〜!?」
「提督を数えるのを、忘れてたとか……」
「オモイカネは、そんなバカじゃありません」
そして、どこからかナデシコに出現した謎の侵入者。
『なに? ルリちゃん、何かあったの?』
「……侵入者です、艦長」
『侵入者?』
しかし……
『ちょっとちょっと、この”子ども”はいったいなんなんだい?』
『『『「「「……こども?」」」』』』
食堂に現れたのは、小さな小さな女の子だった。
Blackonyx Typhoon!
「出会った日」
シックル
――ナデシコ医務室――
「で、あの子の具合はどうなんですか?」
医務室に集まったナデシコの主要クルー達を代表して、艦長のミスマル=ユリカが医務室の主イネス=フレサンジュに尋ねる。けっして狭くはない部屋なのだが、さりとてあまり広いというわけでもなく、10人以上の人間が集まっている今はなかなかに窮屈そうだ。
”あの子”とは、火星からボソンアウトした際に突然食堂に出現した謎の女の子のことである。年の頃は2歳ほど、少女というより子供、あるいは幼女と呼ぶ方が相応しいかもしれない。発見当時から意識がなかったため、とりあえず医務室に運ばれたのだが……
「そうね……呼吸、脈拍、体温、脳波ともに異常なし。外傷や疾病、その他諸々の障害の様子もなし。見事なまでの健康体ね。まあ、要するに……」
「要するに?」
「のんきに寝てるだけってこと。しばらくすれば目を覚ますでしょう」
「はぁ……そうですか」
イネスの言葉通り、ベッドの上で穏やかに眠っている女の子。すやすや……と表現するのがピッタリの寝姿をしている。
「にしてもよぉ、いったいどうやってこの艦に乗り込んだってんだ?」
整備班班長のウリバタケがもっともな疑問を発する。
少し前までこの艦は火星の戦場にあり、つい先程にはそこから反対側の宙域にジャンプしてきた。部外者が乗り込んで来られるような状況ではなかったはずだ。まして相手は小さな子供なのである。
「それなら既に判明しているわ。ルリちゃん、この子が現れたときの食堂の映像をお願い」
「……はい」
イネスに頼まれ、オモイカネに指令を出すオペレーターの少女、ホシノ=ルリ。
各員のコミュニケにその時の映像が表示される。
「「「「「おお……」」」」」
「これは……!」
「ボソンジャンプ……」
「そう、この子はボソンジャンプによってこのナデシコにやってきた。初めからナデシコに来るが目的だったのか、それともナデシコのジャンプに巻き込まれる形で一緒にボソンアウトしたのか……まあ、その辺りは目が覚めたら聞いてみるとしましょう…………あら? どうやら言ってるそばから目を覚ましそうね」
「「「「「え?」」」」」
イネスの言葉を聞き、皆の視線が再びベッドの上へと戻る。
「……ううん……」
微かに声をあげ、一度寝返りをうつと、女の子の両目がゆっくりと開いた。
「ふわぁ…………あれ? ……ここ、どこ?」
「ここはナデシコの医務室よ。おはよう、可愛い侵入者さん?」
「ふぇ……?」
女の子が声のしたほうへ顔を向けると、声をかけたイネスと目が合う。
……その2つの眼は、右眼が黒、左眼が金色と、それぞれ違う色をしていた。
(これは……オッドアイ? 猫などの動物に稀に見られる特徴だけど……ヒトでは見るのも聞くのもこれが初めてだわ。それに、片方の眼は金色……この子も遺伝子操作されている子供なのかしら?)
女の子の珍しい特徴にイネスの科学者としての好奇心が微かに疼くが、それはひとまず押さえて医者としての仕事を優先させる。
「気分はどうかしら? どこか痛いところとかはある?」
「……おばさん、だれ?」
ピキッ……!
周囲の空気が音を立てて固まった。
「…………(ヒクヒク)」
「おっ、落ち着いてくださいイネスさん! 相手は子供ですよ!?」
「そっ、そうですよ! あのくらいで怒ってたら大人げないです。だ、だから早くそれしまってください!」
笑顔を凍らせながら、怪しい色をした液体の入った注射器を取り出そうとするイネス。それを周りの人間がなんとか押しとどめようとする。
やがてどうにか落ち着いたイネスに代わり、艦長のユリカが女の子に話しかける。
「ええっと……こんにちは! 私はこの機動戦艦ナデシコ艦長、ミスマル=ユリカでーす! ぶい!!」
「……………………」
無反応の女の子。
「あ、あれ……? あんまりおもしろくなかったかなぁ〜? じゃあじゃあ……」
「……おばちゃん、バカ?」
ビキッ…………!!
先程よりもさらに緊張感の高い沈黙が周囲を包む。
「あは、あはははは…………そんなことを言う悪い子は、”お姉さん”がきっついお仕置きしちゃうぞぉ〜?」
「うわーっ! 落ち着け、ユリカ! 相手は子供だ! お前もイネスさんに言ってたじゃないか!?」
「離してアキト! うふふふふ……大丈夫、私だってわかってるよ…………小さい子供の躾って、大事だと思うの!!」
「ぜ、全然わかってないだろ! 目が笑ってないぞ!? だ、誰か助けてくれぇ〜!!」
暴走するユリカを必死で止めるアキト。彼女の様子があまりにコワいのか、こちらは誰もアキトに手を貸そうとしない。
そんなユリカにさらに代わって、今度はミナト・メグミ・ユキナの3人が女の子のそばへ近づいていった。
「こんにちは、小さな侵入者ちゃん」
「……だれ? おねえちゃんたち……」
「私はミナトよ。ハルカ=ミナト。こっちの2人は……」
「メグミ=レイナードよ。よろしくね♪」
「あたしは白鳥ユキナ! じぃーっ、まじまじ。うーん……なんか、ずいぶん変わった目してるわね……」
「ミナトおねえちゃん、メグミおねえちゃん、ユキナおねえちゃん……」
「なんで私には”おばちゃん”なのにミナトさんには”おねえちゃん”なの!? 私のほうがミナトさんより年は下なのにぃーっ!!」
「だ、だから落ち着けって言ってるだろユリカ! 子供の言うことだってば!」
「あらら、アキト君も大変ねぇ…………さて、それじゃあ、あなたのお名前はなんて言うの?」
「わたしのなまえ?」
「そうそう、あなたの名前。あと、どこから来たの? お父さんやお母さんは?」
「ミナトさん、そんなにいっぺんに聞いても答えられないんじゃないですか?」
「それもそうね……じゃあ、まずは名前からね。あなたのお名前はなんて言うのかしら?」
一際激しく暴れるユリカと、それを必死で押さえるアキトを尻目に、女の子に名前を尋ねるミナト。しかし……
「……わかんない……」
「「「え?」」」
「……わたし、なんていうなまえなの……? どこからきたの……?」
「そ、そんなこと私たちに聞かれても……ねぇ?」
「そうですね……これってもしかして?」
「あ〜、ダメダメ! 記憶喪失っていうのはあたしがとっくに使った手!」
「う〜ん。でも、あなたの場合はバレバレだったけど……」
「この子はそんな風には見えませんよね……」
「む。じゃあ、この子はホンモノだってゆーの?」
戸惑う3人を余所に、表情を暗くした女の子は、不安げに辺りを見回し始める。
「おとーさん……? おかーさん……? ……ここはどこ? わたしは……だれ……?」
そんな女の子の顔が、医務室の片隅で『興味ないです』といった様子で佇みながら、静かに事の成り行きを傍観していた少女−ルリの方へと向いた。
その途端、沈んでいた女の子の顔がパッと明るくなる。
「…………?」
怪訝そうなルリ。ルリの金色の瞳と、女の子の左右色違いの瞳が見つめ合う。
「……おかーさん!!」
「……え……?」
「おかーさぁーん!!!」
ベッドから飛び出すと、ルリの元へと駆け寄っていく女の子。
「…………(ピシッ)…………」
「「「「「……えええええぇぇぇぇぇっ!!?」」」」」
余りの事態に思考停止するルリ。そんなルリに構わず、女の子は彼女の足に”ひしっ!”と抱きつく。
他のクルー達は、激しい驚愕の声を一声あげると、その次はまるで石のように固まり身動き1つしなくなった。
「おかーさぁん……」
しがみついた足に頬擦りをしだす女の子に、ようやく思考能力を取り戻したルリだが……
「…………マジ……ですか……?」
全てが凍り付いた世界の中で、彼女に言えたのはただそれだけだった……
――約一時間後、ナデシコブリッジ――
「……検査の結果、この子は遺伝子的には正真正銘ホシノ=ルリの娘だと言うことが判明したわ」
ブリッジにイネスの説明が響く。
あの後、目を覚ました記憶喪失の女の子と、彼女がくっついたまま離れようとしなかった”母親”ルリ、そしてイネスの3人は女の子の詳しい検査のために医務室に残り、他の人間はそれぞれの持ち場に戻っていった。
そして先程、一応の検査が終了した旨がイネスより伝えられ、主要クルー達は今度はブリッジに集まることになった。
「……身に憶えがありません」
当然といえば当然のことだが、ルリは自分が”母親”であることを否定する。
