『最高の一粒』




2月。如月。寒風吹きすさぶ日本の冬。
――とはいえ。完全空調の効いたナデシコBの中では外の気温など関係ない。
機関部のオーバーホールのため、サセボ基地に駐留してから早1週間。
久しぶりにのんびり過ごす地球で、ナデシコクルーの面々はとっくの昔に春が来たかのような風情で
日々を過ごしていた。

節分もすぎれば、否が応でも『とあるイベント』を意識させられる時期である。
統合軍から目下お荷物扱いされている宇宙軍とはいえ、痩せても枯れても一応は軍隊。
本部から『節度ある行動をすべし』などという通達がナデシコBにも届いていた。

もっとも、それに『(注)総司令部宛は問題なし♪』なんてメッセージが添えられているあたり、
ココの特性が如実に表れていると言えよう。
勿論我らがナデシコクルーも例外ではなく、むしろ率先して盛り上がっていた。
見渡せばどこもかしこも浮かれ調子なナデシコ食堂の一角。
そんな中、昼飯のカツカレーをつつきながら、僕は独り落ち込んでいた。


「な〜に暗くなってんの、お前?」


いきなりゴンっと頭にトレイが乗せられた。
ズシッとくる重みを何も持たない右手で奪い取ろうした瞬間、それはサッと逃げていった。


「……サブロウタさん」


僕は疲れたようにイタズラの犯人の名前を呼んだ。
右隣の席に座ったその人物は、悪びれもせず「いただきます」と手を合わせている。

今日の日替わりランチはエビフライ定食か。絶対一匹せしめてやろう。
心の中で決意しつつ、僕は再び左手のスプーンを動かし始めた。


「この時期に、んな暗い顔してちゃモテないぜ、カイト」
「結構ですよ。誰かさんのおかげで、去年は散々な目に遭いましたからね」


多少の怒りを込め『誰かさん』の部分を強調すると、彼は「なはは」と笑って目をそらした。
まったく、本当にこの人は……。僕は深い溜息をついて、一年前の出来事を思い返した。


去年のバレンタインは本当に最低な一日だった。
ナデシコ中が、サブロウタさん主催の賭けで盛り上がっていたのだ。
賭けの内容は『カイトが最初に食べるチョコは誰のものか?』
初めはお遊び程度のものだったのに、途中から勝つためには手段を選ばない輩が発生したことが致命的だった。
クルー間で謀略や妨害工作などが頻発。『自分のチョコを食わせれば勝ち!』などと曲解した連中に追いかけ回され、
『カイトにあげれば、ホワイトデーには手料理フルコースで返してくれる』
などと、誰が流したかも分からない噂も真しやかに流れたため、男女問わず、義理だか打算だか怨念だかが籠もったチョコレートが、僕の前に山と積み上げられたのだ。
それらを無理矢理口に詰め込まれそうになるに至って、さすがの僕もブチ切れて「本命以外のチョコは一欠片も食わない!」と宣言して、何とか騒ぎが収束したのだった。

結局、僕の戦果はゼロ。
例の賭けは、『カイトは誰からももらわない』の大穴に賭けていたサブロウタさんが一人勝ちしたらしい。

今年は誰にもかかわらず、静かに過ごしたい――そう願い、既に勤務シフトを調整して休暇を入れている僕であった。


「で、カイト。今年はどうするんだ?」
「何がです?」


問いかけと共にやって来たカツを狙う鋭い一撃をギリギリのところでかわし、
返す刀で敵の懐へ素早くフォークを忍ばせる。
綺麗に揚がったエビの尾まで後数ミリ、という位置で目標の皿が消えた。
互いににっこりと微笑みあったところで、頭上に掲げていた皿を手元に降ろしたサブロウタさんは話を続けた。


「バレンタインだよ、バレンタイン」


眉を顰めるのと同時に、伸びてきた手を避けるように自分の皿を持ち上げる。
空振った箸が戻っていくのを眺めつつ、僕は不審げに彼に問いかけた。


「……また何か企んでます?」
「違うって。これでも去年は悪かったと思ってるんだぞ。……って、だから信じろよ!」


じとっと睨め付けてくる僕に、サブロウタさんは慌てて否定していたが、
やはりどこか白々しく感じてしまうのは、散々からかわれた経験のせいだろうか。
人間、日頃の行いって大事だよなぁ……よっと。隙アリ。
げっ!と目を剥いた彼の前で、僕は戦利品のエビフライを口に放り込んだ。う〜ん♪でりしゃす♪ 
久しぶりの勝利の味に十二分に酔いしれたところで、いまだに悔しがってるサブロウタさんに向き直る。


