機動戦艦ナデシコ
〜Return of the White Knight〜





第2話 私達は火星へ行きます!(前編)


ナデシコ居住区画・カイト私室


ルリは勤務を終え、カイトの部屋の前へとやってきていた。

「カイトさん、ルリです」

「どーぞー」

中からカイトさんの声が聞こえてくる。
ルリが中へ入ると、コーヒーの香りが漂ってくる。
部屋に備え付けの簡易キッチンでカイトはコーヒー豆を挽いていた。
カイトは現れた時の白い制服ではなく、支給された赤いナデシコの制服を着ている。

「何してるんですか?」

「ん、これ?
ホウメイさんに分けて貰ってね。
ブレンド作ってるの。
名付けて『カイトスペシャル』!」

挽き終わり、瓶詰めしたコーヒーを得意げに掲げるカイト。

「ルリちゃん、コーヒー党?
それとも紅茶派?」

「いえ、どっちも飲みません」

残念そうなカイト。

(カイトさん、コーヒー好きなんだ。
今度飲んでみようかな)

「あ、そうなんだ・・・。
 ま、こういうのは人それぞれだしね。
何か飲む?」

「ミルク、お願いできますか?
 出来ればホットで」

「了解♪
 適当に座って待ってて。
 すぐに行くから」

部屋の中央に置かれた備え付けの椅子に座りカイトを待つ。
ルリは辺りを見回すがカイトの部屋に私物は何もない。
ただ、白い制服がハンガーに掛けられているぐらいである。

「お待たせ。
 熱いから気を付けて」

そう言ってマグカップをルリの前に置く。

「いただきます」

両手でマグカップを持ち、息を吹きかけ冷ましてから口へ運ぶ。
暖かく、ほんのり甘いホットミルク。

(私が作るより美味しいな・・・)

コクコクと喉を鳴らしながらミルクを飲む。

「美味しいです、これ」

「ありがと」

カイトが微笑む。
しばらく無言のまま互いの飲み物に集中していた二人だったが、カイトが切り出す。

「さて、さっきの続きだけど・・・」

「はい」

マグカップをテーブルに置き、ルリはカイトを真っ直ぐ見詰める。

「時間も遅いしね。
 本題に入ろうか。
 ルリちゃん、君は何が聞きたい?」

「単刀直入に聞きます。
 ・・・カイトさん、貴方はいったい何者なんですか?
 パイロットだけでなく、オペレーターまで出来るなんて」

勤務中からずっと今まで、質問を考えていた。
カイトのデータをこっそり調べてみたりもした。
名前、外見、戦闘スタイル・・・だが、情報は何一つ出てこなかった。
そしてルリの見出した答えはど真ん中の直球勝負だった。

「・・・」

カイトは俯き、黙り込む。
ルリはそんなカイトを黙って見詰める。

(・・・なるほどね、そう来たか。
 勘の鋭いこの娘を誤魔化すのは無理か・・・
 かと言って全部話してしまう訳にもいかないな・・・
 どうしたものか・・・)

思案に耽るカイトを見て、ルリは少し不安になる。

「あの・・・」

不安にかられたルリが口を開こうとした瞬間、カイトが顔を上げる。

「・・・ルリちゃん、僕のデータは調べた?」

「・・・はい、調べました」

「それで、何かわかった?」

フルフルと首を振る。

「・・・だろうね。
 じゃ、これを見て欲しい」

そういうとカイトは両手のレザーグローブを外し、テーブルに手を置く。

「・・・え?」

その手を見てルリの目が驚きで見開かれる。
右手にパイロット用IFS、左手にはオペレーター用IFSのタトゥーが輝く。

「・・・僕はとある非合法の研究施設で生まれた・・・
 だから、データバンクに僕の存在が記録されていないんだ」

レザーグローブを嵌め直しつつ、カイトは話す。

「そうだったんですか・・・」

勘の鋭いルリはそれ以上、言葉を続けられなかった。
目の前に座るカイトも自分と同じモルモットだったのだ。
そして、確実に自分より酷い扱いを受けていたと言う事は
二つのIFSから容易に想像できる。

