機動戦艦ナデシコ 異伝 風の行方









西暦二二〇一年 八月十五日。
死にたくなるほどの、晴れ。


私は今日を忘れない。
ワタシは今日を忘れる事はできない。

私がワタシである為に。
ワタシが私である為に。

私はワタシを許さない。
ワタシは私を許さない。

あの人を裏切った私を許さない。
あの人を傷付けたワタシを許さない。


絶対に、許さない。



(連合宇宙軍少佐ホシノ・ルリの日記より抜粋)






第七話「Dance On The Grave」「T」



西暦二二〇一年 八月十五日。

『火星の後継者』事件にて世界は緊迫を強いられていたその日は、驚くほど穏やかに幕を開ける。


───しかし、世界は知らない。


その日は後の世に、『悪夢の生まれた日』と称される長い永い一日である事を……。



午前───連合宇宙軍士官官舎。

「……本当に一人で行くっていうの? ルリルリ」

ハルカ・ミナトにとってのその日は、予想外の驚きと心配から始まった。

「そうですよ、艦長。こんな情勢の中で護衛も連れずに一人で出歩くなんて無茶っすよ!」

タカスギ・サブロウタにとっても、それは同じだった。

「ええ、自分がどれだけ身勝手な事を言っているのか自分でもわかっています。今の状況がどれだけ危険かも理解しているつもりです」

ホシノ・ルリにとってその日は、何かに突き動かされるような感覚で始まっていた。

「それじゃせめて俺も同行させてください。死んだって艦長は守ってみせます!」

日頃の軽い雰囲気など微塵も出さず、サブロウタはルリに詰め寄る。
自然と声を荒げるのも自分への心配からであると知っているルリはほんの少し表情を和らげた。

「ごめんなさい、サブロウタさん。でも私一人で行かないといけない気がするんです。ですから、サブロウタさんはミナトさんとラピスの側にいてあげてください」

「しかし、艦長の身に何かあったら俺はっ!!」

サブロウタはまるで納得せずさらに声を荒げた。
しかし、それは当然と言えた。
ルリの提案は彼女の身を案ずるならば、それを受け入れる事など到底できぬものであったのだから。

「……ねぇ、ルリルリ」

そんなサブロウタを制するようにミナトはルリに問い掛けた。

「あたしはルリルリが何の理由も無しにそんな事をする子だとは思っていないし、一度言い出したらてこでも動かない頑固者だって事も知ってる。だから無理には止めない。だけどね……せめて理由だけでも教えて欲しいの。そうじゃないととてもじゃないけどあたしもタカスギ君も納得できないし、ルリルリを一人で行かせる事なんてできない」

サブロウタとは違い、ミナトの口調は静かな湖畔のように穏やかだった。
その実、その内には強い意思が込められているのはひしひしと感じ取る事ができた。


「───ッ」


少しの、沈黙。
ミナトは真っ直ぐにルリを見つめている。
旧ナデシコ時代から、この人に自分が隠し事ができた事がためしが無いのはこの瞳のせいだとルリは思っていた。
穏やかで、優しくて、そんな瞳で見つめられるのが苦手であり、嬉しかった。
この瞳の前では、自分を偽りたくなかった。


───たとえ、どれほど自分が穢れていようとも。


「……ごめんなさい、ミナトさん。私にも、本当の理由なんてわからないんです。ただ独りになりたいだけなのかもしれません。本当は理由なんて無いのかもしれません。……それでも、私の中の何かが行かなければならないと私に告げるのです。だから、私は、行かなければならないと思うんです」

ルリも真っ直ぐにミナトを見つめた。
揺るぎの無い、深い深い深淵の光を持った瞳で。
その瞳を、ミナトは複雑な思いで見つめていた。

「……(あの時と、同じ瞳)」

ミナトが思い出したのは、今から約一年半前。
木星より帰還し、人を拒絶しただ虚空を見つめていたルリが突然失踪する直前に見たルリの瞳。
その事件をきっかけにルリは立ち直る事になったのだが、今でもあの事件はミナトの心の中に大きな波を作り出していた。
今と同じ揺るぎの無い、深い深い深淵の光りを持った瞳で、ルリはひたすら呟いていた。


───「あの人が、呼んでいる」と。


ミナトは恐かった。
あの時、帰ってきたルリは見違える様に生気に満ちていた。
あの時何があったのか自分は知らない。
けれども、そこに『彼』の存在があった事は疑いの無い事だとミナトは思っていた。
あのいつも笑顔を浮かべて人の心配ばかりしていたあの子。
あの時は再び生きる意思を取り戻す事ができた。
しかし、今度も同じ結果になるとは限らない。

あの子は、ミスマル・カイトは光だとミナトは思っていた。
周りを優しく照らす、陽光のような青年。
しかし、その光は周りの皆を優しく照らすだけではなかった。
彼にその気が無くとも、その光は周りの皆を照らしてしまう。
その光は、優しくて、眩し過ぎて、己の昏い場所まで照らし出してしまう。
自分の見たくない、昏く醜い痕まで見えてしまう。


───今のルリルリに、自分の痕を直視する事ができるだろうか?

