第三部 『Under The Rose』




― 1 ―     


花びらが舞っている。
淡くピンク色に染まったナデシコの花びらが。
水色に澄んだ空に融けこんで、次から次へと降り注いでくる。


――ここは何処だろう?――


とてもよく知っている場所のような気がするのに思い出せない。
視界を埋め尽くす花びらが私の頭の中まで覆い隠してしまう。


カラーン、カラーン、カラーン。


どこかで聞いた覚えのある鐘の音。
何の合図だったっけ?


ルリちゃん。


私を呼ぶ優しい声が空気を震わす。
振り返った先に一番会いたかった人が待っていた。


こっちだよ。早く早く。


その後ろには教会の入り口の前で並ぶ人たちの姿が見えた。
そうだ。今日はアキトさんとユリカさんの結婚式の日だった。
急がないと。もうすぐあの二人が出てくる。

手招きするあの人の左横にたどり着いた途端、音楽が鳴り響いて扉が開いた。
視界いっぱいに広がるウェディングドレス。
最愛の人に手を引かれて階段を降りてくる彼女は今までで一番輝いていた。


綺麗だね…。


隣で眩しそうにそう微笑む横顔に胸がしめつけられる。
泣き出したい気持ちを堪えながら、私はその人の左手をギュッと握った。


――あぁ…これは夢だ――


空から落ちてくるブーケを受け止めながらふいにそう思った。
胸の痛みがこの後の悲しみを揺さぶり起こす。


――いつもの夢――


カラーン、カラーン、カラーン。


どこかで聞いた覚えのある鐘の音。
そう。これは…弔いの鐘。

手にしたブーケはいつの間にか白菊に変わって。
黒と白に染まった世界で、幸せに笑っていた2人の遺影が並んでいる。
遺影の1つに重なるように現れた黒い王子さま。
冷たく向けられた背中を見つめる。


トクン。


去っていく黒い姿が白い制服に変わる。
声にならない呟きがもれた。


――待って…――


震える足が一歩踏み出す。
ゆっくり進み出した足は止まることを忘れ、いつの間にか必死で追いかけていた。


――待ってください――


白い背中は振り返ることもなくどんどん遠ざかっていく。
その向かう先に黒髪の女性が現れる。


ユリカさん!


心臓が握り潰されたような痛みが走る。


――お願い、待ってっ――


あの人の手が彼女に触れる。
寄り添うように遠ざかる2つの影。
やめて…やめてっ!見せないでっ!


――カイトさんっ!――






― 2 ―     


「戦闘区域内敵反応なし!全滅です!」


ハーリーくんの報告を合図に窮屈なヘッドセットを外して、私は軽く息を吐いた。
目を開くと淡いライトグリーンの光の下で、見慣れた『ミッションクリア』『100点満点』『おめでとうルリルリ』の
ウィンドウが乱舞している。


「やったぁ!この連携パターンは使えますよっ!」
「うん、そうだね!でももう少し改良しないと。こちらの動きを察知された場合に…」

すぐ横ではカイトさんとハーリーくんが同じようにヘッドセットを外して頷きあっていた。
こんな姿もずいぶん見慣れてきたものだ。

ミーティングルームを改造してできた戦艦シミュレーション用バーチャルシステム。
整備班に改造して作ってもらったこのシステムには、戦闘中に収集した敵戦力と自戦力の分析情報を反映してある。
例の決起表明からこっち、ナデシコの周りでは戦闘が絶えることがない。

エステバリス隊を率いて出撃してしまうカイトさんの指揮に、
ブリッジから常に息を合わせるためにはそれなりの下準備が必要だ。
分析結果の報告を兼ねて意識合わせをしたい…と始めたこのミーティングは、
いつの間にか私達の日課になっていた。


―我々はここに再び宣戦を布告する!―

火星の後継者のナンバー3・南雲義正がそう決起表明してから既に2週間以上過ぎている。
一体どこに隠れていたのか彼らの戦力はこちらの想定以上であった。
木星プラントを占拠して日々戦力を拡大しつつある彼らに、
傍観を決め込んでいた統合軍もとうとう重い腰を上げざるを得なくなったけれど、
その煽りをくらって極秘任務に就いていたナデシコはサッサと掃討作戦から放逐されてしまった。

統合軍のお偉いさんのナデシコ嫌いは相変わらずみたい。
もっとも、あちらの顔色を伺って手を引くような人間は、ナデシコクルーにも宇宙軍司令部にもいないのだけれど。
『イネス・フレサンジュ博士の捜索』という名目で木星へ向かうことをあっさり決めたカイトさんも良い度胸だと思う。