「・・・強いんですね、カイトさんは・・・」

そんな言葉が漏れてしまう。
重く、辛い過去を背負っても、なお暖かい笑顔はルリには眩しかった。

「やらなきゃいけない事があるからね」

「やらなければいけない事?」

「そう。
 大切なモノを守る、それが僕がナデシコに乗った理由」

真っ直ぐな、そして強い想いを秘めたカイトの眼差し。

「それは・・・何なんですか?」

「それが何か、今は言えない。
 そしてきっとルリちゃんにもそれはある。
 今は見つからないかも知れないけど、いつかきっと見つかる」

そう言うカイトの眼差しは暖かで、そして優しかった。
ルリは自分の顔が赤くなる事を感じ、俯く。

「今話せるのはここまでかな。
 もう遅いし、部屋まで送ってくよ。
 ・・・隣だけど」

「はい・・・」

カイトに連れられて部屋を出る。
すぐ隣の自分の部屋の入り口でカイトとルリが向き合う。

「おやすみ、ルリちゃん」

「はい、おやすみなさい、カイトさん」

しばし、視線が絡み合う。

「・・・あの・・・」

口を開いたのはルリだった。

「また、ホットミルク、飲みに行っていいですか?」

「いつでもどうぞ、お姫様♪」

笑顔で承諾し、優しくルリの頭を撫でるカイト。

「・・・じゃ、また明日」

「・・・はい」

扉が閉まる。

(・・・ルリちゃん・・・)

カイトがルリの部屋の扉に向かい、ルリに想いを馳せていたその時、

(・・・カイトさん・・・不思議な人・・・)

ルリもまた、カイトに想いを馳せていた。
ルリの中に生まれていた小さな想い。
ルリにはまだこの想いが何なのか分からなかった。
でも、決して不快なモノではない。
何故かこの想いが自分を強くしてくれる、そんな気がしていた。


数日後
ナデシコブリッジ

ブリッジに主だったクルーが集められていた。
艦長のユリカ、副長のアオイ、提督のフクベ、プロス、ゴート、
整備班長のウリバタケ、パイロット代表でカイト、
それにブリッジクルーであるミナト、メグミ、ルリ。
本来なら、パイロット代表はヤマダ・ジロウなのだが、
コミュニケを着信拒否にしていた為、
ブリッジでオモイカネと話をしていたカイトが急遽参加していた。
ここにいる全員がその判断を支持していたが。

「さて、皆さんに集まっていただいたのは他でもありません。
 本艦ナデシコの目的についてです」

途端にざわつく。

(・・・ああ、確かクルーを集める時は内緒にしてたんだっけ・・・)

既にナデシコの目的を知っているカイトはぼんやりとそんな事を考えていた。
ざわめきが収まるのを待ち、プロスが再び口を開く。

「ネルガルがわざわざ独自に戦艦を建造した理由は
 木星蜥蜴と戦う事が目的ではありません」

「じゃ、いったい何のために作ったんだよ?」

ウリバタケがプロスに話し掛ける。

「妨害者の目を欺く為、出港するまでその目的地を明かしませんでしたが・・・」

プロスが言葉を溜める。
ゴクリと唾を飲み込む一同。

「我々が目指すのは火星だ」

フクベが静かにプロスの言葉を受け継ぐ。

「「「「「火星!?」」」」

再びざわつくブリッジ。
ただし今回は先程よりも一回りも二回りも大きい。

「で、でも火星は木星蜥蜴に占領されてるんじゃ・・・」

メグミが声を上げる。

「それは連合宇宙軍がそう発表しただけです」

ここまで黙って成り行きを見守っていたカイトが突然口を開く。
全員の目がカイトに集中する。

「実際に占領されたかどうかを確認した人間はいません。
 確かな情報は木星蜥蜴の大群が押し寄せて来たという報告が最後です」

そこでカイトは一度言葉を切り、申し訳なさそうな表情を浮かべフクベを見る。

「ワシの事なら構わんよ」

フクベの言葉を受け、カイトは一礼すると再び話し出す。

「木星蜥蜴が侵攻を開始した時、第一次火星会戦の敗北を目の当たりにした宇宙軍は
絶対防衛圏を地球周辺に設定し、火星を見捨てました。
 ・・・実際に火星駐留艦隊の撤退より後に、
火星を脱出した民間シャトルも多くありましたから」

「そう、つまり火星に残された人々や資源はどうなったのでしょう?」

カイトに続きプロスが全員を見回し、問い掛ける。

「・・・どうせ皆、死んじゃってるんじゃないの・・・」

ルリの言葉に場が凍り付く。

(・・・ルリちゃん・・・
 本当は心の優しいコなんだけど・・・
 まだ仕方ないかな・・・)

