The knight of chrome #06


それは小さな小さなおとぎ話。

宇宙の片隅の、ちっぽけな星で生まれた、ひとりの少年の物語。

いくつかの偶然と小さな奇蹟が少年を旅に誘い、そしていくつかの冒険とひとつの恋が始まった。

それはいつまでもつづく、幸せな物語のように思えた。

でも、物語はいつか終わりを迎える。

そう、ただひとつの例外もなく。





機動戦艦ナデシコ

『The knight of chrome』





第六話 ロングキス・『グッドバイ』


 2201年12月31日深夜。年は間もなく改まろうとしている。

「………」

 闇夜にその身を潜ませる白いスーパーエステバリス。

 コクピットのカイト。コンソールの明かりが、カイトの顔を青白く浮かび上がらせる。

「………アキトさん」

 右手をそっと、顔の前にかざす。



────帰ってきたら、もっとうまいラーメンを食わせるよ。



 二年前、ナデシコBのクルーになったカイトに、別れ際アキトがかけてくれた言葉だった。だがこの約束は、いまだ果たされていない。

「アキトさん、僕、帰って………帰ってきたんですよ……」

 あの言葉は嘘だったというのか。この手に残る最後に交わした握手の温もり、それすらも偽りだというのか。

「お待たせしました」

 コクピットハッチの向こうにルリが顔を覗かせる。

「………あ、うん」

 いや、そうだ、いまはこの少女だけを……。

「………いけそうですか?」

「うん」

 ルリのお陰で、何とかここまでこぎつけることができた。手早く発進準備を行うカイト。

 シート脇に取り付くルリ。視線を合わせ、そっと頷くふたり。

「エステバリス……起動」

 ゆっくりと上昇していくエステバリス。遅れて、遠隔操作されたシャトルも上昇、カーゴハッチを開け、エステバリスを搭載する。

「ホントは、ルリちゃんも置いていくつもりだったんだけど……」

「そんなコトすると、後が怖いですよ」

「ハハハ……そうだね、女の子の恨みを買うのは、この際『ひとり』だけでいい」
 


「コラー!! ほどきなさいよぉ〜!!!!」

 木に括りつけられたユキナ。先程からシャトルに向かってあらん限りの罵詈雑言を投げつけている。

『時限式のロックだからすぐ解けるよ』

『うまくいったらこのポイントで合流です』

 別れ際の某宇宙軍大尉と少佐のセリフ。



「仕方ありません。これは十中十までワナです。最悪の場合………」

 流石のルリも言葉を濁す。ふたりがナデシコのもとへ行く理由はクルーの救出のためだけではない。最悪の場合はみんなと一所に死ぬためなのだ。

「行くよ」

「はい」

 進路を南にとる。目的地まで約八時間。多分、ルリと過ごせる最後の時間になるのだろう。




2202年1月1日未明。洋上に浮かぶナデシコCのブリッジでは、新旧のクルーが一同に会していた。

「あ、あはは、なんだか同窓会みたいねぇ。新年会兼の」

 沈んだ雰囲気を和ませようとしてか、ハルカ・ミナトがそんなことを言ってみる。

「へ、違げえねぇ。もっとも『最期の』だがな」

 ウリバタケが合いの手を入れる。だが、あまりうまくない。

「申し訳ない。全ては我々の力不足です」

 皆に謝罪を繰り返すプロスペクターとゴート。それでどうなるものでもない。だが、詫びずにはいられない。

「あんたたちのせいじゃないよ。それにあたしらこれでもナデシコの一員なんだ。覚悟は決めてるよ。なあ、みんな?」

 ホウメイが慰めるように言う。

「おう。こうなったら開き直ってやんぜ!」

「ああ、締め切り…………」

「覚悟……大衆芸能……落語……プッ」

 久々の勢揃いにも相変わらずなリョーコ・ヒカル・イズミ。

