第一部 『秘する恋』




― 1 ― 



「補給作業完了率50%」
「各部署、乗務員全員搭乗しました」
「相転移エンジン始動。エネルギーチャージに入ります」



月。
連合宇宙軍月基地・地下ドック。そこではナデシコCの発進準備が着々と進んでいた。


これからユリカさんを取り戻しに行く。


目指す先は火星極冠遺跡。
『火星の後継者』が占拠する場所。
全てが始まった場所。そして終わる場所。


私は深く深く息を吸い込み、そしてゆっくりと吐き出した。
瞼を開けると、様々なウィンドウが色とりどりの光を放ち、私の周囲を取り囲んでいた。

ざわめく艦橋。
次々に報告される艦内状況。
少しずつ、しかし確実に進む発進準備に、私は作戦決行の時が近付いているのをひしひしと感じていた。

無茶な作戦だとは思う。
ボソンジャンプで乗り込んで、ナデシコ一隻で火星圏全てを掌握しよう…なんて。
クーデターなんか起こした連中の作戦とそう大差ない。
こんな作戦を考えるのは、それこそ彼女くらいだと思ってたのに。


「だ〜いじょうぶ♪ユリカにおまかせっ♪」

ふいに浮かぶ彼女の姿。
いつも突拍子も無い作戦ばかり思いつくのに、ナデシコAの艦橋でいつも自信満々に笑っていた彼女。

同じ立場になって初めてわかった。
彼女が笑っていたから、私達は安心して戦えていたのだと。

あんな風にできたら良いと思う。
どんな時も絶対に大丈夫だと信じることができたなら…。


「補給作業の完了率60%」
「艦長!整備班から連絡です。ジャンプフィールド発生機の調整が遅れていると」
「間に合わせてください」
「…だ、そうです」
《おぃ、ルリルリ…たくっ!わかったよ!まかせとけっ!》


ハーリーくんとウリバタケさんの会話に思わず口元がゆるむ。
無茶な要求なのに、この人たちが『まかせとけ』と言えば確実にやり遂げてくれると安心している。
自分がそう思えることが嬉しく、そして懐かしかった。

『私達だけでは勝てない』

戦力的な話だけじゃない。
無茶な作戦を当たり前と思える環境。
多分それが欲しかったのだ。

『同窓会』…か。
自分には縁のない言葉だと思っていたけれど、それは本当にこんな感じなのかもしれない。


(アキトは私の王子様♪)
(ユリカ!たくっ、お前なぁ…)


だからこそ、今、この場に居ない2人を取り戻したい。
ナデシコを…あの場所を形作ったあの2人を。


(君の知ってるテンカワアキトは死んだ)


そう言って背を向けた黒い王子様。
彼女ならそれでも信じ続けるのだろうか。


(アキトはユリカが好き♪)


いや、信じ続けるのだろう。
大切な人と愛し愛されることを信じて疑わない――そんな彼女が心底羨ましいと思う。

自分の顔に自嘲の笑みが浮かぶのがわかる。
取り留めのない思考に逃げている、
本当に羨ましいと思っているのは別の事だろうに――そう冷静に告げる自分がいた。


ブリッジ内の他の誰にも見えないように手元に小さくウィンドウを開く。
ロックをかけた一方通行の通信ウィンドウ。
エステバリスの最終調整中なのだろう。パイロットスーツに身を包み、
真剣な顔で整備士と打ち合わせている――そのよく見慣れた横顔が映し出されていた。


カイトさん…。
貴方はこの先どうするつもりなんですか?


淡く光るウィンドウボールの真ん中で、座席の背もたれに身体をあずけて、
私は懐かしい記憶の闇に沈んでいった。






― 2 ―    


「ルリルリは、特殊な恋愛ばっかり見ちゃったわね」
「そうなんですか?」


立ちのぼるダージリンの香りの向こう側でミナトさんがクスリと笑う。

だいぶ暖かさを感じる3月も半ばの晴れた午後。
久しぶりにサセボに遊びに来たミナトさんとユキナさんとのんびりお茶をしてた時だった。

拘留されていたサセボの長屋を出て、
ミナトさんの実家があるオオイソに2人が移り住んだのは、もう半年も前のことだ。
ミナトさんはこ4月からオオイソ高校の臨時教員が決まったらしい。
ユキナさんが通う学校。2人は春からの新しい生活への期待でイキイキと輝いているようだった。


「そういえば、アキトくんとユリカさんの結婚も決まったのよね?」


そんな話から始まったと思う。

今後のこと、昔のこと、現在(いま)のこと。
もう家族同然のカイトさん、アキトさん、ユリカさんのこと。
同居生活の何気ないエピソードから、いつのにか恋愛相談のような話になっていた。
最近どうも気になる相手がいるらしいユキナさんをひとしきりからかうと、
『そういうルリはどうなのよ』とふて腐れたように反撃された。

