The knight of chrome #05
 
薄暗い部屋。コンクリートと冷たいタイルが無機質な調和を醸し出す。
「…ふっ……ふっ……」
 一定のリズムで規則正しく吐き出される呼吸音。
部屋の中心ではバイザーとマントを脱ぎ捨てたアキトが、黙々と腕立て伏せを行っている。
 傍らの粗末な椅子から、その様子をじっと見つめるラピス。身じろぎひとつ無く、だが、その額にはうっすらと汗をにじませている。
 アキトの上下の運動回数は、もう軽く三桁を突破している。アキトと全身の感覚を共有するラピスはかなりの肉体的苦痛に襲われているのだ。
「(でも、それだけじゃない)」
 ラピスには、いやラピスだからそう断言できる。何かにとりつかれたかのように自分の身体を苛め続けるアキト。そうし続けなければアキトはいま、自我を保つことができないのだ。
繋がった心が伝えてくる、アキトの激しい怒り。それは枯れることを知らぬ泉のように延々と沸きあがり、絶えずラピスを苛み続ける。
 それでも、とラピスは思う。自分はいま、アキトと苦しみを分かち合っている。ただその一点において幸せであると。それができるのはこの世の中でただひとり、ラピスだけなのだから。

 小さな窓越しに、二人を見つめる女たち、ミスマル・ユリカとエリナ・キンジョウ・ウォン。
「……馬鹿な男」
 つぶやくようなエリナの声。
「最新型の強化IFSの投与。それにともなう肉体の再強化処理。これらによって、確かに彼は『跳躍戦士』をも凌ぐ戦闘能力を手に入れた」
「……ええ」
 軽く頷くユリカ。その貌はいまだ漆黒のバイザーに覆われている。
「でも、これによって彼の身体の感覚はほぼ完全なまでに破壊され、もともと望みが薄かったとはいえ……五感の回復は……絶望的になったわ!」
「……ええ」
 またも軽く頷くユリカ。そんな彼女の態度がエリナを刺激した。
「どうしてあなたはそう平然としていられるの!! 彼はあのアキト君なのよ!! あなたの旦那様なのよ!! そんなヒトが、あんな小さな子まで巻き込んでどんどん不幸になっていくっていうのに!!! あなたは何も感じないの!!? 何も………!?」
 かすかに視線を落とすユリカ。その仕草でエリナは気づいた。ユリカは泣いているのだ。
「そう……」
 自分の言葉を恥じるように、だが、それ以上何も言わず、エリナは視線をアキトたちに戻す。

「そうよ、何もできないの……。あの娘のようにアキトの痛みを知ることも。そして『あの子』のようにアキトの怒りを受け止めることも……何もできないのよ……今の私には」
 何かを噛み締める様に、ユリカは言った。
 エリナは、ただ窓の向こうの光景を眺め続けた。
──でも、それは多分、私も同じ………。
 苛立ちと悲しみと、そしてかすかな嫉妬が心を過っていく。