「悪いのはあの女たらしってとこっスね」

「サブロウタさんに言われちゃおしまいですよ」

 ハーリーとサブロウタも掛け合いを始めている。

「…………」

 ひとり無言のジュン。休暇中のところをさらわれた彼は私服姿だ。必死に打開策を考えている。だが、容易に思いつくものでもない。

『やあ、ご一同』

 アカツキのウィドウが開く。

「あ、落ち目の女たらし」

『ははは、もう慣れた。さてさて、新年のご挨拶をば……』

「馬鹿やってないでさっさと用件を話しなさい」

『おやおや、これは。乗らなくていいって言ったのに、みんなと一緒がいいなんて言って
強引にナデシコCご搭乗のイネス・フレサンジュ博士』

「そ、そんな説明ゼリフはどうでもいいのよ。用件は何!?」

『せっかちだねぇ。ここで時間稼げば、ルリ君やカイト君が助けに来てくれるんじゃないの?』

「もともと、それが目的でしょ!?」

『おお、スルドイ。サスガ』

 おどけてみせるアカツキ。

『ああ、ちなみにね、メグミ君やホウメイガールズのみんながいないのは世間様への配慮ってやつだね。ヘタにアイドル殺しちゃったら大衆が怒る怒る』

「なによお、漫画家はどうでもいいていうのぉ!!」

「あたしも芸能界入れば良かったかな〜」

 それぞれのリアクションをするヒカルとミナト。『芸能』という言葉にイズミも反応したが、別に何もしなかった。

「………いい加減に」

『まあ、あれだ。最強といわれるナデシコCとそのクルー。それを倒しちゃえば僕たちの強さが証明される。逆らおうって連中もよほどの馬鹿だけになるってことだね』

 アカツキの言葉に合わせ、もうひとつウィンドウが開く。そこには『天使』によって次々に撃墜されていく宇宙軍の艦艇が。

『三時間ほど前の映像だよ。君らを助けに来たつもりだったみたいだねぇ』

「…………」

 みんな、まだ心のどこかでアカツキのことを、かつての仲間のことを信じていた。だが、彼はそれを非情にも拒んだのだ。

アカツキは軽く右腕を振り上げ薄く笑う。

『まあ、そういうわけだ諸君』

 ナデシコ周辺にボソンアウトする無数のケルビム。

『死んでくれたまえ』




「くっ、むざむざやられてたまるか!! ハーリー君、ナデシコC起動だ!!」

 声を張り上げるジュン。このメンバーの中では自分が指揮官に適任だと、咄嗟に判断していた。

「了解!!」

 IFSシートに走りこみハーリー。オモイカネにアクセスを取ろうとするが、

「………は!」

「どうした!?」

「オモイカネ………封印されています」

「な……それはどういう」

 いや、聞くまでもない。

「ナデシコC、起動できません!!!」

 ハーリーの悲鳴のような報告がブリッジに響いた。

「!!!!」

 ブリッジに迫る一機のケルビム。クローを展開させる。

「ぐ!!」

 だが直前、ケルビムは空中で文字どおり弾けた。

「……狙撃」

 イズミがつぶやく。これほどの精密射撃。できるものは自分も含めそう多くはいない。

 ナデシコCの遥か前方。あらたな年の到来をつげる太陽。

 その光を背に、レールカノンを構えたエステバリスが一機。
 
 朝日がこれから起こる戦いを暗示させるように、純白の機体を紅く染め上げていく。

「機影確認!!」

「データ照会………確認しました。当艦所属、スーパーエステバリス」

「おお」

「ミカズチ・カザマ大尉です!!」

「カイト君!!!」





「ふう」

 コクピットのカイトとルリ。

「間に合いましたね」

「………予想通りか……」

「え?」

「ナデシコの公開処刑。そして、オモイカネの封印」

「……?」