カイトはルリの言葉を聞き、悲しげな表情になる。
その表情を見たルリもまた俯いてしまう。

(・・・カイトさん・・・悲しい顔してる・・・
 私、いけない事言っちゃったみたいだな・・・)

「・・・カ、カイトさんはどう思われますかな?
 火星は発表通り全滅したとお考えで?」

プロスがこの場を切り抜けようとカイトに話を振る。

「・・・皆さんもご存知の通り、
火星にはネルガルを始めとする様々な企業の研究所、実験施設の類が存在します。
 そういった所のシェルターであれば、生き残った人がいる可能性はありますね」

カイトはプロスの望んだ通りの言葉を発する。

「そう!まさにその通りです!
 ナデシコはそういった残された人々や資源を救出するために火星に向かうのです!」

カイトの言葉に力を得たプロスが断言する。
カイトが一言も触れなかった『資源』という言葉を付け加えているのは彼がサラリーマンである所以であろう。

「なっ!
 では、蜥蜴の侵攻に今晒されている地球を見捨てるのですか?!」

目的地は火星、と聞いたアオイが声を張り上げる。

「ナデシコはネルガルという企業の運営する戦艦です。
 言わば『商船』といったところですな。
 地球を守るのは宇宙軍の仕事です。
 それに現状では木星蜥蜴の大規模侵攻はあり得ません」

プロスが顔色一つ変えず、アオイに告げる。

「何故、そう断言できるんです!
 これだけの戦艦があれば地球の戦況を引っくり返せる!」

アオイは今にもプロスに掴み掛からんばかりに詰め寄る。
スッとプロスとアオイの間に割って入ったゴートが口を開く。

「それは俺から話そう。
 現在、蜥蜴と宇宙軍は月面で小競り合いを続け、膠着状態にある。
 恐らく敵も電撃戦の第一派が一段落し、第2次侵攻の準備を整えているのだろう。
 その侵攻準備が整う前に、火星に残されている最先端技術を回収、再研究し、
 それに備えようというのがネルガルの考えだ」

「・・・」

ゴートの一応筋の通った説明にアオイは黙る。

(まあ、おおむね正解かな?
 実際は両陣営とも『遺跡』の確保が目的なんだけど)

このやり取りを見て、集まったクルーのあちこちで議論が始まる。

「まあ、戦争するよりはいいよね」

「人助け、かあ。それっていい事ですよね」

「どことなくうさんくさいけど・・・」

「相転移エンジンの特性を考えりゃ、その方がいいな」

クルーの総意が火星行きに纏まりつつある事を確認したカイトは、そっとルリの隣へ移動する。

(・・・そろそろ、かな?)

それに気付いたルリがカイトに話し掛ける。

「・・・カイトさん?」

「なに?」

そう言って微笑みをルリに向けるカイト。

「・・・(///)」

真っ赤になって俯くルリ。
それに気付いたミナトは優しい微笑みを浮かべる。

(あらあら、ルリちゃんたら・・・)

微笑ましい光景を展開する二人の隣では意見が纏まったらしい。

「では艦長」

「はいッ!」

火星の方向・・・と思しき方を指差し、ユリカがポーズを決める。

「機動戦艦ナデシコ、火星に向かって出発しんこ・・・」

「その必要はないわ」

突然ブリッジに響く声。
全員が声が聞こえた入り口の方向へ振り向く。
そこには銃を持った兵士を従えたムネタケが立っていた。
兵士が入って来た瞬間、ルリと兵士の間に人がスッと立つ。
ルリを直接銃口に晒さないようにカイトが立っていた。

(カイトさん、まさかこの為に・・・?)