機動戦艦ナデシコ

『The knight of chrome』





第五話 『ガールズ』・ドント・クライ


「ハア、ハア、ハア……」
 夜の裏路地を走る小さな人影。物陰に身を隠し、そっと様子を伺う。追手の足音は無い。
 まったく、と思う。こういうシチュエーション自体は悪くは無い。この間見たスパイ映画にそっくりだ。はたから見たら、こういう自分は結構サマになっているかもしれない。
「でも、それはあくまで映画だったらのハナシよ!!!」
 思わず大声を出していまい、あわてて口を押さえる。
 まだ幼さが残る少女だ。こんな時間にこんな場所でこんな目にあういわれは無い。追手がロリコンの変質者だったらまだましかもしれない、と一瞬思う。
「それだったらそれでモンダイよ!!!」
 ふたたび大声で叫んでしまう。
「いたぞ!!!!」 
 二度の失策を見逃してくれるほど、追手は寛容ではないようだ。
「……むぐぐ」
 いまさらのように口を手で押さえ逃げる少女。意外と俊足だ。
「あっちだ!!!」
 少女を追って路地を曲がる二人組みの男たち。ダークスーツにサングラス、ひと目で『それ』とわかる服装だ。ご丁寧に左の胸まで盛り上がらせている。
 ユラリ。
 と、男たちの前に、白い何かが現れる。
「!!」
 白い『それ』に足払いをかけられ、もんどりうつように転がる男たち。
「この!!」
 ひとりが起き上がりざまに銃を抜く。だが、次の瞬間それは何かに弾き飛ばされる。
「!?……ぐ!!」
 と同時に腹部に衝撃を感じる。ゆっくりと崩れ落ちていく男。男の向こうには中腰で左拳を突き出した人影が。
「いけない。お腹を殴ってしまった」
 その場におよそ似つかわしくない、能天気な声がした。声の主、たったいま二人の大男をのした人物、白いコートに身を包み、マフラーを何気に中村○水させたカイトがそこにいた。
「ふう」
 たったいま拳銃を弾き飛ばした武器、『傘』を刀の如く左手に収める。それなりには決まっているが、黄色い通学用な傘なのと名札に某女の文字でデカデカと『ホシノ・ルリ』と書かれているのが少々……。
「…………」
 精一杯シリアスを維持しながら、それとなく傘を確認するカイト。曲がってでもいたら、ルリにお説教をされてしまう。しかし、『雨が降るといけませんから』と言われて本当に傘を持って戦闘に赴くこの男、一体。
「よし、大丈夫」
 その後、倒れたままだったもうひとりの男を伺う。順序が逆だろ普通。
「ふむ」
 転んだ際に、頭を強く打ったようだ。気を失っている。
「……ぐ、アグッ……」
 足元でカイトに腹部を殴られた男がもがいている。こういう部分を殴られた場合、マンガのように楽に気を失うことはできない。胃のものを吐き出し、悶絶して、それでもすぐには気を失えず、しばしの地獄を味わうことになる。
「…………」
 こういう知識があっても経験が無いのがカイトだ。現に、左手に収められた傘からしてそうである。
以前、ミカズチ・カザマのプロフィールを検索したときに、ナントカ流の剣術で目録とかいう記述を見つけたことがあっても、それが今の自分にはどうしても結びつかなかった。
「(でも、こうして使っている)」
 傘を右手に持ったとき、かなり物足りなさを感じた。ミカズチが学んだ(あるいは『すり込まれた』)のは、もう少し長い『刀』をつかう剣術なのか。
「…………ご……うお……ぉ」
 まだ、男は苦しんでいる。
 本来なら、人を殴るどころか、なじることもできないカイトである。こういう光景は見るに耐えない。男に軽く衝撃を与え気を失わせてやる。
「………」
 殺してはいない。そう言い訳をしてみる。むしろ苦しみから解放されたのだと。
「(でも、あの人なら……今のあの人なら、決してためらったりしないんだろうな……)」
 少なくともカイトに対してそうであったように。
「さて……」
 感傷に浸っている時間はさほど無い。少女の走り去ったほうを見る。先程からこの一帯をぐるぐる回っているようだ。どうも道に迷っているらしい。
「やれやれ……」
 そのおかげでこうして追手を各個撃破できたわけだが、まだ人数がいる、これ以上の長居は危険だ。

 

「ハア、ハア、ハア……」
 少女は走り続ける。
「もう、とっとと助けに着なさいよ!!」
 数日前、『SOS』のメッセージを送った相手の顔を思い浮かべ、文句を吐く。空想の中のその男の顔は申し訳なさそうに、だが、ちょっと微笑んでいる。
「……ムッカー!!!  て、ちょっと!!!」
 もう一度文句を言おうとした矢先、路地の影からその顔の持ち主が現れる。一応シリアス顔をしているが、まぎれもなくカイトだ。
「ユキナちゃん!!! こっちだ!!」
 その声に導かれ、駆け寄る少女、ユキナ。
 カイトの身体が光を放つ。瞳が金色に輝きだす。
「っく!!!」
 互いの伸ばした手が触れ合い、光がユキナをも包んでいく。
「跳躍!!!」
 その瞬間、地球圏に六つのボソン反応が観測されたという。