「この距離、センサーレンジ……。多分大丈夫だと思うんだよね」

「カイトさん?」

 カイトはルリのほうに向き直ると、

「ルリちゃん」

「あ、はい」

「僕を信じてくれないかな……。うまくいけば、みんな助けることができるんだ」

 カイトの真剣な目。ルリも視線を外せなくなる。

「信じています、いつだってずっと」

 ルリの短い、だが心からの言葉。こんなときになってだが、やっと素直になることができた。

「……ありがとう」

 ルリに顔を寄せるカイト。

「あ……」

 閉じられる瞳。ゆっくり重なる唇。

「(もう……こんなときに……)」

 ルリは唇にカイトのぬくもりを感じつつ、心の中で愚痴を言ってみる。これではまるで別れの………。

「……は!」

 ルリは自分がレトロスペクトの輝きに包まれていることに気づいた。

「カイトさん!!」

 カイトは微笑んでいた。その笑顔は不思議なほど透きとおっていて、そしてたまらなく……。

「(ああ……この笑顔だ)」

 ルリは自分が光に溶けていくのを感じながら、ぼんやりと考えていた。

 この笑顔に心惹かれ、その寂しげに心痛め、でも、なぜかまた見たいと思う。
 
 どうしてこんな風に笑えるのだろう。どうしてこんな風にしか笑えないんだろう。そんな、とても不思議な笑顔。

「ルリちゃん。全部済んだら……」

 カイトの最後の言葉を聞き遂げることなく、ルリの姿は消えていった。



──────覚悟は決めたようだな。カイト。




「……また、ひとりぼっちか」

 ひとりつぶやくカイト。

 レールカノンを右腕一本に持ち替え、左手にはライフルを装備。

「………シャトル、ロック解除」

 海上に落下していくシャトルを視界の端で見送りながら、機体をおびただしいほどの『天使』の群に向ける。

「いくぞ……『兄弟』!!!」

 加速。白き閃光と化す機体。





「カイトさん!!!」

 ジャンプアウトするルリ。ここは、どこか。

「!!! 艦長!!!?」

「ハーリー君!? ここは……ナデシコの……ブリッジ?」
 
 その瞬間。ルリはカイトの作戦を理解していた。

「ハーリー君! 直ちにオモイカネシステム内に侵入。ふたりがかりでオモイカネを『説得』します」

「え?」

「早く!! カイトさんが敵の目を引き付けている隙に!!」

「りょ、了解!!」

「イネスさんセイヤさん! ボソンジャンプの準備を! ナデシコ起動後すぐにボソンジャンプでこの空域を離脱します」

「おおよ!! ……ったく、無茶しやがる」

「了解よ!」



「パイロットのみなさんは各自の機体へ。現状でできる範囲でかまいません、発進準備を」

「「「了解!!」」」

「ふ、恋する女は強いね」

「!! ……あとのみなさんはカイト機の戦況を視認、逐一私に報告してください」

「「「「「了解!!!」」」」」

 指示を出しながらIFSシートに走りこむルリ。ハーリーにつづいてシートが展開していく。

 先程のルリのジャンプまではおそらくアカツキたちには気づかれていない。ならば、ルリがここにいることもまだ知られていない。

「…………」

 カイトが、オトリとなっている隙にナデシコCを起動させ、すかさずイネスのボソンジャンプで逃走する。

「………むぅ」

 ルリはオモイカネへのアクセスを試みながら、微かに憤りを感じていた。
 
 作戦は認めている。ルリが考えてもこれ以上の策はそうは浮かんでこない。

 直前まで黙っていたことも理解はできる。カイトへリスクが集中するこの作戦、聞かされていたらきっと反対していただろう。

 それでも、である。いかなルリと言えど、頭だけで割り切れないこともある。

 そっと唇に触れてみる。まだ、カイトの温もりが残っていた。まだたった二回目の、しかも2年ぶりのキスだ。