「そうね。確かにホシノ=ルリが娘を産んだという記録はどこにも存在していない。それに、この子の年齢は約2歳と少しといったところ。2年前のルリちゃんに子供が産めたとはとても思えないし。……まあ、ギネスブックには7歳で妊娠、8歳で双子の姉弟を出産したなんていう日本人の女性の記録があるけど……そういった事例はあくまで例外中の例外。当時の人間開発センターでの生活環境から見ても、この子が2年前ルリちゃんが産んだ娘であることはあり得ないわね」
「じゃ、じゃあ、それっていったいどういう事なんですか?」
本人と同様にルリ母親説を否定したイネスにユリカが質問を出す。彼女に説明を求めるのは半ば自殺行為とも言えるのだが……この場合は彼女に尋ねるほかにどうしようもない。
「そうね……幾つか考えられるわ。もっとも、今のところどれも推測でしかないけれど。
まず1つは、この子はルリちゃんの娘ではなく、ルリちゃんの親戚の娘だということ。それこそ、一卵性双生児の姉妹などが産んだ子供なら、ルリちゃんの子供とほぼ同じことになるわ。ただ、先日ルリちゃんの遺伝的な両親はピースランド国の国王夫妻だと言うことがわかったのだけれど、あの国の記録によればルリちゃんは人工授精によって作られた子供で、双子の姉妹にあたるような人物は1人も存在しない。彼女が育った研究所などにもそういった記録は無い。まあ、一卵性双生児以外でもそれと同じくらいに似通った遺伝情報を持つ親戚が全く生まれないということはないけど、確率的には極めて低いからまずいないと思っていいわ。そういう理由からこの線はナシね。
2つ目は、この子もやはりどこかの研究所で作られた子供だということ。ルリちゃんのクローンとして作られた女性が産んだ娘だとか、あるいはクローニングの段階で誰か他の人と交じり合わせて作られた子供だとかね。でも、今の法律ではこれは当然違法行為だし、NERGAL関係でそうした研究をしていたような研究所は今のところ未確認。それに、この子自身は全く改造された形跡がないの。IFSだってつけていない、ごく普通に生まれた子供と言っていいわ。もしどこかの研究所生まれだとしたらそのことの方がかえって不自然なのよ。顔を見てすぐにルリちゃんを母親と認識したこともあるし……そういうわけで、この線もちょっと薄いわね。全くあり得ないわけじゃあないけど。
そして3つ目、私はこれが一番可能性が高いと思っているのだけど……ところで艦長、この子はいったいどうやってこのナデシコにやって来たのかしら?」
「え!? え、えっと……そう、ボソンジャンプ! ナデシコが火星からジャンプしたときに一緒にナデシコにジャンプしてきたんですよね?」
イネスの長い説明を聞きながら、半分だれていたところを突然指名されてやや狼狽えるユリカだったが、すぐに落ち着きを取り戻して答えを返す。
「そう、その通り。では今度はボソンジャンプの特性についてよ。ボソンジャンプは単なる空間移動ではないある特性を持つ、果たしてそれはどういうものだったでしょうか? 今度は……アキト君、答えてちょうだい」
「お、俺っすか? えっと……確か、”空間移動であるとともに、時間移動でもある”、でしたっけ。ジャンプするときのイメージがハッキリしていないと、過去に跳んだり、未来に跳んだりして……って! まさか!?」
そこまで答えたところで、イネスの言わんとしていることに考えつくアキトや他のクルー達。
「そう、ボソンジャンプは時間移動でもある。つまり、もしかしたら、この子は今より何年も先の時代で生まれたホシノ=ルリの実の娘で、何らかの原因により未来の世界からこの時代にボソンジャンプしてやって来たのではないか? それが私の結論よ。今のルリちゃんはまだ12歳だけど、10年後なら22歳、20年後なら32歳……その位の年齢なら、この年頃の娘がいたとしてもおかしくはないもの」
「「「「「ははあ……」」」」」
”説明”を受けていた全員が、イネスの説明に感嘆したような息をつく。
イネス自身、ジャンプによって20年ほど過去へ跳んだことがあるだけにその言葉には説得力があった。
「もっとも、この子にその辺りの話を聞くことができればそのほうが確実なんだけど……」
「そっかぁ、そういえば何も憶えてないんだったっけ……」
「そうそう、その子ってホントに記憶喪失なの?」
「残念ながらその通りよ。唯一憶えているのは母親のことのみ。それも、”この人が母親だ”ということを憶えているだけで、他の記憶は全くなし。原因は不明だけれど……かつての私みたいにボソンジャンプの影響かもしれないわね」
「そうなんだ……」
その言葉を聞くとともに、皆の注目がイネスから脇にいる女の子へと移る。当の女の子は”母親”であるルリの片方の手を両手で握りしめ、とても安らいだ顔で微笑んでいる。
一方、手を握る……というより、手にしがみつかれていると言った感じのルリは、一見いつも通りの冷静な表情をしながらも、彼女としては珍しいくらいに困惑していた。
(私の……未来の娘……?)
ナデシコに乗艦して1年あまり、その間にそれこそ色々な出来事があった。しかし、自分の両親や出身が判明したり、幼い頃の記憶を取り戻したときだって、驚きこそしたが、これほど戸惑うようなことにはならなかった。
もっとも、いくら冷静沈着が常のルリとは言え、これまでのナデシコでの経験を経て最近ようやく年頃の女の子らしい感性が少しずつ芽生え始めてきたばかりの少女なのである。そんな彼女がいきなり見知らぬ子供に、”未来の自分の娘だ”などと言われれば、戸惑ってしまうのは致し方ないことだろう。
……そんな中、ウリバタケが何か重大なことを思いついたようにして口を開いた。
「ところでよぉ、その子が未来のルリルリの娘だってぇなら……父親は、いったい誰なんだ?」
「「「「「!!!」」」」」
ある意味もっともなウリバタケの疑問。母親がいるならば父親もいる。至極当然の考えだろう。
「あの子の父親……ということは」
「ルリルリの将来の旦那様……という事よね、つまり」
「あら、必ずしも結婚するとは限らないわよ?」
「それはそうですけど……う〜ん……」
「「「「「……気になる!!」」」」」
思わぬ話題が持ち上がり、ブリッジの空気が一気に盛り上がる。
「イネスさん! この子のお父さんについて何か判らないんですか!?」
「そうね……この子の頭髪、右目、肌の色は多分ルリちゃんではなく父親からの遺伝によるものだから、おそらく黒髪黒眼のモンゴロイド系の男性ね。あとは……この子は生身でボソンジャンプをしてきたわ。ひょっとしたら、父親も生体ボソンジャンプが可能な人物かもしれないわね。もっとも、ジャンプ可能な体質が遺伝するかどうかはまだわからないし、ただ単に火星で生まれたというだけかもしれないけれど……」
そこまで聞いたところで、1人の男に注目が集まった。
「な、なんっスか……? みんな、いきなりこっち向いて……」
注目の的になったその男性は頬に冷や汗を垂らしながら口を開く。
「いや、だってなあ……」
「黒髪黒眼の日本人、火星出身でジャンプ可能……」
「おまけにクルーの中では一番ルリルリと親しい男の人だし……」
「そんな!? アキト、アキトは私のことが好きなんでしょ!? それなのにどうして……ウソ! ウソだと言って!!」
突然とんでもない疑惑を向けられた彼は、冷や汗を滝のように流しながら弁解を始めた。
「い、いや、違うって! お、俺だってルリちゃんのことは別に嫌いじゃないけど、そんな、そういう風には見ていない! ……そ、そりゃあ、10年以上も先のことなんか俺だってわからないけど、でも、俺が好きな女はユリカで……その……ごにょごにょ……」
ジローッ……
四方八方からの冷たい視線が彼を襲う。
「い、イネスさん! なんとか言ってください!」
「そうねえ……確かにこの艦のクルーの中じゃ一番可能性は高いわね」
「イネスさぁーん!?」
ジトォーッ…………
最後の頼みの綱にも見捨てられたアキト。周囲からの視線の温度がますます低くなる。
「フフッ。冗談よ、冗談。残念ながら”ルリちゃんの娘”の父親はアキト君じゃないわ。それどころか、この子のDNAを調べた結果、この艦のクルーの中には父親に該当するような人物はいなかった。この子の父親はきっと、今はまだ私たちには見たことも会ったこともない人ね」
「「「「「はぁ……そうなんですか」」」」」
イネスの言葉に毒気を抜かれる一同。
「なぁーんだ、なんかつまんないの」
「ふぅ……イネスさん、冗談なら早くそう言ってくださいよ…………」
「くそっ、その羨ましい野郎はいったい何処の何奴だってんだ」
「だから、私たちは全然知らない人なんでしょう?」
「う〜ん、でもやっぱり気になるよね。どんな人なのかなあ?」
それまでとは一転した明るい雰囲気の中、それでもやはりブリッジは”ルリの娘”の”父親”の話題で盛り上がる。
そんな中で、ミナトは呆然と成り行きを見ているルリに話しかけた。
「ねえねえ、ルリルリはどう思う?」
「……はい? ……何がですか?」
「だから、その子のパパが誰かって事についてよ。気にならない?」