「ハァハァハァハァ……」
 ジャンプアウト、と同時にへたり込むカイト。息が荒い。
「ちょっとぉ! ナニ休んでんのよ!!」
 ユキナの容赦ない声に、カイトは恨めしそうな目を向ける。
「ゼィゼィ……ユキナちゃんに言ってもわかんないだろうけど……」
「なによぉ〜?」
 カイトは息を整えながら、たったいま行ったボソンジャンプを説明する。
 S級ジャンパー限定能力のボソンジャンプ六連。今回のものはそれの応用である。通常なら近距離ジャンプを行うところを、地球・月・火星にそれぞれ二ヶ所ずつ、計六回の超長距離ジャンプを行ったのだ。
 その目的はもちろん敵の目の攪乱。当然、六回のジャンプのうち、確実に数回は補足される。だが、これだけジャンプ間の距離があれば、完全な同時調査はほぼ不可能だ。時間稼ぎ、そう割り切れば非常に有効な手といえる。
「加えて言うと、最後の6回目は数秒だけど過去に時間移動してるんだよ。それもC級ジャンパーのユキナちゃんの身体を守りながらね」
「なによ!! そんな危険なジャンプに私を巻き込んだの!!? あんた嫁入り前の娘のいたいけなカラダを何だと思ってんの!! なんかあったらどうしてくれんのよ!! プンスカ!」
「………ぁぅ」
どうもカイトは彼女が苦手だ。昔ナデシコにジャンプアウトしたとき以来、ユキナは何かとカイトに突っかかってくる。ちなみに公式プロフィール上は、ユキナはカイトの恋人のカタキの妹ということになる。
「うぅうう〜」
 カイトは別に恩に着せようといってるわけではない。ただ、数秒ほど地面へタレこむくらい許してくれというだけなのだが。
 だが実際、ユキナとてそれは分かっている。結局のところ、カイトという男はつい苛めたくなる性格をしているのだ。
「……とにかく、この場にも長居は無用だ。さ、行こう」
 傘を杖に立ち上がると、電柱の前に止めてあった自転車に向かうカイト。コートのポケットからレトロな鍵を取り出し開錠する。
「行くってどこよ?」
「僕たちの隠れ家」
「ここからどれぐらい?」
「う〜ん、二十キロぐらいかな」
「………………は?」
「……………二十キロ」
「なに考えてんのよそんな距離私にどうしろって言うのよだから自転車があるですってそういう問題じゃないでしょもう一度ボソンジャンプしなさいよ居場所がばれるってそんなの私の知ったことじゃないわよさあ跳びなさいいやとは言わせないわよないもうそんな体力が無いですって情けないわね元木連軍人でしょ根性見せなさいそう根性よ根性根性でジャンプできれば遺跡は要らないってなに口答えしてんのよいつからあんたはそんなに偉くなったのよ………………………………………………………………………………………………………」


 
それからのち、カイトたちの貴重な約一時間は『思い切り』不毛に費やされた。


 数時間後、森の中、シャトルのコクピットで端末を操作していたルリ。周囲をサーチしていたコンピュータがルリの前にウィンドウを展開する。
「……帰ってきたみたいですね」
 いつも通りのクールボイス、だが口調の端にわずかに安堵をにじませている。小走りに外へと駆けていく。
「お帰りなさ………」
「はぁーい、ルリちゃん。お久しぶり」
 自転車の上でポーズをとるユキナ。右手でVサインをつくる。その足元には息が上がりきったカイトがぶっ倒れている。自転車を取り上げられ、ここまで走らされたらしい。
「はい……どうも」