「(後でお説教です。……後で……そう、『この後』で……だから、だから……絶対、死なないでください!)」



「ボソンジャンプ……六連!!!」

 必殺のジャンプを繰り出すカイト。ナデシコにまとわりついていたケルビムを撃墜。

「……く」



 ジャンプアウト。わずかに顔をしかめるカイト。

 敏感になりすぎた感覚を通して、たったいまその手で砕いた『命の感触』がリアルに伝わってくるのだ。

「………だけど」
 
 みんなを守るためだ。そう心で続けるカイト。
 
 人を生かすための人殺しなら、罪が軽いとでもいうのか。
 
 それはありえない。咎人は皆、『正義』とか『法』とかいうものの名の下に、いつかは裁かれるのだ。

「……」

 でも、とカイトは思う。咎『人』ですらない自分の場合はどうなのだ。

『兵器にだって人は愛せる』

 かつて、生みの親ともいえるヤマサキに言い放った言葉。この言葉の正否は未だ確かめられず、そして愛の何たるかも知らず、ただ今日まで生きてきた。

「…………」

 カイトは敵の意識がこちらに向いたのを確認すると機体を後退、ナデシコから『天使』たちを引き剥がす。

「……未来予測…レベル2…発動!!!」

 金色に輝き始める瞳。研ぎ澄まされる感覚。ゆっくりと『違う何か』に変わっていくカイト。

 『予測』のレベル1については既に述べた。では、レベル2とは何か。

 それはレベル1の予測が外れたケースをさらに予測、つまり、いかに外れるかを再予測することだ。



 この二段階にわたる天文学的パターン数の事象を予測しきることができれば、最終的な予測の的中率は限りなく100に近づく。
 
 これによってカイトは機動兵器戦において、急激な体力・精神力の消耗と、あともうひとつ致命的な欠点を除けば、『兵器』として究極にも近い戦闘能力を発揮することができる。 
 
 『兵器』。ヒトでない何か。戦闘生物。生体兵器。

「………天使たちよ。あなたたちは、まだヒトなのか?」

 観念的に『見える』ケルビムたちの軌道を追いながら、カイトはつぶやいた。
 
 閃光。両腕の火器が火を吹く。





 ナデシコCのブリッジ。ルリの『説得』はいつしか懇願に変わろうとしていた。

『(オモイカネ、返事をして)』

 脳裏に浮かぶ『あの人』。



「おおおお!!!」

 絶望的なまでの天使の『群』に、突進していくカイト。

────貴様が……殺したんだ!!

 確かに自分は今、人を殺している。

────貴様が……殺したんだ!!

 正当化するつもりはない。自分はそのための存在なのだ。

────貴様が……殺したんだ!!

 人に敵と狙われても当然の存在。だが、なぜあの人なのだ、そしてなぜその相手が自分なのだ。

「!!!」

 背後にケルビムがジャンプアウト。

「ぐ!!」

 咄嗟に機体を反転。レールカノンを砲身をぶつけるように撃つ。撃破。

 だが、カイト機も衝撃を受ける。

「ちぃ!!」

 左肩のエンブレム『稲妻とユニコーン』が削り取られた。



『(お願い、私たちの……私の大切な人が危ないの)』

『…………あ、あれ。ルリさん??』

『オモイカネ!!!』



「跳躍戦士、よくもちますね」

「うむ、エリナ君?」

「はい、現在『天使』の被撃破数8、損傷3です」

「そんなにかい? 単純なスペックだけならさほど劣ってはいないはずなんだがねぇ。月臣くん?」

「『天使』どもにはプログラム通りの戦闘しか行えませんからな。多対一の戦闘の際、一の側が最も恐れるのは多の無秩序な攻撃です。同士討ちも辞さぬ攻撃を行われは、いかに跳躍戦士でもひとたまりもないでしょうが……」