ルリの疑問を余所にムネタケの言葉が続く。

「これだけの力を持った戦艦をわざわざ全滅した火星にやるなんてね。
 ナデシコはアタシ達、軍が貰ってあげるわ。
 連合軍の指揮下で戦って貰うわよ」

「ムネタケ!血迷ったか!
 お前達だけで何が出来る!」

フクベがムネタケを一喝する。
退役したとはいえ、流石は歴戦の名将フクベ・ジン。
その言葉には充分な気迫が込められていたがムネタケはそれを受け流す。

「そうね、私達だけじゃいずれ奪還されるでしょうね・・・でも」

そう言ってニヤリと笑うムネタケ。

「・・・来たわ」

ムネタケの呟きと共に、ナデシコ前方の海中から連合宇宙軍の戦艦が姿を表す。

「ナデシコ前方5キロ、連合宇宙軍第3艦隊旗艦トビウメ、護衛艦クロッカス並びにパンジー出現」

カイトの行動に多少混乱してはいたが、ルリの冷静な報告がブリッジに響く。

「トビウメから強制通信入ります」

メグミの報告と共にスクリーンが展開する。

『宇宙連合軍提督、ミスマル・コウイチロウである』

画面に大写しになったのはカイゼル髭を蓄えた壮年の軍人。

(・・・コウイチロウさん、お久し振りです)

この世界では初対面である為、表情や口にはださないが心の中で再会の挨拶を述べる。
カイトにとって、コウイチロウはまさに父と呼べる存在であった。
記憶喪失の自分を引き取り、名字を与えてくれた人。
軍に入る時も入った後も何かと骨を折ってくれた恩人。
『君は私の息子だ』と言ってくれたその感激は今もカイトの胸に残っている。

「お父様!」

『おお、ユリカ!
 しばらく会わないうちに・・・少しやつれたのではないか?』

「嫌だわ、お父様。

三日前にお会いしたばかりですわ」

『そ、そうか・・・
 そうだったな・・・』

(あはは・・・)

こういう二人だったと思い出し、胸の内の感動を吹き飛ばされてしまうカイト。

「それで、お父様、一体どうなされたのです?
 ナデシコはこれから火星へ向かわなければなりませんの。
 要件は手短にお願い致します」

途端に艦長の顔に戻るユリカ。
こちらも連合宇宙軍提督の顔に戻るコウイチロウ。

『その必要はない。
 ナデシコは直ちに停船し、本艦の指揮下に入りたまえ。
 連合宇宙軍には強力な戦艦を火星に回す余裕がないのだ。
 ・・・分かってくれ、ユリカ。
 これは任務なんだ、パパも辛いんだよ』

「・・・」

「提督、お気持ちは理解致しますがネルガルと宇宙軍の間で話はついていたはずですが?」

黙り込んだユリカに代わり、プロスが交渉に立つ。

『だが、一隻で蜥蜴の一群を殲滅できる艦となれば話は別だ。
 停戦命令に従わぬ場合は、実力行使する事になる』

「・・・いやはや・・・どうなさいます、艦長?」

「分かりました、お父様。
 私もお父様に聞きたい事があります。
 そちらへ行ってもよろしいでしょうか?」

フクベやゴートが必死にユリカを止める。

「いかん、艦長!
 これは罠だ!」

「ナデシコはネルガルの艦だ。
 連合軍の命令を聞く必要はない!」

一方で、アオイはコウイチロウに同調する。

「ユリカ、提督が正しい。
 これほどの戦力を持つ艦なんだ。
 プロの軍人が運用するのが望ましい」

そのやり取りを聞いていたユリカが口を開く。

「プロスさん、トビウメに行く準備をお願いします。
 これは"艦長命令"です」

「・・・やむをえませんな・・・」

『よろしい。
 では艦長と作動キーは本艦で預かる』

コウイチロウの言葉にブリッジのクルーは驚く。
再びブリッジが騒がしくなった時、静かな声がブリッジに響く。

「・・・その件は承服致しかねます、ミスマル提督」

カイトだった。
隣から突然発せられた声に驚き、カイトを見上げるルリ。
無表情で氷のように冷たい声。
普段のカイトとは全く別人の姿に皆の動きが止まる。
ルリもこのカイトを見るのは二度目だった。
カイトの事を知りたいと言った自分に向けられた、一切の感情を消したカイト。

(・・・カイトさん・・・)

ルリの心が漠然とした不安に囚われる。

『・・・君は?』

「ナデシコパイロットのカイトと申します。
 艦長はともかく、作動キーをお渡しする訳には参りません」

『何故かね?』

「作動キーを抜いたナデシコは文字通り、丸裸になります。
 この海域にはチューリップが落とされています。
 敵襲が予想される中、防禦体制をとれないのでは自殺行為という他ありません」