「……それは……その……」
ミナトの質問にどう答えたらいいのかわからず、戸惑うルリ。
これが誰か他の相手の場合なら彼女らしい冷めたコメントの1つでも返すのだろうが、何しろ事は自分のことなのである。クールに突き放しておしまい、という風にはいかない。
しかし、彼女にはどうしても自分が母親になっているイメージが想像できなかった。なにしろ彼女自身、本当の意味では両親のことを全く知らないのだ。そんな自分が子供を産み、母親となって育てている様子など……
「……………………」
「う〜ん……やっぱりルリルリにはまだちょっと早かったかな? こういう話は」
沈黙したままのルリにミナトも話題を変えようとする。
一方、ルリの隣で手を握っている”娘”は、そんな”母親”の様子を不審に思ったのか、やや不安げにしながら声をかけた。
「おかーさん、どうしたの? どこかいたいの?」
「…………別に、大丈夫です。なんでもありません」
「そうなの? ……うん、わかった!」
ある意味この一連の騒動全ての原因に、色々と複雑な思いを感じながらも、心配は要らないと返事をするルリ。そんな”母”の言葉を聞いて無邪気な笑みを返す”娘”。
その”娘”の微笑みを見てルリも無意識のうちに顔を僅かに綻ばせる。
そんなルリの様子に目敏く気付いたミナトが興味深げな表情になる。
「あれえ? ルリルリ、今少し笑ってなかった?」
「え?」
「うん、すごく優しくていい顔してたよ。なんだかそれこそお母さんって感じで」
「…………何を言うんですか、いきなり…………」
ミナトの言葉に顔を少しだけ赤らめながら答えるルリ。
そんな彼女を穏やかに見守るミナトと、不思議そうに見上げながらも明るく微笑む”娘”。
未だ父親の話題で騒然としている他のクルー達を余所に、その辺りだけはとても和やかな空気に包まれていた。
──ナデシコ食堂──
本来食堂であるはずのこの場所は、今や盛大なパーティー会場と化していた。
特設された簡易ステージの背景には、『祝☆遺跡を放り出して戦争の目的を無くしちゃったぞ♪ 祝賀パーティー!!』なる横断幕が張られている。
定員ぎりぎりの座席にクルー全員が座り終え、食事などの準備も完了した会場に、副長であるアオイ=ジュンの声が響いた。
『あー、あー、マイクテスト、マイクテスト…………えーそれでは、ナデシコ艦長ミスマル=ユリカから一言』
『えっへん。このたびは私とアキトの愛の力で火星の遺跡には遠くに飛んでってもらいましたー! ぶいっ!!
……ねえねえルリちゃん、これで良かったんだよね?
』
最後の小さな呟きもマイクにはしっかりと拾われていた。
「何言ってるんだか……」
「あははっ! おばちゃん、おもしろ〜い!」
呆れたように呟くルリと、陽気に笑う”ルリの娘”。もっとも、ルリにしても別に心底から呆れているというわけではなさそうで、どこか楽しげな表情をしている。”娘”の方もその辺りをうまく感じとっているのかもしれない。
『それではパーッとやっちゃいま……』
「ちょっと待ってよ、艦長。その前に、ルリルリの娘さんのことはどうするの?」
パーティー開始の合図をあげようとしたユリカをさえぎり、ミナトが尋ねる。
『あ、そっか。うーん……それじゃあ、とりあえず名前を決めちゃいましょう! いつまでも”ルリちゃんの娘”じゃあ呼びづらいし…………ねえねえルリちゃん、その子の名前、私がつけてもいい?』
「別に構いませんけど……どうして私に聞くんですか?」
『だって、ルリちゃんお母さんなんでしょ? えっとね、それじゃあ……』
そうして思案に暮れるユリカ。他の人間達はそれぞれ様々な顔をしながらその様子を静かに見ている。
しばらくして、考えをまとめたらしいユリカが顔を上げて言った。
『”メノウ”ちゃんって言うのはどうかな? ルリちゃんの娘だっていうけど、髪の毛とか右眼の色なんか凄く綺麗な黒だし、結構合ってると思うんだけど……』
「……私は別にいいと思いますけど……」
ユリカの言葉に消極的ながら賛成したルリは、傍らの”娘”に話しかける。
「……あなたは、どうなんですか?」
「えっ? わたし?」
「そうです。あなたは、ユリカさんが考えた名前でいいと思いますか?」
「……おかーさんは、そのなまえがいいっておもってるの?」
「…………まあ、一応」
”娘”にしがみつかれているのにはなんとか慣れてきたルリだが、未だ『おかーさん』と呼ばれるのだけはどうにも慣れない。
「じゃあ、わたしもそれでいい! えっと、ユリカおばちゃん、ありがとう!」
『おばちゃん……(ヒクヒク)そ、それじゃあ、今からあなたの名前は”メノウ”です! 改めてよろしくね、メノウちゃん』
小さな親子の会話を微笑みながら見守っていたユリカだが、”ルリの娘”─メノウの言葉に笑みを引きつらせる
「「「「「ははぁ……」」」」」
それら一連のやりとりを見て、会場のあちこちからため息のような、驚いたような声が聞こえた。
『えっ? みんな、どーしたの?』
「いやあ、ユリカにしてはまともな名前を付けたなって思ってさ……」
「そうですね、てっきり昔飼ってたペットか何かの名前でも付けるんじゃないかと思いましたけど……」
「そうそう。”メノウ”だなんて、結構いい名前考えつくじゃないか」
不審がるユリカに、アキトとメグミが感心したような声をかける。
2人の言葉を聞いたユリカは、少し怒った顔で抗議をした。
『む〜! アキトもメグちゃんも酷いよ。いくらなんでも、女の子の名前をつけるのにそんなコトしないもん!!』
(((((男ならいいのか……!?)))))
……………………
そうして、改めてパーティー開始の合図をあげようと、ユリカがマイクを構え直す。
『では、改めて! それじゃあパァーッとやっちゃいましょ……』
ヴィーッ!! ヴィーッ!! ヴィーッ!!
その瞬間、ナデシコの艦内に大きな警報が鳴り響いた。
「なに、なに?」「どうしたの?」「なんだってんだ、こんな時に!」
にわかに騒然となるパーティー会場。
『みなさん、落ち着いてください! ……ルリちゃん、何があったの?』
さすがに艦長というべきか、いち早く落ち着きを取り戻したユリカがひとまず混乱を収め、状況の確認をルリに頼む。
問われたルリは早速オモイカネに接続し、警報の理由と現在の状況を尋ねた。
《……オモイカネ、この警報は何?》
《機影確認。敵機接近中。至急迎撃体制されたし》
《敵機?》
《木連の無人兵器が多数接近中。付近にチューリップの機影は無し》
オモイカネの返答は、食堂に開かれた大きなウィンドウにも映し出されている。それを見たクルー達は再びざわめき出すが、
「艦長、見ての通り敵襲です。木連の無人兵器群が接近中。近くにチューリップはありません」
「……総員、第一種戦闘配置!! エステバリス各機、大至急発進してください!」
ルリの報告を受けて出されたユリカの指示により、それぞれの持ち場に戻る。
そのなかでも、ウリバタケ率いる整備班と、アキトやリョーコらのパイロット達は格納庫へと一際慌ただしく走っていった。
その一方、艦長やその他のブリッジ要員達も持ち場であるブリッジへ行こうととするが……
「でも、今のナデシコでは戦闘は無理よ」
「そうですね……本体は遺跡と一緒に放り出しちゃいましたから」
「非常用の予備エンジンがひとつついてるだけ。武器は全く無し。どうするの、艦長?」
「とりあえず、ブリッジで戦いの様子を見ながら待機、アキト達に任せましょう。……今の私たちには、それ以上のことは出来ません」
「そうね……まあ、仕方がないか……」
「はい……でも、大丈夫です、アキトなら!!」
「まったく、相変わらずね。あなたって人は……」
やや早足とはいえ、ブリッジへ歩いて向かう彼女たち。ナデシコの現状からいえば仕方ないことかもしれないが、お世辞にも士気が高いとは言えなかった。
そんな中、相変わらず手を繋いだままでルリについていくメノウは、急に緊張を増してきた雰囲気に戸惑う。
そして思わず、”母”と繋がっている方の手をキュッと握りしめた。
「…………?」
「……おかーさん……」
怪訝そうな顔をして振り向くルリに対し、不安げな表情をして応じるメノウ。
ルリは、そんな”娘”の顔をしばらく見つめると、やがて……
「…………大丈夫です」
気がつくと、ルリはそんな言葉を口にしていた。
「おかーさん……?」
「……ナデシコのメンバーはみんな、性格はともかく、腕は超一流な人達です。それに、私たちはこれくらいのことは今まで何度も経験してきました。だから……きっと大丈夫ですよ。何も心配は要りません」
「……うん!」
”母”の言葉を果たして理解できたのか、それともその顔に浮かんだ柔らかな微笑みを見たからか、うってかわって明るい表情となるメノウ。
いつのまにか、ユリカらブリッジ要員達はそんな2人を遠巻きに見ながら小さな声で囁き合っていた。
(ルリちゃん、あんな顔もするんだ……)
(驚いたわね……)
(ね? 結構しっかり”お母さん”してるでしょ?)