「ふむ、そりゃもったいないなぁ。時に月臣くん」

「はっ」

「君も彼と戦ってみたいかい?」

「残念ですが、自分でも歯が立たんでしょう」

「ふ〜ん」

「あの化け物と互角となると『闇の王子』か、あるいは……『紅武者』」



「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ、」

 カイトの息が荒い。月臣の言葉どうり天使たちは一定の攻撃しか仕掛けてこない。それゆえ、予測を使っているとはいえ今の今まで戦うことができた。

「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ、」

 だが、カイトの体力、精神力も限界に近い。ボソンジャンプの使用可能回数も残り少ない。

「……ぐぉ!」

 一瞬の隙、レールカノンが切り落とされる。

「ちぃ!!」

 背面のラックからフィールドランサーを引き抜く。


────────。

「くっ……黙れ」

────────。

「………………黙れ」

────────。

「…………黙れ『ミカズチ』!!!」

────────。

「僕は………兵器じゃない!!!!」

 ケルビムのクロー攻撃。反射的に身をよじる。

 機体頭部を削り取られながら、左腕のライフルを叩き込む。ほんの一瞬でミリ単位の機動を行ったのだ。

「……………く」
 
 これでも違うと。こんなに戦える自分が人間だといえるのか。

「僕は……」

 いままで幾度となく自問してきた問い。答えは出ない。いや、本当は既に出ている。ただ、それを認めたくないだけなのだ。

「人にも……兵器にもなれず、こんなところで……一人で……」

 死ぬのか? そう続けてみる。

 衝撃。開いたウィンドウが、フィールドの消滅を告げている。

「………怖い」

 戦うことの。一人ぼっちでいることの。死ぬことの。

「怖い……」

 自分が消えてなくなることの。大切なものを残していくことの。

「怖い」

 だが、それは一瞬のことではないのか。このまま生き続け、人を殺し続け、そしてあの人にカタキと狙われ続けるよりよほど楽ではないのか。

「………………」

 目を閉じるカイト。

─────ごめん

 死ぬなら『あの銃』で、そう決めていた。だが、もはやそれもかなわぬ身だ。彼女は許してくれるだろうか。

 迫る天使の群。無数の火線が走る。

『『『『『『記憶喪失さ〜ん!!!』』』』』』

「!!!」

 弾かれたように身をかわす。火線が機体をかすめていく。

 この声は、カイトをこう呼ぶのは、

「ホウメイガールズの……みんな?」

 接近していた敵機に蹴りを放つ。その反動を利用して大きく後退。態勢を整える。

『カイトくん聞こえる!?』

「メグミさん!!?」

『あきら…ちゃ、ダメ………。私のマネージャ……断…たんだから、根性………』

 ノイズの向こうから聞こえてくるメグミの声。恐らくはアカツキたちによって軟禁状態にある彼女たち、カイトの窮地を見かねて行った精一杯の声援。

『…………………………』

 やがてそれは彼女たちの歌声へと変わっていく。メロディーも歌詞もろくに聞こえない。だが、まぎれもなく、カイトへの思いをこめた歌。

「みんな……」

 銃身の焼け爛れたライフルを投げ捨てる。残弾の尽きた両肩のキャノンも排除。

「回線、18番から21番を切断。6番にバイパス……」

 そうだ、忘れていた。

「みんなのためなら、僕は悪魔にだってなれる。……兵器にだって」

 フィールドランサーを両腕に構える。ブレード部が発光、それに合わせ輝く両目。

「……ありがとうみんな。これで………死ぬまで戦える」

 再度、天使の群に突撃を敢行。武器は一振りのランサーと仲間への想い。



「カザマ機。損傷率60パーセント突破!!」

「!! フィールドの出力は!?」

「ダメです! 安定しません!!!」

「急いでください!! でも焦らないで!!」

「は、はい」

「カイト機にエネルギー供給開始!!」

「し、しかし!!」

「それではこちらの起動を勘付かれてしまいます!!」

「見捨てることなんてできません!!!!」

「……了解!! 供給開始!!!」

「アオイ中佐!!」

「カイトくんへの思いはみんな同じさ。そうだろ?」

「……はい!」



「ナデシコC! 起動しています!!」

「おやおや、そろそろ『彼』の出番かな?」



「………ん? なんだ……」

 カイトは敵の異変に気づいた。

 カイトへの攻撃を中止して一箇所に終結を始めている。

「これは……一体?」

 あと数分攻撃が続いていたら、カイトといえども撃破は免れなかった。それほどまでにカイトは消耗していた。

 だが、だからこそ、この攻撃中止の理由がわからない。

 背面のウイングを一斉に展開するケルビムたち。それは互いに共鳴するかのように高音を奏でる。それはあたかも、

「歌って……いる…?」

 ギリギリのところでカイトを支えていた、メグミたちの歌がかき消されていく。

 やがて、ゆっくりと二つに割れていくケルビムの群。それはあたかも一対の翼が開いていくようだ。



「ボース粒子反応!! 群の中心に何かいます!!!」



─────槍を抜き、私に追い迫る者を封じてください。


「黒い・・・…天使? ……いや」


─────私のたましいに言ってください。「わたしがあなたの救いだ」と。(旧約聖書 詩篇35の2)