『カイトくん・・・と言ったね。
 君は連合軍が信じられないのかね?
 ナデシコ一隻くらいなら・・・』

「守れない、と思うのでそう言っています」

『何だと!』

当然のごとく激怒するミスマル提督。
ナデシコクルーも唖然とした表情でカイトを見詰める。

「それとも・・・"また"民間人を前線に置き去りにするおつもりですか?
 火星のように」

『ぐっ・・・』

意地悪く口の端を吊り上げるカイトに対し、黙り込むミスマル提督。

「・・・なんでしたら、ここで一戦交えますか?」

クルーの間に緊張が走る。

『・・・よかろう、作動キーはそのままでよい。
 至急艦長をこちらに寄越したまえ』

「御英断を感謝します、ミスマル提督。
 若輩者の数々の非礼、申し訳ありませんでした」

先程とは打って変って、深々とお辞儀し詫びるカイト。
その態度を見て、コウイチロウの表情が変わる。

『カイトくん、といったか。
 年齢に似合わぬ見事な胆力、このミスマル・コウイチロウ感じ入ったぞ。
 いつか、顔を突き合わせてゆっくりと話してみたいものだ。
 それでは失礼する』

武門のミスマル家の当主として感じるものがあったのかコウイチロウは表情を幾分和らげる。

「ええ、こちらこそ。
 では、失礼致します」

再びお辞儀し、ミスマル提督を見送るカイト。
頭を上げたその顔にはいつも通りの笑みが浮かんでいた。

「・・・もの凄い事をなさりますな・・・」

プロスの呟きに次々にクルーが同調する。
だが、クルーの顔に浮かぶのは笑顔。

(((((良くやった、カイト!))))))

全員の思いは同じだった。
とにかくカイトの大立ち回りで丸裸の状態を避け、
しかも連合宇宙軍提督と五分に渡り合ったのだ。。
充分な先制パンチだった。

「では艦長、トビウメに参りましょうか」

「はいッ」

「ユリカ、僕も行く」

そういってブリッジを出て行くプロス、ユリカ、アオイの三人。
三人を見送ったクルー達から緊張が解かれる。

「さて、アンタ達は食堂に移動して貰うわよ。」

ムネタケの声が響く。

「そういや、あんた達もいたんだな」

「すっかり、忘れてました」

口々に上がる言葉にムネタケが切れる。

「黙りなさい、アンタ達!
 この艦の艦長はアタシよ!
 アタシの命令に従いなさい!」

ムネタケの言葉に次々とブーイングが飛ぶ。

「どうせあの脳天気娘は帰ってこないわ!
 そうすればナデシコには私が乗る事になるわ。
 いい事?
 ナデシコの艦長はア・タ・シになるのよ、アタシ!
 逆らったら撃つわよ!」

その言葉に反応し、銃を構えた兵士が前に出る。

(指揮官がヒステリックでも、兵士の錬度は高いな・・・
 今ここで戦うのは愚策か・・・)

クルーもそう判断したか渋々食堂へ向かい、ブリッジを出て行こうとする。

「・・・僕達も行こう、ルリちゃん」

「はい」

カイトはルリを直接銃口に晒さないよう細心の注意を払い、ルリをエスコートする。
それに気付いたルリは、心の中でカイトに礼を述べる。

(・・・ありがとうございます、カイトさん。
 でも、・・・どうしてこんなに優しくしてくれるんですか?
 私は、"お人形さん"なのに・・・)

マシンチャイルドとして育てられたルリにとって、カイトの今までの自分に対する行動や接し方は不可解そのものだった。
そして自分が他人の行動に興味を持つ事も初めてだった。
戸惑う事ばかりではあるが、一つだけはっきりしている事があった。

(カイトさんの傍は心地いい場所・・・心をあったかくしてくれる・・・だから傍にいたい)

何故そう思うのか、何故"心"という非科学的な概念を信じるのか、論理的な説明は出来なかったが、それだけは信じられる。
ルリはそう思っていた。

「待ちなさい、ホシノ・ルリ」

カイトに守られるように移動していたルリをムネタケが呼び止める。

「・・・」

立ち止まり、無言で振り向くルリ。
そしてカイトも立ち止まり振り向くが、その顔からは表情が消えていた。
二人の様子を見て、食堂に向かっていたクルー達も足を止める。

「アンタはここに残りなさい。
 さっきソイツが言ってたでしょ、敵襲に備えるって。
 それをしなさい」

カイトを顎で指し示し、ルリに命令する。
ルリは一瞬、顔を伏せると溜め息を着いてムネタケの方へ歩き出そうとする。

(・・・やだな、この人・・・)

そう思うが権利を持つ者に命令されれば彼女は従うしかない。
自分に命令した相手に嫌悪感を持つのも初めての経験ではあったが。

「そうそう♪
"機械人形"は黙って"人間様"の言う事を聞いてればいいのよ♪」

ムネタケがその言葉を発した瞬間だった。

「キャッ」

ルリの腕が突然掴まれ、思い切り引き寄せられて、優しく暖かいモノに受け止められる。
短い悲鳴を上げ、次の瞬間にはカイトの腕の中にルリはいた。

(カイトさん?!)