「ルリちゃんもお疲れさま」


ハーリーくんとの話を終えて笑いかけてきたカイトさんに、軽く頷き返しながら私は立ち上がった。

さすがに少し疲れた。
どうも身体がだるい。

ここ数日、夢見が悪くてよく眠れていないせいだろう。
目の前にいる2人の方が疲れているはずなのに…。
こんな時には自分の体力のなさを痛感する。


「顔色が良くないな。大丈夫?」


カイトさんの大きな手のひらがいきなり私の前髪をかき上げた。
覗き込んでくる瞳にドキリとする。


「熱は無いみたいだけど…今日はもう休んだ方が良いよ」
「そうですよ!後は僕がやっておきますから!」


心配そうな顔でこちらを見つめる2人の勧めに素直に従うことにした。


「…そうですね。今日はもう休みます。ハーリーくん、後お願い」
「はいっ!お任せください!」


ミーティングルームから退出する時、背後から2人の会話が聞こえてきた。


「じゃあ、僕はトレーニングルームと格納庫に寄って今日はそのまま休ませてもらうよ。
 ハーリーくんもほどほどに。無理だけはしないようにね」
「了解です、艦長」
「うん。じゃあ、後よろしく」


すっかり艦長らしくなったと思う。
再会した時には昔と変わらぬボケっぷりに皆呆れていたというのに、
今ではその指揮にその指示に全クルーの信頼が集まっている。
私自身がその安心感に戸惑っているくらいなのだから。

艦長実習の初日にいきなり大事件に遭遇したカイトさんは、結局そのまま艦長を続けていた。
『ほら、実戦も一緒にやっちゃえば一石二鳥だし♪』と笑えるあたり大物なんだか大雑把なんだか…。

けれど、ナデシコBの艦長として、数限りなく送り込まれてくる敵さん達相手に
今日までやってこれた手腕は決してマグレではない。
あの笑顔の裏で、彼が人並み外れた努力を積み重ねていることを私は知っていた。




◇◇◇




コンコンコン。

お風呂上がりの浴衣姿のまま、いつもと同じ時間に同じ部屋のドアを叩く。
しばし待つが中からの返事はない。特に気にすることなくドアを開けた。

 …やっぱり。

部屋の主はコーラ片手に壁際のモニタの前で、一心不乱に作業を続けていた。
白いTシャツに黒いジャージのズボン。
風呂上りなんだろう、バスタオルを首にかけて座っている。
静かに椅子の背後に回るが全くこちらに気づく様子もない。


「カイトさん」
「うぉ!?」


手にしたコーラの缶を取り落としそうになりながらも、カイトさんは慌ててこちらを振り向いた。


「ル、ルリちゃん!? 休んだんじゃなかったの?」
「仮眠を取っただけです。お風呂にも入りたかったし」
「ちゃんと休まなきゃ駄目だよ。疲れ…溜まってるんだろ?」


心配そうに瞳を曇らす彼に内心感謝しつつも、眉をひそめて軽く怒ってみせた。


「私の事を心配してくれるのなら、カイトさんもそろそろ休みませんか?」
「あ…ははは…もうそんな時間?」
「はい」
「もうちょっとだけ…」
「ダメです」


子犬のようなすがる目で見上げる姿は、とてもブリッジでの彼と同一人物とは思えない。
ジトっと睨み返すと、すごすごと片づけ始めた。

まったく。
昔から作業に没頭すると周りが見えなくなるんだから。

放っておくと朝までこの状態のままだったりするから困ってしまう。
自然と適当な時間に顔を出して寝かしつける習慣ができてしまった。


「ほら、また髪濡らしたままで。風邪引きますよ」


彼の肩にかかっていたバスタオルを手に取り、ガシガシと頭を拭く。
他人の体調には敏感なくせに自分のことにはまるで頓着しやしない。
今一番倒れちゃ困るのは自分自身だという自覚があるんだろうか?


「ん〜。ありがと」


カイトさんは気持ち良さそうにされるがままになっている。
こういう瞬間は、昔に戻ったみたいで少し嬉しくなる。
困った癖だとと思いつつも、強く直せと言えないのはそのせいかもしれない。


「…ちょうど良かった。ルリちゃんに報告があるんだ」


ふいに真面目な声が響く。その内容に私は心当たりがあった。


<続く>



















―あとがき―

途中までの掲載ですみません。
サンプルなのでどうかご容赦くださいませm(_ _)m

この完結編はずいぶん書くのに苦労した覚えがあります(汗)
結末とユリカ登場だけ決まってて、そこに至るまでの道のりが紆余曲折しまして。
何度も書き直して何とかまとまったという感じでした。
じつはこの話、裏設定ではちゃんとカイト×ルリなんですが、
ルリ視点だとそこらへんが書ききれなかったかな…と。
一応、ルリ的にHAPPY ENDな話には持っていったつもりなんですが。
いずれカイト編で裏事情を全部明かします。ごめんなさい。

ここで掲載してる部分は、本にして約5ページの分量です。
で、表紙・目次etc.を抜いて、本文全体が29ページくらいですね。
微妙に暗い話なので…まぁ…これ以上は書けなかったです( ̄− ̄;)
シリアスが苦手な人はどうかお気をつけて。

少しでも楽しんでいただけたら幸いです。
それではまた時をあらためて・・・。



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