「ブラック……サレナ…」

だが、カイトの目の前のそれは、その形状を以前と大きく異ならせている。
以前よりシェイプされたボディライン。より巨大に禍々しくなった背面ウイング。両腕に構えた通常よりふたまわりほど大きいフィールドランサー。両肩からはさらに一対のサブアームが伸び、その先端にはハンドカノンと思しき銃口が。
 
 それは、カイトによって破壊されたブラックサレナに代わる、黒き王子の新たなる鎧。

「アキトさん!!」

『もはや……話すことはない!!!』

 以前のブラックサレナをも凌ぐ圧倒的なスピードで迫り来る、ネオブラックサレナ“ネメシス”。

「!!!」

 巨大ランサーの斬撃をフィールドランサーでかろうじて受け流すカイト。だが、斬撃はやまない。膝のアーマーが削ぎ落とされる。

「く!!」

『死ね!』

「!!」

なんとか鍔迫り合いに持ち込むが機体の関節が悲鳴をあげる。前回の戦闘から蓄積されていたダメージが、間もなく限界を超えようとしている。

「アキトさん!! 僕はあなたが好きだった! いつもあなたに憧れていた! なれるものなら、僕はあなたになりたかった!!!」

『黙れ!!』

「あなたに勝ちたかった! どんなことでだっていい!! でも違う……それはこういうことじゃない! 違うんですよアキトさん!!!」

『黙れといっている!!』

 サブアームのカノン砲が火を噴く。咄嗟に距離をとるカイト。

『やれ、天使ども!!!』

 アキトの声に攻撃を開始するケルビムたち。もはや、カイトといえどかわし切ることができない。

「ぐぅおお!!」

 弾ける重力波ユニット。ちぎれ飛ぶ頭部アンテナ。じわじわと満身創痍になっていくスーパーエステバリス。



「まだですか!! 早く! 早くしないと!!」

 ルリの悲鳴がブリッジに響く。

「……なんで、なんで、出力が安定しないんだ!!!」

 ハーリーも声を張り上げる。



「……死ねない。死ねないんだぁあああ!!!」

 絶叫するカイト。逆転のカードはこれしかない。

「ボソンジャンプ………六連!!!」



『そこだ、天使ども!!!』

「な!!!」

 一瞬、刹那、そのいずれにも満たない隙。

 まさにカイトがボソンジャンプに入ろうとしたとき、周囲に4機のケルビムがジャンプアウト。次の瞬間、エステバリスの両腕・両足がフィールドランサーに貫かれていた。


「カイトさん!!!!」

「カイト君!!!!」

「カザマ大尉!!!!」

「カイト!!!!」


 天使たちによって、あたかも天空の十字架に架けられたカイト。
 
 機体の両腕・両足が激しくスパークを起こし、力を失う。右腕から、フィールドランサーがこぼれ落ちていく。

「…………ぅ」

『その技の弱点は既に見抜いていた』

 淡々と語り始めるアキト。

『六度にもわたるボソンジャンプ。それを行うための大量のレトロスペクトの『溜め』。その瞬間、貴様は完全に無防備になる』

「…………ば、馬鹿な」

『フン。確かに、その隙はごくごく僅かなものだ。そこを突こうなど不可能に近い。だが、それは貴様と同等のボソンジャンパーがいないと仮定しての話だ』

「……く」

 カイトの未来予測の致命的な欠点が、最悪の形で露呈していた。

 それは予測が当たりもはずれもしなかった場合、つまり完全に予測外の事象が発生したケースだ。
 
 予測に対して完璧な対処を行っていたカイトは、その瞬間、予測外の事象に対して完全に無防備な姿を晒すことになる。
 
 それは未来予測を使い続ける限り、いつか確実に発生し得る、だが、その発生が必然であるがゆえに今この瞬間にそれが起こるのはあまりにも不幸だった。

『いいザマだ。貴様にはお似合いだ!!』

 突き出されるランサー。その刃先はエステバリスのコクピットに……。

『カイトさん!!!』