「この娘を機械人形等と呼ぶなぁぁぁぁぁっ!!!」

恐ろしいまでの殺気が篭められた怒声。
ブリッジの空気までもが震えるような怒り。

「ヒッ・・・!」

それを叩き付けられたムネタケは後ずさり、尻餅を着く。
直接殺気を向けられた訳でもない兵士も後ずさりする。
様子を見守っていたクルーも完全に動きを止めている。
腕の中で思わずルリもカイトを見上げる。
いつもの優しげな笑顔でも、氷のような表情でもなく、初めて見る怒りに満たされたカイトの顔がそこにあった。
それはまさしく修羅。
復讐という暗い炎に心を焼かれていた頃のカイトがそこにいた。

「次にルリちゃんを機械人形と呼んだり、傷つけるような真似をすれば・・・
 ムネタケ、覚悟しておけ・・・
 ・・・その首、叩き落すぞ・・・」

さらに殺気が強まる。

「ヒイッ・・・」

尻餅を着いたままガクガクと震えるムネタケ。
床に染みが広がって行く。
失禁したのだ。
ムネタケとて、無能の烙印を押されても数々の戦場を経験した軍人には違いない。
その鍛えられた軍人に失禁するほどの恐怖を感じさせる殺気を普段は幼さの残る青年が発したのだ。

「・・・行こう、ルリちゃん」

「・・・はい」

ルリを見た時には表情を和らげ、いつものカイトに戻っていた。
そしてカイトはルリの手を引き、クルーの間を抜けて食堂に向かう。
二人が角を曲がり、姿が見えなくなった所で慌ててクルー達が彼らを追う。

「・・・何者よ・・・アイツは・・・」

ブリッジに残されたムネタケの呟きに答える者はなかった・・・。


ナデシコ居住区画・廊下

ブリッジを出て、食堂へと向かうカイトとルリ。
握り締められたカイトの右の拳から赤いモノが滴り落ちる。
血を流すのとは反対の手で優しく握られた自分の右手を気にしつつ、ルリはカイトに声を掛ける。

「・・・カイトさん、手、血が出てます」

「これぐらい平気だよ・・・」

一瞬、目線を手にやるがカイトは気にした様子もなく、歩みを止めない。
それから手を引かれるままに歩いていたルリだったが、医務室の前を通った時、歩みを止める。

「カイトさん、手当てさせて下さい」

「大丈夫だよ」

「・・・手当て、させて下さい」

「・・・」

カイトも歩みを止め、じっとルリを見る。
いつもならすぐに目線をはずしてしまうルリだが、今回はじっと見返してくる。
そのルリの眼差しにカイトは見覚えがあった。
忘れもしない前時間軸での出来事。


木星プラントに単身乗り込もうとするカイトをルリが引き止める。

『ルリちゃん、あそこにはどんな危険があるか分からない。
 だから・・・』

『カイトさん一人では帰って来ないような気がするんです。
 だから・・・連れて行って下さい』

『・・・駄目だよ、連れて行けない』

『連れて行って下さい』

『・・・』

『・・・』

『・・・分かった、一緒に行こう』


カイトはそんなやり取りを思い出す。

(・・・一度言い出したら聞かないコだったからなあ・・・
 それに、折れるのはいつも僕だった・・・)

だから、カイトは答える。

「分かったよ、ルリちゃん」

今度はルリに手を引かれ、医務室に入る。
医療スタッフも既に食堂へ移動したのか姿は見えなかった。
カイトを椅子に座らせ、救急キットを探すルリ。
キットを見つけ、カイトのところへ戻る。

「・・・カイトさん、手、出してください」

カイトの手の平に爪が食い込み、傷を作っていた。
出血は収まりつつあるが、完全にストップした訳ではない。
生理食塩水で乾いた血を洗い落とし、消毒を始める。
しばらく無言で手当てに没頭していたルリだったが、おもむろに口を開く。