その言葉に一瞬言いよどむ。


「…恋愛ってよくわかりません。
 自分にユリカさん達みたいなことができるとも思えませんし」
「ルリルリは、特殊な恋愛ばっかり見ちゃったわね」
「そうなんですか?」


紅茶を傾けながら微笑むミナトさんは本当に綺麗だと思う。


「ふふふ…あのね、ルリルリ。
 別に全部が全部ナデシコみたいな恋愛じゃないのよ」
「はぁ」
「それこそ千差万別。100人いたら100人とも誰とも違う恋愛をしてるのよ。
 ユリカさん達みたいに直球ストレートでぶつけるような恋もあれば、
 誰にも言えずに秘かに想い続ける…な〜んて人もいるわけ」
「アオイさんみたいのですか?」
「違う違う。アレは本人伝える気で失敗してただけだもの。
 そういうんじゃなくて…相手の気持ちを考えるほど言えなくなっていくみたいな…」


ミナトさんの言っていることは何となくわかるような気はする。
気はするんだけど…どうも自分の身近な事として実感が伴わない。


「やっぱり、よくわかりません」
「う〜ん。ルリルリにはまだちょっと早かったかな?
 言いたかったのはね、ルリルリは自分自身の恋愛をすれば良いの。
 恋愛したいと思ってできるものじゃないし、気がついたら始まってるものだもの。
 だからそんなに身構える必要はないのよ」
「はい…」

「それにね、多分ルリルリの近くにも居るわよ、想いを秘めてる人。女の勘…だけど」
「?」
「まぁ、勉強だと思って気をつけて見てみたら?」
「はぁ?考えておきます」
「ふふふ…ルリルリもユキナも…女の子だもんね」


嬉しそうに呟くミナトさんの姿に、何となくこれが大人の女性なんだなと私は思った。




◇◇◇




そんな会話をしてから数日後のことだった。


「カイトくん!ユリカ一生のお願いっ!」
「…また…『アレ』ですか?」


目の前で手を合わせて拝み倒すユリカさんのお願いに、カイトさんの顔がひきつっている。
それもそのはず。ここしばらくの『ユリカ一生のお願い』は1つのことに限られていた。


『アキトに美味しいって言わせたいの!!』


彼女がそう宣言してから早3週間。
カイトさんを教師にした特訓の成果は…あがったような…あがってないような…微妙な状態だったりする。
調理中に空想に耽って鍋を焦がすことがなくなったのは十分成果よね。たぶん。
カイトさんの必死の説得の甲斐あってか、さすがに最近は無茶で高度な料理を作りたいと
駄々を捏ねなくなったのも成長の証と言えるかもしれない。


「この間のはかなりよくなってたもん!今度こそ大丈夫!」
「…仕方ないですね。じゃあ、今回もこの間と同じ『肉ジャガ』ですか?」
「うん!ユリカお手製の肉ジャガを食べて、
 アキトが『ユリカ、美味しいよ。和食はユリカには敵わないな、俺のために毎日でも作ってくれないか』
 …なぁんて言って、アキトがギュ〜ッとユリカを抱きしめて…それで…それで…」


スチャ。
スパコーーーーーンッ!!

…合掌。


小気味よい音を立てて、赤いスリッパがユリカさんの後頭部を的確にとらえた。
アッチの世界に羽ばたいてる彼女を連れ戻すにはこの手に限る。
ため息をつきながら獲物を懐にしまうカイトさんもずいぶん手慣れたものだ。
スリッパは乙女の必須アイテムなのに…。


「はいはい。ちゃっちゃと準備する!
 アキトさん帰って来ちゃいますよ!」
「はぁ〜い」


怒りのポーズで台所を指さすカイトさんは、
後頭部をなでながら涙目で返事するユリカさんの姿に相好を崩して一緒に台所に向かった。

カイトさんも本当に付き合いが良いと思う。今回で確かもう10回目だ。
回数を重ねる毎に、彼女の料理は確かにまともなモノに近づいている。
その間、あの台所の中でどんな激戦が繰り広げられていたか想像するだに怖ろしいが、
彼の努力は並ではないだろう。


スパコーーーーーンッ!!