 ルリの悲鳴。だが、それはすんでのところでコクピットをそれる。

「うおぉぉ!!」

 コクピット内に起こる爆発。機体の破片がカイトの身体を傷つける。

『フハハハハハハァ!! 楽には殺さん!!』

 なおもコクピット付近にランサーを突き立てるアキト。

「ぐあああ!!!」

『アキトさんやめてください!!! なんで、なんでそんなにまでカイトさんを!!?』

『…………『あの子』が泣いているんだ』

『…………!?』

『泣いてるんだよ!! 今この瞬間もな!!』

「…う、グ……ぅ…」

 苦しげに息をつくカイト。体力はとうに限界を超えているが、先程負ったばかりの傷と火傷の痛みのお陰で、まだ意識を失っていない。

『……さあ、そろそろ楽になりたいだろう?』

 弄るようなアキトの声。

「…………」

 うつろな瞳で見返すカイト。



────チカラガホシイ……ナニモノニモマケナイ、ツヨイチカラガ……



 カイトはいま心の底から力を求めた。自らの力を恐れ、嫌い、憎みさえした彼が、ただ純粋なまでに力を欲した。



 虚空を漂う、物体『機械の森』。その中心部がわずかに光った。



 火星、極冠。遺跡が何かに答えるように唸り声をあげる。



『アキトさん!!! それ以上カイトさんを傷つけるなら私が!』

『いいだろう』

『え?』

『見ていろカイト』

「…?」

『貴様の大切なもの………俺のこの手で壊してやる!!!!』

「な!」

 身を翻し、いまだ身動きのできないナデシコCに飛ぶアキト。その右腕のランサーの先にはルリたちのいるブリッジが。

「うわああああ!!!」

 カイトを膨大な光が包む。彼は今、最期の力を使おうとしていた。



 ルリはまだ、心の中でアキトを信じていた。だって、あの人はアキトなのだ。

「!!」

 だが、ブリッジに迫るアキトの気迫と殺気に思わず目を逸らせる。

「…………」

 いつまでたってもおとずれない死。ルリは思った。自分の想いは報われたのだと、やはりアキトはそんなことができる人ではなかったのだと。
 
 ゆっくりと顔を上げるルリ。

 だが、その瞬間、ルリは自分の想いが最悪の形で裏切られたことを知った。

「……ぃゃ」

 空中に絡み合うように立つ、白と黒の機体。

「いや………」

 突き出された大振りのランサー。

「いやぁあ……」

 それは両腕を広げ、ナデシコのブリッジを庇った、純白のエステバリスのコクピットを深々と貫いていた。

「いやあああああ!!!!」



 ゆっくりと光を失っていくカイト機のメインカメラ。やがて、二、三度身体を痙攣させ、ゆっくりと前のめりに崩れていく。

 それはゾッとするほど、生き物の断末魔に似ていた。



「カイト機、生体反応……ボソンジャンプ反応……ありません……」

 震えるハーリーの横で、『フィールド出力安定』のウィンドウが開く。だが、それはあまりにも遅すぎた。

「あの状況で脱出できた可能性は……………………」

 ゴートが言葉を濁す。

 彼は最期の最期まで、ただルリたちを、ルリを護るためだけに能力(ちから)を使ったのだ。

「いやです!! こんな!! こんなの!! カイトさん!!!」

 狂ったように泣き叫ぶルリ。そうすることで、目の前の現実を受け入れることを拒んだ。



「…………」

 ランサーをゆっくりと引き抜く“ネメシス”。支えを失ったスーパーエステバリスが海中へと落下していく。

「………」

『アキトォォ!!!』

 リョーコの絶叫。ようやくのように発進したナデシコのエステバリス隊がアキト目掛け攻撃を仕掛ける。

『テッ、テメェ!! テメェってヤツわぁあああ!!!』

だが、反撃することなく、攻撃を避けるように降下していくアキト。

 海面に達した“ネメシス”のつま先が堅い何かを捉える。

「……ユリカ……出せ……」