「そうですか、それは大変でしたね。あ、カイトさんお茶おかわり」
「そうなの、私はミナトさんが逃がしてくれたんだけど………でも、ミナトさんが……それで、ジュンちゃんにも連絡が取れなくて、私一体どうしたらって……クスン……あ、お茶、私も〜」
コクピットに置かれたちゃぶ台を囲んでお茶をすするルリとユキナ。
「は〜い」
 急須を手に現れるカイト。ほとんど使用人と化している。花柄のエプロンが異様に似合っているあたりが特に情けない。ちなみに、これでふたりの少女の誘拐犯にされるのは時間の問題だろう。
「で、ルリちゃんひとつ聞きたいんだけど」
 せんべいを頬張りながらユキナがたずねる。
「あ、はい。何でしょう」
「カイト君とはどこまでいったの」
「……!!」
 いきなり何を言い出すのかこの娘は。
「ど、どこまでもなにも、いまはそういう場合では……って、別にそういう場合だから未だキスどまりとか、しかも2年前の一回切りで後は全部未遂とかそういうんじゃなく………」
 自爆しまくるルリ。この手のからかいには未だまったく免疫がない。
「……あらら、ごちそうさま」
 憮然とするユキナ。ルリの反応がお約束過ぎ、かえってノロケられたような気分だ。
「…………よし、完璧」
 が、当のカイトはお茶を注ぐことに集中してこの喧騒が耳に入っていない。
「で〜、カイト君。ホントは、どこまでいったの?」
 何気に標的を変えてみる。
「どこまでって、そうだね、え〜と……」
「ちょっ、カイトさん!」
「一番遠くは木星かな」
「は、なにそれ?」
「え、だって『どこまで行った』って」
「…………」
「…………」
 これがジョークなら冷たい風でも効果に吹かせるところだが、困ったことにこの男、本気だ。
「……ルリちゃんも大変ね」
「…………はい」
「…………え? え?」
 ルリとユキナを交互に見て、首をかしげるカイト。無自覚もここまで来ると一種の犯罪だ。



「……ン?」
 夜半過ぎ、ルリはふと目を覚ました。
「…………?」
 扉の向こうで、足音が遠ざかっていく。
 傍らのユキナは毛布に包まって静かな寝息を立てている。だとすると、足音の主は一時間ほど前にユキナによって寝所を廊下に追放された某君ということになる。
「……ふぅ」
 世話が焼ける、ルリはつくづくそう思う。でもちょっとだけ、まんざらでもない。