(2人とも、なんだかとっても可愛い〜)
興味深げに自分たちを見ている彼女達に気がついたのか、顔中を真っ赤にして俯くルリ。
そんなルリを見て、彼女達の目がさらに温かさを増す。
ただひとりメノウが、そんな大人達の様子を尻目に”母”をブリッジへと引っ張っていく。
「おかーさん、はやくはやく〜」
「あ、はい……」
小さな体ながらもルリを引きずるようにして歩くメノウと、それに合わせるように足を進めるルリ。
しばらく呆然としていた他のブリッジ要員達だったが、やがてあわてて2人の後を追いかける。
「ま、待ってよルリちゃん、メノウちゃん!」
「それより、私たちの方こそ急がないと!」
「そうね、さすがにのんびりしすぎたわね!」
「メノウちゃ〜ん、行き先はわかってるのぉ〜?」
かなり先から「おかーさんがおしえてくれてるー」という声が聞こえてきた。
「ほ、ホントに急がなきゃ!」
そう言ったユリカを皮切りに、彼女たちはそれまでの早歩きを止めてブリッジへと走り始めた。
――ナデシコブリッジ――
そうして走ることしばし、ようやくユリカ達はブリッジの前にたどり着いた。どうやらルリとメノウの2人は先に中に入っているらしい。
「ゴメ〜ン、ルリちゃん。ちょーっと遅れちゃった……って、どうしたの!?」
真っ先にブリッジに入っていくユリカの目の前には、呆然と立ちつくすルリと、その隣でルリにしがみつくメノウの姿があった。
2人が眺めている大きなスクリーンには、外でのエステバリスと木連無人兵器の戦闘の様子が表示されている。
「……そんな!?」
ブリッジと居住区のみとなったナデシコの周囲では、今もエステとジョロ、バッタ達が激しい戦いを繰り広げている。
しかし……
『くっそ〜、なんか動きが違うぞこいつら!』
『リョーコぉ、イズミぃ、大丈夫〜?』
『城を建てるときに必要な人間……大工、千……大苦戦……』
リョーコ、ヒカル、イズミの3人は、どうにか一応のフォーメーションを組んではいるものの、敵機群の巧みな機動にしばしばそれを崩されながら、ろくな連携がとれずにいる。
それでも、ある程度まとまって戦っていられる分、この3人はだいぶマシな方だった。
『くぅっ! さ、さすがにコレはちょっとキツいかな!?』
『うわぁぁぁっ! ぐっ……! こ、このぉぉぉぉっ!!』
セリフや表情は対照的な2人だが、アカツキとアキトはそれぞれ他の仲間達から分断されてしまっていた。
アカツキはナデシコの上方へ、アキトは逆に下方へと少しずつ追い込まれ、今では完全に孤立している。
副長ながらも出撃したジュンに至っては、とっくに撃墜されてアサルトピットの姿で格納庫に帰還していた。
「ウソ……」
ブリッジにユリカの声が空しく響く。
いくら敵の数が多いとは言っても、これほどの苦戦をするようなものではなかったはずだ。
だが、現実にはエステバリスの攻撃はなかなか当たらず、逆に敵からの攻撃は命中率が高い。
今のところはなんとかフィールドで防げているため、ジュン以外の5機にはまだダメージはないが、それにもいつかは限界が来るだろう。
……そうした中、アカツキと3人娘を相手していた敵機の内およそ半数が一旦戦列を離れていった。
「……だめ、アキト!!」
一度戦闘区域から退いた敵機の群れは、いくつかの部隊に纏まり直すと、今度はテンカワ機の方へと一斉に向かっていく。
突然、それまでの3〜4倍の敵を相手にしなければならなくなったアキト。機体の被弾状況が目に見えて悪化していく。
他の4機がなんとか応援に向かおうとするが、敵の数が半分に減ったとはいえそれでも自分達の戦いで手一杯で、とてもアキトを援護するような余裕はない。
やがて、正面のバッタ達から放たれたミサイルを避けきれず、テンカワ機上部のフィールドが大きく揺らぐ。そこに、背面上方から数機のジョロが体当たりをかける。
機体をひねって何度かは回避するアキトだが、激しい回避行動後の隙で一瞬動きの止まったテンカワ機をめがけ、フィールドを抜けた1機のジョロが突っ込んできた。
「アキトぉっ!!」
ユリカの悲鳴がブリッジに大きく反響する。
そのまま真上からテンカワ機の頭部─アサルトピットへと突き進むジョロ。テンカワ機は避けられるような体勢にはなく……
グシャァッ!!
思わず目を閉じてしまったブリッジクルー達の耳に、宇宙ではけして伝わらないはずの、テンカワ機のコクピットが潰される音が聞こえたような気が……
「……アキト!!」
そんな中でひとり、目を見開いたままだったユリカが、喜色に満ちた声をあげる。
「「「「……?」」」」
その声を聞いたブリッジクルー達が、恐る恐る目を開くと、そこには……
テンカワ機の背後で、衝突寸前のジョロを拳から突き出したクローで貫いた、一機の白い影があった。
「……”天使”……?」
誰かが呟く声が聞こえる。背中に2枚の大きな翼を広げ、全身を純白の装甲で覆ったその人型機動兵器は、確かにそう呼ぶのが相応しいような神秘的な雰囲気を放っていた。
そして、間一髪のところでアキトを救った”天使”が今度はテンカワ機に接触すると、2機の周囲が光に包まれる。やがて、光とともに消え去った2機の姿は、一瞬後、ナデシコ上方で戦っているアカツキ機のそばに現れた。
そのまま”天使”はテンカワ機をアカツキ機の方へ押しやると、再びその身を光で包み、今度は単機でナデシコ下方に陣取るジョロ・バッタの大群の元に出現する。
「ボソンジャンプ……!」
「まさか、あの大きさで!?」
そして、ライフルを構えると回転しながら全方位へ乱射。相手の動きが一瞬止まったところで、大振りのナイフへと装備を持ち変え、最も敵機が集まっている宙域に突撃。
標的となったバッタの小群は動きが一拍遅れ、回避は不可能と判断したのか、より密集した隊形を作ってこちらも”天使”に向け突進する。さながら小型機動兵器版のファランクスとでも言ったところだろうか。
その、密集したバッタの群れと真正面からぶつかる寸前、またも光とともに”天使”の姿がかき消え、目標を見失って動きが固まったバッタ達の後方に再び現れると、そのまま群の背後へと突撃していく。
相手に反撃する間も与えず、次々にバッタ達を斬り飛ばしていく”天使”。
そうして、その辺り一帯のバッタを全て始末し終えると、また別の群れに向かい……
「速い……!」
「な……なんなの、あの動きは!?」
時折ボソンジャンプによる変則的な機動を交えながら、ライフルで撃ち、ナイフで斬り、クローで貫く。
”天使”が、テンカワ機を集中攻撃しようと集まった敵機群を全て殲滅するまで、それほどの時間はかからなかった。
『ハッ……!? おい、お前ら、オレたちも行くぞ!』
『あ、うん。それじゃあ反撃開始ぃ〜!』
『……いくわ……』
『やれやれ……テンカワ君、ずいぶんボロボロになってるみたいだけど、大丈夫かい?』
『うるさいっ! 言われなくてもわかってる!! ……でも、あの白い奴、凄い……!』
ナデシコ下方に展開していた、敵全体の6割以上に及ぶ敵機を全て撃墜した”天使”が自分たちの所へ向かってくるのを見て、その戦い振りに目を奪われていたリョーコ達は自分たちの仕事を思い出す。
ナデシコ上方で”天使”により合流”させられた”2機も、それぞれに戦闘を再開。
男2人がなんとか互角の戦いを続けている間に、”天使”のアシストを受けた3人娘は相手を次々と落としていく。