「・・・あの、カイトさん・・・
 先程はありがとうございました。
 何度も庇って頂いて」

「気にしないでよ、女の子を守るのは男の役目だからね」

「・・・でも、私は"お人形さん"ですよ?
 キノコさんの言った事も間違ってません。
 私はマシンチャイルドですし・・・。
 でも、カイトさんはなんで・・・・・・え?」

"私に優しくしてくれるんですか?"そう聞こうとし、顔を上げた時のカイトの表情がルリの視界に飛び込んでくる
―それは深い深い悲しみだった。
話しながらも作業の手を止めていなかった手当ては既に包帯を巻き終えている。
そのカイトの表情と視線を受けて、ルリは俯く。
ただ、訳もなく怖かった。
カイトの悲しい表情が。
自分はカイトを悲しませてばかりいる。
体が自然に震える。
逃げ出そうにも足が、体が言う事を聞かない。
長くて、短い時間が過ぎる。
行動を起こしたのはカイトだった。
目の前で俯き、震える少女にそっと手を伸ばす。
伸ばした両手を少女の背中へ回し―抱き締める。

「!?」

突然のカイトの行動に戸惑うルリ。
一瞬、頭の中が真っ白になり、それからカイトに抱き締められていると理解する。

「カ、カイトさん!?」

「・・・」

ルリの狼狽した声を無視し、抱き締める腕に力を込める。

「・・・ルリちゃん・・・そんな悲しい事言わないで・・・」

「・・・」

力無い、弱々しいカイトの声が耳元で聞こえる。

「・・・人形だとか・・・機械だとか・・・言わないで・・・
 確かに・・・ルリちゃんはマシンチャイルドとして生まれてきた。
 でも、その前に・・・ルリちゃんは人間なんだ。
 "ホシノ・ルリ"という一人の女の子なんだ・・・」

暖かいカイトの胸の中に抱かれ、静かに目を閉じるルリ。
カイトの胸に押し当てられた耳から心臓の鼓動が伝わってくる。

(・・・カイトさん・・・あったかい・・・)

自然と頬を胸に摺り寄せるルリ。

「・・・でも、私は・・・」

言いよどむルリにカイトが声を掛ける。

「・・・ルリちゃん、僕は暖かいかな・・・?」

「はい・・・?」

優しい温もりを離したくなくて、カイトの上着にしがみ付き、体の力を抜いて体重を預ける。

「ルリちゃんも、あったかいよ。
 君は人形や機械なんかじゃない。
 ヒトの暖かさをちゃんと持ってるよ・・・
 だから、自分を人形だとか機械だなんて言わないで・・・」

そしてルリは気付く。
自分を包み込むカイトの腕が、掛けられる声が震えている事に。
そして、首筋に落ちる温かい水滴の存在に。

(この人を悲しませたくない・・・)

ルリの心に湧き上がる感情。
抑えようも無く溢れてくるこの想い。
どんな言葉で表せばいいのか、少女はまだその言葉をまだ持ち得なかった。

「カイトさん・・・ごめんなさい・・・ありがとうございます・・・」

だから精一杯の謝罪と感謝の言葉。
何を伝えたかったのか、ルリ自身も良く分からなかったが、その想いはカイトには届く。

「・・・うん」

カイトはルリの温もりだけを、ルリはカイトの温もりだけを感じる時間が過ぎて行く。
そんな幸せな時間はカイトのコミュニケへの着信で途切れる。
名残惜しそうにルリの体を解放し、コミュニケにでる。
カイトの前にウインドウが開き、アキトの姿が出てくる。

『カイト!
 何処にいるんだ?
 後、お前とルリちゃんだけだぞ、食堂にきてないの!』

「すいません、ちょっと怪我しちゃって。
 ルリちゃんに医務室へ連れてきて貰ったんですよ。
 すぐにそっちへ行きます」

『怪我・・・?
 大丈夫なのか?』

「ええ、大丈夫です。
 では!」

そう言ってコミュニケを切る。

「さ、行こうか、ルリちゃん!」

差し出された左手を握り、ルリが返事する。

「はい、カイトさん」

そして二人は微笑みを交わすと食堂へ向かい歩き出す。
その繋いだ手にお互いの温もりを感じて。


  後編へ続く

 後書き

後編にまとめます。





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