「…………バッテリー出力……安定。左腕……やっぱりかなりやられてる……何とか補正できるといいけど……」
 愛機のコクピットに身を置くカイト。コンソールには機体のシルエットが映し出されている。損傷箇所が赤く光ると、白いボディの三分の一が一瞬で朱色に染まった。
「………ふぅ」
 ため息が口をつく。アキトとの戦いでのダメージが予想以上に機体を蝕んでいる。工具箱をつかむと、コクピットを降りて左腕の間接部を覗き込む。
「…………」
 もともと小器用な男であるし、ウリバタケに整備を手伝わされることも多かった。おかげで整備士の真似事ぐらいなら何とかなる。だが、今は交換パーツが圧倒的に不足している。
「…………やれやれ……」
 工具を投げ出したくなる衝動をかろうじて抑え、作業を続ける。
「………?」
 装甲の歪みをふと見つける。交換してやりたいがもちろんそんなパーツはない。
「……ごめん」
 そっと機体をなでるカイト。こうすることで愛機の痛みが少しでも和らげば、カイトはそう考える。
 次は背面部。重力波ユニットに大きな損傷がないのはせめてもの救いだ。
「…………」
 こういう時、カイトはつくづく思う。兵器とは消耗品の塊なのだと。たった一度の出撃で、使用不能になるパーツはいったいいくつあるのだろう。
 戦うことでその身をすり減らし、だが、すり減らし続けながら行えることはただ『破壊』と『殺戮』。なにひとつ生み出せるものも、なにひとつ報われるものもない。
「まるで、僕みたいじゃないか………」
 それでも、戦い続けなければならない。この身が砕け散るまで。命の時計が時を刻み終えるまで。いつか光になるその日まで。それが兵器と生まれたものの運命(さだめ)なのだ。
 再びコクピットに向かう。おもな損傷各部を把握することはできた。後は制御プログラムを調整すればもう一戦ぐらいは『騙す』ことができるかもしれない。
「………う」 
 ハッチに手をかけたところで、わずかにめまいを覚える。ここ数日の無理が体にきている。体力の回復は人三倍ほど早いが、今回は精神の疲労がそれに先立っている。ヤケクソのように身体を動かしてみても、何も変わりはしなかった。
「ふふ、機体もパイロットをボロボロ………」
 ハッチをそっと開ける。
「お茶が冷めてしまいました」
「どわっ!!!」
 コクピットからのクールボイス。ギャクマンガのようなポーズでのけぞるカイト。
「ル、ルリちゃん?」
「はい。違うように見えますか?」
 シートにちょこんと座った寝巻き姿のルリ。両手には湯呑みをのせたトレーを持っている。
「い、いつの間に」
「カイトさんが重力波ユニットを調べていた間にです。悠々と横を通り過ぎてコクピットに乗りこんだのですが……もしかして気づかなかったんですか?」
「……全然」
「…………フゥ」
 思わずため息を漏らすルリ。カイトは殺気以外の気配にはとことん鈍くできているらしい。その鈍感具合の最たる例が人からの好意なのだが、それはいまはどうでもいい。
「まあとにかく……」
「とにかく?」
「一休みしてください」
 湯呑みをトレーごと差し出すルリ。カイト用のシートに座っているからか、小柄な身体がいっそう小さく見える。
「……ど、どうも」
 湯呑みを受け取りながら、コクピットに乗り込むカイト。乗り込んでから、しまったと思う。エステバリスのコクピットは狭い。ルリとの『物理的距離』がセンチ単位にまで近づく。
「……」
「……」
 ルリもそれに気づき顔を赤らめる。かといって、今更コクピットから出るわけにもいかない。
「……ど、どうぞ、座ってください」