そして、最後に残ったナデシコ上方の敵群も、自分達の相手を片づけて男2人の援護に来た4機を合わせ、合計6機となったエステと”天使”の集中攻撃を浴び、瞬く間に全滅させられた。
──戦闘終結後、ナデシコ格納庫──
戦いを終えたエステバリス各機がナデシコへと帰還していく。中でも特に損傷の酷いテンカワ機は、突然現れた謎の機動兵器に付き添われ、今にも”フラッ……”と倒れてしまいそうな動きをしながら格納庫へと戻っていった。
その格納庫には、謎のヒーローの姿を見ようと、艦長のユリカを筆頭に主要クルー達が勢揃いしている。
そうして、テンカワ機を無事に格納し終えると、純白の機動兵器は格納庫の中心近くにやって来て膝をついた。
「うおおぉぉぉぉっ!! なんなんだこりゃあ!? シンプルかつスマートなフォルム! スムーズな動作に柔軟な関節部! しかもこのサイズであれだけの高出力! おまけにお肌は真っ白でツルッツルぅ〜!!」
完全には動きを止めていないにもかかわらず、”天使”にとりついて狂喜乱舞する男が1人。
そこへ、”天使”の外部スピーカーから女性の声が流れた。
『まだ動いていますから、そんなことをしていると危ないですよ? ウリバタケさん』
「「「「「え?」」」」」
「……何で俺の名前が……」
「あれ……? 今の声ってなんかどっかで聞いたことがあるような……」
戸惑うクルー達を余所に、”天使”の胸部ハッチが外へと開かれる。その奥、コクピットらしき場所から1人の若い女性が外へと出てくると、”天使”の右腕がゆっくりと動いて彼女を下までエスコートする。
「こんにちは! 私はこの機動戦艦ナデシコ艦長ミスマル=ユリカです。この度は私たちのピンチを救って頂い……て……」
恋人の命を助けてくれた恩人の登場に、あわてて挨拶をし始めるユリカだったが、なぜか途中でその声が途切れる。
機動兵器の掌から床へと降り立った女性は、ユリカが着ているような艦長用の制服とよく似た格好で、紫がかった銀髪をツインテールにしていた。その人形のように整った顔立ちと、琥珀色に煌めく瞳は、まるで……
「る……」
「「「「「ルリ(ルリ)(ちゃん)!?」」」」」
「……はい。私は地球連合宇宙軍独立試験戦艦ナデシコB艦長、ミスマル=ルリ少佐です。みなさん、”初めまして”」
いくらか成長してはいるものの、そこには紛れもないホシノ=ルリの姿があった。
そして、呆然とするクルー達の中から、小さな子供の、大きな声が1つ聞こえてきた。
「おかーさん!!」
「「「「「ああっ!?」」」」」
驚愕の声を上げる一同。声の主―メノウに注目が集まる。
そして、ロボットから降りてきた女性がメノウの姿を見て言う。
「やっぱりこちらでお世話になっていましたね。元気でしたか、”メノウ”?」
「「「「「ええっ!?」」」」」
「……どうしたんですか?」
自分の言葉に予想以上に驚いているクルーたちを見て、訝しげに首を傾げるルリ
やがて、硬直状態の解けたユリカが話し始める。
「その……”メノウ”って……?」
「その子の名前です。私がつけました…………それがどうかしたんですか?」
「そうなんだ……あのね、実はその子、ナデシコに現れたときには記憶喪失になってて、それで、私が仮の名前を付けてあげたんだけど……その、私が付けた名前も実は”メノウ”って言うの……」
「そうなんですか? それはまた……なんだか、おかしな偶然ですね。
……犬の名前じゃなかったんですね
」
「え? なに? 今、なにか言った?」
「いえ、別になにも……」
当のメノウは、ロボットから降りてきたルリと、自分と手を繋いでいるルリの2人の顔を交互に見ながら頭の中を疑問符で埋め尽くしていた。
「あっちもおかーさん、こっちもおかーさん……だけど、あっちのおかーさんのほうがこっちのおかーさんよりちょっとおっきい……でも、どっちもやっぱりおかーさん……???」
「……………………」
混乱しているメノウと手を繋ぎながら、どこか複雑な顔をしている小さな方のルリ
一方で、大きな方のルリはあっさりとうち解けてきたユリカといろいろと話を弾ませていた。
「……ええと、それじゃあルリちゃんってやっぱり未来から”跳んできた”の?」
「あ……はい、そうです。でも、どうして?」
「それはね、さっきイネスさんがそうじゃないかって言ってたの」
「なるほど。さすがは”説明おばさん”ですね」
「でも、ルリちゃん将来は軍人さんになるんだ……それで、新しいナデシコの艦長さん? ねえねえ、それなら私は何をやってるの?」
「ユリカさんは……アキトさんと結婚して、2人と他に小さな女の子1人の3人で食堂を開いています」
「えぇっ! アキトと結婚!? うんうん、やっぱりそうよね!! じゃあじゃあ、その女の子っていうのは? ひょっとして……私とアキトの子供とか!?」
「ええと……まあ、そうです。(義理の、ですけど……)」
「そっかぁ……アキトと結婚……娘が1人……うふふ、そうなんだ…………そうだ、そういえば、ルリちゃん何で名前が”ミスマル=ルリ”になってるの?」
「それは、ユリカさんがアキトさんの処へお嫁にいってしまったので、お義父さ……ミスマル提督が私を養女として引き取ったんです」
「えぇっ? それじゃあルリちゃんは私の妹になったって事?」
「はい」
「そうなんだ……私がルリちゃんの義理のお姉さんか…………なんだか嬉しいな、それって♪ じゃあじゃあ……」
そのまま、主に未来のことなどで会話を進めていく2人。ほとんどが、ユリカが質問して、未来のルリがそれに答えるという構図になっている。
他の面子も興味を惹かれるのか、静かに耳をそばだてていた。
やがて、話題がルリの乗っていた機動兵器へと移る。
「……そういえば、あの白いロボットって何なの? さっきはホントーに凄かったよ〜」
その言葉に、一部の人間の目がキラリと光る。
「あれは、”アルストロメリア改”といって、私たちの時代でのNERGALの最新鋭機を、更に個人用にカスタマイズした機体です」
「へー、そうなんだぁ〜、どうりで凄い性能だねぇ。それじゃあ、あれってルリちゃんが操縦してたの?」
「……いえ、あの機体を操縦してたのは私じゃありません」
「そうなの? じゃあ、いったい誰が?」
「そういえば、さっきから出てきませんね……ちょっと呼んできます」
「え? 呼んでくるって……」
そう言うと、未来からきたルリはユリカの声を無視して白いロボット―アルストロメリア改の方へ向かって歩いていき、先ほど自分が出てきた胸部ハッチへと声をかけた。
「……そんなところでなにしてるんですか?」
「いや……こっちのみんなは僕のこと全然知らないだろ? ユリカさんとずいぶん話が弾んでたみたいだし、なんか出て行き難くって……」
「……いいから、そんなところに座っていないでさっさと降りてきてください、”カイトさん”」
(((((”カイト”……?)))))
聞き慣れない名前に奇妙な顔をする一同。
「はいはい、わかったよ。まあ、どのみちメノウを連れ帰るときには顔を合わせるんだ。躊躇ってても仕方がない、か……」
そう言った男性の声が聞こえると、胸部ハッチから1人の青年が先程のルリと同様に現れた。ただし、こちらの場合はロボットのエスコート付きではなく、ハッチの外に出るとそのまま床へと飛び降りる。
(……誰だ?)
(みんな、知らない人、だよね……)
(黒髪で……あ、瞳の色も同じだ)
(あ……じゃあ、ひょっとして……!?)