「で? バレンタインが何だって言うんです?」
「去年みたく、また『本命のみ』宣言するのかなぁ?と思ってな」
「あぁ……それか」


僕は力なく息を吐いた。彼の台詞で、去年の騒動だけでなく落ち込んでた理由まで思い出してしまった。
右手で頬杖をつきながら、少し冷めたカレーを再びつつき始める。


「その日は休み取ってますけど……どうしようかな」
「何だ、参戦予定なのか?」


僕の呟きを聞きつけ、意外そうな顔でサブロウタさんが覗き込んできた。
答えるのも億劫な気分なのだけど、無視するわけにもいかない。僕は不承不承に口を開いた。


「考え中です。今年もゼロ確定なんで、それもツマラナイなって」
「確定とは限らんだろ?」
「んにゃ、もう確定」


やる気がなさそうに話す僕の横顔を、マジマジと見ていたサブロウタさんは得心が行ったという表情で
わざとらしく頷くと、僕の右肩に手をおいてしみじみと言った。


「なるほどなぁ。寂しいねぇ、艦長は今年も不参加か」
「……なんでそうなるんですか」
「違うのか?」


そうだったらどんなに良かったか……。
僕は正直、放っておいてくれよと叫びたい気分だった。
にやにやと面白そうに笑ってる彼の手をぺしっと肩から外し、一番言いたくない台詞を口にする。


「…………ルリちゃんなら、今年は誰かに渡す予定らしいですよ」


「「「「「なぁにぃぃぃぃぃぃぃっ!!」」」」」


うぉっ!? あまりの大声に僕らはぎょっとして振り返った。
十数人の顔・顔・顔。いつの間にか背後に人だかりができていた。
さらにその人影の向こうにも、興味津々に覗き込んでくる連中がいる。
食堂中の注目を集めているのは明白だった。


「どういう事だ!?カイトっ!!」
「ぐ、ぐるじい……」


見知った整備班クルーの1人が、僕の襟首を両手で捕まえ締め上げてくる。
冗談抜きで首が絞まってる!僕は必死にその腕を叩いた。
「待て待て!」「やべぇって(汗)」「顔色変わってるぞ!」周囲から代わる代わる叫び声があがり、
僕の様子に気づいた連中が慌てて引きはがしてくれたおかげで九死に一生を得た。

し、死ぬかと思った……。復活した空気を思いっきり吸い込んで、何とか呼吸を整える。
襟元を押さえて顔を上げると、あらゆる方向から視線が僕に突き刺さった。
もはや黙っていることも誤魔化すことも逃げ出すことも不可能か。
僕は深く息を吐き出して白状した。


「……チョコレート作りを手伝ってくれって頼まれたんです」


その途端、食堂の至る所で悲鳴のような叫びが上がった。
ウソだろ!?とか、誰だっ!?とか、カイトじゃ無かったのか!?等々。
男も女も関わらず、疑問と驚きの渦が巻き起こっている。
泣き出す連中まで居たが、むしろ泣きたいのは僕の方だ。


騒ぎに背を向け、すっかり冷めたカレーの残りに向き直るとサブロウタさんがまだ隣に座っているのに気づいた。
てっきりあの騒ぎに便乗してると思ってたのに。ポリポリと頭を掻いていた彼は、僕が気づくのを待っていたようだった。視線に気づいて声を掛けてくる。


「で?」
「え?」


何を尋ねられたか分からず聞き返すと、彼は片目を瞑り首をすくめる。
それから僕の方に身体を寄せ、声を潜めて尋ね直してきた。


「手伝うのか? 艦長のチョコ作り」
「そりゃ……約束しましたから」
「ふ〜ん。もしかして落ち込んでた理由ってソレ?」
「…………」


黙ってスプーンを口に運ぶ僕の様子で全てを察したらしい。
サブロウタさんは苦笑いして話を続けた。


「けど、艦長なら、手伝ったら御礼にくれるんじゃないか?」
「確かにそんな事は言ってたけど……それは遠慮しました」
「あ゛?」


訝しげに眉を上げて首を傾げる彼に向かって、僕は「御礼でもらっても情けないでしょ」と溜息混じりに答えた。


「断っちまったのか。そりゃ気の毒に」
「……余計なお世話ですよ」
「お前じゃなくて艦長が、さ」
「は?」


首をひねって聞き返すと「な〜んでもないない」とサブロウタさんは首を振った。
どうにも気になって話を続けようとすると、彼はさっさと立ち上がり
「ま、気にするなって。んじゃ、ごっそさん」と去っていた。

相変わらず本心の読みにくい人だ。
彼の背中を目で追いながら、未だざわめく食堂で、僕は何度目か分からない溜息をついた。







<続く>





















―あとがき―

途中までの掲載ですみません。
サンプルなのでどうかご容赦くださいませm(_ _)m

ものすごく時期はずれなネタを夏コミ新刊に載せました(^ ^;)
いやはや、あの時はどうにも原稿が間に合わなくて、
サイト用に書いておきながら更新する暇がなくお蔵入りしていた作品を引きずりだしちゃったのでし。
この話には、ホワイトデー編(ルリ視点)もお蔵入りしたまま眠ってるので、今度の冬コミあたりに新刊代わりに公開します。

少しでも楽しんでいただけることを祈って。
それではまた時をあらためて……。


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