───深い深い闇に抱かれた、電子の女神をあの子は受け入れてくれるのだろうか?


ミナトには、その答えを出す事はできなかった。
いや、他の誰であろうとその答えを導く事などできないことであった。
あの二人以外には……。


「……。わかった。もう止めない。あたしじゃあもう止められない」

長い沈黙の後、ミナトは悲しげにそう答えた。

「何言ってんすかハルカさんっ!?」

「……けどね、一つだけ約束して」

ルリが一人で行く事を了承したミナトに激しく激するサブロウタ。
しかし、ミナトはそんなサブロウタにかまわずルリに言い放つ。

「面倒なことはちゃっちゃと終わらせて、今日の埋め合わせに絶対にショッピングに付き合いなさい。お姉さんがファッションの何たるかを伝授してルリルリを大人の美女にしてあげるから♪」

それまでとは正反対の軽い口調でルリに言い放つミナト。
ウインクまでかましている。

「……はい。その時は、よろしくお願いします」

数瞬の沈黙の後、そんなミナトに、ルリは淡く微笑みながら答えた。

ルリにとって、それは本当に久しぶりの、心からの笑みだった。






午前───トウキョウシティ郊外───墓地


八月十五日は暑かった。
その熱い夏の日差しの下、ルリは一人街を歩いていた。
目的は、一昨年事故により他界したイネス・フレサンジュの墓参り。
去年のそれと同じようにミナトと二人で墓参りをするのが当初の予定だったのだが、火星の後継者の蜂起などにより火星宙域は緊張を張り詰めている。
今日の午後にもルリやサブロウタなどのナデシコB組とミナトやリョ―コ、イズミ等の旧ナデシコ組を一挙に集め月面ネルガル支社にて建造が完了したナデシコCを受け取る為偽装シャトルにて出発する予定である。

そんな日の午前に、ルリは一人イネスの墓のある墓地に向けて一人で歩いていた。
無論、ルリも自分の価値を認識していない訳ではない。
統合軍に規模や任務、人材など全ての面で冷遇されている連合宇宙軍が世間への人気取りの為に打ちたてた宣伝看板。
「史上最年少美少女艦長」「電子の女神」などともてはやされていても、結局の所現実はそんなものだ。
しかし、旧木連の軍人にとってルリはただの宣伝看板以上の存在であった。
前大戦の折、散々に打ち負かされた怨んでも怨み切れないであろう戦艦「ナデシコ」。
その名を受け継いだナデシコB。
そして、その艦長であるルリ。
もし自分が敵方の司令官草壁春樹であったのなら、間違い無く自分を謀殺しようとするだろうとルリは思っていた。
前大戦における、白鳥九十九のように。
火星宙域の緊張度が増している現在の情勢において、のこのこと一人で墓参りに出かけるなど私を襲って下さいと宣伝しているようなものだ。

それがわかっていたからルリを引きとめようとしたミナトとサブロウタ。
それがわかっていたから一人で行くことを強行したルリ。
そのどちらが愚かと言えるのか、明白な事だ。

しかし、ルリの狙いは襲撃される事にあった。
おそらくネルガル関連のSSが見えない所にひしめき合っているだろうが、それは自分が何を言っても自分から外れないだろうし、自分から外す技術もルリには無い。
ならば、目に見える護衛を無くし少しでも襲撃を受けやすい状況を創り出す。
その為にはミナトとサブロウタは邪魔だった。
その為の布石が午前中のミナトとサブロウタとの交渉であり、その結果が今自分一人で歩いているという現実である。

そして、ルリには一つの奇妙な確信があった。
何の根拠も無い、ただの勘と知ってしまっても過言ではないものである。
しかし、ルリは確信していた。

───自分を殺しに来るのは、『彼女』だと。

そう考えれば、今自分が登っている墓地への階段がまるで自らの死へと向かう十三階段にさえ思えてくる。
一段、また一段と歩くたびに自分の寿命が削られる奇妙な感覚を飲み込みながら、ルリは階段を登り続ける。
カツン、カツンとヒールが石を踏みしめる音が蝉時雨の中やけに響く。


そして、ルリは階段を登るにつれて有る事に気付く。


「…………これは……」


集合墓地の方角から風に乗り確かに、感じられる独特の薫り。


───血の、匂い。


それが血の匂いだと理解した瞬間、ルリは全力で走り出していた。


この先で、誰かが闘っている。


誰かが、殺しあっている。


『彼女』と───『誰か』が。


そう考えた瞬間、それまでルリの中で燻っていた様々な想いは瞬時に消え果てた。
それと同時に、彼女にとって、



───『誰か』は『誰か』では無くなっていた。




一秒を数時間にも感じ、駆け出す己の脚が牛よりも遅い錯覚すら感じていた。


迅く。


───迅く。


──────迅く。


一瞬でも迅く。
一瞬でも永く。


─────────『あの人』に、会いたかった。
─────────『あの人』を、感じたかった。


そんな、何処までも純粋な想いが、今のルリの全てだった。


しかし、そのルリの想いは遂げられる事は無かった。





───「Dance On The Grave」「U」へ。









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