ボソボソと囁き合っていたクルー達の顔が、一斉にメノウの方を向いた。
そのメノウは、顔いっぱいに喜びの表情を浮かべて……
「おとーさん!!」
「「「「「……やっぱり……!」」」」」
「なにぃっ!? あの野郎がそうか!!」
「へぇ〜、結構格好いいんじゃない?」
「そうですね、ルリちゃん意外に見る目があるのかも」
「でも、外見だけじゃあ何とも言えないわよ?」
さすがに予想していたのか、それとも既に慣れたのか、みんなそれほど驚いていない。
「ええと、皆さん、初めまして。僕はミスマル=カイト、その子の父親です…………久し振りだね、メノウ。無事でいてくれて何よりだよ。寂しくなかったかい?」
「うん! ユリカおばちゃんとか、ミナトさんとか、みんなたのしいひとだったから! それに、おかーさんもいたし! ……でも、おかーさんはずっとここにいるのに、おとーさんのとなりにもおかーさんがいる…………???」
”父”の言葉に元気な返事を返すものの、再び?マークの世界に入っていってしまうメノウ。
「……………………」
その手を握る”現代の”ルリは、しばらく黙ったままでいると、やがてメノウの手を引き、その”両親”の元へと歩いて行った。
それに気付いた”未来の”ルリとカイトも、向かってくる2人の方へ近づいていく。
やがて、4人の間が手が届きそうな距離まで縮まると、”現代の”ルリはメノウが握っている方の手を”未来の”ルリへと差し出した。
「おかーさん?」
「……あなたの”父”と”母”はこの人達です…………私は、あなたの”お母さん”ではありません」
不思議がるメノウに”現代の”ルリはそう言った。その顔には別段どんな表情も浮かんではいない。
対して、”未来の”ルリは少し複雑そうな顔をしながら、差し出されたメノウの手を取る。そしてカイトが、空いているもう片方の手を握る。
”両親”の間に挟まれたメノウは、2人の顔をしばらく見比べると、”現代の”ルリに向かって声をかけた。
「うん、わかった! ありがとう、ええと……”おかーさんじゃないおねーちゃん”!」
「…………はい。良かったですね」
そう答えると、ルリはそのまま先程まで立っていた場所に戻っていく。
周囲にはどこか痛い沈黙と、何とも言えない雰囲気が立ちこめて……
「あああーっ! 思い出したぁ〜!!」
1人の脳天気な声が、一気にその場の空気をぶちこわした。
「……な、何を思い出したんだ、ユリカ?」
彼女の奇行には(不本意ながらも)慣れているのか、最も早く復活したアキトが声の主―ユリカに問う。
「うん! あのね、さっきその人の名前を聞いてから何となく引っかかってたんだけど……”カイト”って、私が”昔飼ってた犬”と同じ名前なの!」
「「「「「はあ!?」」」」」
そろって『なんだそりゃ』といった反応をするクルー達…………一方で、何故か当のカイトは引きつった顔をしている。
「ホント、凄い偶然だね〜。ルリちゃんの娘が、私がつけたのと同じ名前をしてて、そのお父さんは、私の昔の飼い犬と同じ名前をしてるんだもん」
「いや……その、それは……」
「……ユリカさん、それは別に偶然じゃありません」
妙に歯切れが悪そうにしているカイトを横目で見ながら、”未来の”ルリがユリカに言った。
「へ? それってどういう事?」
「……カイトさんが初めてナデシコに現れたときも、今のこの子と同じように記憶喪失になっていたんです。それで、やっぱりユリカさんが名前を付けてくれたんですが……この人には、ユリカさんが”いい名前だから”と言って、昔飼ってた犬の名前を……」
(((((付けたのか!?)))))
「ユリカ、お前……」
「冗談のつもりだったんですけど、まさか本当に付けてたなんて……」
「いやはや、艦長らしいと言えばらしいのですが……」
「……犬男?」
「ぷっ。だ、ダメよルリルリ、そんなこと言っちゃあ。仮にもメノウちゃんの”お父さん”なんだから」
ユリカに対して呆れたような声をあげるクルー達(一部違った声も混じっているが)。
「そ、そうなの……? で、でも、けっこういい名前でしょ?」
「そうですね……なんだかんだいって、本人も気に入っているみたいですし」
「そうなの? よかったぁ〜」
「……まあ、今では僕の大事な名前ですから…………初めて由来を聞いたときは、さすがに戸惑いましたけど……」
「そ、そうなの?」
「ええ、少し……」
「そうなんだ……あ、あはははは……」
笑って誤魔化すユリカ。何とか話題を変えようと、その優秀な頭脳を(無駄に)回転させる。
「そ、そういえばルリちゃん。『ミスマル=カイト』って、やっぱりルリちゃんとカイト君って結婚してるの?」
「……はい。カイトさんは私の”夫”です。カイトさんには(地球には)身寄りがなかったので、ミスマル家の婿養子という形で結婚しました」
「……それじゃあ、カイト君は私の義理の弟って事? ふ〜ん、そっかぁ〜。あ、それじゃあさ……」
そのまましばらくは彼ら家族の事などについて色々尋ねているユリカだったが、ある時、1個の爆弾発言を落とした。
「でもルリちゃんって、けっこう”若作り”なんだね」
ヒクッ!
「……どういう意味ですか、ユリカさん?」
凄絶な笑顔を浮かべるルリ(未来)に、ユリカは思わず一歩引いてしまう。
隣では、思わず握っていた手を離してしまったメノウをカイトが抱き寄せてあやしている。
「え、えっとね……め、メノウちゃんみたいな娘がいるんだから、ルリちゃんって今の私よりも年上なんでしょ? で、でも、ルリちゃんあんまりそんな風には見えないなぁ〜って……」
ユリカの言葉を聞いてルリ(未来)の様子が静まる。
「……そういうことですか。ユリカさん、私はまだ今のユリカさんよりも年下ですよ」
ビクッ!
……今度は何故かカイトが激しく引きつった笑顔で固まる。
「そうなの? じゃあ、まだ20歳くらいなんだ。ゴメンね、”若作り”なんて言っちゃって」
「いえ…… 私、まだ16歳です」
「……え? ルリちゃん、今なんて……」
「ですから……
私はまだ16歳だ、と言いました」
……………………
「「「「「……えええええっ!!?」」」」」
「じゅ、じゅうろくさいってことは……”今の”ルリちゃんが12歳だから……ルリちゃん達が来たのって、たった4年後!?」
「そうですけど…… それが何か?」
「う、うん、イネスさんは”多分10年以上先の未来から来たと思う”って言ってたから…… でも、4年後から来て、メノウちゃんが2歳ちょっとって事は……?」
そこまで言うと、ユリカは今度はカイトの方を向いてそのまま”じぃっ……”と見つめ出す。
それを聞いていた他のクルー達も、何かを理解した順からユリカに続いていく。
「「「「「…………(じぃぃぃっ……)」」」」」
とうとう、クルー全員―ルリ(現代)まで参加している―に見つめられる形になったカイト。ややもすれば”睨む”へと変わりかねない視線を受け、笑顔をさらに引きつらせている。
「な……なんでしょう?」
ようやく絞り出したカイトの声に応え、ユリカが静かに言った。
「カイト君って……”ロ○コン”さん?」
「うっ! い、いえ、別にそんなことは……」
「……でも、メノウちゃんの年を考えると、あの子が生まれたときのルリちゃんって……」
「そ、それは……その……」
口ごもるカイトに、今度はルリ(現代)の声が……
「…………変態…………」
ぐさぁっ!!
ユリカに言われた程度のことなら、”未来”でも、ナデシコの仲間達からさんざん(からかい混じりに)言われてきたことだが、例え自分のことを知らないとはいえ、想い人の昔の姿にそんな言葉を言われた衝撃は、まさに筆舌に尽くせないものであった。
ある意味、自分の存在を全否定されたような言葉に、カイトは真っ白になって燃え尽きる……
(はあ……全く……)
灰になったカイトを、ルリ(未来)は呆れたような、半ば予想していたような……それでも、やはり心配そうな様子で見守っていた。
――数分後――
しばらくの間、誰もが燃え尽きたカイトを眺めながら口を閉ざしていたが、ふと、ルリ(未来)が艦内の時計を見て、何かに気付いたような様子でカイトに話しかける。
「そろそろ時間ですよ、カイトさん。いつまでもそうしていないで、仕事を始めてください」
「……いいのさルリちゃん、こんな、○リコンの変態犬野郎のことなんか放っておいてくれ……」
「もう……」
呆れたように呟くと、ルリ(未来)はクルー達からは直接見えないように気を付けながら、カイトの横顔に顔を寄せていく。
……チュッ
「…………はっ! ……あれ、ルリちゃん?」
「……目は覚めましたか? カイトさん。もうすぐ時間ですよ」
「え? ああ……そうか、もうそんな時間か……」
立場が逆のような気もするが……ルリ(未来)によって復活したカイトは、ルリ(未来)やメノウの元へ戻ると、クルー達の方を向いて口を開く。
「それじゃあ皆さん、僕たちはそろそろ元の時代に帰らせてもらいます。娘が色々とお世話になりました」
「「「「「ええっ!?」」」」」
「もう帰っちゃうの?」
「もう少しゆっくりしていったらいいのに……」
「すいませんが、日付が変わる前にこの時代を離れないと……また、イレギュラーが大きくなってしまいますから」
「「「「「イレギュラー?」」」」」
聞き覚えのない単語に疑問の声をあげるクルー達
「はい。本来なら、この日ナデシコに現れるのはメノウじゃなくて僕のはずだったんですが……」
そうしてカイトは、自分たちに起こった出来事と、この時代にやってきた理由を”説明”しだした。……その姿をどこか羨ましげに見ている女性が1人いるが……まあ、知らないことはいくら彼女でも”説明”しようがない。
それによると、メノウがナデシコに現れたのは、未来で起こったある事故が原因であり、その為に、歴史の流れが本来とは食い違ってしまっていると言うことだった。
本来この日ナデシコには他でもないカイトがやはり記憶喪失となって現れるはずで、それをメノウが取って代わってしまったため、『カイトが現れた歴史』と『メノウが現れた歴史』という2つの流れが生まれてしまった……らしい。
しかも、『メノウが現れた歴史』が『カイトが現れた歴史』を少しずつ浸食していき、このままこの歴史が進むとやがて『メノウが現れた歴史』が『カイトが現れた歴史』に取って代わり、『カイトが現れた歴史』がなかったことになってしまう……そうだ。
しかし、”メノウ”は『カイトが現れた歴史』の人物なので、そうなると”メノウ”が『メノウが現れた歴史』に登場できなくなってしまい……という、いわゆる『タイムパラドックス』が起こってしまう……と、予想される。
それを防ぎ、歴史の流れを本来のものに戻すため、『カイトが現れた歴史』の4年後からルリとカイトがやって来た、というのがカイトの”説明”であった。