「あ、ど、どうも」
 とりあえず、ポジションを交代してカイトがシートに座る。意味は特にない。
 考えてみれば前回の『あれ』以来、照れからまともに顔を合せていなかった。
「い、いただきます」
「は、はい」
 手持ち無沙汰のカイトがお茶を飲む。ルリが自分で入れたお茶らしい。ぬるくて、薄くて、しかもマズイ。
「あ、後は制御プラグラムの調整だけですね?」
 お茶についてのカイトのコメントを避けるようにルリがコンソールに目をやる。
「え?」 
「エステの整備です。それで完了ですね?」
「う、うん。だけど……」
「私がやってあげます」
「え?」
「コンピュータの扱いは私のほうが遥かにうまいです」
「そ、それはそうだけど………」
「カイトさんの操縦のクセは大体わかりますし」
「いや、でも……」
「あとでチェックして、修正箇所を教えてもれらえば」
「でも、もう遅い時間だし……」
「そんなに……」
「え?」
「そんなに私は頼りになりませんか……?」
「ル、ルリちゃん……」
「カイトさんはいつもそうです。なんでもかんでも自分ひとりで抱え込んで…………」
「…………ル……」
 カイトはルリの肩に手を伸ばそうとした。ルリが泣いているように思ったのだ。
だが、ルリは笑顔で振り向く。
「私……嬉しかったんです」
「…………?」
「カイトさん、私に涙を見せてくれました。私の胸で泣いてくれました。初めて私を頼ってくれました」
「………い、いや、あれは……その………ごめん」
 赤面してしまうカイト。こんなでも一応木連産の硬派なのだ。正直あまり触れて欲しい話ではない。ちなみに最後の『ごめん』にルリの服を涙と鼻水で汚したことが含まれているかはわからない。
「あの時、なんだか、本当のカイトさんに逢えた気がしたんです」
「…………ルリちゃん………」
「だから……」
「ありがとう」
 カイトは無意識のうちにルリの言葉を遮った。
「え?」
「じゃあ、その言葉に甘えさせてもらうよ」
「カイトさん……」
「僕の愛機の整備、よろしくね」
「はい」
 上気した顔を隠すため、またコンソールに向き直るルリ。
「…………」
 しばらく端末に向かい、無言で整備に没頭する。
 一瞬、何かが心を過った。もし、もしも……。
「………カイトさん」
「…………」
「……もうどうにもならないんでしょうか?」
「…………」
「アキトさんとも、ユリカさんとも………」
「…………」
「私たちずっと家族なんだって、たとえ離れていても心はいつも通じてるんだって思ってました」
「…………」
「でもいつの間にか、溝ができていたんでしょうか? 大きな、とても大きな溝が」
「…………」
「………正直言って、私にはどうしていいのかわかりません」
「…………」
「カイトさん、あなたはどうしますか? 戦うんですか? あの二人と」
「…………」
「カイトさん?」
 そっと振り向くルリ。
「…………」
 カイトは静かな寝息を立てている。
「…………クス」
 苦笑するルリ。不思議と腹は立たなかった。
「カゼ、ひいちゃいますよ」
 そっと自分の上着をかけてやる。
「ごめんなさい。私、またあなたに甘えようとしてましたね」
 再び作業に戻る。
「やっぱり……私にはできませんね」
 先程まで入力していた、でたらめな数値を正確なものに書き換えていく。
『もし機体の修理が終わらなければ……』先程そう考えていた自分を密かに恥じていた。ふと視界がゆがむのを感じる。
「………雨?」
 コクピット内に降る雨などあるわけがない。
「……なんだ、泣いてるんですね………私」