 海が割れ、巨大な何かが“ネメシス”を乗せ、上昇してくる。



「……ユーチャリス……じゃない。……ナデシコ?」

 確かにそれはナデシコ、とくにナデシコCに酷似していた。だが、決定的にちがうのは船体を覆うおびただしい数の火器と、その漆黒の船体色。

「……ナデシコ・エックス。完成していたなんて……」

 イネスの声。それに答えるように黒いナデシコから無数の火線が迫る。

「!!!!」

 直撃。一瞬でナデシコCのフィールド出力が半減した。

「ルリちゃん!!! 撤退するんだ! このまま戦っても勝ち目はない!!」

 ジュンが叫ぶ。これ以上フィールド出力が落ちればボソンジャンプを行うことすら不可能になる。

「いやぁ!! カイトさん!! カイトさん!!!」

「しっかりするんだルリちゃん!! 泣くのは後だ!!!」

「ジュン君!!!」

 ミナトが抗議の声を上げる。泣き崩れたルリを、庇うように抱き寄せる。

 その光景を見てジュンは悟った。今は自分が悪役になるしかない。

「エステバリス隊。全機帰艦してください」

『なんだと!!?』

『ジュン君。どういうことよ!!』

『帰艦……聞かん!』

『アオイ中佐、あんた!』

「非難は…後で聞きます。彼の……死を!……無駄にしたく……ありません」

 俯くジュン。

『チィ……了解、だ!!!』

「イネスさん、ウリバタケさん、ボソンジャンプの用意を!」

『……ええ』

『ジュンよ、あいつの為にたくさん泣いてやろう……後でな』



 レトロスペクトの輝き。


 消えていくナデシコC。

 追撃することなく見送る。天使の群。

「…………」

 そしてアキト。

 カタカタカタカタカ。
 
 コクピットに響く何かの音。

 ふと自分の右手に目を遣る。

 カタカタカタカタカ……………。

 それは小刻みに震えていた。

「……ぐ」

 右手をコンソールに叩きつける。

「……ぅ…ぐう!!」

 突如、激しい嘔吐に襲われる。全身を自らへの嫌悪感が奔っていく。

 感情は押し殺していた。だが、その身体は自分がしたことを敏感に感じ取っていたのだ。



 黒いナデシコのブリッジ。

『ぐうわあああああ!!!!』

 モニターの中で苦しみ続けるアキト。

 それを見つめるユリカ。

 軽く腕に力を込める。彼女の腕の中には、アキトからの感情の逆流によって気を失ったラピスがいるのだ。

 何もできない。私には何もできない。

 ならば、せめて焼き付けよう、彼の苦しむ様を。刻みつけよう、彼の壊れていく様を。この、アキトに全て捧げた私の心に。

「(ごめんなさいカイト君・・・…。どうか、どうか! アキトを……許してあげて……)」


───復讐の神、主よ。

───復讐の神よ。光を放ってください。(旧約聖書 詩篇94の1)





 上りきった太陽に澄み渡った海。

 どこまでも『堕ち』ていく白い機体。

 機体中に開いた穴から、大量の泡が吹き出してく。

 さらに沈み行く機体。

やがて水圧が徐々に、傷ついた身体を蝕んでいく。

 剥がれ落ちていく装甲、それは白い雪のように機体のまわりを漂う。
 
 あたかも、何かを悲しむように。そして何かを慰めるように。

 やがて、彼は海底にたどり着く。疲れた身体を休めるようにそっと身を横たえる。

 だが、そこは深く、暗い。

 暖かい日の光は、もう『彼』には届かなかった。


つづく



次回予告


ハーリー「…………………………………………………………………………………………………………… 次回、機動戦艦ナデシコ『The knight of chrome』 第七話 『ハーリーズ』・リポート ───残さなくてはいけない。彼の……彼の生きた証を」







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