「でも、それじゃあ単純にボソンジャンプで未来へ移動して終わり、とはいかないんじゃないかしら?」
そう言ったのは白衣の金髪美人イネス=フレサンジュ。”説明”が出来ないのならせめて”生徒役”でもやろうというのだろうか。
もっとも、彼女の指摘自体は正しいもので、このまま彼らが4年後にボソンジャンプしても、『メノウが現れた歴史』がさらに4年進んだ世界にジャンプアウトする可能性が高い。
そんなイネスの言葉に、”説明”を終えて一息ついているカイトに変わってルリ(未来)が答えた。
「はい、ですから……カイトさんがこちらの世界の”遺跡”を『召喚』して、メノウが行ったボソンジャンプをなかったことにします。もちろん、私たちがこちらの歴史にやってきたことも」
「ちょっと待って、それじゃあ……!」
「……はい、メノウがジャンプアウトしてから皆さんに起こった出来事も、全てなかったことになります…………当然、その間の”記憶”も一緒に……」
「……そんな!?」
ルリ(未来)とイネスのやりとりを黙ってみていたユリカだったが、さすがにその言葉には大きく反応する。
これまで『思い出』を守るために戦ってきた彼らが、例えこの日1日のこととはいえ、記憶―『思い出』ごとそれをなかったことにされる、と聞いて黙っているはずがない。
しかし、ルリ(未来)やカイトもやはりナデシコのクルーであり、彼らにもまた大切な『思い出』がある。
「私たちの我が侭だということはわかっています。でも、このままでは私たちが辿ってきた歴史のほうが”なかったこと”にされてしまう……私たちは、私たちの『思い出』を守りたい……」
「ルリちゃん……」
ルリの、静かだが強い思いが込められた声に、言葉を無くすユリカ。
そこへカイトがさらに追い打ちをかけるように言う。
「それに、先程もいったようにこちらの歴史では”メノウ”はひどく不安定な存在なんです。このままだと、この先”存在自体が矛盾”しているこの子にいったいどんなことが起こるか……」
「「「「「……………………」」」」」
黙り込んでしまうナデシコクルー達。ルリ(未来)とカイトは、そんな彼らを真摯な眼差しでただ見つめ……
「……わかりました」
誰よりも先に口を開いたのは、やはり艦長のユリカだった。
「艦長!?」「ユリカ!」「ユリカさん……」
驚く一同。
「……ありがとうございます、ユリカさん……」
「ううん……ルリちゃんにそんな顔されたら、なんにも言えないよ。それに、私たちはまだたった1日メノウちゃんと過ごしただけだけど、ルリちゃんやカイト君には、4年分の『思い出』があるんだもんね……ねえ、みんなもそれでいいよね?」
「「「「「はあ……」」」」」
「仕方ないか……」
「そうね……まあ、そのくらいなら勘弁してあげましょう」
「……はい」
消極的ながらも、みな口々に賛成の意を表していく。
それを聞いたカイトとルリ(未来)は、深々と頭を下げ……
「「……ありがとうございます、皆さん……」」
1人メノウは、そんな両親とそれに対するユリカ達の様子をキョトンと見ていたが、やがて両親を真似て大きなお辞儀をした。
――再び、ナデシコブリッジ――
それから数十分後、ナデシコの主要メンバー達は再びブリッジへと集まっていた。今度は、いよいよ帰ろうとする3人の親子の見送りのためである。
前方の大きな画面には、ナデシコから少し離れた場所に立つ―宇宙空間で”立つ”というのは奇妙な表現だが―白い機体、『アルストロメリア改』の姿と、3人も乗り込んで少々手狭な操縦席の中の様子が映っている。
『それじゃあ、始めます……』
ウィンドウからそうカイトの声が聞こえる。すると、アルストロメリア改の背中についているウィング状のユニットが大きく拡がり、そこから既に見慣れたジャンプフィールド特有の輝きが膨れあがる。
その白い光はアルストロメリア改の前方で大きな球場に集束すると、やがて突然弾けて消える。
その後には、紛れもないナデシコの本体と、それに据え付けられた”遺跡”の姿があった。
「……ホントに、遺跡をナデシコごと『召喚』しちゃった……」
「……とても興味深いわね、あの能力……」
そうして、『召喚』したナデシコ本体へと近づくと、やや荒っぽいやり方だが、クローとナイフを使って”遺跡”をナデシコの本体から切り離す。
『帰還』するための準備が整ったところで、ウィンドウから再び、カイトの声が流れた。
『それでは、今から”遺跡”の”ログ”の修正と、それに伴ったボソンジャンプを始めます。皆さん、本当にお世話になりました』
「……はい。未来に戻っても、どうかお元気で! あ、そっちの私たちにもよろしく〜」
『あはは。はい、確かによろしく伝えておきます。じゃあ……?』
『さようなら……』と続けようとしたところで、カイトはオペレーター席のルリ(現代)の様子に気がついた。
思えば、先程―メノウを”両親”に返したときから彼女はほとんどしゃべってはいない。
そして、今、自分たちの映る画面を見ながら、奇妙なくらいに無表情なその顔を見たカイトは……
『……また会えるよ』
「…………え…………?」
ハッとした顔になって反応を見せるルリ(現代)
『……このまま、歴史が本来の流れに戻れば、”僕”がナデシコに現れる。そうすればいつか、この子―メノウとも会える日がやがて来る。だから……大丈夫、きっとまた会えるよ。ルリちゃん』
カイトはそう言うと優しく笑う。彼が”こちらの”ルリの名を呼ぶのは、実はこれが初めてだった。
カイトの言葉を聞いたルリ(現代)は、しばらくぼうっとしていたが、やがて顔を赤くして俯き、再び黙り込んでしまう。
そんなルリを怪訝そうに見ているカイトだが……
『あれ? ルリちゃん、どうしたんだい? ……って、痛っ! い、いきなり何するんだよルリちゃん!?』
前半のセリフはルリ(現代)へ、後半は膝の上のルリ(未来)へと向けられる。そしてルリ(未来)は、なんだか不機嫌そうな顔をしながらカイトの太股を抓っていた。
カイトの問いに、ルリ(未来)は太股を抓ったままで……
『……浮気は許しません』
『う、浮気って、あの子だって同じルリちゃんじゃないか!?』
『それでも、ダメなものはダメ、です……!』
『そんな横暴な……!? い、痛い痛い痛い!! わ、わかった! わかったからもうやめて、ルリちゃん!』
『……わかりました、今日はこれくらいにしてあげます。
……あんなこと言って、聞いた相手にはどんな意味に聞こえるかなんて全然考えていないんですから……
』
『……え? 何? ……まあいいや、それじゃあ皆さん、さようなら、どうかお元気で……』
ようやく太股の痛みから解放されたカイトは、先程の続きを言うと、目を閉じて瞑想状態に入る。
その全身に、IFSとも、ボソンジャンプ時にアキト達の体に現れるモノとも異なった形の、光の紋様が走り始めた。
『カイトさん? ……どうやら、今度はちゃんと仕事をしているみたいですね……』
カイトの様子をうかがい、自分の言葉も届かないほど集中しているのを確認すると、やがてルリ(未来)はまだ微かに頬を赤くしているルリ(現代)へと声をかけた。
『その……ルリさん、でいいですか?』
「……なんですか? ……ルリ、さん……」
”自分の未来”ということに戸惑い、先程も結局何一つ話などしなかった相手だが、向こうから話しかけられれば答えはする。
一方でルリ(未来)は、とりあえず相手が聞いていることだけ確認すると、ルリ(現代)の様子に構わず話を始めた。
『”ホシノ=ルリ”さん。あなたの行く先にはこれから、様々な出来事が待っています。嬉しいこと、楽しいこと、悲しいこと、そして……辛いこと。それも、とびきり辛くて悲しい出来事に、何度も出会うことでしょう。』
「……………………」
突然自分の未来―それも、あまり良くない未来を語り出すルリ(未来)に、沈黙で答えるルリ(現代)。
『……でも、どんなに辛いことがあっても諦めないで。大切なものを、大切な人達を信じていて。……何よりも、”約束”を最後まで信じ抜いてください。そうすれば、いつかきっと、その想いが報われるときが来ます』
「……………………」
よくわからない……言葉の意味が、ではなく、何故そんなことを自分に言うのか……どうせ、あと少しで全て忘れてしまうというのに……
「…………どうして?」
『え?』
「どうして、そんな話をするんですか? どうせ……すぐに忘れてしまうのに……」
『……そうですね……なんとなく、です。ただの気紛れ……でしょうね、きっと』
そう言って微笑む彼女の顔は、とても自分と同じ顔とは思えないほど”想い”に溢れていて……
「……あなたは、報われたんですか?」
なぜか、そんな事を聞いていた。
『……はい……』
「…………そう、ですか…………」
幸せそうに微笑むルリ(未来)を、素直に羨ましく思ったルリ(現代)。そんなルリ(現代)に、再びルリ(未来)からの声がかかる。
『それから……時には、チャンスを逃さずに思い切って行動してみるのも大事ですよ。幸せへの第一歩、です』
「……はい、わかりました。……ありがとう、”ミスマル=ルリ”さん……」
『いいえ、どういたしまして……それじゃあ、そろそろお別れみたいですね。皆さん、本当にお世話になりました。ほら、メノウもご挨拶しなさい』
『あ、うん! えっと、ユリカおばちゃんも、ミナトおねえちゃんも、メグミおねえちゃんもユキナおねえちゃんもイネスおばさんも……それからそれから……』
「だからなんで私が”おばちゃん”なのぉ〜!?」
「……それはきっと、”母親の姉”だからね。無意識のうちに憶えているんじゃないかしら」
「うう〜……今度生まれて来るときは、絶対にメノウちゃんに”おばちゃん”なんて言わせないんだから!」
『……あと、”おかーさんじゃないおねーちゃん”も! えっと、ありがとうございました! みんな、さよーならぁっ!!』
元気いっぱいに別れを告げるメノウは、とてもルリの娘には見えず……しかし、そんなメノウを見守っているルリ(未来)からは確かに”母親”が感じられ……
そんな母娘の姿を見たルリ(現代)は、少しだけ顔を曇らせていた。
やがて、カイトの発光が収まると、今度は目の前に浮かぶ”遺跡”が激しく輝き始め、そこから溢れた光がこれまでにないほど広い範囲をジャンプフィールドで包み込み……
白く染まっていく視界の中で、メノウの両目が突然見開かれ、やがてこれまでになく落ち着いた表情になるのが見えた気が……
『おかーさん!!』
「え……?」
ルリ(現代)の耳に、確かにメノウの呼び声が聞こえた。
「…………メノ……ウ…………?」
初めて自分の名を呼んだ”母”に、花が開いたような微笑みを見せるメノウ。
『ばいばい、”ちっちゃなおかーさん”!