 最近よく泣くようになった。
「弱くなったのかな、私。フフフ……誰のせいでしょうね」
 それは多分、真後ろで狸寝入りをしている男のせい。
「…………」
 カイトは薄目を開けて、ルリを見ていた。ルリの肩は小刻みに揺れている。
「…………」
 ルリの言葉を最後まで聞くことも、ルリの問い掛けに応えることも、そしていまルリの肩を抱きしめることもできない。
「(僕はこの娘のことが大好きなのに………そして多分この娘も僕を……でも………)」
 再び、そっと目を閉じる。

──ああ、僕には……その資格がない………。


 
 翌朝、やわらかい朝の光が木漏れ日となって辺りに降り注ぐ。
 カイトを覗き込むルリ。
「カイトさん起きてください」
「…………」
「起きて下さい、朝です」
「…………」
「………カイトさん」
「…………」
「お〜いカイト君、朝だよ〜(ユリカの真似)」
 ガバッ!!
「………あれ?」
「………いい体質(どきょう)してますね」(ピクピク)
「ル、ルリちゃん? え、えーとその………」
「……………」(ゴゴゴゴゴゴ)
「………暴力反対」
 一瞬後、朝の静寂をカイトの悲鳴が破っていく。

「……朝から激しいわねえ」
 寝起き姿のユキナのコメント。
「……………ハァ」
 羨ましい。なんであのふたりはいつも一緒なんだろう。なんで私はひとりなんだろう。
「あのふたり、きっと死ぬときも一緒なんだろうな……」
 ユキナのような少女でも、今の状況はよくわかっている。この平穏は嵐の前の、束の間でしかない静けさなのだ。
「…………………」
 そのいずれ来る嵐の日に、自分の傍らにいてくれるはずの人たち、ミナトやジュンを思う。
「…………ふー、やれやれ、どっこいしょ」
 目元の涙を振り払いつつ、ちゃぶ台の前に腰を下ろし、そのままTVのスイッチを入れる。
「あ〜あ〜、みんななにしてるかな〜? って、おお!!」
「大変よ!! 大変〜ん!!」
 コクピットから降りてくるルリとカイト。ユキナが駆け寄ってくる。
「あ、ユキナさん」
 ちょっと顔を赤らめるルリ。なんとなく、朝帰りの現場を押さえられたような気分だ。やましくはないが気まずくはある。
「おはよう、ユキナちゃん」
 ルリにつねられた左頬を押さえているカイト。最近、頬が白む暇がない。
「もう、痴話喧嘩なんかしてる場合じゃないわよ。早くこっちに来て!!」
 台詞の前半部分がちょっと気にかかるルリだったが、ユキナの剣幕にそのまま引っ張られていく。

「……………これは」
 展開されたTVウィンドウ。その中にはとんでもない情報が映し出されていた。
『ナデシコCおよびそのクルー。1月1日早朝、革命政権によって公開処刑決定』

つづく

次回予告

カイト「僕は戦うために生まれた。僕は戦い続けることで生かされてきた。でもナデシコに乗れて、みんなに出会えて、少しだけ変われるような気がした。もしかしたら、『ヒト』になれるんじゃないかって思えた。でもそれは、甘く……そしてとても儚い……夢だったんだね……。次回、機動戦艦ナデシコ『The knight of chrome』 第六話 ロング・キス・『グッドバイ』 ───ありがとう……みんなに逢えて、幸せでした……」


あとがき(コタツでキーボード打ってると手が寒い)


とりあえず、次回にて前半部終了(予定)。インターミッションみたいな回をはさんで、後半『激闘編』(仮名)に突入(予定)です。が、なにぶん異界のすることですので、長い目と広い心で受け止めていただけると嬉しいです。あーと、予告どおり、前半部の主役であるカイト君は次回で降板です(決定)。それでは。


「それでも」思いつきの用語解説(キャラ編)

イツキ・カザマ

いろいろ後付で設定考えてたら、ほとんど別人になってしまった人その1。以下、異界の脳内(能無い?)設定。

年齢:不明(戸籍上は享年18歳)
身長:知らない
体重:誰か教えて

備考

多分、劇中最強のボソンジャンパー。一連の物語の影のヒロイン。今後も何らかの形でストーリーに絡んでくる(予定)。
ちなみに本名は跳躍戦士試作一号。イツキ・カザマは最後の潜入任務の際の偽名。本物のイツキは火星の戦闘で戦死しており、彼女と入れ替わることで地球の戸籍を手に入れている。
試作二号は彼女の量産型という面も持っており、真にS級ジャンパーと呼べるのは彼女だけである(ただしジャンパー未認定)。
カイトとミカズチの正確な関係を知り、なおかつ両者を共に愛することのできるただ一人の人物。


今だから、ああ今だから(最終回)
 というわけで、ナヴァ掲載分がようやく終了。ほぼそのままの『眠む眠む』に対して、チョコチョコと内容をいじってる『ナイクロ』ですが、それにしても投稿ペースが遅いのは某インパクトな大戦ゲームにハマっていたからというのは内緒です。
 次回からは完全に初出なお話しになるわけで、書いた当時を振り返るという趣旨に合わないだろうなということで、今回にてこのコーナーは最終回とさせていただきたいと思います。
 あ、お話のほうはまだまだ続きますので、ご安心(?)ください。掲示板にて予告してました新メカのうち、“ネメシス”は次回登場します。
 ではまた。
 ときに上に書いてあるイツキのプロフィール。公式的にイツキが死んだのはサセボ(でしたっけ?)の戦闘だから、享年はもっと若いですね。『今だから言いますが』。はい。











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