「そこっ!火の前で妄想に耽るなっ!!」


…本当に付き合い良いよね。


3人で囲んだちゃぶ台の上では、山盛りの肉ジャガがホカホカと湯気を上げている。

香り良し。色良し。見た目も普通。
特にブクブクと泡を吹く気配も、
得体の知れない生物に姿を変えそうな様子も無い。

カイトさんはゆっくりと箸を手に取り、てっぺんのお芋を口に運んだ。


ゴクリ。

誰かの喉が鳴る音が響いた。
緊張の一瞬。


ハグ。ハグ。


「固さ良し」


ハグ。ハグ。


「味の染みこみ具合良し」


ゆっくり噛み締めるように食べるその様子を固唾を飲んで見守るユリカさん。


「少し甘みが強い気がするけど……十分許容範囲内」

「「!」」

「これなら大丈夫!よし!合格っ!!」
「やったぁぁぁぁぁ!!」


飛び上がって喜ぶユリカさん。
私も箸を取り、おそるおそる口へ運ぶ。


…美味しい。


信じがたいことであったが、確かに少し甘目だけど本当に美味しかった。
驚いて顔を上げると、もの凄く嬉しそうに笑うカイトさんと目が合った。


「ちょっと早いけど夕飯の準備をしようか。アキトさんに食べてもらわなきゃね」
「「はいっ」」


それほど待たずにアキトさんが帰ってきた。
いつもは明日の分の仕込みをしてから作る夕食が既に用意されていた事に驚いていたが、
カイトさんの『ちょっと早いけど、肉ジャガが美味しくできたんで食べてもらいたかったんですよ』
の言葉であっさり納得してくれる。

始まった夕食の席は緊張感で満ちていた。
その空気に気づくこともなく、アキトさんの箸が肉ジャガへ伸びる。
皆手を止めて、その動きを見守っていた。

お芋がゆっくりとアキトさんの口の中へ。


「うん。この肉ジャガ旨いな。いつもと味付け違うけどカイトが作ったのか?」


ハァーーーーー。


3人そろって大きく息を吐いた。思わず息を止めてしまっていたようだ。


「いえ、僕じゃないんです。誰が…作ったと思います?」
「え?カイトじゃないとしたら…」


いたずらっ子のように問うカイトさんの質問に、
アキトさんの視線が周りを彷徨い、そして私の顔で止まった。
慌てて首を横にふる。


「え…じゃあ、まさか…ユ、ユリカが作ったのか!?」
「当ったり〜♪アキトのためにユリカが作ったの♪」
「う、嘘だろっ!?」


驚愕というのが相応しいほどの顔でアキトさんが叫ぶ。

まぁ、気持ちはわからなくもないけど。
一部始終を見ていた私だって、すぐには信じられなかったくらいだから。


「本当なんですよ。ユリカさん、かなり頑張りましたから」
「その10倍はカイトさんの方が苦労してましたけど」
「ははは…ま…まぁね」


私達の微妙なフォローに、半信半疑だったアキトさんもやっと信じたようだ。


「そっか…ユリカ、お前ホントに頑張ったんだな」
「うん!アキトに美味しい手料理、食べてもらいたかったの!」
「ん。旨かった。嬉しいよ。…ありがとな」
「アキト…」


ユリカさんの額に自分の額をくっつけてお礼を言うアキトさん。
私は慌てて目をそらす。突然ピンク色に染まった空間にいるのは少し照れくさい。

けれど、良かった、うまくいって。

自分が何をした訳でもないが、それでもこの2人が笑っていると嬉しかった。
あれだけ一生懸命手伝っていたカイトさんなら、もっとそれを感じているだろう。
逸らした視線をそのまま彼に向けた。



一瞬だった。



苦しそうな悲しそうな…そんな複雑な色がその人の顔に浮かんだのは。
だが、驚き瞬きした後の視界には、心底嬉しそうに微笑む彼の姿しか存在しなかった。


―多分ルリルリの近くにも居るわよ、想いを秘めてる人―


不意に浮かぶミナトさんの声。
その声と共に、幻のように思える彼のあの一瞬の表情が私の脳裏に焼き付いていた。


<続く>




























―あとがき―

途中までの掲載ですみません。
サンプルなのでどうかご容赦くださいませm(_ _)m

これも書いたのは1年以上前なんですね(汗)
普通の女の子らしいルリルリを書いてみたくて始めた話でした。
たまには横恋慕で弱気に思い悩むルリも良いだろうってことで。

Rin 的には、カイト→ユリカは確実にありだと思ってたりします。
身元不明な自分を引き取ってくれて、名前くれて、仲間扱いしてくれて、さらに年上の女性!
…ときたら、普通の恋愛話じゃ、まずこっちがメインキャストですよね(汗)
度合いの差はあれど意識しないはずがない!
ってことで、自然と話がまとまったのを覚えてます。

ここで掲載してる部分は、本にして約7ページ半分の分量です。
で、表紙・目次etc.を抜いて、本文全体が29ページくらいですね。
前編はシリアスすぎな展開が多いし…まぁ…これ以上はちょっと辛かった( ̄− ̄;)
シリアスが苦手な人はどうかお気をつけて。

少しでも楽しんでいただけたら幸いです。
それではまた時をあらためて・・・。



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