またあおうね!!』
その言葉が聞こえたか聞こえないかという間に、視界だけでなく意識までもが純白に染まっていく……
――2198年3月某日――
『……リちゃーん、私の代わりに点呼とってぇ〜』
(え……? ここは……?)
霞がかったような頭で、ルリは現状把握に努める
(ここは……そう、ここはナデシコの中。さっき、”遺跡”と一緒にナデシコの本体を放り出して……)
自分が何処にいるか思いだしたルリは、先程の声に対し……
「点呼、ですか?」
『そう、前にならえ! いち!』
『に……』
「……さん」
そうして、オモイカネが数える中で点呼が続いていく。
ルリは、ぼうっとしたままで自分の座席に座り込んでいた。
「……ルリルリ、どうかしたの?」
「いえ……ミナトさん、私、今まで眠っていましたか?」
「え? ううん、別に居眠りとかはしてなかったと思うけど……なあに、何か変な夢でも見たの?」
(夢……?)
そんな筈はない。自分がずっとここで仕事をしていたのは、オモイカネの記録が証明している。居眠りするような暇など、あるわけがなかった。
(でも…………)
……点呼を取り終えると、どういうわけか人数が1人多かった。ホウメイからの通信で、食堂に1人不審人物がいるらしい。
そして、ルリの所では……
「ねえルリルリ、あなたも行ってみない?」
「そうそう、ルリちゃんも一緒に行こうよ! ね?」
その”変なの”を見に行こうと、ミナトとメグミがルリをしきりに誘っていた。
「……私は別に……」
途切れる言葉。なぜか、最後の声が出ない。
「なに? ルリルリ、別に……なんなの?」
「別に……構いませんけど……」
「そう? よし、決まりね♪ じゃあ、早く行きましょ?」
「そうですね、早く行かないと混んできちゃいますから」
そのまま、了承してしまったルリは、自分自身に問いかける。
(……どうして、断らなかったの? 別に、”興味はない”のに……)
答えのでないまま、仕方なくミナト達を追いかけようと席を立つルリ。
…………またあおうね…………
……その瞬間、何かが微かに聞こえたような気がした
(え……!?)
辺りを見回すが、何処にも声の主らしきものは見あたらない。
「どうしたの、ルリルリ? ……さっきからなんだか少し変よ?」
「いえ……今、何か聞こえませんでしたか……?」
「え? ううん、別になにも…………メグちゃんは?」
「あたしも別に……」
「そうですか…………」
(空耳……? でも…………)
しばらくそのまま考え込むルリだったが、
「ルリルリ? 大丈夫?」
ミナトの声にふと我に返って時計を見る。
”侵入者”を見に行こうと誘われてから、ずいぶんと時間がたっていて……
「別に、大丈夫です……それより、どうせ行くなら早く行きましょう」
「あれ? 珍しいね、ルリちゃんがこういうのに積極的なのって」
「そうね、さっきまであんまり興味なさそうにしてたと思うけど」
「ただの……気紛れです。きっと……」
気紛れ……そう、ただの気紛れの筈だ。
さっきからの妙な違和感が、そんな気紛れを起こさせた……ただ、それだけのこと。
そう言い聞かせながら歩くルリは、やがてミナト達とともに目的地に到着し、
そうして、扉を大きく開くと、食堂の中へと入っていった……
そこには…………
――2200年1月1日元旦、トウキョウ・シティの一角――
トウキョウの中でも、高級住宅街である区域に、一軒の大きな屋敷が建っていた。
その屋敷の一室、畳張りで、壁に掛かった掛け軸の他には何もない部屋の中心に、1人の壮年の男性が座禅を組んでいる。
しかし、時折、眉をピクリと動かし、薄目を開けてとある方向―その方向には、普段は使っていない一軒の離れがあった―を気にする姿は、お世辞にも集中しているとは言えない。
やがて、この年最初の夜明けが訪れようとする頃、耳慣れない、しかし微かに聞き覚えのある音が耳に届くと、それと同じくして、1人の若い女性が彼の元へとやって来た。
「……生まれたのか!?」
「ええ、元気な女の子よ。母子ともに健康…………よく頑張ったわ、あの子……」
「そうか……!!」
孫も同然と言える、新たな命の誕生に、思わず涙ぐむ男。知らせを告げにきた女も、その目を大きく潤ませていた。
数時間後、屋敷の一室では、先程の離れから移されてきた、新たに母親となった少女と、生まれたばかりのその娘が、仲良く布団にくるまっていた。
彼女の保護者というべき人物達や、数少ない友人達がお祝いに集まっている。
「へぇ〜、赤ちゃんってこんなんなんだ……なんか、ちょっとグロいかも……」
「こらこら、そんなこと言うんじゃないの。それに、もう何日かしたらものすごーく可愛くなるんだから、その時にまた見に来なさい」
「そうなの? わかった、そうする…………ねえねえ、ところで、この子の名前ってどうするの?」
「ああ、それだったらワシが名前を……」
「いや、ここはぜひ俺に!」
「ええ〜っ! あたしもあたしも〜っ!」
「はいはい、こんなところであんまり騒がないの。……で、どうなの? もう決めたの?」
その言葉を聞いた若い母親の脳裏には何故か、今はここにはいない、娘の父親になる青年ではなく、今はもう何処にもいない、姉とも母とも慕っていた女性の笑顔が浮かんできた。
そうして、何かが閃いた気がした彼女は……
「……はい。もう、決まっています。
この子の名前は…………」
To Be Continued The 1st Episode !
あとがき
みなさんこんにちは、作者のシックルです。
「BlackOnyx Typhoon!」3作目、「出会った日」をお送りしました。果たして、如何なモノだったでしょうか?
我らがカイト君が登場したあの日、その影で実は密かにこんな事が起こっていた、という。
今回は全2作と違い、それほどギャグはありません(細かいネタはちらほらとありますが……)。読んだ方に、「のほほ〜ん」としていただけたら幸いです。
さて、本作のアイデアを提供してくださった Purara 様、その節は真にありがとうございました。こんな作品ができあがりましたが、ご満足いただけましたでしょうか? ……ううっ、すいません、ウリバタケさんはあんまり活躍(?)させられませんでした……
しかし、長かった……容量も最大なら、執筆期間も最長。……まあ、まだそれほどたくさん書いてるわけじゃありませんけどね。
それでは、読者の皆様、最後まで読んで頂き、真にありがとうございました。ご意見・ご感想などあれば、遠慮なくお申し付けください。次回作でまたお会いしましょう。
では、これにて………
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